#36 黒過重力
「あのレズ金術師……今度は何をやらかしたのよ? なーんで家が全壊するのよ?」
ルベドの森上空百メートル地点――三本の箒の上に、三様の容姿年齢の、三人の女性が乗っていた。
「アハハハッ! だってヘルメスちゃんのお家でしょ!? 錬金術の失敗で爆発するくらい当然じゃない?」
「ヴァニラちゃん。家が爆発するなんてこと、普通は当然に起こることではありませんよ?」
「だよねだよねぇステラー!」
ステラと呼ばれた恰幅の良い給仕姿の女性がモノクルをかけて地上を見下ろす。
「ええ。丁度よく家も無いし、全力でやっていいわよ――ヴァニラ」
「射程距離内、範囲内……ヴァニラちゃん、いけるわ」
ヴァニラと呼ばれた少女は、軽々と担ぎ上げていた大槌を構え、魔術の詠唱を始める。
「矮小なる命を無に帰すは、天歪めし黒の渦――〈黒過重力!〉」
身の丈を遥かに超す大槌を高らかに振り上げ、ヘルメス家だった廃墟目掛けて振り下ろす。
空を切り裂いて森林上空に着いた三つの魔力は、地上で廃墟を眺める鴉三人も即座に反応する。
「……二人ともぉ~」
「分かってんよ。つーか魔女の根城だからなんかあれば見に来るのは当たり前だろ」
「そこまで気付いているのなら、早くお前の師団員へ撤退を指示した方がいい」
「え?」
刹那、眼前の空間が捩じれて歪む。
「こんな芸当ができんのは……!」
「俺が知っている限りではこの国でも一握りだな」
「まさかぁ……このために家をぶっ壊したってぇ~のぉ~?」
三人の位置まで強烈な爆風が叩きつけられた瞬間、廃墟が巨大クレーターに飲み込まれていた。
「アッハハ! ねぇねぇ見て見て! 木っ端微塵になったー!」
享楽的で狂気的――惨劇の前で浮かべるには感性を疑う快笑。
幼げな童顔に左右サイズ違いのピンク色のツインテールを歓喜しながら揺さぶるヴァニラは、大槌を棒切れで遊ぶように振り回している。
ヴァニラは〈重力〉を司る魔術を得意とする。
大槌先端へと集め凝縮した魔力を〈重力〉へ転化――発生した高重力場を叩きつける一撃は、さながら物体を重力場で取り込み粉砕するブラックホール。
形容に違わず周囲へ解き放たれた重力場は後退する団員たちをも引き寄せ砕く。魔力で創り上げられた異常の力でひずんだ空間は骨をへし折り肉をすり潰す。
三十前後の鴉の団員がたった一発の魔術で半数が瀕死に追い込まれた。あくまでも複雑骨折等々で瀕死になったのが半数であり、四人は中心部で姿形も残ってなかった。
「ねぇねぇすっごいでしょーこの魔術! ステラから教わったのよ? 褒めてーレジーナー? ってどーしたのー? 鴉と目を合わせちゃって……」
「……なんでもないわ」
見上げてくるクロウをレジーナは見下ろし返す。
敵同士が互いを探り合うには長い時間、二人は目を合わせていた。
偶然にしてはあまりに出来過ぎたタイミングで目を逸らし合い、再び同時に各々が配下や同胞へと指示を出す。
「ヘルメスたちにまだ固執してるようだったらヴァニラはまた叩き込んでやって。こっちを撃ち落とす気があるようだったらステラ、迎撃は貴女に任せるわ」
「いえすまーむ!」
「任せてくださいな、レジーナ」
「総員、引くぞ。動けん奴は置いていけ」
素早く指揮を出したクロウの服をコルヴォはいきり立って掴む。本来は胸倉でも掴みたかったのだろうが、身長差で成り立つはずもなく仕方なしの行為だろう。そして反抗を行為に移した意味は言うまでもなく――。
「師団長! まだ生きている奴らは連れて帰れるじゃないか!? 何故置いていく必要がある!?」
「置いていけ。連れ帰っても死ぬだけだ。骨も内臓も砕かれれば手の打ちようがない」
「ぐっ……そ、それはそうだが――」
「コルヴォ。よく聞け」
次弾の魔術がいつ飛んでくるか分からない状況で、クロウはコルヴォの頭を掴んで顔を寄せる。
「アタシはお先に。クロォ~……コルヴォちゃんしっかり連れ帰ってよぉ~?」
「ああ、落ち合う場所は「爪」だ」
「お~け~「爪」ね。りょ~か~い」
暗号で落ち合う拠点を確認したシュカは森の奥に身を潜めていく。
「さて、コルヴォよ」
「…………」
「俺らは先手を打たれた。そうだな?」
コルヴォは気圧され、首を縦に振ることしかできない。
「敵影は見えたが今の俺らでは迎撃する手段も無い。これも間違いないな?」
再び頷く。
「では、絶好の追撃の機会が転がっているのに何故奴らは詰めてこない?」
「……俺らを、誘い込んでいるから。団員を救おうとしている俺らを空から魔術を撃ち下ろすために」
