#16 ひと狩り行きたい錬金術師 5
「いや……これは……!?」
思いがけず固まったリルを抱き寄せ、眠っているエンシェントドラゴンらしき竜種をヘルメスはじっくりと観察する。
分厚い翼を畳んで丸まって寝ているからか棘甲竜よりも小さく見えたが、起き上がって尻尾を伸ばせば十メートルくらいはありそうだ。岩のような甲殻には鋭い鱗が幾重にも生えており、木漏れ日を浴びて薄っすらと繁茂した苔のため薄緑色に輝いている。黒光りする爪が五指の分生えた前後の足を器用に曲げて寝ている様は、外見を除けば警戒心を解いた犬や猫みたいで愛らしくもあった。
「子供、か?」
「え、エンシェントドラゴンの?」
「だろうか……見た目はそっくりだが……」
「あんなでっかい竜が……ら、卵生? まさか、単為生殖?」
「竜は卵生だろうよ。単為生殖かどうかは怪しいが……」
「だってあんなバカデカい竜にどうやって……なぁ?」
「想像しちゃうからやめろぉ!」
巨大な竜同士の交尾なんてまるで想像できないものが頭をよぎったヘルメスが食いいるように言い返すと、大きな声に反応して竜が目を覚ました。
リルは心底肝が冷えた。深緑の竜の眼で見据えられ、人生で何度目かの命の危機を思い出した。そして「主のバカ野郎」と声を絞り出したかった。が、恐怖のあまりそれも叶わなかった。
対するヘルメスはリルの震える手を握り、一拍の怯みを受けながらも前に出る。
「食べるか?」
普段通りの落ち着いた声で、竜に荷車に乗った棘甲竜の足付き甲羅を見せたのだった。
すると、巨岩のような頭部を近寄せて臭いを嗅ぎ始めた。人の身に余る大きさ故、水をぶっかけただけで丹念な洗浄はしていない。ガパッと縦に大きく口が開くと、一つ一つが巨岩の槍のような牙を剥き出し、甲羅へと躊躇なく噛り付いた。尋常ならざる咬合力は、同じく尋常ならざる硬度を持つ甲羅をいとも容易く貫く。竜の牙が貫通した点から無数の亀裂が生じ、再び咀嚼すると粉々に砕け散って口腔内の暗闇に消えていった。
「おぉう、まさか甲羅ごといくとは……」
一口で甲羅の三分の一を飲み込んだ後、溶解液を洗いきっていない前足へとかぶりつく。甲羅ほどではないにせよ、分厚い爪の層が張り付いた足は硬い上溶解液も付着して人には食えない代物だ。
まあ、この竜には全く問題なかったのだが。
ボキッ、と太い骨をへし折った音が聴こえたかと思えば、バリバリバリッ、と爪を粉砕するような音が竜の口腔内で響くと、喉を大きく鳴らして飲み込んだ。最後に残った甲羅と足へ豪快に食らい付くや噛み砕いて飲み込んだ。竜の喉を通っていく肉と骨の膨らみを見送ると、竜は満足気に頭を上げてげっぷに似た息を吐く。
「美味かったか?」
豪快な喰いっぷりを見せた竜は心なしか笑みを浮かべているようで、ヘルメスはとても気をよくしていた。食事を終えて気分も安らいだのか鳴き声を上げると、目を細めてこちらを見ていた。
「な、なななんで……主はそんなに恐れ知らずなんだ……?」
「空を覆い隠すエンシェントドラゴンと比べりゃまだ子供みたいなモンさ。それに絶賛魔力放出の戦闘意思ビンビン状態の俺を襲わないのは、こいつに戦う意思が無いからだろうさ」
親戚から借りてきた犬のように弱気な表情をしているリルに、普段のヘルメスに対する強気の姿勢は消えていた。強張りきった面持ちでヘルメスの言葉を聞くことしかできなかった。
基本的に魔力がダダ洩れな生物がこの世界に居ない。魔力は主に戦闘時に意図せずとも洩れ出る上、魔術などの攻撃手段に用いられる故、ヘルメスのダダ洩れの魔力が敵意の一つとして取られかねないのだ。
謂わば常時戦闘状態のヘルメスだが、そもそも魔力保有量が桁外れているヘルメスを襲う魔獣はそうそう居ない。強大な敵と相対するならば、挑む者が相応の実力や魔力を持ち合わせているか、策を弄するか弱点を突くか。どちらにせよ事前準備や実力という前提条件が必要になる。
ヘルメスとリルの両人とも、穏やかに欠伸をした竜の巨体に流れる洪水の如き魔力の奔流で感じ取れていた。
「ま、俺よりも強いっていう線も無きにしもあらずだがな」
