#23 〈遍く虚構〉
「この……この痴れ者どもぉっ! 『聖天教』の主教たる私に……なんという事をさらしてくれたのだ!」
「地位に隠された化けの皮が剥がれたようだな」
「ホントな。酔ったオッサンが地位を饒舌に語るのは醜いったらありゃしねぇってのに」
人前でくだをまく酔っぱらいが素面に戻ったような台詞に、ヘルメスとリルは乾いた笑いが止まらなかった。
「ほ……ほざくな、痴れ者がぁ! わ、私は清廉潔白だ! 貴様の術で虚偽を語らせられただけだ!」
「ハハハッ、ソロウ・アルゴー。お望みとあらば、もう一度かけてやってもいいんだぜ? 俺の『権能』の強制力は男に限れば無類の力を誇る。……自分の身を持って思い知ったろ?」
往生際の悪いソロウをねめつける蒼い瞳は笑っていない。効力のほどは言わずもがな冗談ではなく、男ならば容易に忠実な奴隷に仕立て上げてしまう。用法容量を誤れば、傾国の大悪党として後世に語り継がれかねない。
最後の一言が心理的にトドメとなったのか、弁論による反抗が止んだ。
――ならば実力行使ってか。
ヘルメスが至った単純明快な結論は、想像通りにソロウの口から放たれる。
「何をしている、貴様らにも良い目を見せてやっただろうが! 今更知らぬ存ぜぬでは通さぬぞ……一生臭い飯を食いたくなければ、さっさとこの痴れ者を捕らえんかぁっ!」
一部の聖堂騎士が一瞬身震いしたのがラフィーゼとリキエルの視界の端に見える。
「……『聖天教』はここまで腐り果ていたのですね」
「悲しい事ですが事実でしょう。主教……いや、ソロウ・アルゴー! 戒律違反により、貴様の身柄を拘束させてもらうぞ!」
「……くくく、くかか……! 無知無能なたかだか有象無象のコマ如きが……!」
「おーおーおー。のほほんとした面の下にはとんでもねぇ本性が潜んでいたなぁ」
「聖女を前に随分な物言いだ。正に『堕天』だな」
「聖女など見栄えがいいだけのただの無力なガキだ! 私の力があればいくらでも代わりが利くわ! 構わん、殺せ!」
脅迫めいたアルゴーの命令に、己の保身へと走った教会の私兵達が武器を構える。しかし、聖女と聖堂騎士長の覚悟を決めた姿と醜い自分たちの行いに、善心と悪心の天秤が揺れ動いた。弾劾の断崖に立たされた彼らは、初動に僅かな遅れが出ていた。
「どんな時代でも、小悪党の台詞ほど虚しく響くものはないな」
「全くだ」
恐れ混じりに情の最後の一線を超えた私兵の一人は、ヘルメスへと十字槍を構えて突き出すが、心に根深く刺さり込んだためらいが攻撃の初速に大きく影響を及ぼす。聖堂騎士のためらいを見逃さず、隣に居たリルはメイド服のベルトへと手をかけると同時に銀の煌きが空間を切り裂いた。
悲鳴を上げる間も許さず、銀の煌きは十字槍の長い柄に走る。
リルの右手に握られていたのは、薄く鍛造された柔軟な剣。それこそベルトを振り回しているようにも見えたが、明確に柄と鍔があり、鋭利な刃が白銀の輝きを放っている。
「なぁっ……!」
「鞭……じゃない!?」
まるで刃を持つ鞭と見まごう武器は、蛇のように刀身をくねらせながら十字槍の柄を断ち切り、五メートル以上は優にある刀身は勢いそのままに天井へと突き刺さっていた。
「『神銀製ウルミベルト』――『魔導金属』の中でも特に希少で堅牢な『神銀』を用いた武器だ。鞭のしなりと刀剣のしなやかさ・鋭さを両立させた俺の傑作さ。平時はリルの服の下に巻かれて胴当てになってるから、一瞬で看破するのはさぞ難しかろうぜ」
『ウルミ』――インド武術・カラリパヤットにて知られる、薄く鍛造した柔軟な鋼で造られる剣の一種だ。サラシのように衣服の下に巻き付けて携行できる姿から『ウルミベルト』とも呼ばれている。とはいえ所詮は鋼。本来のウルミは身体に巻き付けられる程度の柔軟性は持つものの、三六〇度全方位自在に変形するほどでは無い。鞭と形容できるまでの柔軟性を保持しながら切れ味を両立させるのは、元の世界の最先端技術ですら不可能だろう。
手首で軽く引き、天井に刺さったウルミベルトの切っ先が抜けると同時に手首に軽く捻りを加えれば、陽炎のようにゆらめいて薄く長い刀身が一分の狂いもなくリルの手元へと戻る。
