第50話 深淵で嗤う者
ひたり、ひたりと天井から黒い雫が垂れ落ちる。
騒がしかった部屋は来訪者が逃げ去ったことで、既に暗く淀んだ空気が蔓延し始めていた。
男は自らの再生しかけている腕を千切って躊躇いなく放り捨てると、整った顔を僅かに歪めた。
「……小賢しい者どもよ……よもやこの時代に我を傷つけられるものがいようとはな」
腕の断片から溢れるモノが、鮮血から黒い虫へと変化する。それらの虫はキィキィ……という奇怪な鳴き声を出しながら地面にあふれだしたかと思えば、急速に主の元へと収束し、綺麗な肉を取り戻しつつあった男を蝕み、冒涜的な姿を纏った、不死王へと誘った。
王は一瞬目を細め、闇の向こう側を見やると、崩れた微笑みをつくる。
「来たか」
奇怪な音が空気を軋ませ、闇が歪む。瞬きの間に一人の少女が佇んでいた。その目は冷たく、怒りがにじみでているようにも見える。
「貴様ともあろうものが、無様ですね。そのまま死ねば良かったのに」
不死王は棘のある言葉に大きな高笑いで返す。その眼は心の底から楽しそうで、すぐにでも何かを殺しそうだった。
「この我が『死ぬ』などという冗談まで言えるようになったか。我は貴様の成長を嬉しく思うぞ?」
「ならば嬉しいついでに、御嬢様のところにある貴様の『目』を今すぐにでも取っ払ってもらえません? でないと……ここで殺す」
「無駄だ人形。確かに『今ここにいる我』を殺せても、あの目は、貴様の主を殺すぞ?」
「…………」
部屋一体に魔力が奔流をつくる。それでも不死王は涼しげに口元を引き上げ、
「そもそも――――――誰が――――俺を殺すと?————」
一瞬のうちに少女の背後に立ち、どす黒い剣を彼女の頬に這わせていた。
僅かに皮が切れ、血が零れる中、少女は今の自分では万一にも勝てない相手ということを、その身を以て再確認させられた。
「…………それで……私を呼び出した理由は何です? まさか貴様のお相手でもしろと?」
「ハハハハハハ!! 貴様では体がいくつあっても足りんだろうさ!! なぁに、貴様に仕事が出来ただけよ」
「仕事?」
「あぁ。重要だぞ?——————あの聖剣を、回収して来い――――」
ピクリと少女の肩が震える。どの聖剣かという愚問は通用しまい。間違いなく、先ほどの逃げた団体が有していたものだろう。
「既に、我が同胞を一人向かわせている。ソイツと共に聖剣を此処に持ってこい。所有者など殺しても構わん。いや? むしろ首を持ってくるのも条件に付けようか?」
「…………何故聖剣を?」
「フッ……たかだか万能薬程度で我をここに縛る封印まで解けると? 我の封印は聖剣でしか解けぬ。故に必要だ。さぁ、動機は言ったぞ? お前の答えは?」
「………………」
「断れば貴様の主を殺す。そして……達成した暁には……お前の主のところにある我が『目』は潰してやる。どうだ?悪くない取引だろう?」
…………取引? 違う。これは一方的な命令だ。断れば最後、自分も主も、殺される。一切の生殺与奪権はあちらの手のひらだ。
魔術が長けているだけの従者風情に道など、最初から一本しか用意されていなかった。
「…………あのピエロは貰ってもいいかしら?」
「ふっ。まぁ良い。アレは我が手ずから殺そうと思っていたが、大した願望ではない」
「……………………分かりました。……引き受けましょう」
「良い返事だ。物分かりがいい女は好みだぞ?」
吐き気のする言葉を無視し、闇へと少女が消えかける。
しかし、その過程でふと、思い出したように不死王に問いを投げる。
「ちなみに……貴様の同胞とは誰です?」
「あぁ。お前も知っている奴だ―――――闇の道化師よ」
「……っ………………あの嘘つき道化師……悪趣味な」
「そういうな。それと、お前までアレの嘘に翻弄されるなよ? なにせ、アレは我以外には嘘しかつかぬからなぁ……いや? 貴様が騙されるのもそれはそれで一興か? フッ……クフフフフフフフ……アハッハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!」
腹も喉も朽ちているはずの王から、全てを嘲るかのような哄笑が響き渡る。
それは少女――――ヘリミアが消えてもなお、昏い深淵の中で続いた。
今回の50話が今年最後の更新となります。今年も有り難う御座いました。今年の『イクスアルディア戦記』はいかがでしたでしょうか?書いている側としても、どうなるかの流れがさっぱりわからずにワクワクドキドキしながら原稿を待っております。それでいてストーリーはある程度まとまっているので、不思議なものです。今年は忙しさに甘えまして多少の休載がありましたが、何とか助け合いながら楽しく連載しておりました。
これからもクライマックスに向けて盛り上げて行きますので、今後ともリレー小説イクスアルディア戦記を宜しくお願いします。




