#11 可憐なあの子への贈り物作り
時を遡ること半日前――ルベドの森の中央部、ヘルメス・トリスメギストスの邸宅。
リルお手製の猪肉のローストを昼食にバクバク喰らったヘルメスは、満腹感からなる眠気に襲われながらも部屋に戻っていそいそと着替え始める。
袖を通したのはボタン三つと胸ポケット一つだけの極めてシンプルな白い服。現実世界の実験用の白衣に相当する服装だ。豊かな胸元を阻害しないように着崩しているので、ボタンは下の一個だけしか止めていない。
極めて強靭な魔獣由来の筋繊維を錬金術によって軽量化し編み込んだ『魔筋繊維』――そう名付けた繊維を紡績した布を用いている。防刃防弾、耐火、耐毒、耐酸、耐塩基性物質、対魔力抵抗性と、最高クラスの対抗性を誇る。これを紡いで作った布がヘルメスが最初に作り上げた錬金物『超繊維布』だ。自分とリルの服装はこの繊維を元に作られている。
着替え終わったヘルメスはリビングへと戻ると、日向そばのソファですやすやと眠っているリルを見つける。愛らしい寝顔で少しよだれを垂らしている。クスリと微笑を浮かべて頬をつついてみると、むず痒そうに頬を擦り付ける。
――もうちょい遊んでたいけどなぁ。
名残惜しそうにリルの寝顔で遊ぶのをやめ、そのまま二階階段のすぐ横の床へ目を向けると、一部区画だけ刻印がなされている鋼鉄製の落とし戸に置き換わっていた。
所有者の魔力を流し込むと反応して開く仕組みであり、鉄の落とし戸の先こそ『ヘルメスの錬金工房』である。
ヘルメスが手を触れると、鋼鉄表面に刻まれた刻印が蒼く発光する。ヘルメスに流れる魔力に反応してギミックが動き始めたのだ。見た目とは裏腹に重厚な音は奏でることはない。
落とし戸の先は階段になっており、足を踏み入れると壁に埋め込まれたランプに火が灯る。波及するかのように、遙か先のランプに至るまで連動して点灯していく。この光景も慣れたものだ。さしたる感動も抱かずにヘルメスは階段を降りていく。
一分もしない内に階段を降り切ると、待ち構えていたのは古ぼけた木の扉。これも魔力反応で解錠するギミックが搭載してある。落とし戸と違って古い木製の扉だが、これ一つを破壊することは大火力の爆薬をもってしても不可能だ。
ドアノブに手をかけると体内の魔力を吸い取って扉の鍵が開く音がした。ヘルメスがここを訪れる際に吸収された魔力は落とし戸と木の扉に溜め込まれていく。この吸収した魔力を用いて扉を防護しており、その分だけ扉は堅牢になっていく仕組みだ。
扉を開けると、階段のランプ同様に部屋中のランプが次々に点灯していく。光が届かない地下の部屋が赤いの灯りに包まれると、ヘルメスの錬金工房が全貌を表す。
煩雑に散らかった元は何の生物だったかも知れない皮革や爪牙。
厳重に密封し保管されている謎の生体物質。
玉石混交と雑多に散らかった鉱石素材の数々。
鉄製の作業机に積み上げられた設計図らしき紙束。
本棚に収められた背丈が不ぞろいな分厚い書物。
たった少し歩くだけで部屋が成す役割が素材と設備で喧伝してくれる。
ルベドの森の地下空間を強引に拡張して作られたそこは、ヘルメス・トリスメギストスの錬金工房兼素材保管庫となっている。元の人格のヘルメスも片付けが苦手だったのか、自分が手を付ける前からも素材が乱雑に散らかっていた。蟻の巣のように保管場所を増設した結果、迷宮にも似た作業場となってしまっていた。自分が迷うことは無くなったが、リルは時折迷ったりもする。
「さて、と」
素材保管庫の一角、鉱石宝石の類の素材を置く区画に、蒸気機関の燃料として未だこの世界で活用されている石炭の燃えカスが山積みにされている。
元の世界では『フライアッシュ』と称され、コンクリートが水を吸って膨張し、ひび割れることを防ぐ役割があるとされる。この世界では無価値な所謂産廃だが、ヘルメスには文字通り『ダイヤの原石』であり、実売価値以上の値打ちがある代物だ。
そばにあった台車で石炭殻の山に突撃して掘り返す。北の大地の住人の冬季の風物詩たる雪かきを思い出しながら、台車に満載された石炭殻を作業場へと運ぶ。そこそこの重さだが、楽しめる物事をやっている最中に疲労感は感じにくいものだ。
運搬を終えたヘルメスは、傍にあった手ごろな自分のアクセサリを見て形を思案する。
今回ここを訪れたのは、「リュノアへの快復祝い」に贈るものを作るためだ。
父親や侍女に過保護なまでに守られている彼女だが、一人で過ごしている学内で件の狂人のような奴に襲われたら、自衛の手段が無いだろう。そのため特殊なギミックを用いて自衛のための武器にもなるようなアクセサリを作ることにしていた。
