#27 天秤の錬金術師として、成すべき事
商業都市ラブレス北区。カフェ『ライラック』での一幕。
気温が上がりつつある今の季節、カフェでは冷やした黒茶――コーヒーのようなこの世界の飲み物だ――が人気だ。昼下がりの今でもやや暑い。一仕事を終え昼食に向かった男たちも、取り留めのない会話を交わしながら飲んでいる。
「なあなあ、聞いたかよ。『聖天教』の教会がぶっ壊れたっつー話」
〈遍く虚構・女神の鉄槌〉による教会の突如の崩壊と再生を皮切りに、瞬く間に商業都市全区域にソロウ・アルゴーの悪事が知れ渡った。その以後は早いもので、半日経たずにラブレス市長のガドルノス・リュカティエルの耳に入り、一日も経たずに独房にぶち込まれたそうだ。
「ああ、主教だったとはな。ひでぇ話だ……どうせどいつも聖人の面を剝ぎ取りゃ、ただの獣だろうよ。まったく」
街の人たちの反応はひどく辛辣だった。とはいえそれも無理はない。
魔法使いや魔女たちを傭兵として雇用し、自国の大きな国防力として考えている国柄のため、元より聖天教への風当たりは強かった。その折に今回の一件だ。尚更宗教組織としての内部の団結力や外部の求心力は弱まるだろう。
「いやいやそうじゃなくて。そっちよりもほら、あるだろもう一つ」
もう一つ。それとは別にある噂が立っていた。
「ん? ああ、そっちの方か。嘘くせぇ話だけどな。そっちも」
曰く、「伝説の錬金術師が事件解決に一枚噛んでいる」とのこと。
「噂だがよ。なんでもルベドの森の方角から見たことねぇすっげぇ美人が来たってよ」
見たことのない美人が禁域とまで言われる森の方から来たという事実。
「それも市長の娘と聖女様を引き連れて立って?」
おかしな取り合わせなもんだと、顔を見合わせて爆笑する二人。
そんな常連客の話を聞きながら、カフェのマスター・ミゲルは符合する仮想に思いを馳せる。
「まさか、な」
初老に年も入り悠々自適な生活を楽しむために、趣味だった料理を仕事にしようとカフェ『ライラック』を開店した。味もよく、店内の雰囲気も落ち着いていると、口コミで評判は高まっていった。常連客も増え、時折市長のご息女が付き添いの侍女と一緒に来ることもあった。
――まさか、市長のご息女が連れてきた『聖女』と一緒にいた、あの金髪の美女……そしてキャスケットを被った子供メイドが?
「はっはっは……無いか、そんなことは」
あまりにも馬鹿げている。年を食って多少は自分も落ち着いた大人になったかと思えばこれだ。
「ん? どうしたんだいマスター。首をかしげて急に笑い出して」
「いいえ、なんでも」
そんな馬鹿げた話は常連客にもできないと、ミゲルは心の中にしまい込んだ。
所変わりルベドの森。錬金術師ヘルメスの工房。
地下に位置する錬金工房は際限ない改築の果てにさながら蟻の巣の様相を呈している。その一角をヘルメスはとある施設に作り替えた。
工房の中では基本的に超繊維布製の白衣を着込んでいるのだが、どういうわけかマントにロングブーツ、コルセットスカートに白のフリルブラウスと、正装というべきか戦闘スタイルとでもいうべきか。ともかく、面倒くさがりのヘルメスにしては屋内で過ごす姿としては些か気合いが入った格好をしていた。
「〈遍く虚構・戦姫の宝剣〉」
技の口上を言い放ちつつ、マントの内側から取り出したのは小石大の鉱石片――非常に高価であり、この世界でも比類なき強度を誇る鉱石『神銀』だ――は、部屋の光源を強く反射し眩いくらいに輝いている。
バチバチと、右掌から放出される錬金術の発動を伝える黒い雷光が、鉱石片に迸る。鉱石片が黒雷を纏うと途端に形状が変わっていく。周囲に雷光を弾けさせながら、小石大の神銀の塊が一本の剣へと姿を変えた。
抜き身の刃から柄尻に至るまで、全ての素材が神銀製の剣こと〈戦姫の宝剣〉は、まるで鏡面の如く眩く光を反射している。
宝剣の名に恥じない見た目だが、はて切れ味は――ヘルメスは試し斬り用の丸太へと、いかにも剣術初心者な構えで唐竹に振り下ろす。