それでもなおヘルメスは余裕綽々といった態度を崩さない。
「ほれ、撫でてみな」
心地よさそうな竜の顔と主の顔を見合い、促されたリルはおずおずと竜の頭部へと手を伸ばす。恐る恐る目元下の頬辺りを撫でてやると、竜は心地よさそうにリルに鼻先をすり寄せた。どこか穏やかに微笑んでいるようにも見えた。
「……かわ、いい、な」
「だろ?」
「見かけによらず、人懐っこいんだな」
「人もとい竜は見かけによらないってね。にしても、どうしてまぁーこんな日除けになる木が多い森の中にいるのかねぇ。いくら竜と言えど高濃度の魔力漬けが続くのはあまりよろしくないぜ?」
辺りをよく見ると、森の樹木がいくらかなぎ倒されている。この竜がここに辿り着いた際に自分が眠る部分だけをぶっ飛ばしたのだろうと推察できる。
「草原地帯はここよりも南方だしな。昼間のエンシェントドラゴンも南に向けて飛んで行った」
「本来なら一緒に渡っているハズなんだろうが、何かしらの理由があって……なのか?」
竜の体をヘルメスは一通り確認するが、飛行できなくなるほどの深い傷や致命傷は見当たらない。魔力の流れも一定で、穏やかな気分のような今でも膨大な魔力量は変わらない。
「そも生物学者でも正確な個体数を知らないような竜だからな。一年ごとに『渡り竜』の報告件数も違うらしい」
「親離れか……生き別れかな」
「断定はできんがな」
理由は定かでないが、強力な魔力を保有する竜が少なくともここらの空域で落とされるワケもないし、アークヴァイン王国の空域では狂暴な魔獣が観測されることも少ない。
推測の域に過ぎないが、リルの挙げた理由のどちらかだろう。
「どうすっか。野生の生物を餌付けし過ぎてもあまり良くねぇからな」
「……置いていくのか?」
「むぅ、そこよな。放置して魔獣……魔竜なんぞになっちまったら中々厄介な力を持ちそうだしな」
転生してから野生の獣が魔獣になった事例は何度も聞き、実際にそうなった瞬間も新種も見てきたが、こんな立派な竜が魔獣化したケースは聞いたことも無い。
今回の棘甲竜同様魔力の影響で森を暴れ回る存在と化したら、このサイズにえげつないまでの魔力量だ。正直どれほどの被害が出るか予測不能だし、龍脈起こしをされて森そのものが消失したら帰る家がそっくりそのまま失ってしまう。
「しゃあねぇな。連れてっか」
「――ホントか!?」
「魔獣化抑制をしてやるくらいが関の山だけどな。……というかリルさんや。連れて帰りたい理由って、単純にお前がこの竜を気に入ったからじゃないの?」
「ま、まあな。あと……なんかあまりに寂しそうに佇んでたから……」
気恥ずかしそうに顔を赤らめてリルは言う。出会いの時の事だろう。
捨て子という自身の境遇も相まったシンパシーというべきなのか。まあ、珍しいリルのおねだりだ。従者の頼みを断るべきも無かったのだが。
「飼うとなりゃ名前をつけなきゃならんが――」
「じゃ、じゃあ『ミストルティン』、ってのはどうだ!?」
「おいおい、目がなんかキラキラしてるんですがそれは?」
何の気なく思案しようとしたヘルメスに食い入ってリルが提案する。
ミストルティンまたはミスティルテインとは、北欧神話で矢となり神を殺したとされるヤドリギだ。北欧の伝承には同名の剣もあり、いつぞやリルの名前を決めた後、名前の由来ついでに北欧神話の話をした時に教えたものだ。
それにしても、何故そう命名したのか。嬉しそうに目を輝かしているリルもまた珍しく、ついヘルメスは根掘り葉掘り聞きたくなってしまった。ニヤッと意地悪く笑んで追及を始める。
「リルさんや。名前を『ミストルティン』としたその心は?」
「……主が教えてくれた神話で、なんかカッコいいなって思ったから……そ、それだけじゃないぞ! ヤドリギは花言葉で「忍耐」とか「困難に打ち克つ」とかいうし! 悠久の竜の子供に相応しいだろうし……って笑うなぁ! あるじぃ!」
「そかそか。俺に似てファンタジーな思考に育ったなぁ。感無量だぁ」