山のように積んである石炭殻に向けてヘルメスは手を伸ばし、自身の体を血流と共に巡る魔力に集中する――ヘルメスの掌に『黒い雷光』が宿った。
「〈想像錬金〉」
掌に迸る『黒い雷光』――幾度となく使用された謎の力の正体であり、ヘルメス・トリスメギストスが『錬金術師』としてアークヴァイン王国に君臨した代名詞ともいえる能力。これこそ〈錬金術〉だ。
ヘルメスの〈錬金術〉は大きく三つにカテゴリが分けられている。
まず一つ目が〈想像錬金〉――「想像」した物質の「創造」を行う錬金術だ。
『錬金』は現世界との解釈の差があり、「金属の錬成」というよりも「万物の創造・加工」という意味で取られている。元の人格たるヘルメスが蓄えた知識がベースとなっているため、ヘルメスこと蓮也が扱うにおいても一切の制約無しで錬金術が使用可能である。
主に形状変化・物体の構成に関する錬金術であり、物質の硬度や素材といった要因を度外視し、自由自在に加工・変性することができる。
またイレギュラーな使い方でもあるが、触れた物体の単純な破壊も可能となる。
二つ目に〈薬事錬金〉――傷病の治癒・治療を促す薬剤の錬成を行う錬金術。
傷病の対象者の実際の症状を見ること、傷病や呪術の治療・解呪においての知識が制約となる。代わりに効果は絶大であり、万病に効く薬――俗に言う特効薬万能薬の類の生成が可能となる。
ヘルメスが「患者を見なきゃ」云々と、断る理由の如く難癖を付けたのも制約のクリアが目的であった。
リュノアの『黒毒呪』の解呪薬もこの術によって錬成された物であり、季節の変わり目に罹るような風邪から、転生以前の世界では寛解が精一杯だった癌すらも治癒する特効薬すらも錬成できる。
こちらも傷病や呪術の知識はおそらくだが人格が入れ替わる前のヘルメス・トリスメギストスのものを引き継いでいるようで、時折いつ学んだか分からないような知識も溢れ出てくることもある。
三つ目に〈変換錬金〉――物質間の元素配列・元素数等を自在に操作・変換を可能とする術だ。
ヘルメスの錬金術の幅を大きく広げる術であり、ある意味で言えば「一番錬金術師らしさがある」術でもある。例えば石炭の塊に含まれる炭素の配列を組み替えダイヤモンドに変換することや、人体を構成する元素があれば「人の形をした肉塊」を作る事さえ造作もない。
これは〈想像錬金〉と〈薬事錬金〉を補助する側面が強くあり、〈想像錬金〉で造り出した構造物を〈変換錬金〉で別の物質へと造り替えることもできる。
〈変換錬金〉により造り替えた人の手足といったパーツを、〈薬事錬金〉によって造り出した傷の完治を促すあるいは肉体同士の拒絶反応を中和させる薬を投与するなどなど、バリエーションも使い方も千差万別。
いずれの錬金術も魔力の消費量は微量であるが、魔力消費は例外なく体力も同時に消耗する。現職の魔法使いたちも、高位の魔術・呪術の行使や短時間に連続しての魔術発動にはリスクと代償が伴う。
とはいえ、現状ヘルメスの魔力や体力で錬金術を行使しても、今のところ多大な代償を支払うようなことに陥った事はない。そもそもヘルメスの魔力保有量は『魔法使い』はおろか、魔術・呪術行使に長けた『魔女』すらも大きく凌駕する。
転生し、転性した際に感じた体内を駆け巡る燃え盛る炎のような感覚。マグマのような膨大な熱量を持ったあれこそが『魔力』の流れであり、慣れた今だからこそ平然としていられるが、転生当初は寝る事すら困難だったほどだ。
ヘルメスの〈想像錬金〉の黒雷に晒された石炭殻は、灰色に燃え尽きたその姿をメキメキと変え、拳大の欠片だった一つ一つはがっしりと強力にくっ付いていく。
「〈変換錬金〉」
錬金術の種類を切り替えると、黒雷に侵食された部分から透明感のある輝きが放たれ始めた。
元素を置き換えることにより、ただの燃えカスだった石炭殻が炭素の同素体の一つ、ダイヤモンドへと変換される。
ヘルメスの魔力から錬成された合成ダイヤモンドは、生成時点より魔力を帯びているダイヤモンドとして完成している。また『宝魔』と同等の魔力を取り込ませたそれは、錬成の段階で特殊な操作を加えてあり、強い意志を以て触れれば魔力をいつでも解き放つことができる。
ヘルメスは再び〈想像錬金〉を行い、ダイヤモンドの塊の加工を始める。
掌から迸る黒い雷光がダイヤモンドへと廻ると、ごつごつとして輝きもまばらだったダイヤモンドが真四角で均一な一つの塊となった。ヘルメスの魔力を取り込んで錬成された特別製の『疑似宝魔』の完成だ。
一度ダイヤモンドの塊を置いておき、次に『黒銀』の錬成を行う。『黒銀』とは強い魔力を帯びた銀であり、魔力を含む量で黒色の濃度が変わる不思議な銀鉱石だ。銀の輝きを保ったまま黒く変質しており、黒曜石とはまた違った上品な光沢をもっている。
