#20 虚構の『聖女』
「んむ、美味しい。これって何の肉だ?」
「何の肉って……普通の豚肉じゃないですか」
「森じゃ食える畜肉は巨猪とか鬼熊とかだからなぁ。俺も混じりっ気ないただのサンドイッチを食べるのは久しぶりだぁな」
「この街じゃめったに食べられない高級食材ですよ、それ……」
リュノアに案内されたカフェおすすめメニューのサンドイッチと黒茶を頼み、少し早めの昼食を取っていた。
サンドイッチに挟んであるのは豚肉の照り焼きと生のキャベツとタマネギのスライス。レモン風のさっぱり酸味がかった白色のドレッシングがかかっていて、豚肉の脂の旨味を引き立てている。タマネギの辛味もはほとんどない。基本的に調理をしなければ生で食べられる野菜が少ない森暮らしで、生のキャベツやタマネギはリルにとって物珍しいだろう。いつも似た別物を食べているわけだからなおさらに。
「さて、これからの予定なんだがね。リルさんや」
「まずは『聖天教』の教会へと向かう。そして主教……名前は知らんけど、主教様に『堕天』の事を聞く。場合によってはお仕置きする」
「……場合によってはって何なんですか。現状あなた方が一番そうなる可能性が高いのですよ?」
「まあまあ、んなこたどうでもいいってことよ。とりま昼飯温かい内に食っちまおうぜ」
はぐらかすようなヘルメスを不振がりながらも、もくもくと口に運んでいく。
どこか場の雰囲気が重苦しい。
カフェの内装自体はオーク調の木材を用いており、明るく暖かい暖色系で統一している。居心地のいいカフェだ。元の世界にあったら常連になりそうなくらいだ。
では何が場の雰囲気を重くしているか、とは言わずもがなだろう。
「「「ごちそうさまでした」」」
「……ごちそうさまでした」
三人揃ってごちそうさまと言ったのち、少し遅れてラフィーゼが言う。見るからに当初よりも元気がない。
無言――重たい沈黙が空気を流れる。
誰とも会話のきっかけを作らない場の雰囲気はますます重苦しい。カフェの店員すらも近寄らないくらいに。
だが、それを打ち破ったのも、重くした本人だった。
「リュノアちゃん。ちょいと聞きたいんだが、人払いってできたりしないかな。ほんの十分くらいでいいからさ」
「人払い、ですか? ええ、たぶんできると思いますが……」
「んじゃお願いしてもいいかい?」
「わかりました」
「……出来ちゃうのか」
軽く引き気味に驚くリルを尻目に、リュノアが離れた隙にヘルメスはラフィーゼへと向き合う。その目には、普段のおちゃらけた雰囲気も気配も微塵たりとも介在していない。
「……こっから先は真面目モード。冗談じゃなく、全てガチ話だ」
前置く言葉にもどこか只ならぬ気配を伴っていた。
「これから君に質問する。たった三つの簡単な質問さ。君は『堕天』がどのような症状なのか知っているかい?」
「……いいえ。全て主教様が状態を判断してらっしゃいますので」
「特に『堕天』に掛かっているのは修道女でも修道士でもなく、女性の一般信者が大半ってのも事実だよね?」
「ええ。言った通りに」
「『堕天』が『魔女』の〈呪術〉によるものだと主教サマはどう判断しているんだい?」
「…………」
何故か口ごもるラフィーゼに、ヘルメスは不穏な確信を抱く。願わくば、これからの話が全て嘘でありますようにと思った。話す側が願う思いとは裏腹だが、ヘルメスのそれは本心だ。
――どっちに転んでも後味の悪い結末になるから。
口ごもり、目を逸らしたラフィーゼだったが、じっと見つめる蒼の瞳の魔力染みた妖しい引力に抗えなくなる。ばつが悪そうに目線を戻したラフィーゼに、ヘルメスはハッキリと言い切る。
彼女に嫌われることも覚悟して。
「可能性の一つを俺は今提示するまでさ。もし、主教サマが嘘を吐いているなどとは考えたことはないか?」
「な――」
絶句する。
――そりゃそうだ。
想像通りとヘルメスはため息をつく。それが寧ろラフィーゼの怒気を逆なでする。
「ふざけないでください! アルゴー様が嘘を吐くワケがないでしょう! 侮辱するのもいい加減にしてください!」
顔を真っ赤に紅潮させて怒りを露わにしているラフィーゼの気迫に、ややその隣にいたリルとリュノアは押されていたが、ヘルメスは全く意に介していない。そんな彼女の眼前に指を三本立ててみせた。
「まず俺は当初『堕天』が病気だと仮定した。俺は『堕天』を〈呪術〉の影響だとは思ってない。君は治療って文言を使ってたからな。この世に数多ある病気には例外なく病気の発生源……つまり感染源がある。火の無い処になんとやら、物事には関連する因果があるもんだ」
