#21 『主教』ソロウ・アルゴー
「『聖女』ラフィーゼが朝から見当たらない、と?」
所変わり商業都市ラブレス中央区。白亜の壁が眩しい『聖天教』の教会。教会内の聖堂では、二名の男が朝からいないラフィーゼについて話し合っていた。
「ええ、そのようです。ご学友……市長の御息女がお見えになっていましたので、然して問題は無いと思われますが」
「ならば問題はないでしょう。ラフィーゼもまだ十五、若者には息苦しい生活を強いているのは確かです。息抜きとして容赦すべきでしょう」
一人は絶やさない笑みを浮かべているソロウ・アルゴー。小柄だが豊かに蓄えた白髭と緩く後方に流した長めの白髪が、主教という高位に就く人間としての威厳を表しているようだ。
そしてもう一人が『聖堂騎士』のリキエル・ジンドラーク。豪傑然とした刈り上げた頭と精悍な表情、二メートル近い長身と修道服を盛り上げる筋肉が目を引く偉丈夫だ。
『聖堂騎士』とは元来、宗教発祥の【オルテンシス帝国】の聖都【ヴォローザ】にある大聖堂の守護を担当している。ここから各地の教区にいる『聖女』の護衛に派遣される。
本来は全員が敬虔な修道士であり、特に優れた力を持ち合わせた戦士でもあるが、時を経て教義が浸透していくにしたがって改宗された面もあり、今では特筆すべき点も無いただの騎士に等しくもなっている。
そのことに深く心を痛めていたのは、商業都市ラブレスの聖堂騎士を束ねるリキエル本人だった。
宗教発祥のオルテンシス帝国ではなくアークヴァイン王国で産まれたリキエルだが、三十有余の年月の間、深く一途な信仰を『聖天教』に捧げ続けてきた。聖堂騎士として厳しい鍛錬を重ねながら、信仰の刃を一日も休まずに研いでいた。
アークヴァイン王国では快く受け取られずとも、若輩の聖堂騎士たちからは口煩いオッサンと思われようとも。偏に惰性に揺れる宗教を憂いてのことだ。
「問題ないのであれば私は警護へ戻ります。そういえばですが主教殿。『聖女』ラフィーゼが仰っておりましたが、件の『堕天』について――」
「知る必要はありません。それもかのような子供が知るには酷な真実です。どこぞの魔女か分かりませんが、卑劣な真似を……」
話を遮るかのように魔女への恨み言を吐き出すソロウ。
『聖天教』の旗印に敵対する組織や宗教において最も障害になりえるのは、『聖天教』の教区内では頂点の権力を持つソロウ。そして『聖女』として説法を説くラフィーゼだ。
――……そのはずなのだ。
〈呪術〉の性質上、条件が整えばどんな者でも抹殺が可能となる。術者の痕跡を残すことも無く、ノーリスクでだ。今までに現れた被害者たちは共通して女性だった。容姿に優れ、敬虔な信徒たち。彼女らを狙う理由は一体なんだというのだ。
そもそも何故頭を狙わないのか。〈呪術〉の難易度によるものなのか。事実上聖堂内での最強の武力を持つ自分が狙われないのは何故か。
ソロウがここに来てからおよそ半年の歳月が経った。
その中で時折、自分の素頭で計算しても、利益に見合わないようなことが往々起こる。
件の『堕天』と呼称する〈呪術〉にしても粗があるというか、目的すら分からない。未だ犯人の影も形も掴めていないのが現状だ。
魔女を軍事力に雇用している国柄、魔法使い・魔女撲滅を謳う『聖天教』を疎ましく思った勢力がいるのか。国ぐるみか、はたまた個人のやっかみか。頭痛の種は尽きないと、ほとほと考え疲れ果ててきた矢先だった。
最近ではしょっちゅう叩かれる聖堂の門戸を、弱々しく叩く音が聴こえた。慣れたものだと扉の傍にいた聖堂騎士が扉を開けると、よろよろと黒いロングローブを纏った何者かが入ってくる。つっかえ棒を取ったように前のめりになってよろめき、そのまま主教の目の前で崩れ倒れた。
「けほっ……こほ……ここが……『聖母教会』、ですか……?」
「ええ、はい。どうかいたしましたか、御婦人。見るに気分がすぐれないようですが」
「こほっ、けほん……。一月も前から……体調が悪くて……。他の信徒たちから……『堕天』だと……。どうすればと聞くと……ここへと……」
苦し気に来た訳を告げる女性は、見るからに体調が悪そうだったがソロウは首をかしげる。リキエルもその反応を不審に思ったが、互いに「深く考えすぎか」と流した。
修道女ではなく一般の信徒なのだろうが、身を包む黒衣のロングローブでは隠し切れない双丘と、フードの陰に隠れているが、白絹のような美しい肌がちらりと覗いている。
清潔ながらも背徳感が濃厚に匂い立つ装いに、禁欲的な生活を強いられる聖堂騎士たちの視線も自然と集まる。
「仕方なかろうな」とただ一人、リキエルのみが達観しながら光景を俯瞰で眺めていたが、目の前の女性にどこか不気味な気配を感じていた。
初対面の女性に対して非常に失礼な話なのだが、何故かこの女性を見ていると形容し難い圧迫感を、心のざわつきを想起する。
魔力という概念は常人からすれば生命の維持に必須な要素の一つだ。だから当然この女性の魔力も意図せずとも感知はできる。だのに、リキエルは不気味がった。
――この女、魔力が無いのか?
生命維持に必要不可欠な魔力が感じられないのだ。黒いローブの下にあるであろう生身の身体の表面には、身の内の魔力が纏われるように存在しているハズなのだ。
「それはそれは……苦心なさったことでしょう。ささ、それではこちらの部屋へ。診察を行いますので、フードをお取りになってください」
ソロウを見るも「魔力を感じ取れない」という不可思議な現象を何とも思っていない様子だった。いつも通り懺悔室に女性を呼び、一介の騎士には分かり得ない『堕天』とやらいう〈呪術〉の治療を促すだけだった。
「はい、分かりました――」
変わらない表情にむしろ気味悪いまである笑みを見せるソロウが、立ち上がった女性の方へと視線を戻したその時、深海のように深い蒼の瞳へと意識が吸い寄せられる。
「――と、言いたいところだがな。小芝居はここで終わりさ。ソロウ・アルゴー」
最後までお読みいただきありがとうございました。
ちょっち短めです。




