#28 ろくでもない薬の閑話
「ふふふふふ……リルぅ……いつかこんな日が来るとは思ってたけど……こんな早く来るとは……!」
「あ、あ……主……!? お、落ち着いて……頼むからその物騒なモノをしまってくれ……!」
夕刻、ヘルメスの自室。
普段から同衾する仲のヘルメスとリルが、一人用にしては大き過ぎるベッドで一緒に寝ていることは稀ではない。今となってはごく当たり前に見える光景だ。
リルは人寂しさを忘れさせる家族の一員として、ヘルメスは可愛らしい従者を抱き枕にできる役得として。形についてはどうこうあるだろうが、二人の仲では特に問題ない事象だ。
では、なぜそんな「特に問題ない事象」の最中に、聴いてはいけないような会話が聴こえてくるのだろうか。
「だ、ダメだっ! それ以上はダメっ……!」
「うへへぇ……久々に熱いなあ……! 俺の息子が……!」
夜闇に紛れて真っ赤になったリルの顔が凝視するのは、ヘルメスの下半身――女性にはあるはずのないあるモノが『生えてる』のだ。
事の発端はどちらかというものではなく、ふと気付いたことを口に出したことが原因だった。
「そういや主。なんか工房によく分からない薬剤が並べてあった区画があったじゃないか」
夕飯の後のティータイムとしゃれこんでいた時のこと。
何の気なしに会話を紡いでいると、つい先日の出来事を思い出したリルが疑問を口に出したのだ。
疑問とは、奇妙な薬剤を陳列している区画が錬金工房の中にあったことだ。蟻の巣か地下迷宮を彷彿とさせる工房に最近増設された戦闘訓練室の隣に、薬瓶棚と羽ペンとデスクが無造作に置かれている一画があったのだ。壁面や床を同一の素材で整えられている区画とは違う材質で、そこだけずっと前からあったような作りだ。
「ん? あぁ、あれね」
「見たところ片して無いから手を付けてないが、あれの用途はなんなんだ?」
「お、気になっちゃうかやっぱりぃ」
「……いや、聞こうと思ったがやっぱりいい」
「時すでに遅し。我の口は開いてしまったのである」
そう言って白衣のポケットに手を伸ばすと、薬品の入った試験管が出てきた。躊躇いなくコルク栓を抜いた。中にはなみなみと蛍光色に発光する液体が満ちており、一目で人に飲ませていいような物質だとは思えない。そもそもヘルメスの〈薬事錬金〉にて作られる薬は、基本的にまともな素材を用いてない。そのためできる薬は極彩色だったり蛍光色だったりと、薬としての見栄えは最悪だったりする。効力の絶対性はともかくとして。
「イヤイヤ……なんで今手元にあるんだ?」
「最新版は常に常備しているからな」
「……あの区画が使い古されているように見えたのは、昔からあったからってことか……」
「正解だ」とリルの頭を撫でると、ヘルメスは薬の説明を始める。
「これはな。『生える薬』だ」
「……なにがだ?」
「なんだと思う?」
逆質問をさぞ愉快そうに返すヘルメスに、リルの「聞かなきゃよかった」という気持ちがどんどん増していく。
――「生える」って何が生えるんだ?
顎に手を添えてふーむと、可愛らしく小首を傾げるリル。
はっきり言えば答えは「ろくでもない薬」なのだが、真面目に設問に思案する愛しい従者の姿にやや感動を覚える。
「ふふふ、気が付いてしまったからには使うしかなかろうておまぁ……!」
「は?」
思考の邪魔をされたリルがヘルメスの方へ顔を向けると、驚愕の姿を目の当たりにする。
蛍光色の液体が入った試験管を口に当て、なんとぐびぐびと呷り始めたのだ。
「え――えぇっ!?」
正味不味そうな液体を何の躊躇なく飲み干したヘルメスは、さぞかし不味そうに深いため息を吐いてよろめいた。
「うっわ……ゲロマズいわこれ……良薬は口に苦しってか……」
「いや、そもそも色とか視覚的にもアレなんだが……」
「……ふふ。ふふふふふふふふ――」
もっともなリルの指摘に対して気味悪い笑いを返し続けるヘルメスに異変を感じる。
よろめいたのは何故か?
あまりの薬の不味さにダメージを受けたからか?
それとも「薬の作用」故か?
その答えは唐突に現われ出た。
壁に寄りかかって息を荒げているヘルメスを心配して歩み始めた途端、ゆらりと体が動き出す。
伸ばされたリルの手に、ヘルメスの手が伸びる。すると、予想外の力で壁に押し付けられた。
「へ?」
「こういうこと……だ……」
ぐいっと下半身をリルへと押し付ける。
――あれ、この感触って……?