仮説を語りながら、立てた中指をたたむ。
「一つに『空気感染』。類似として飛沫感染だな。これは空気中に漂う細菌やウイルスを呼吸で吸い込むことで感染する。飛沫感染はくしゃみとか咳とかを吸い込んで感染するから、まあ似たようなモンだと思ってくれていい」
理由も言わずに病気の感染源の話。信仰する教義を流布し救済する主教を、尊敬する人を侮辱され、ラフィーゼは憤慨のあまりに思考が回っていない。流れが判然としない会話に、余計に怒りは増す。
気にせずヘルメスは人差し指をたたむ。「怒るのは当然の権利だ」と言わんばかりに。
「二つに『接触感染』。直接触れたり粘膜の接触、タオルとか風呂とか、物体を介して間接的に感染するタイプだな」
主の講釈に、忠実な従者は口出しをしない。主は意味のない行動もする。時折奇行に走ることもしばしばだ。
しかし、真面目と不真面目、オンとオフ。これらの区別も分別もついている。謂われなく人を侮辱して怒らせることは無い。尊敬する人物だったらなおさらだ。それが友人だろうが家族だろうが、自分に好意的であろうがなかろうが関係ない。
「酷な結末を迎えるだろう」――ミストルティンに乗って街へと移動する際に呟いた言葉の真の意味が、ここにきてようやく分かった気がした。今更余計な口出しをする必要はない。
激情を噛み締めるあまり返答すらないが、残った親指を曲げる。
「三つに『経口感染』。ウイルスや細菌に汚染された食べ物を口に入れることで感染するケース。俺は医学の造詣はそこまで深くないからこれ以上知らんが、大抵はこの何れかに該当する」
「……だからなんだっていうんですか。それが『堕天』と何の関係があるって――」
「『堕天』が病気とするのなら、『感染源』は一体なんだ?」
追及ではないが、核心を射貫き去ったかの一言に、ラフィーゼは目を見開く。
「え……!?」
「……話の途中だが、君は確かに『堕天』について何も知らされていなかった。この事実だけは確かだ。この事実を念頭に置いてこれからの『仮説』を聞いてほしい」
これ以上無慈悲な現実を伝えるべきなのか。
ヘルメス自身、相応の覚悟が必要だった。
それでも。それでも。
ラフィーゼが『聖天教』へかける曇りなき信仰心と想いが伝わっているからこそ言わねばならなかった。
ゆっくりと瞳を閉じ、ゆっくりと再び開く。
その眼を見て、リルとリュノアは底冷えするような恐怖心を覚える。冷徹と非情を貫き通すため、修羅の心で酷な事実を告げようと決意したヘルメスの眼に。
「『堕天』は『聖天教』の信者、それも女性中心に発症している。そもそもこれが奇妙だ。性別抜きで統計すれば信仰者を中心に『堕天』が感染・発症しているのに、何故君や教会内で生活している修道女に感染や発症の疑惑がない? 修道女の感染・発症が無いのは清廉潔白で禁欲的な生活が常だからか? 聖女は特別な力を持ち『聖天教』の加護があるからか? 一般の信者や男たちは薄弱な信仰心だから『堕天』してしまうのか?」
真実から目を背けたいラフィーゼは顔を手で覆い項垂れる。
「一見すると魔女の呪術疑惑が深まっただろうね。呪術の特性上、ピンポイントで対象に呪術をかけることも可能だし、種類によっては大規模の生物に呪術の効果を与えることも可能だ。発症の時期をずらせば再現は余裕だろうよ。けれど、今回は一人たりとも死者が出ていないんだよ」
ヘルメスが事の発端から引っかかり続けた一つの疑問――「〈呪術〉に掛かった者は増え続けている」のに「一向に死者が出ない」ことである。
「〈呪術〉は〈魔術〉よりも「人を殺す」ために特化した技法だ。手間を掛けて解呪の難度を上げ、確実に呪った対象を抹殺するための技法。つまり、致死に追いやるのが大前提なんだ。なのに人死にが無いのはおかしい事この上ない。魔法使いと魔女が大嫌いで、過去に魔女狩りまでやってる【オルテンシス帝国】発祥の宗教なのに、〈魔術〉と〈呪術〉を行使する目的も、種類の区別も付かない訳がないだろ?」
〈呪術〉は触媒として生命に宿る魔力を用いることが大半であり、多くの場合は即死あるいは短期間で死に至るほどの効力がある。
リュノアが掛かった〈呪術〉は稀なケースだ。元より殺す気で術を掛けられなかった。だとしても、あのまま放置していればいずれ死んでいた。それぐらいには危険な代物だ。取り扱いを誤れば術者すらも危ういほどに。
