フラスコの沈殿
「だから、もっとバーンとだな!!」
チームのほぼ全財産を賭けたと聞かされ、頭に血がのぼっていた。
しばらくして冷静さを取り戻し、キールに総ポイントを確認したところ、ごっそりと減っていた。
あぁ、本当に賭けたのか、と実感すると怒りは沸いてこなかった。
ゼオの言う通り合格するしかないのだ。
だからこうして特訓に付き合っているが…。
「バーンとって何だよ、さっきからちゃんと渡してるだろ」
額の汗を腕で拭い、ため息をつく。
まだ目を開けて力を引き出す事はできない。
いつもはフラスコの口から1本ずつ渡している雷の束を30本にして渡している。
それでもゼオはもっとバーンと、と言う。
「渡ってこねぇんだよなぁ…」
どうしたもんか…とゼオが頭をかく。
「クリエーターとプレゼンターで認識が違うんじゃねぇの。
つか、こんな夜中に店前で何してんの」
分厚い本を抱えた少年が俺とゼオを交互に見る。
真っ黒な髪と安そうな黒い服とボロボロのコート。
この特徴だけならば彼はその辺りに居る人と大差無い。
久しぶりに見るエメラルド色の瞳に息をすることすら忘れていた。
その様子に気がついた少年は顔をしかめる。
「流星の公募にエントリーしたんだよ」
彼の機嫌が悪くなる前に慌てて返事を返す。
ゼオなんてまだ呆けている。
「もう夜中だったんだな。
エデンがいるせいで時間感覚なくなっちまって」
しっかりしろ、とゼオを肘でつつき、少年と会話を続ける。
「リクは仕事帰りか?」
「まぁ、そんなとこ。
流星が最近出した公募って事はあの小さいエデンの上昇作業か。
受かりそう?」
「今のところ無理だな」
ゼオがズバッと答え、俺は一度自分のエクリチュールを睨み付ける。
曖昧な要求しかしてこないお前にも非があるんだぞ。
「ゼオは自分の力にどんなイメージ持ってんの?」
「どんなって…そりゃ雷だからな。
こうズバッとシュババンって感じだろ」
「だから、ズバッとシュババンって何だよ」
「ズバッとシュババンはズバッとシュババンだ」
こうこう、とゼオが適当に身ぶり手振りで動き回る。
まるでヘンテコな躍りだ。
「それは力を開放された時のイメージ。
力を開放される前、ゼオの中にある雷はどんなイメージ?」
「開放される前…?」
うーん、とゼオが頭を悩ませる。
「あれだな、蓋されてて、蓋を押し開けようとしてるけど上手く行かないって感じだな」
「どんな物に入れられてて、蓋はどんな大きさなんだ?」
「長方形の底は浅いけど、横幅は広い入れ物で、蓋はその長方形と同じ形。
蓋さえ開けばズバッとシュババンって雷が出てくるって訳だ、ってウルフくんなんつー間抜け面してんの」
ゼオがヘンテコだぜ、その顔、と言って笑うが、俺は開いた口が塞がらなかった。
長方形の底が浅い入れ物?
雷の力を持つプレゼンターはフラスコのイメージだろ。
それがセオリー通りで扱いやすいとされている。
「レンのイメージとズレてただろ」
「かすりもしてねぇな」
はぁーと息を吐く。
蓋さえ開けば大量の電気が放出されると思っているゼオと、30本の電気を渡していた俺とでは大量の基準が違う。
今から俺がゼオの認識に合わせにいくか?
いや、今イメージを変えれば雷の力を制御しきれない。
ゼオはおーい、大丈夫か?と声をかけてくる。
全然大丈夫じゃない。
締切3日前に今まで作っていた物は間違いなので、新しい物を作って下さい、と言われているような物だ。
「で、レンの雷を開放するイメージは?」
「んなの言ったって意味ねぇだろ」
全然違ったんだから。
早急にフラスコから長方形の箱にイメージを変えないといけない。
その事に意識を集中させようとしていると、足を踏まれた。
「っ!何するんだよっ!!」
「エクリチュールの問題を自己解決しようとするな」
「何だよ偉そうに…ずっとフリーの癖に」
ボソッと呟き、イメージの修正を続けようとした。
「わかった。可哀想だけどこんな夜中にカレン叩き起こしてお前らが上手くいくまで特訓に付き合ってもらうか」
拠点に入ろうとするリクの手を掴む。
「…すみません、それだけは勘弁してください」
「じゃあさっきの質問の答え」
「……俺はずっとフラスコのイメージだった。
フラスコの底に暴れる雷が沈殿してて、フラスコの細い口から雷を束にして渡していた」
俺の回答を聞くとゼオは目をパチパチとさせていた。
まさかそんなイメージだとは思いもしなかったのだろう。
「なるほどなー。んじゃ俺様がそっちのイメージに合わせるわ」
「……はぁ?」
「だから、俺様がフラスコのイメージに合わせるって。
俺様にとって雷は自分の一部みたいなもんだけど、ウルフくんにとっては異物だ。
俺様がイメージ修正する方が早そうだし、ウルフくんには具体的に数字で言った方が今後伝わりそうだしな」
うんうん、とゼオが頷く。
プレゼンターにとって特異な力は自己を現す。
だから、プレゼンターは自己のイメージを変えたがらない。
数年間、自分自身と信じていた物のイメージを変えるなんて…。
「んな、無理しなくても」
「入れ物が変わるだけだろ?
