#30 交渉成立
「隠す必要は無い、という意味はお分かりいただけただろうか?」
「……その名前、どこで知った?」
「それをアンタが知る必要は無いね」
「実力行使で聞くこともできるが?」
ヘルメスの蒼い瞳が一際強く輝く。
ヘルメスには『魅了の魔眼』という特殊能力こと権能がある。男性に限り効力を発揮する魅了の力であり、自分自身の支配下に置く能力。『聖天教』に関わる事件を解決に導いた、キーの一つだ。
「おっと、その瞳の影響下に置かれるのはちと御免被りたいもんだ。申し訳ないが、目を逸らさせてもらうよ」
「よし。リル、やるのです」
「任せろ主」
「そっと殺しに来るのもやめてくれまいか?」
漫才のような会話の最中でも、このクロウという男を推し量るヘルメス。
――俺の瞳の力を知っているのか?
どうにもこの男が量り切れない。果たしてどこまでの情報を持ち合わせているのか。言動一つから出てくる情報から察せる限りでも、かなり深い根っこの情報を知り得ているようにも見える。
対して蓮也は何も知らない。根幹に位置する重要な情報を。
ヘルメス・トリスメギストスという人物がどれほどの影響力を持つか。
どのようにして立ち振舞っていたか。
その力が何を成したか。
その心が何を思うか。
自分が自分であるために入れ替わった本当のヘルメスのことを、三年経った今でも少しも知れていないのだ。
自分よりも知られている自分のこと――僅かに心にチクリと刺さるものがある。
「まあいい。んなことよりテメー、誰の差し金で俺にこんなことを頼むんだ? クライアントは誰だ?」
「悪いな。禁則事項に触れちまう。依頼人についても、目的も、教えることはできない」
「納得するとでも? 依頼を受けたとして、危険を冒すのは私たちだ。罪を負うのも私たちだ。依頼の条件としては最低最悪だぞ」
「ふむ、そうだな。そちらの言い分も至極真っ当だ。俺だったら理由も何もかもが不明瞭な依頼、受ける気は起きないだろう」
現状でクロウが出している条件は最悪の一言に尽きる。あまりにもな条件にリルも顔をしかめた。
王女の誘拐という前代未聞且つ危険度が計り知れない依頼を頼むも大概だが、大義も無く理由も知れず、クライアントが何を求め何処の誰かすらも分からない。極めつけにこの期に及んで報酬の話もしていない。
最初に提示するべき報酬を出し惜しむかのような交渉に、ヘルメスはいよいよ嫌気がさしてきていた。クロウも態度の変化を敏感に感じ取っていた。情報を小出し小出しに、少しずつ譲り渡していく。
「この一件は商業都市ラブレスで起こったとある事件と関係している。表面上は関係していなくても、本質ではな」
「だから答えになってねぇんだよ、ボケ」
「クククッ! こちらが譲歩できるのはここまでだ。依頼を遂行し、一週間後までに結果がここにあることを祈っているぞ」
こちらの返答を待たずして、踵を返したクロウは玄関のドアに手をかける。
「ああそうだ。言い忘れていたことがあった」
ふと、足を止めるクロウ。振り返ると、鴉のように黒い瞳に悪意が満ちる。
「シアラ・ウィル・マナリアの誘拐……こちらの目的が完遂されれば、アンタの好きにしてもいい。というよりもアンタへの報酬は『神霊王女』そのものだ。クライアントから伝えられていたことをすっかりと忘れていたよ……クククッ」
心底反吐が出そうになる邪悪な笑みを残し、クロウはヘルメスの家を去っていった。
「……チッ。交渉成立ってか」
「……おい、主」
「準備、するか」
消えたのを見計らったかのようにヘルメスの表情が歪む。
言葉に苦虫を噛み潰したリルが、窘めようとしたが、それはもう遅かった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
夏も終わり、寒くなってきましたね。