女性に「無いはずのモノ」がどうしてか「有る」。
一瞬の虚がリルの思考を止める。
そしてその隙を逃さないかのように、ヘルメスがリルを持ち上げたのだ。
「ちょ、ちょっと待て! 待てって主! なんでそんな力が出てるんだ!? 私よりも重い大太刀を持てなかったクセになんで!?」
小柄といえど人の子だ。ヘルメス自身リルの体重をドストレートに聞いた訳ではないので、正確な体重は分からない。それでも年と平均体重を鑑みれば、以前作った大太刀以上の重さはあることに違いはない。そのはずのリルをいとも容易くお姫様抱っこしながら二階のヘルメスの自室へと向かうと、強引にベッドへとリルを放り投げる。
「あいたたた……」
「……もう我慢できない」
息が荒いヘルメスは、白衣を脱ぎ捨てた。
すべてを、ばさりと、脱ぎ捨てたのだ。
「っ――えぇぇ――っ!?」
突飛な行動に思わず目を覆い隠したリルだったが、指の隙間からそれはしっかりと見えて……というよりバッチリと凝視していた。なぜなら本来ないモノがそこにあったから。そして、薬の正体もそれで分かってしまった。
『生える薬』の正体は、『男性器が生える薬』だったのだ。
こうしてシーンは巻き戻り、冒頭へ。
「大丈夫大丈夫安心するんだリル……ゆっくり、じっくりするから……微塵たりとも痛くしないから……大丈夫大丈夫……」
「ちがうちがうちがうぅ! 正気に戻るんだぁあるじぃ!」
覆い被さったヘルメスの胸が顔に当たる。
むにゅりと、豊満で柔らかい質量を持った二つのモノに、リルの小さな顔が埋もれる。
「むぅ!?」
「っ、んぁっ」
呼吸を阻害されるほどのあまりに人の身に余りある双丘。ついリルは退けようと両手でわしづかみにしてしまうと、私生活自体は自堕落なオッサンそのものの我が主から、聴いたことのないような艶めかしい声が出た。
「な、なんて声出すんだバカ!?」
「んふぅ……人の胸を豪快に揉んでおいて、よぅそんなこと言えるなぁ……?」
むくりと起き上がって押し付けていた胸から解放されたリルの目に、ふにゃりと蕩けた蒼い目が映る。荒い息と屹立した女性の身に在り得ないモノ――これから純潔の人狼に何が起こるかは火を見るよりも明らかだ。
……と、まあ、まともな少女相手なら、このまま女男な狼の魔の手にかかってしまったのだろうが。
「主のバカーーッ!!」
リル相手にそう上手くいくはずもなかった。
沸騰しきった真っ赤な顔で、思いっきり拒絶の言葉を上げるや否や――。
「ッ――ヌオァァァァッ!!?」
どことは言わないが、思いっきり蹴り上げられたのだ。そりゃあもう大層な勢いで。
久しく感じることなどなかった懐かしくも尋常ではない痛み――両性が固有に持つ特有の器官に対して与えられた、男であればほぼ全員が昏倒するであろう耐え難い激痛が、ヘルメスの全身に駆け巡る。
「ぉう……ぐぅ……っっ」
通常の人間種の何倍もの身体能力を誇る人狼種たるリルの蹴りが、急所の中でもいろんな意味で特にダメージがデカい部位にヒットしたのだ。さしものヘルメス……というより蓮也だったとて到底耐えきれるものではない。
過剰な興奮で顔を紅潮させてたヘルメスだが、血の気がさあっと引いていくのが目に見えた。長い苦悶の呻きを発しながら再びリルの方へと突っ伏す。
リルの顔のちょうど右隣に、糸の切れた人形めいて崩れ落ちた。どうやら苦しみに耐えかね気絶したようだ。体のダメージは気絶してもなお健在なようで、時折ぴくぴくと痙攣している。
「あっ……ある、じ?」
さすがのリルも青ざめる。羞恥の興奮が薄らいでいく。
だって、自分に覆い被さっている主が完全ノックアウトされてるんだから。
「うぅ……ごめん……ホントに……」
互いに煽りあい、煽った末に激昂したヘルメスが薬を飲むなどという強行に至ったのだ。こうなっても自業自得という外は無いだろう。
けれど、さすがにやりすぎてしまったかも、と今更後悔していた。蹴った経験も蹴られた経験も当然ないから力加減なんてありはしない。
「うっ……」
短い嗚咽を上げ、ヘルメスの意識が完全に飛んだ。
それからはいくらゆすっても、声をかけても、体の至る所をつんつんと突いても、目覚めることは無かったのだった。
翌朝――午後三時といつもよりさらに遅い起床をしたヘルメスが、ややおぼつかない足取りでリビングに出てきた。
「むぅー……リル、おはよ……」
「……おはよう」
顔を合わせないリルに首を傾げる。
ぐるりと回り込んで問いかける。
「なぁ、リル。昨日さぁ――」
「き、昨日がなんだ!?」
「ぉうふ、どうしたんだ急に……んで、俺は昨日何してたんだ? なんで寝てただけなのに股間が痛いんだ?」
「ッ――知らないっ!」
顔を真っ赤にしたり突っぱねるようなリルの反応に、怪訝そうなヘルメス。
リルだけがしばらく顔を合わせられなかったのは言うまでもないだろう。
ちなみにヘルメスが作った『生える薬』だが、どうやら「一夜の記憶がトぶ」副作用があるらしい。
傷病に対する特効薬を作り出す〈薬事錬金〉の効果から外れた薬剤であり、副作用がある未完成品のようだ。
はてさて、ヘルメスのハーレム計画の完遂はいつになるのやら。
最後までお読みいただきありがとうございました。
酔っぱらいながら執筆したらギリギリコードを狙い過ぎました。後悔はしてません。




