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転生と転性と天性の錬金術師  作者: いざなぎみこと
第一章 魔性の森の錬金術師
23/62

#22 『魅了の魔眼』

「え――」


 緩やかに、穏やかに、深淵へと堕ちていく甘い微睡み――ソロウの意識は深淵の奥へ、奥へと、よろよろ、よろよろと彷徨いだす。


「アルゴー主教?」


 咄嗟に手が伸びた周囲の聖堂騎士たちすらも視界に入らず、膝が折れ頭から床へと崩れ落ちる。


「なっ!」

「馬鹿な!?」

「いったい何が!?」


 口々に驚きや恐怖が入り混じった声を上げる聖堂騎士たち。その中でもリキエルの行動は速かった。


「貴様――ッ!」


 何をしたかはわからない。確認できた行為はただ「ソロウの眼を見ただけ」だ。それでも、現状倒れた原因を求めるのなら明白だ。


 目の前の女が何かをしたと確信し、掲げていた十字槍を構えたその時、どこからともなく現れた影が目の前で横切る。刹那的な速度で現れた影は瞬く間に間合いを詰めるや、リキエルの首と槍に湾曲した刃――長さ七十センチ程のククリナイフ二振りを押し当てる。


「動かないで」

「ぐっ!?」


 精緻な紋様が刻まれた銀に輝く二刀を持つ影。

 その正体は黒いキャスケットを被った侍女(メイド)服姿の少女。あまりに非現実的な状況で見せられた姿に狼狽えるリキエル。一刀は十字槍の横薙ぎを防ぐように添えられ、もう一刀は首元にビタリと止められている。言葉通りにしなければ容赦なく動脈を切り裂こうという少女の意思が見て取れる。


「ピクリとも動くと首を落とす。気を付けろよ? その刃は人の肉なんざ蕩けたバターみてぇに切り裂いちまうからな」


 突如としてロングローブの女性の語調が変わる。


「手荒な真似をする気は無い。これから行う『証明』に付き合ってくれれば」

「ぐぬっ……何をぬかすと思えば……『証明』だと? 初手から攻めてきた奴の台詞とは思えんな……!」


 強気の言葉とは裏腹に、リキエルの十字槍は一向に動く事はないが、何の事はない。動きたくても動けないのだから。十字槍とククリナイフ。比較して攻撃力の面で見れば、十字槍が有利に見える。


「アンタ、強いな。ほら吹きの手下とは思えないくらいよく鍛えている。だからこの距離が致死の距離と知っていて動けない」


 ――大正解だよ……クソがッ!


 心中で、至近距離でククリナイフを突き付ける少女を盛大に毒づいた。今、リキエルは言葉通りピクリとも動くことができなかった。

 十字槍は余程の獲物でなければリーチで負けるはずもなく、膂力に優れ槍術を習熟しているリキエルが振るえば、並大抵の者では手も足も出ないだろう。


 しかし長いリーチは適切な距離でこそ真価を発揮する。半分程度のリーチながらも、懐まで潜り込まれればククリナイフの方が攻撃の回転数は幾段速い。美術品と遜色ない美しい彫刻が施されている刃は、一目見て上質な素材で作られている物と分かる。ローブの女が告げたように研ぎ澄まされながらも厚みを持った刃は、皮膚に軽く触れるだけで皮と肉を裂くだろう。


 致死の恐怖に意図せずとも荒くなる呼吸を理性で何とか整え、リキエルは忌々し気に吐き捨てる。


「貴様らは……何者だ……?」

「何者、ね」


 「教えてあげるよ」と言わんばかりに顔を覆うローブを取り払うと、薄い金がかったロングヘアを後ろに束ねた女性の顔が露わになる。


 するとリキエルの心臓は急に跳ねる。俗世の欲心は捨てたはずだったが、磨き抜かれた宝石すらも彼女の輝きに劣るだろう美しさに意識が持ってかれる。他の聖堂騎士たちに加えリキエルも例外ではなかった。つい動揺し赤面してしまうリキエルだったが、ふと聴こえた声に我に返る。


「リキエル・ジンドラーク。槍を収めなさい」

「……その声、は?」


 聴き取った声は、紛れもなく『聖女』の声だ。だがどこに――?