クリエーターにもわかるように言えば、部屋の模様替えをするような感覚だ。
模様替えして女の子にモテるなら万々歳ってな」
うーし!やるか!!とゼオが肩を回す。
『ねぇ、ちゃんと私を見てる?』
『見てるって』
『じゃあ教えて。私の力ってどんな感じ?』
女の子って面倒な事気にするなって思った。
『大きな四角い水槽があって、そこから色んな大きさの器で水を掬い上げる感じ』
彼女の力を開放する時のイメージをそのまま伝えた。
水の力を操るには、全体容量を把握できる入れ物と、運搬する様々な大きさの入れ物があればいい、とされている。
事実そのイメージで今まで失敗したことはない。
俺が予想した通りの力で、想定内の事をしてくれた。
『そう』
彼女はしばらく間を置いてから小さく呟き、立ち去った。
それは、あの大雨の日の前日の事だった。
「ゼオ、お前の力ってどんな感じ?」
かつて自分に向けられた質問を今のエクリチュールに投げ掛ける。
本当は俺自身が気づくべき答えだけど。
ゼオはどんなってなぁ…と頭を抱える。
「ズバッとシュババンって感じとしか答えれねぇな」
「なんとなくその答えは予想してた」
前のエクリチュール、リンに同じ質問をしても感覚的な答えしか返って来ないだろう。
俺だって、俺自身がどんな人?と聞かれればうやむやな答えしかできない。
男で、ランクDのチームのリーダーで、クリエーター。
この答えは事実だが、レンという特定の人物の性格や個性を表していない。
自分の事を言葉にするのは難しい。
「俺はさ、ゼオの力って一歩間違えば取り返しのつかない力だって思ってる。
ゼオの力には膨大なエネルギーが含まれていて、掴まえておくのも精一杯だけど、使い方さえ間違えなければ予想以上に役に立ってくてるつーか……」
ビリビリと体に電気が走る。
たまに感じる感覚と少し違う気がする。
くすぐったいような、気恥ずかしいような、そんな感覚だ。
ゼオの顔を見ると、ポリポリと指で頬をかいていた。
「ウルフくんってそういう事言うキャラだっけ?」
「いや、リクの方がもっと聞いてる方が恥ずかしくなること言ってくれるぞ。
エクリチュール変わってやろうか?」
「いーや、イケメンくんとエクリチュールになったら女の子全員持っていかれるじゃねぇか。
ほれ、ウルフくん」
ゼオが背中を向ける。
ゼオの背中に右手の平を当てる。
背中は少しだけ汗ばんでいた。
何時間も特訓をしていれば力を開放されるプレゼンターもそれなりに疲れるらしい。
目を瞑り、フラスコをイメージする。
「汝、雷の恩恵を受けし者
その力、開放せよ」
ゼオに聞こえるように、意識させるように、口上を述べ、十字を描いた。
無数の雷の糸はフラスコの底でバチバチと音を立て、小さく跳ねている。
普段と状況が全く違う。
いつもは我先にと飛び出そうとする雷を掴まえるのに必死になっていた。
だが、今は雷が俺を見ているような気がする。
俺がどうするか、その行動を待っている。
バーンと出ていきたいのなら俺の事なんて待たなくてもいいのにな。
無数の雷の糸を両手で掬い上げる。
糸と糸が絡まりあって、何本あるかわからない。
ほら、バーンといきたいんだろ?
両手をフラスコの口に近づけてやると、雷の糸は勢いよく飛び出した。
壊れるとばかり思っていたフラスコはびくともしなかった。
水槽の水を掬い上げる事ができなかった。
ある日、初めて手のひらに水を掬い上げることができた。
手のひらを上げると水はプクプクと球体を作り、上っていった。
『目を開けて』
「ウルフくん目開けてみろよ」
ゼオの声が聞こえた。
フラスコの中を一瞥すると、残った雷の糸は大人しくしている。
この様子なら俺が見てなくても大丈夫だな。
一度深呼吸をして、ゆっくりと目を開ける。
視界に入ってきた眩しい光に目が眩みそうになる。
視線を下に向けると、地面は明るく照らされ、数ヵ月ぶりに自分の影を見た。
そっとゼオの背中から手を離し、一歩ずつ後ろに下がる。
影は消えず、俺の動きに合わせてゆっくりと明かりの中を移動する。
消えない影から明かりの根源へと視界を広げる。
バチバチと音を立てる閃光の翼。
ギザギザとした羽先は、特定の形状は保っていない。
まるで鼓動するかのように突起が動く。
電気の糸が絡まり、細かな模様を描いている。
小さく、形状がバラバラの黄色いガラスを並べて、動かしているようだ。
閃光の翼に手を伸ばした。
雷の糸は俺の手に絡まり、バチバチと音を立てる。
不思議な事にビリっとした痛みは感じなかった。
「上出来だろ」
不意に閃光の翼が前に折り畳まれた。
するすると電気の糸は俺の手をすり抜け、ゼオの肩を掴む。
閃光の翼がくるりと向きを変える。
俺は手を下げ、ニシシと笑うゼオに笑い返した。
「当たり前だろ」
「俺様の腕をギリ掴める程度だから今のカレンちゃんと同等ってとこか?」
「ゼオの努力次第でどうとでもなる」
頑張れよ、とゼオの肩を叩き、疲れたふりをしてゼオから離れた。
向かった先ではリクが地面に座って分厚い本を開き、何かをメモしていた。
「顔、緩んでるぞ」
リクは視線だけ俺に向け、小さく俺に言葉を投げ掛けた。
「わかってる」
右手の人差し指と中指を揃え、円を描く。
後ろで黄色い電気の束が飛び散った。