「そうだ。遠距離から広範囲へ被害を及ぼす高出力の魔術を放てる魔女だからこそできる戦術だ。あの威力、喰らったらお前は生きていられる自信があるか?」
今度は首を横に振る。
威力の程は既に体験させられた。
辛うじて息があった団員もうわ言や呻きを上げるだけ。
撤退の信号を送るものの、手の施しようがないのは素人目でも明らかだ。
「ならば今は全力で引くことだ。全身を砕かれ苦しみたくなければな」
重くなった首を振る。
正しい。逃げるのは正しい。
けれど救える確率が僅かでも残っている団員を――。
「そしてもう一つ。些細なことだがお前にはまだ欠けている物がある」
逡巡はコルヴォの顔にありありと出ていた。
「……師団長、いったい俺の何が欠けているんだ!? こうやって部下を思うことも許されないというのか!?」
「コルヴォ。俺はお前を正当に評価している。贔屓目抜きでお前の才覚は俺を超すやもしれないものとして、お前に一つの師団を任せた」
切り返すクロウの言葉に答えは含まれておらず、それでもコルヴォは聞き入った。
二人の師団長を差し置いて樹上へとそそくさ登っていく団員を後目に、クロウの眼はコルヴォの灰の瞳を捉えて離さない。
「その上で、お前は一つの師団を率いる立場の人間だ。俺を師団長と呼ぼうが師匠と呼ぼうがクロウと呼ぼうが好きにすればいい。だが――」
首筋を振れた指先はひやりと冷え切っている。
血が通っていないと錯覚しかける。
けれども、確かに命を運ぶ血が流れる気配がする。
眼球の奥まで射抜き去る一矢の如き視線は、コルヴォが受け止めるには辛過ぎた。
「コルヴォ=ランピオン・スレイグレイブ――欠けているのは自覚だ。『商人』の師団長の自覚を持て。お前は、お前の意思で、お前の団員を指揮する。お前の指揮で団員は動き、お前の掲げる信条に付き従う。しかし、それは同時にお前の指揮に命を賭けることと同義と知れ」
「…………」
「お前の油断で団員は死ぬ。お前の采配如何で人の命が――人の一生の終焉が決まる。危機を感じたその時、行動を起こせ。俺たちが生きる世界で慢心が命取りだということ、ゆめゆめ忘れるな」
成人に満たない少年に告げるには何処までも酷だ。現に感情論の理論武装も整わず、コルヴォは口を噤むしかなかった。
「反省も後悔も戒める時は生きれば幾らでもある。ああならない内にさっさと消えるぞ」
「……ああ、クロウ。了解した……!」
クロウの言葉で怒りで煮え滾った腑に水を差す。瀕死の仲間の助けの声を振り切り、冷酷に徹して逃走を図る。
全団員が森の奥へバラバラに散っていったのを確認したクロウ。殿として最後の団員の逃走を見届け、ようやく外套を翻して森に消えていった。
「それ以上追わなくていいわ」
レジーナたちは決して深追いはしなかった。『屍喰いの鴉』、そしてクロウを。
「えー? せっかく久しぶりの戦いなのにー! もっと暴れたいー! 魔術撃ちたいー!」
「頭領が殿を務める……中々の度量がありますわね」
「そうね。で、ヴァニラ。撃ってもいいけど意味無いわよ。殿の頭領様が部下の自決を見届けたんだからね」
戦火の爆心地さながらに落ち窪んだヘルメス家跡地へ魔女三名は降り立つ。
「? あらまあ……手加減不足じゃないかしら、ヴァニラちゃん?」
クレーターに埋もれてた瀕死の団員たちを確認するが全員一様に息絶えていた。
呼吸も、心臓も、生命活動に必要な動作は全て止まっており、痛みと苦しみの内に命が絶えたのだろう、怯え歪んだ表情をめいめいに並ばせている。
「私はいつでも手加減無しだよっ! ってか全力って言ったじゃんねー!」
「違うわ。ヴァニラ、ステラ。毒で自殺したみたいね。何もかも墓穴とあの世に持ってかれちゃったわ」
団員たちの皮膚の色はもはや黒にも近く、どうやら全身の血が青ざめきっている。症状も毒性も戦闘がお仕事のレジーナには不明だが、服毒自殺したことは容易に分かった。
硬直しきった手の中には一口大の液瓶が握りしめられている。ややひしゃげるほどに握りしめたそれは、自決用に全団員に持たされていたのだろうか、或いは信用を置いていない末端の団員だけか。
検めた死体はいずれも大きな秘密を持っている風でもなさそうだ。飲み切らずに半量残った液瓶だけ拝借する。森に還るのに幾星霜かかるかさておき、そこらに死体を打ち捨て地面の瓦礫を蹴飛ばした。
「さ、レズ金術師に会いに行きましょ。報酬貰いに、ね」
姿を現した落とし戸を、ヒールのついた靴でゴンゴンとノックする。
最後までお読みいただきありがとうございました。
『魔術小隊』小隊員の三名、『屍喰いの鴉』師団長の三名の顔合わせ。