「名付けて『グレイプニール』」
「……ホント北欧神話好きね、お前。しかもそれ自分自身を縛ってた拘束具じゃねーか」
「主のためならば自身を縛る戒めだろうと武器にする……それが従者の本懐なのではないかな?」
「さいですか」
口上を述べたリルは満足気に小さくむふーっと鼻息を出す。
『グレイプニール』――北欧神話にて神の手に有り余る力を持つフェンリルを縛り付けた、世界に存在しないとされる六つの素材を用いて造り出された魔法の紐。
ウルミベルト『グレイプニール』の素材として使われる『神銀』とは、ヘルメスの言葉通り数多ある『魔導金属』の中でも特に希少で高価な代物だ。標高の高い山脈地帯の中枢部に存在する、特に魔力濃度が高い地帯『霊脈』でのみ産出される『神銀』は、現存する鉱石・金属類の中で最も堅牢な材質として知られている。
小石大のごく小さい原石ですら高額で取引される『神銀』をふんだんに用いて作り上げた、現状考え得る防具を貫き断てる鋭さと、可能な限りの携帯性を保持した上での最上級の頑丈さを兼ね備えた鞭剣――本来の戒めの紐同様、まさに世界でただ一つの武器だ。
十字槍の柄を真っ二つに断ち切られるという戦場ですら滅多に起こらない事象に、聖堂騎士の一人は微かに残っていた戦意すらもへし折られる。半分ほど余った柄の残骸を取り落とし、力無く膝をついた。完全に沈黙した敵対者から、リルは視線を外して聖堂騎士たちへ再度一瞥する。今しがたの出来事に頭の処理が追い付いていない大多数の中で、不審に動く二人の聖堂騎士を捕捉する。
「逃がさんぞ!」
ポシェットの中から取り出したのは、ナイフの柄を外して投擲用に調整した投げナイフ。ウルミベルト同様『神銀』で造られた、恐ろしいほど高額な投げナイフを、何の躊躇いもなく投げつける。
背を向けて逃げ出す素振りを見せたソロウへと五本、抵抗の意思を微かに見せた聖堂騎士二人にそれぞれ一本ずつ投擲する。
「ぎぃやぁっ!?」
「逃げるならナイフを投げる。攻撃するならグレイプニールで斬る。教会内ならどこに居ても当てれる自信があるぞ」
ソロウへと投擲した投げナイフは、正確に逃げるようとする両足付近の地面に突き刺さる。聖堂騎士たちに投擲した投げナイフも、股間の真下の地面に向けて放たれている。射角を上げれば容赦なく機能不全にできるくらいには正確に。
右手にウルミベルト、左手に投げナイフを構えたリルの銀色の眼が強く光る。獲物を逃すまいとする人狼の気迫に、ソロウの最後の手駒たる聖堂騎士たちも戦意を失う。
「鎮圧完了だ、主。あとは任せる」
「ありがとな、リル。さて……」
リルに笑みを見せた後、ソロウへと向き直ったヘルメスの表情に笑顔は無い。
「主教の地位を盾に散々好き放題した挙句、金も女も命すらも食い散らかして逃げる気かい? お前の崇拝する神様ってのは、随分な拝金主義者なんだな」
ソロウの返事はない。寸分違わぬ投げナイフの投擲に、腰を抜かしてその場にへたり込んでいた。
一瞬で手駒だった聖堂騎士を無力化された挙句、何の躊躇も無く自身へと攻撃をしてきた二人への恐怖に顔を歪ませながらも、もがく虫のように這って逃げようとしていた。
「……終わりにしようか」
あまりに憐憫を禁じ得ない姿に、ヘルメスはゆっくりと両掌を広げる。
――この〈錬金術〉を使う機会が来るとはな。
バチバチと、両掌から放たれたのは普段〈錬金術〉を行使する際に放出される黒雷――本来ならば、錬成する構造物へ放たれ、範囲内の物体を即座に変換する黒雷は、空間に何の変化を起こさないまま地面へと染み込んでいく。
「〈遍く虚構〉」
強く発して眼を見開いたヘルメスだが、真剣だった表情がすぐに、嘘のように白けていく。
「……なにが「いずれ、大事な人の命を、尊厳を。そして世界を守るために『この力』を使うことになるわ」だ。ふざけやがって」
元の肉体への悪態をつき、謎の〈錬金術〉を行使するヘルメスの眼は、改めてソロウへの明確な悪意を帯びる。
