#24 〈女神の鉄槌〉
錬金術によって建物は崩壊し正に白昼の空の下、絶叫すらも呑み込んで、神聖母の裁きの鉄槌が罪深き者へと打ち下ろされた。
「ひぎゃっ――」
カエルが潰れたように声を上げたソロウへと拳が直撃し、衝撃で砕けた瓦礫に埋もれる。
「神罰執行、なんつって」
せいせいしたように会心の笑みを見せたヘルメスに、思考が停止していたリキエルの頭が動き始める。
「お、おいお前ら! 手を貸せ! 瓦礫をどかすんだ!」
リキエルの判断は早く、正しかった。錬金術の効力が失活したのか、ヘルメスが腕を動かしても砕け散った神聖母の腕は動かない。ならば最優先すべきことは一つ、哀れに潰れたソロウの死骸を引きずり出す事だった。外壁の瓦礫をより合わせ、鉄筋と木片が所々漏れ出た〈女神の鉄槌〉は、喰らえばひとたまりもない事は間違いない。
良くて挽肉になって即死、悪くて全身粉砕骨折で死ぬ寸前だろう。
だが、今際の際に、主教の体裁をかなぐり捨て、恥辱を晒してでも神聖母へ祈ったのが届いたのか――。
「い……生きて、いる……?」
神聖母の腕の残骸から、青アザだらけのソロウが発掘されたのだ。奇蹟的と言うべきか、木片や外壁の破片で裂傷や骨折など大きな怪我も負っていなかった。発掘された様子を眺めながら、ヘルメスはさもどうでもよさげに独りごちる。
「やっぱ殺らなくて正解だったな」
「……何故、命を取らなかった……のですか?」
「何故って、嫌だからだよ。命のやり取りは」
「い、嫌だからぁ!?」
あまりにもあっけらかんと答えるので、ついリキエルも素っ頓狂な声を出してしまったが、よくよく考えれば当たり前な話だ。当の本人も「何を抜かしてんだコイツ」とでも言わんばかりに返す。
「当たり前だろ。なんで俺がこんなドドドクズの命を背負ってこれからの人生歩まにゃならんのよ。リルやリュノアちゃん、ラフィーちゃんみたいに自分に近しい人ならまだしも、どうでもいい奴の命を背負うなんて嫌じゃん。どんだけ俺が聖人だろうと、さすがにそれはごめんだね」
想像した以上に辛辣な回答だったが自明の理だろう。リキエル自身もそうだった。真相が分かった今とはいえ、『聖天教』のためとはいえ、こんな塵芥より価値の無い男に殺す気など起こりもしなかった。
「んじゃ、後は任せたぜ。アンタら自身が言ったように、こっから先はアンタらの領分だ」
遊び飽きた玩具に興味を失ったかのようなヘルメスの投げやりな態度。唖然としながらも未だに泡を吹いて失神しているソロウを、リキエルは固まっていた聖堂騎士たちに運び出すよう指示をする。
ようやく動き出した聖堂騎士を一瞥した後、ラフィーゼの方に向き合う。転々とする状況に、ラフィーゼの表情は年相応にころころと変わっていた。ソロウへと鉄槌が振り下ろされた際は驚き、助かっていたと分かった際は安堵し、ヘルメスたちと向き合った際は自然と柔らかくなる。
――なぜだろう。どうしても強く拒絶ができない。
腐っても主教という高位の聖職者を殺そうとした張本人だが、その動機はあまりにも人の為であり、そして何よりも人の心を侮辱した怒りを隠そうともしなかった。言動とは裏腹に、彼女の心は情的で熱く、独自の判断による正義感に満ちていたのだ。
こうして向き合った今は、先ほどまでの冷酷に嗤うヘルメスは存在していない。心からの親愛を表した微笑みをたたえ、ラフィーゼへと話しかける。
「聖女サマや。つーわけで俺はここでオサラバするが、最後に何かあるかい? 一応しばらくは会えんと思うし」
「……私が聞いてた話と全然違ったというのが正直な感想です」
「ちなみに聞いとくけど、なんて聞かされたのさ」
「えっと、「天使を喰らって永劫の命を手に入れた」とか、「悪魔を下僕として使役している」とか。あと「王国を裏から支配する影の女王」とか」
「全部嘘に決まってんだろ……だいたい俺の噂話は偽の情報に第三者が尾ひれつけまくった産物のようなもんだからな。どいつもこいつも寄って集って人様を化け物扱いしやがってなぁ、困っちまうってもんだ」
まるでお伽噺の一節を読み上げるかのラフィーゼの言葉に、ヘルメスは楽しそうにけたけたと笑う。
「そう。結局どこまでも信用ならないもんさ。他人はともかく、自分の在り方は自分ですらすぐに忘れて分からなくなってしまうもんさ。少しでも、弱い方へとブレてしまえばことさらにな」
「……自分ですら?」
「そんなもんだよ。今は分からなくてもいずれ分かるよ。だから決して見失うな。どんなに嘲笑われ、貶されても。自分が目指すものを、自分の理想をね」