〈想像錬金〉で黒銀を宝石のカットの要領で小さめの十字架に象っていく。時間にして十秒程度で黒銀製の十字架が出来上がる。さらにその上から覆うように、一回り大きめに分離した『宝魔』のダイヤモンドを纏わせていく。
これで十字架本体は仕上がった。あとは黒く染色した『超繊維布』を十字架の短辺に巻き付けて持ち手を作って完成だ。
「よし……魔刃招来! なんつって」
現実世界で見ていたアニメを思い出し、魔力を込めつつ十字架を天井に向けて掲げると、ヘルメスの掛け声と昂った精神に呼応して『宝魔』に封じられていた魔力が解放される。淡く光る青い魔力の刃が発生し輪郭を覆う。
「……ありゃ?」
魔力解放と魔力の刃の形成には成功したが、刃の長さの調整は微妙だった。十字架の突端から発生した魔力の刃は短剣の長さに留まらず、直剣サイズまで伸びていた。地下の錬金工房の広さと位置から、居住空間に魔力の刃が突き出していることは無いと思うが、魔力の刃が何かを突き刺した感覚がしていた。
さめざめと魔力の刃を天井から引き抜くと、鋭い切っ先には何も付着していない。
だが何かを貫いたのは確かなようで、地上まで伸びたであろう天井の割れ目からはしとしとと赤い液体が流れ落ちてくる。
――まさか人間を貫いたワケではあるまいな?
地下の構造と敷地面積的にリビングで寝ているリルには当たる筈が無いことは理解しているが、だとしたら何に当たったのかという話になる。
人通りが皆無に等しいルベドの森で人を貫くのは天文学レベルの確率の事故だ。ここ最近は三年の歳月の中でも最も人の来訪が増えているが……。
「ま、いっか」
――よくねぇけど。
心の中でツッコミを入れつつ、問題を事故と言う事で頭の隅へと追いやっておく。貫いた天井の材質と同じ木の板を一部錬金術で分離し、壁を溶接するようにくっつけ合わせる。たったそれだけで貫通した天井は修繕が終わる。
床に滴っている血を拭いた後、魔力の刃の長さ調整に取り掛かる。
一旦ダイヤモンドと黒銀を分離させ、宝魔としての魔力解放出力を減衰させる。炭素に付与されていた魔力を分散させ、最大出力を大幅に低下する。含まれていた魔力の三分の二が空間に散っていき、単純計算で短剣程度の長さになる様にした。
再度黒銀の周囲にダイヤモンドをコーティングし、十字架の形状に復元する。そうして再び魔力の刃を発生させると、想像通りに短剣ほどの長さになっていた。
「よし、完成だ」
十字架の短辺に開けた結び鎖を通す穴に、真珠色の鎖を通して入れる。
「不屈」、「純潔」、「永遠の絆」――様々な思いを十字架に込めた。この思いは、偏にリュノアの身を案ずるものだ。
十六ながらも善悪の頓着も自身の魅力にも気付かないリュノアは、このままではいずれ必ず不幸なことが起こってしまいそうで怖かった。だからこそ、彼女には今から自分を律してほしかった。女性としての尊厳を失わないように。
これが恥辱と後悔の念に終止符を打つ最後の刃となれば。
願わくば、そうなって欲しくはないが。
「……考え過ぎか」
椅子に座って深く深呼吸する。気が張っていたのか、妙に肩が凝ってしまった。
「難しいことは抜きにして、か」
心を無に、頭を空っぽにして、仕上げの金の刻印を彫り込んだ。
その日の夕食――。
「…………」
「ふっふーん! 運が良いな、主。今日の夕食は超豪華だぞ!」
上機嫌のリルがテーブルに置いたのは、鬼熊――赤黒い毛並みと鬼に似た鋭利な角を二本生やした、正に鬼のような姿の熊だ――の鍋だった。
しめじやエノキ(正確には似たキノコだが)や森で採れる複数の香草と一緒に煮込んであり、リルの丁寧な下処理のおかげなのか、獣肉特有の嫌な臭みも感じられない。
鍋の肉の種類を判別した瞬間にヘルメスの脳裏に、つい数時間前の珍事が過ぎる。
「……これ、鬼熊の肉、だよな?」
「ん、そうだぞ。熊肉は嫌いだったか?」
「いや、そうじゃなくて。どっから取って来たんだこれ。昨日までこんなん無かったじゃん」
「ああ、なんか森にキノコ狩りに行ってたら道端に鬼熊の死体が落っこちててな。腐乱しているかと思ったらそうでもないし、動脈をピンポイントで切り裂かれていたから血抜きの状態も良かったし、食べれそうだから拾ってきた」
「……そうか」
何故か安堵したかのようなため息を付いたヘルメスに、リルはただただ首をかしげるばかりだった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
〈錬金術〉がとうとう物語中で実名をもってして使われました!
ここまでたどり着くのが長かったような……もっと初期には登場していたはずなんですがねぇ?