神銀の刃は残光を纏って幹へと吸い込まれ、一瞬のディレイの後に丸太を真っ二つに切り裂いた。まるで豆腐かゼリーを斬ったかのように両断された丸太へ〈戦姫の宝剣〉を横薙ぎに払う。銀の煌めきを帯びた切っ先は、軽々と丸太を十字に斬り分ける。
「なんという切れ味……膂力抜きでここまでとは、凄まじいな」
「〈想像錬金〉、〈変換錬金〉――よし、成功だ」
感嘆の声を上げるのは、愛する人狼の従者ことリルだ。主たるヘルメス以上の筋力を持つリルも神銀製のククリナイフを持っているが、ここまでよく斬れるわけではない。この現象は〈戦姫の宝剣〉単独の切れ味だけで為したという証左だ。
自在に物体の形を作り替える錬金術〈想像錬金〉と元素の結合数や配置を操る〈変換錬金〉の効力で、剣を形成していた神銀が再び小石大の塊に戻る。
ヘルメスが作った部屋とは、錬金術の実験室だ。 それも戦闘用の錬金術の実験室であり、リルのための戦闘訓練室を兼ねている。
地下三十メートル地点に生成された百メートル四方の広大な部屋は、壁をヘルメスの魔力を封じ込めた『魔導金属』で作られており、余程の衝撃が無い限りは傷一つ付かないだろう。
一部重要な柱には神銀を使用しているので、崩壊して地下三十メートルで生き埋めになることもないだろう。丸太や魔力に対して抵抗力のある素材などを多数運び込んでおり、サンドバッグ代わりの的を欠かすこともない。
息をついてヘルメスは神銀の塊を懐に収めると、訝し気にリルが問いかける。
「どんなギミックなんだ、それ。確か錬金術は『等価交換の法則』とやらがあるんだろ?」
「簡単な話だ。剣を形成するだけの神銀を〈変換錬金〉と〈想像錬金〉の応用で、極限まで圧縮した状態で保持しているんだ。だから〈想像錬金〉で剣を作る分の神銀があるってワケ」
「……ちっとも簡単じゃないだろうに。相変わらず常識外れなことをやってのける」
『等価交換の法則』――この世界の錬金術における法則にして、元のヘルメスより教わった知識で、主に〈変換錬金〉による物体の組み換えのルールと言えるものだ。
「A」という元素を「B」という元素形態に組み替える際、「A」に「B」を構成するに足りる分の元素数が無ければ、「B」の元素形態は不完全、あるいは完成しない。
神銀の剣を一本〈変換錬金〉で作るとすれば、剣を構成するに足りる量の神銀が無ければ、当然まともな剣の形状で完成しない。
そこで〈想像錬金〉と〈変換錬金〉によって、元素結合の調整と形状の合成を行い剣として再構築することにより、恐るべき切れ味の刀剣を瞬時に生み出すことが可能になる。
さも当然なことをやっているかのような説明をすると、ヘルメスは再び懐に手を入れ、今度は漆黒の木材があしらわれた神銀の球体を取り出す。
浮彫り細工を仕込んである高価な宝飾品に匹敵するそれへ、手から放出される黒雷に流し込むと再び形状が変化していく。
「〈遍く虚構・戦姫の宝槍〉」
今度は黒木の柄の槍へと変化する。神銀の穂先は剣より軽く、三メートル近いリーチを持ちながら、〈戦姫の宝剣〉よりも軽く片手でも扱える槍を構える。剣の時も初心者同然の構えであったが、槍にしてもそれは変わらない。
それでも放たれる突きの貫通力は凄まじい。転がった丸太の残骸へと軽く穂先を突き立てるだけで、ごく細い切れ目が刻まれていく。渾身の突きを放てば、フルプレートの甲冑どころか城塞の門ですら余裕で貫ききれるだろう。
「切れ味抜群すぎて、これじゃあ切傷もすぐに塞がってしまいそうだけどな」
「首を撥ねるなり心臓を一撃で貫くなり、やり方はいくらでもあらぁ。よっぽどじゃないとやる気は無いけどな」
「切れ味を維持したまま敢えて鋸刃にするとか、主ならそのくらい楽勝だと思うんだが」
「別に俺は殺しの兵器を作ってるわけじゃねーっつの」
リルの提案自体の意味は分かっているが、ヘルメスはいい顔はしていなかった。
「にしても、またどうして急にこんな施設を作ったんだ? 戦いのことに関しては全部私に押し付けてたくせに」
言い分はごもっともだろうな、とヘルメスは苦笑する。
