#25 大団円の数日後
「おはようございます! ほら、早く顔を洗ってください。日も当たらない辺鄙な森の中でも一日のサイクルを健康的に保つことは大切ですよ!」
「朝っぱらから……まだ騒動解決から三日も経ってないぞ……?」
「ごめんなさいヘルメスさん……言っても行くって聞かなくて……」
「あまり甘やかさないであげてくれ、リュノアさん。主が寝すぎなだけだ。もうブランチの時間だぞ」
ルベドの森のヘルメスの自室の扉を元気そうな顔で開けたのは、魔女殲滅を教義として掲げる『聖天教』の『聖女』ラフィーゼだ。無駄に扇情的な黒い下着姿で寝ていたヘルメスを見ても過剰反応しなくなった辺り、慣れたというより非常識に毒されてきているのは確かだ。
一緒に来たリュノアは気を遣って諫めるものの、従者のリルは冷ややかな目でそれを許さない。時刻は十時を回っており、一向に起きてこない主のための朝食が冷めたままテーブルに放置されていた。
追い立てられるようにラフィーゼに起こされたヘルメスは、のろのろとベッドから這い出ると、椅子に掛かった白衣を羽織ってリビングに出る。ボタンも留めていないので黒い下着は見えている。
「わわわわっ! ま、前留めてくださいっ!」
「んぉ……ごめんごめん」
三人の美少女たちの視線も気にせず洗面台へ向かおうとするヘルメスを止めるはリュノア。
外身は美人な女性でも中身はものぐさな男性だ。人となりをよく知らない他人に対しては本人も気を遣うが、自宅では気兼ねなく本能のまま過ごす。遣った結果でも多分に男勝りな女性と見られるだろうが。
従者のリルを差し置いてリュノアは、淑女の振る舞いとしては今一つ自覚に欠けるヘルメスにせっせと世話を焼く。具体的には、白衣のみでうろつかせずに部屋に連れ戻してしっかり服を着せたり、寝起きでぼさぼさな髪を梳いたり。
「ヘルメスさんの髪の毛、すっごく綺麗で触り心地良いですね。サラサラで、風とか立ち振る舞いで動くとついつい見惚れちゃいますよ」
「リュノアちゃんに言われると自信がつくよ。それにこーんな可愛い子にコーディネートしてもらったり、髪を梳いてもらうなんて、俺も幸運なモンだねぇ」
「えへへへ。嬉しいです」
本当の従者たるリルはあまり好い気はしない。普段は主の無精な一面に忠言せずやりたいようにさせているが、楽しそうに会話しながら和気あいあいとしてる姿に、柄にもなく悶々としていた。
すると、隣にラフィーゼが寄ってくる。茶化すようでいてどこか腹立たしい表情をしていた。
「リルさん」
「……なんですか」
「天然の女たらしってヤツは大変ですね」
「…………」
――やれやれって顔をするな。
イラッとする上、ドンピシャ図星な物言いにカチンときたリル。
「泥棒猫に大好きなお姉ちゃんを取られそうだからって人をからかうのは止めた方がいい」
「んなっ!?」
あまりに自信満々な顔で言うもんだから、つい陰湿で邪険な言葉を返す。
「そ、そそそんなんじゃないですし!? わ、私はリルさんの事を思って言った……のに……」
「あーあ。このままじゃいつ寝取られてもおかしく――」
「それ以上は言わないでくださいっ! お願いしますからッ!」
「いつの間にか仲良くなってますね。ラフィーちゃんとリルさん」
「……いやぁ、俺ってつくづく罪作りよなぁ」
「へ?」
髪を梳かれて心地よさそうなヘルメスの一言の意味を理解できないリュノアに、「この子は俺が守らなきゃ」と下心全開で思ったヘルメスであった。
様々な思いが交錯しながらもリルが食事を振る舞ったり、食後の珈琲をヘルメスが淹れたりとで一旦場は収まった。全員がほっと一息ついたところでヘルメスはラフィーゼの来訪について話題を切り出した。
「改めて、今日のご用件はなんだい。聖女サマや」
「さっきから思ったのですが……なんか少し迷惑そうですよね。まさか用事が無ければ来てはいけないのですか? あの時「工房の扉はいつでも開けておく」と言ってたじゃないですか。偉大な錬金術師が嘘を吐くんですか? ソロウ・アルゴーのように?」
「……困ったな。それと同等同類と思われるとガチで嫌になる」
「フンッ。よかったじゃないか、主。主好みの女の子に大層懐かれて、ツンデレな子のツンツンに困らされて。内心嬉しいんじゃないのかい? ああ、困った困った。従者は身を粉にして働いているというのに、主は変態で浮気性なんだからな」
「……おい。後で覚えとけよ」
「体中のありとあらゆる関節を逆方向にされる覚悟があれば報復してみるんだな」
つーん、と擬音が聴こえそうなくらいに冷たい態度のリル。
――あーあ、拗ねちゃったなぁ。
行為自体に自覚はあるようだ。まあ、この悪癖が治ることはないだろう。
「用件はありますよ。『聖天教』の現状と、元主教の罪状。そしてもう一つ……何一つ嘘を吐かずに真実を語った貴方が、たった一つだけ隠した『聖女』について」
核心に切り込んだラフィーゼに、ヘルメスは心苦しくなる。真実が彼女の心をへし折らないように、敢えて言及することを避けてきた事柄だ。
「と言っても、街の図書館で調べたところで私が知る限りのことしか分かりませんでしたけどね。苦渋ですが、罪人の言葉を聞くことにしました」
「罪人の言葉って……ソロウから聞いたのか? 嘘八百かもしれんのに?」
「真偽を確かめるためにも貴方に聞いてもらいたいのです。そもそもあの男は、真実を聞いた私が絶望すればいいとでも思って語ったのでしょうから」
「とことんクズ野郎だな……」
房の中で鎖に繋がれたソロウの悪意が話からでも伝わってくる。ラフィーゼが虚構と真実との狭間に苦しむ様を眺め、金と地位を剥奪された怒りを晴らそうとしたのだろう。
だが、宣告された当の本人は特に気にしている様子でもなかった。
「分かり切った事を今更繰り返す必要もないでしょう」
この物言いである。さすがのヘルメスも呆け気味に口を閉じて魅入ってしまう。
「どうしました? 人の顔をまじまじと見て」
「いや、このごく短い間に強くなったなと思ってな」
「ふふふ。そう、ですね。いろいろありましたからね」
誰のおかげとは言わない。
ラフィーゼは眼を閉じて、数日前の事件を思い返していた。
――強くなった……いや、違う。
心の中では未だに結論に苦悩していた。断言できる踏ん切りもついていない。独房でソロウの真実らしき言葉を聞いた時、本当ならば奴の想定通りの絶望の表情を浮かべていたかもしれない。
――それでも私は強くなれる。
自分を『聖女』として、『聖天教』を信仰して救いを求める信者のために。
――それは自分のためではない。
そして、偽りの真実から自分自身を解き放ってくれた大切な人のために。
――大丈夫、覚悟は決まった。
数秒の間走馬燈のように様々な思いがよぎり、彼女は踏ん切りをつけた。
「では、私の調べた結果を……「『聖女』とは魔女の傍系である」――これが私が聞いた答えです」
ヘルメスの眼を見据えてラフィーゼの瞳は、真実を受け止めていた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
少し短めです。