顔を真っ赤にしてポカポカと殴りかかるリルをたしなめながら、竜の子供こと『ミストルティン』の背中を撫でる。伏せの姿勢で撫でられながら、リルが小突いている姿を見て和やかそうに鳴く。
「よっし、それじゃあそろそろ帰るか! かっ飛んで帰れるからマッハで家に着くぞー」
「お背中失礼」と言いつつリルの手を引いて背中に飛び乗った。鱗は固いが、竜自身の意思である程度動かすことができるのか、飛び乗った部分は鱗がぺたりと平たくなっている。
「あっ……小屋どうしよ。竜小屋作る必要あるじゃん……」
「別にお偉いさんとかが来るわけでもないんだから、庭先にでも建てればいいんじゃないか? 寒くなったら暖房仕様に改装してやればいい」
「おぉ、番犬もとい番竜ってのはいいねぇ、ロマンがあって。……ま、このサイズなら俺ん家よりも大きな小屋になりそうだが」
「必然だろうな」
苦笑するヘルメスの言葉を理解したかのようにミストルティンは嬉しそうに鳴いた。
エンシェントドラゴンは悠久の時を生きる竜に相応しく、人界に住まう野生の生物の中でも最高レベルの知能を持つ。おそらくエンシェントドラゴンの落とし子であるミストルティンもその例に違わず、ヘルメスが発した言葉の意図を理解しているハズだ。
「おっと、忘れそうだったわ」
洗浄した肉の塊を積んだ荷車のことを思い出し、ミストルティンの背中をぺしぺしと叩いて向かうよう促した。背中に乗った二人が自分の鱗にしがみついているのを確認したミストルティンは、四本の足に力を込めてゆっくりと立ち上がる。安定感のある背中の上はほぼ揺れず、数十メートル先の肉を積んだ荷車まで数歩で辿り着いた。
「よーしよし。良い子だ良い子。Goodgirl Goodgirl」
「……ガール?」
「女の子だぞ。ミストルティンは」
「なんで分かったんだ?」
「なんとなく。な?」
同意を求めたようにミストルティンに問いかけると、意味を理解しているみたく頷いた。「女センサーでもついてるのか」とジトっと見つめるリルを撫で、再び出発の合図を促す。
ミストルティンは優しく細めた瞳を見開き猛々しく嘶くと、力強く地を蹴り上げ大きく翼を広げて飛び立った。二度三度羽ばたくだけでみるみるうちに空高くへ到達し飛行を始める。飛び立つ直前に肉を積んだ荷車を前足で掴んだが、バランスを崩す様子は微塵もない。抜群の安定性を誇っている。
「うはぁ! こりゃあいいもんだ! 全能になった気分だ!」
「すごい……主、私何気に初めて空飛んだかもしれない」
「そういやそうだったか。今度は街まで空の旅でもしてみっか」
「……私は人狼だぞ」
不安げに呟いたリルの頭を優しく撫でる。
「俺がつくんだから心配すんなって。俺の従者を悪く言う奴は、それこそ捻り潰してやらぁ」
ポンポン、とミストルティンの背中を軽く叩くと、肯定するように鳴き声が返ってくる。
「……ぷふっ。そんな細腕の主が、どうやって屈強な衛兵を捻り潰すんだか」
「だからそこをババババッとな。お前が「主の出る幕でもない」とかカッコよく躍り出てな。俺の代わりに捻り潰すワケよ」
「だと思った。……ああ、主の護衛は任せてくれ。『フェンリル』の名に恥じぬ働きをしようじゃないか」
自信をもった笑みを見て、ヘルメスも一安心した。
彼女の出自や種族が如何に人嫌いになる理由になり得るか、それは重々承知だ。だけど、純粋な人間と違うからとか、そんな些細な理由如きで嫌う人間ばかりと思ってほしくなかった。誰しもがお前にとっての敵ではないことを。
前を向き、空中に留まっているミストルティンへと語りかける。
「さあ帰ろうか、ミストルティン――俺らの家へ!」
気高く咆哮を放ち、ミストルティンは全力で羽ばたいた。
かくしてこの日、アークヴァイン王国ルベドの森にて二度目の『渡り竜』が観測されたのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ひと狩り編はこれにて終了となります。まさかこんなに長くなるとは思いもよらなんだ……(笑)
また投稿頻度がダダ下がりで申し訳ない! 頑張って続き書いていきますんでよろしくおねがいします。