傍らに寄って来たリルに目配せすると、察したように指笛を吹いた。
「君の理想は俺なんぞの「天秤」では測り切れないほどに崇高で清廉なものだ。俺は信じているよ。君が高潔な『真の聖女』になることをね」
蒼く輝く双眸を、にへらと柔和に曲げるヘルメスたちの元に、ふと影が落ちる。吹き抜けとなった天井を蓋をするように日差しが遮られたのだ。そして何事かと視線を上にずらした者は、誰一人として平静を保てなくなった。
「な……なぁぁぁっっっ!?」
「りゅ、竜だ! しかもこれは……!」
「え、エンシェントドラゴン!?」
一度その姿を見た者ならば、何ら驚く光景ではないだろう。故に、見たことのない聖堂騎士たちは恐れ戦いた。
エンシェントドラゴンの子供、ヘルメスとリルの愛竜ミストルティンが、巨大な双翼を羽ばたいてやってきたのだ。一斉に着陸する地点から離れたリキエル含む聖堂騎士にヘルメスは哄笑を飛ばし、顔を寄せてきたミストルティンの頭をリルは撫でる。
「だけどね。世界には君の敵だけしかいないワケじゃないさ。聖堂騎士長リキエルをはじめとする聖堂騎士たちに、真の信仰を持ち合わせる信者たち。リュノアちゃんも、ラブレスの市長ガドルノスだってそう。君の周りには、頼もしく心強い味方は沢山いる。君が正しい道を行くことを示せば、皆ついてきてくれるハズさ」
竜の背に飛び乗った錬金術師は白金を加工した鈴――ルベドの森の表層部の魔獣が嫌う波長の音を放つ『魔獣除けの鈴』だ――をラフィーゼへと投げ渡した。
「それじゃあまたいつか。工房の扉はいつでも開けておくよ。俺とリルも、いつだって君の味方さ」
凛とした笑みをたたえた錬金術師は人狼の従者と共に古竜の子供に乗って飛び去って行った。
呆然と空を見上げるラフィーゼに、リュノアは後ろからそっと寄り添う。
「大丈夫? ラフィーちゃん」
「あ……リュノア、さん。ええ、大丈夫です。怪我も無いですし、なんとも……」
「大丈夫じゃなさそうだけど、どちらかというと心の方?」
「……かもしれないですね。なんか……なんかすっきりしないといいますか……」
「私とおんなじ。ねえ、これ」
心の内に深い澱が残るラフィーゼに寄り添ったリュノアは、一枚の紙を手渡す。
そこに記されていた汚い走り書きには、この世界で使われている文字が書いてはあるが、同じ体系でありながらどこか異国の似た文字にもみえた。走り書きの内容に気を取られていると、背を向けた今は廃墟の様相を呈している聖堂から、先刻の崩壊と同様の音が響き始める。
振り返ってみると、時間が巻き戻されていくかのように教会と聖堂が元の姿へと修復されていく。瓦礫から黒い雷光を迸らせながら。
「……「借りた物は返したよ」、ですか」
紙切れの走り書きに目を落とし、ぽつりと呟いた。
飛び立つ直前、最後の最後で起動した〈想像錬金〉の効力だ。魔術呪術の知識に詳しくとも、錬金術の造詣に富まない彼らには分からないだろうが、ヘルメスから放出された魔力は空間を伝って瓦礫へと行き渡っていた。
そうこうしている内に、騒ぎを聞きつけた周辺の住民が再生を始める聖母教会へと押し寄せてきた。二次災害を考慮し近寄らぬよう人払いをするリキエルら聖堂騎士たちは、状況説明やヘルメスに任された事後処理に動き始める。
その光景を眺めながら、ラフィーゼとリュノアは再生しきらぬ天井から覗く空を見上げる。澄んだ青をたたえる空は、人たちの間の諍いも戦いも、善意も悪意も素知らぬと言わんばかりに輝かしい。
「……なにが「人様を化け物扱いしやがって」ですか。充分化け物じゃないですか。単身で世界を弄び、数世紀に渡り生きて伝説と逸話を残す錬金術師が、人間の天敵たる人狼を従者にしたり、諸島連合国家を水底に沈めた『古の地竜』をもペットにしちゃうなんて。貴方の存在そのものが出来の悪いお伽噺みたいですよ」
誰の手にもかからず再生していく建物を見ながら独白する彼女はそれでも、晴ればれとした表情だった。そして――。
「……ありがとうございました。ヘルメス・トリスメギストスさん」
閉ざされた未来を解き放った錬金術師へ、そっと彼女は感謝を告げた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
……書いてからおよそ一年前後、かなーり今更ですけど、某錬金術師漫画の第一話とかなーり酷似していて心が辛くなりました(名前を知ってても読んだことが無かった人)