「ただの風邪だろうと処置が遅かったり体力が無い人だったりすれば死ぬこともある。考えられる死因の多くは合併症の発症が占めるだろうけど。でも病気ってのは、往々にして頭痛、嘔吐、身体の倦怠感……自覚症状が現れなければ分からないし、心配すらしないだろう? 病気を治す本職の医者ですら症状が酷似していて誤診することだってある。だが『堕天』罹患者は一人残らず主教が見極めている。該当する自覚症状が無いのにどうやって?」
「…………」
「もう一度だけ、こう前置きさせてもらおうか。これはあくまで『勝手に立てた推理』だ。ただの仮設で真実は現状一切解明されていないが、言わせてもらおう。『堕天』は「なにか別の行い」を隠蔽する上で主教がでっちあげた嘘だとな」
「く……うぅっ……!」
悲痛に満ちた声――一筋の涙が頬を伝う。
隣に居るリュノアはそっとラフィーゼを抱き寄せる。
――やっぱり嫌なモンがあるな。
心のもやもやがヘルメスを苛立たせる。
おにゃのこハーレム云々ぬかしているが、女の子が悲嘆に満ちて泣く顔を見て嬉しがるほど悲しい癖は持ち合わせていない。
それが好きになった子ならなおさらだ。
――だからこそ、悲嘆の連鎖を断ち切る。
再び口を開く事すら大きな覚悟を要したが、それでも言い放つ。
「……いいかい、ラフィーゼ。俺はこれから「卑劣な手段」で主教から『堕天』の真実を引き摺り出す。「状況」が味方しなけりゃ最悪、俺は宗教迫害の罪人になること間違いなしだ。君には権利がある。今、この場で俺と別れて教会に戻る権利がね。当然俺の馬鹿げた推理を主教に伝えてもいい」
「え……? で、でも、依頼の報酬が……」
「そんなのは依頼を受諾した俺が破棄すりゃ白紙に戻る。つまり君は何ら罪に問われる事はないのさ。……リュノアちゃん、ラフィーちゃんをよろしく頼むよ」
先ほどの静かな怒りを帯びた表情はどこへやら、にっこりと微笑んで銀貨を八枚置く。
注文したものの金額より多い銀貨にリュノアは慌てて返そうとしたが、踵を返したヘルメスは既に雰囲気が変わっていた。いつかの夜に会った時のように、その背中を止めることはできなかった。
「行くとするか、主」
「ああ。生まれ変わった錬金術師、ラブレスでの初仕事ってな」
店を出ると、二人に集まる視線は一入だったが、気にせずラブレス中央区教会の象徴たる聖母像を目がけて歩を進める。
「差し出がましいが、主」
「なんだい、リル」
「カフェのカトラリーを銀貨に錬成するのはどうかと思うぞ」
「……カッコつけたのに台無しだよ」
リルの冷めたジト目が痛い。苦笑しながら裾から五枚の銀貨が零れる。
カフェから出る前に手元にあった人数分のカトラリーを〈想像錬金〉で銀貨へと加工していたのだ。こつ然と消えた銀のナイフとフォーク四セットの所在を店員は不思議がるだろうが、きっと二度と立ち寄らないのでどうでもいい事だった。
「待ってください!」
ふと、背後から呼び止められたヘルメスたちの歩みは止まる。
振り返ると、泣いて赤くした眼でも凛然と彼女らを見据えるラフィーゼが立っていた。
「聞こうか。君の決断」
「……『聖女』の立場に、地位に甘んじてた私は主教の言葉を鵜呑みにして、真実を知らぬまま貴方を咎人と言いました。『聖女』だから……見届けなくちゃいけないんです。主教様……いえ、ソロウ・アルゴーという男から真実を聞かなきゃいけないんです」
「どんなに残酷な結末を迎えても?」
「覚悟はできてます。貴方が覚悟を決めて、私に話してくれたように」
気丈に微笑んだラフィーゼの後ろにはリュノアがいる。ふんす、と気合たっぷりな表情でラフィーゼを背中から抱いている彼女にも覚悟らしきものが出来ているようだった。聞くまでもない。彼女も着いてくるつもりなのだろう。
これで役者は揃った。というのも『堕天』の真実はヘルメスだけでは解明できなかった。正確には解明することは出来るが、必ずしも敬虔な信者たちに真実が伝えられるとは限らない。
『虚構』の『真実』が伝えられる。
本当の真実が闇に葬られる可能性を孕んでいた。
それがたった今、最後の最後で、欠けていたラストピースが埋まった
――もう俺たちを阻むモノは無い。
「じゃあ行こうか。『堕落』し『堕天』した主教サマの面を拝みにな」
柔らかな笑みを浮かべ、ヘルメスは歩き始める。
最後までお読みいただきありがとうございました。
早いものでプロローグから20話となりました。次回はいよいよ『虚構』の『真実』の正体に迫ります。
※2019/01/08編集
『堕天』の発症者についての追記を記載しました。
また同様に#17において上記の事柄を追記しました。