「……ふふ、ここですよ」


 悪戯に成功した少女のように上機嫌な笑声を上げた『聖女』ラフィーゼは、一人の少女を連れ立って黒いロングローブの()から現れた。一緒にいるのは商業都市ラブレスの市長ガドルノスの娘、リュノア・リュカティエル――あの狭そうなローブの背中側の空間に二人で入っていた事実は、今のリキエルにはどうでもいいことであった。


 ――役者は揃ったな。


 心中でほくそ笑むと、優雅に礼をしながらローブに手をかけて脱ぎ捨てた。


「くおっ!?」


 すると突如として爆風の如き魔力の奔流が、聖堂内に叩きつけられた。まるで今まで封印していた魔力が、強引に堰き止められていた魔力が、一気に解き放たれたかのように。


「改めて、魔性の森からこんにちは。俺はヘルメス・トリスメギストス。アンタらの『堕天』について調査を依頼されたもんでね。あ、アンタの生殺与奪を握ってるのは、俺の愛しい従者のフェンリルね」

「『人狼』フェンリル。魔性の森の錬金術師の従者だ」


 黒いローブを脱ぎ捨て、黒い雷光を右手に走らせるヘルメスと、被ったキャスケットを投げ捨て人狼の耳を露にしたリル。眩いまでの絶世の美女と人間が忌む人狼のメイドが登場してどよめく辺りを気にせず、二人は威風堂々とリキエルと正対する。


「随分緊張感が欠けた連中ですね、ラフィーゼ様……!」

「それについては否定しません。そこそこ私も困らせられましたので」

「おうひどぉい」


 ひくひくと、リキエルの顔面の筋肉が歪む。

 虚仮(こけ)にしたかのヘルメスとリルの言葉と、聖堂騎士を束ねる実力を持った自身をいとも容易く封じられたのだ。業腹ものと言わんばかりの青筋を額に走らせるが、「これ以上は無駄ですよ」とラフィーゼの表情を見て彼もしぶしぶ刃を引く。