「最後に命乞いだけは聴いといてやるぜ。好きなように神様への懺悔を叫びな」
「ぐ……くく……」
侮蔑、憎悪、憤怒。
蒼色の双眸に宿る負の感情は、大海の水底が如き暗い闇を湛えている。両掌から黒雷を迸らせながら、一点にソロウを見据えた。
「かか、かかかっ! まさか錬金術師の貴様から「神様」なんて言葉が出るとはな! この世界は残酷だ……神がいるんなら、善も悪も超越して全てを無慈悲に裁くだろうさ! 人の地位や嘘など口先三文で天国と地獄が入れ替わるこの世界で、慈悲深い神なんざいるワケが無いわ!」
「それ以上お前だけの世界観を語んのはやめろや」
語気を荒げるヘルメスから、さらに強烈な魔力の奔流が溢れ出る。大洪水のような圧倒的な威圧感がソロウたちを襲った。
深い怒りを露わにする錬金術師に、思いがけずもラフィーゼとリキエル、リュノアや聖堂騎士たちすらも悪魔かと見間違えた。二年の歳月を共に過ごした、従者のリルすらも。
「ま、正直お前が神様の名前を使って好き勝手しようが、極論関係はないんだがな。困るのはここにいる奴らだけだ。いずれ勇気ある誰かが大っぴらにバラすかもしれないし、知らぬ間に終焉に至るのがオチだろうさ」
けらけらと嗤うヘルメスの表情は、どこまでも白け切っている。精緻な石膏像のような、造られた無機質な冷笑は、おちゃらけた普段のヘルメスとは思えない。
「だがね。お前の神様が赦そうとも俺は赦す気はさらさらねーってこった」
「なに……を……?」
黒雷が染み込んでいった地点を中心に、建物の崩壊が始まっていく。
「お前が言う通り、現実には慈悲は無いよ」
崩壊の波はヘルメスの背後から建物の外壁へと波及していく。
速度は決して遅くはない。外の太陽の光が崩れ去った外壁の隙間から差し込んでくる。
徐々に、徐々に、崩壊は確実に広がっていく。
「悲しいまでに現実は非情だ。救われ、生き永らえる者もいりゃ、見捨てられ、消え行く者もいる」
とうとう聖堂の屋根に至る『建物全て』が崩壊し、崩壊した建物自体は『別の何か』に再構築されていく。
「だから人は神に縋る。独りになりたくない、死にたくない、苦しみから逃れたいってな。嘆き悲しむ人々の神々への祈りは、だからこそ無垢でいて、清廉なんだ」
「ふ……ふざけおって! 無神論者が戯言をべらべらと……!」
「そうだな、俺は無神論者さ。それも今回の一件においては全く以て関係ないし、痴話喧嘩同様の騒動に巻き込まれたに過ぎない」
ヘルメスの背後で形成されていくのは、『聖天教』の女神像。
外壁の破片や木片、鉄筋混じりの瓦礫の寄せ集めでできた神聖母の像。
「けどな――」
両目を見開いたヘルメスに呼応するように、神聖母の像の瞳も開いた。
「お前如きの愚物が汚していいはずが無いんだよ」
由来も知れぬ血涙を流しながら。
血涙を流す女神像に、ソロウだけでなく、ラフィーゼ・リキエル以下聖堂騎士だけでなく、リュノアはおろか従者たるリルも恐れ戦く。
歪で悪趣味な構造物を山のように作ってきたヘルメスを知っているリルですら、あまりに朽ち果て不信人者を罰せんとする神聖母の像は不気味に思えた。
信仰が地に堕ち廃れた『聖天教』のようにも見える。
「お前が裏切ったラフィーゼの偽り無い、澄み切った信仰心は二度と却ってこない。いくら覚悟を決めようと、裏切りで奪われたものは却ってこない」
ぼろぼろに歪む神聖母の像の腕が動く。ヘルメスの手足と身体の動きに合わせて動いていた。少し動くだけで、瓦礫の寄せ集めでできたひずんだ身体が零れ落ちる。
「ひっ……!? じ、慈悲を……ご、ご慈悲……を……!」
ぱらぱらと細かい破片を零しながらソロウの頭上で止まった。
「今更くれてやる慈悲なんざ無いね。真に償いを乞うというのなら……」
凄惨なまでに、無慈悲に腕が振り下ろされる――。
「代償は、お前の命だ――〈遍く虚構・女神の鉄槌〉」
天罰の如き神聖母の拳が、ソロウめがけて振り下ろされる――!
最後までお読みいただきありがとうございました。
〈遍く虚構〉は作品名同様、かなり初期に考え付いた錬金術名です。