なにせ転生して三年間、白刃での実戦においては全てリルに任せきっていた。一度たりとも自分自身で武器を持ち、魔獣なり人なりの命を奪ったことは無い。狩りに行く時も結局大太刀を振るうことができなかったが、結果的に実戦から離れている。
あくまでもヘルメスの錬金術での戦闘は、後方からの支援、もしくは十全に有利な状況下での大規模攻撃が全てを占める。竜狩りの時も、教会での一件でも、明確な命の危機を感じてはいなかった。
「ま、備えあれば憂いなしってやつさ。それにいついかなる時もお前が傍に居る訳でもないだろ? 多少なりとも自衛の手段とか、技量があった方がいい。お前以上の敵がいないとも限らん」
「私が主を置いて逃げるとでも? 呆れた主だな。従者が主を置いて逃げるなんて、それこそ恥だ」
「そういうわけじゃねぇよ。あくまで可能性の話だ」
信じてないかの主の言葉に、不満げに頬を膨らませるリル。
「んー……なんてーんだ。悔いを残したくないんだよ」
「悔い?」
「いろんな悔いだ。リルにもあるだろ。あん時こうしときゃーとか。たらればは生きてると尽きないだろ?」
「……まあ、な」
「俺も過去を悔やむようなことは言いたくないし、出会った人たちにもそんなこと言ってほしくないしな」
笑って言うヘルメスだが、どこか本心を隠しているような気がするリル。
ジト目で追及しようとしたリルだったが、誤魔化すように撫でられると黙ってしまう。
「きっといずれ、矢面に立たざるを得なくなるんだ」
振り返って的だった丸太の残骸に手を伸ばした。
「『天秤の錬金術師』の名に懸けて、せめて目の前の人ぐらいは護ってみせるさ」
空間が歪み、紅蓮の花が咲いたのはその時だった。
轟音を上げて丸太の残骸があった地点が爆ぜる。
突如の大爆発に、耳と目を爆音で刺激されたリルが飛び上がり――。
「な、なんだ……その技!?」
ふんすふんすと、大興奮しながら大爆発を起こした原因らしきヘルメスに食い入った。
「ナイショ」
「どうやってやったんだ!? 突然空間が爆発したぞ! 今まであんな魔法みたいなことは散々やってたけど、こんな破壊の魔法みたいなのは使ったことないじゃないか! ちょっと主! あーるーじーっ!」
「秘中の秘を教えるアホウがどこにいるんだっつーねん。俺にも秘密があーるの」
けらけらと笑いながら、ヘルメスは戦闘訓練室を後にする。
しばらくの間、追及の手が緩まなかったのは言うまでもないだろう。
間桐蓮也は目標を掲げながらも静かに生きる気でいた。
一切の面倒ごとを傭兵たちに任せていたし、自分から荒事に関わることはしなかったし避けていた。それもこれも元のヘルメスが貯めていた資産や資材のおかげでもあるが、ヒモみたいな暮らしでも安寧に浸れるのは嬉しかった。やりたいことも見つけて、少しずつ生活も充実しつつあった。
それがここ最近、静かに生きることができなくなってきた。
少しずつ何の因果か荒事に巻き込まれている。
戦いの因果というべきか、輪廻というべきか。それは少しずつ自分以外の人たちを傷つけている。
蓮也はそれがたまらなく嫌だった。自分が傷つくだけじゃなく、他者を傷つけてしまうことが。
見て見ぬフリができればよかった。
争い事にうまく立ち回れればよかった。
見捨てれることができればよかった。
でもやっぱり、人が苦しむのを見るのも、人が死ぬのも嫌だった。
見て見ぬフリも見捨てることもできないし、争い事を強引にでも綺麗に収める術も持ってない。
戦いの因果に取り込まれた自分が言うには、理想が過ぎるとは分かっている。けれど――。
――この力で救える人が一人でもいるんなら、そんな因果に立ち向かうのも悪くない。
「存外、愛しい人たちと過ごす忙しい日々も悪くないもんだし、な」
愛すべき人たちのために戦うことが、間桐蓮也の覚悟であり、『天秤の錬金術師』として成すべき事だ――戦う因果に立ち向かうことを決意したヘルメスが、再び人の悪意と欲望の渦へ巻きこまれるのに、それほど時間はかからなかった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
これにて第一章本編は終幕となります。
次回からはやや日常パートが続きます。