「……わかった。今は刃を引こう。だが貴様には確認を取らねばならない」

「どうぞ」

「なぜ貴様が『聖女』ラフィーゼと共に居る?」

「さっきも言ったが今回の『堕天』の調査を依頼された。錬金術師が手を貸すのは教義に違反していない。だーれも悪い事してないよ。……たぶん、誰もね」

「……主教が倒れたのは貴様の仕業か?」

「そうだよ。質問は以上かい?」

「……ああ」


 悪びれもせずに犯行を認めるヘルメスに、リキエルも心中穏やかではない。


「さて、まずは現状の整理からだな。今、ソロウ・アルゴーは俺の『権能』の影響下にある」

「『権能』?」

「国を弄び、ヘルメス・トリスメギストスが魔性の正体、『魅了の魔眼』さ」


 口の端をにいっと上げて嗤う。その双眸には妖しい蒼い光が宿っていた。


「簡単に言えば、『男の精神を乗っ取って意のままに支配する』力がある。……なーんで男限定なんだよちくしょう」

「本音が漏れてるぞ、主」


 その一言に咄嗟に聖堂騎士たちはヘルメスから目を背け始めた。いつぞやレジーナが来た時にちらと説明した以来、使う出番も無いまま封印されていた能力の一つだ。


「目を背けてくれてわりぃけど、『魅了の魔眼』は識別効果あるから安心してくれ。今回はお前らじゃなくて、こいつから真実を聞き出すために使用したんだ」


 心底興味なさげに呟く。置いて、倒れたソロウの隣へとそっと歩み寄る。


「それじゃあそろそろ『虚構の真実』じゃない『本当の真実』を聴こうじゃないか。ソロウ・アルゴー。『堕天』の真実を教えておくれ」


 朦朧とした意識のまま床に突っ伏しているソロウの耳元にぼそりと囁くと、程なくして真実を語りだした――。


「『堕天』は……女性信者の誘因が……信者との姦淫が、目的の……口実、です……」


「……はぁ!?」

「嘘……だろ……!」

「バカな!?」


 姦淫の口実――主教たるソロウが行うには、不道徳が過ぎる残酷な真実が、『聖天教』に信仰を捧げた『聖堂騎士』を、『聖女』を無慈悲に貫いた。

 顔を歪めて真実から目を背ける聖堂騎士たちとは対照的に、真正面から真実を受け止めるラフィーゼとリキエル。


「もういい。これ以上口を開くな」


 冷徹に瞳を閉じて、ヘルメスはソロウから目を逸らす。その瞬間ヘルメスの『権能』の効果は切れる。


「……下種(げしゅ)を忘れ、下衆(げす)な行いに走ったか」


 虚空を眺めて嘆く言葉に同意は求めない。


 大の大人が聞いても反吐が出るほどの不快感をもよおす事実に、最も傷ついたのは言わずもがなラフィーゼだろう。純粋に人を信じ、自分の属する宗教を信じ、偉大な立場にいる主教を信じた。その結果が腐り果てた真実だ。

 見方によれば『虚構の真実』の方が如何によかっただろう。残酷な現実が心を手酷く傷つけるよりも、甘い偽りに優しく抱いてもらえることが幸せかもしれない。だからこそ、ヘルメスもこの案件に根深く関わることを避けたかった。


 それでもヘルメス(れんや)は動いた。


 それがただのエゴだとしても。

 ラフィーゼの傷付いていない真っ新な信仰を壊すとしても。

 甘い理想の偽善だとしても。


 ――嘘偽りに塗れた『聖女』のまま、見過ごすなんてまっぴらごめんだ。


 偽りなく彼女が好きだからこそ、心は動く。


 ――腐った下衆野郎の『虚構』で仕立て上げられた『偽りの聖女』なんか見たくない。


 不徳を積み、堕落する大人の薄汚れた嘘が赦せない。

 

 ――彼女自身の気高い意志と高潔な信仰で創り上げられた真の『聖女』たるラフィーゼが見たいんだ。


 真実と向き合っても尚。

 傷付いても尚。


 ――凛然と立ち向かう『真実の聖女』を創り、守るためにここに居るんだ。


 静寂に包まれた聖堂の中、深く息を吐く音だけが聴こえる。様々な思いがどうどうと巡ったヘルメスは、改めて場を仕切り直すようにリキエルたち聖堂騎士に向き直る。


「今しがた起こった、俺が見せた『真実』……信じるか信じないか、それはアンタら次第さ。傍聴人は俺とリル、市長の娘と聖女サマ、聖堂騎士長以下聖堂騎士十余名。今回の一件、これで終わりにさせる気はないが――」

「ええ、それは私共も同じ事。ヘルメス・トリスメギストス殿、ここから先は私たちが……」


 リキエルが片膝をつき、ヘルメスの前で頭を垂れる。


「私が行った数々の非礼、お許し願いたい。本来ならば、主教の守護を務めている我ら聖堂騎士らが気付かねばならないはずの案件でした。しかし、我らは騎士として護衛するだけの立場に甘んじ、主教の行いを深くまで探ろうとしてはいなかった……恥ずべき事実です」


 戦意をむき出しにした先ほどの荒げた声と対照的な、紳士的に、落ち着いた低い声で言う。謝罪の言葉にヘルメスは「気にしてないさ」と返す。


「それは私にも通じることです。聖女も同様、ただの象徴でしかなかったのですから。……私たちが犯した過ちは、しばらくこの街に根付いてしまうでしょうね」

「……これで終わる訳にはいきますまい。なれば、我らが頑張らねばならない。この地に生まれ信仰を深めてきた時から覚悟はできております」


 深い帳のような黒い瞳で、曇りない眼差しをラフィーゼに送る。


「『聖女』ラフィーゼ・エリュシオンよ。『聖堂騎士』騎士長リキエル・ジンドラーク――我は貴女様の障害を取り除く槍となり、これより訪れるであろう如何なる苦難から護る盾となり、貴女様を命を賭してお守りいたします」

「ッ――……ええ。改めて、よろしくおねがいしますね。リキエル」


 再びラフィーゼに向き合って頭を垂れたリキエルの手を取る凛とした姿は、未熟ながらも『聖女』たらんとするラフィーゼの覚悟が見て取れた。


「ええはなしやなぁ。このままできれば美談で終わってほしいんだが……」

「待てぇ! 痴れ者どもがぁっ!」


 肩を竦めたヘルメスが振り向くと、そこには激怒で顔を真っ赤にしたソロウが立っていた。


「そーなるわなー」

 最後までお読みいただきありがとうございました。


 『聖天教』編も佳境に入りました。

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