出来損ないのクリエーター
少し冷静になろうと、レジカウンターの奥にある扉を屈んで潜る。
長い廊下はそれぞれの部屋からこぼれる明かりによってなんとなく確認できる。
扉を潜ってすぐ左が脱衣場、右がリビング、奥にはそれぞれの部屋が割り当てられている。
脱衣場の明かりが消えている。
カレンはもうシャワーを浴び終わったのだろう。
リビングからは楽しそうにお喋りをする女子の声が聞こえてくる。
リビングに居る女子に気づかれないようにそろりとリビングの扉の前を通りすぎ、リビングのすぐ隣の自室の扉を開いた。
部屋の中は真っ暗で何も見えない。
扉を開けてすぐの棚に置いているはずのランタンを手探りで見つけ、丸いダイヤルを少し回す。
ランタンが小さなオレンジ色の光を灯し、自分の足下くらいは確認できそうだ。
ランタンが置いていた棚の前にしゃがむ。
棚には3つの収納スペースがあり、一番上を俺が利用している。
凹みに手を入れ、引き出すとたった2セットの服の組み合わせが綺麗に敷き詰められていた。
1着は今着ている作業着と似たような物。
もう1着は黒いシャツと同色のズボン、いわゆる私服と呼ばれるものだ。
俺は私服を手に取り、ランタンの明かりを消して再びそろりとリビングの前を通りすぎようとしていた。
何でこんな罪人めいた真似しているんだと、脱衣場の扉の前でため息をつく。
「レン今からシャワー浴びるの?」
背後から聞こえた声に内心驚きながらも、まぁ、そんなとこ。と首だけを後ろに向けて答える。
「じゃあ少ししたら脱衣場にその作業着取りに行くね。
リンがリビングに居る間に針仕事終わらせなきゃ」
真っ暗じゃできないもんね。とカレンは肩を竦めて笑い、リビングに戻る。
今日の帰り道よりも今声をかけられた方が確実に驚いた事は秘密にしておこう。
脱衣場で服を脱ぎ、冷たい水を頭から浴びる。
何故、カレンみたいないい子がリンみたいなつんけんした奴と一緒に居るんだ。
カレンが大天使なら、リンは魔王だ。
カレンならもっと他に……。
ふと、1年前の雨の日の事を思い出した。
その日はエデンが滞在しておらず、空を拝める珍しい日だった。
まだ義務教育過程中の俺たちは魚を獲る練習に近くの川に行っていたのだが、突然の大雨で計画は中止。
どこかで雨宿りをしようと提案して走り出した時、後ろで悲鳴が上がった。
それから………。
頭上から降り注ぐ冷たいシャワーが止まった。
この時間使える水がなくなったのだろう。
「水、なくなってよかったな…」
適当に体を拭き、私服に着替える。
切り替えよう。思い出さなかった事にしよう。
自分に何度も言い聞かせて、リビングの扉を開けた。
リビングは小さな豆電球の明かりが灯っていた。
古い木製の机を囲うように様々な形をした椅子が並べられている。
その中の1つにカレンは腰をかけ、俺の作業着を繕っている。
リンはカレンの右隣の椅子に足を組んで座り、自分の爪を眺めている。
リビングにはザザザ…と砂の音が広がっている。
音源の元はどこかから拾ってきた古いラジオだろう。
床に置かれたラジオの前では金髪の横顔だけは整った男性が真剣な表情をして、砂嵐の中から音を拾おうとしている。
「今日は女の人が話してるのか?」
「そりゃ俺様の耳が溶けちまうくらいセクシーな声でさぁ」
ビリ…っと体内に僅かな電気が駆けた。
「何か面白い事でも言ってたのか」
「言ってたさ、エデンを浮遊させるってな」
男性が首を回し、オレンジ色の瞳が俺を捕らえ、ニヤリと笑う。
「いつやるんだ?」
「そこが拾えなかったんだよなー。
だけどよ、まだエデン、浮遊、実行ってキーワードは出てる。
場所と時間も言うんじゃねぇかって思うんだけどよ、生憎電波が悪いからな。
今日は自家発電してやってもいいぜ?」
「ゼオ、正気か?」
女の子が集まりそうな仕事しかしない、できる限り疲労したくないをポリシーとしているこの男が、一番嫌う自家発電をすると言ったのか?
「正気だってーの。
ほら、今日はカレンちゃんもリンちゃんも居るし、ラジオはセクシーなお姉さんが話してるんだぜ?」
ゼオは体を少し傾け、針仕事に勤しんでいるであろうカレンに手を振る。
成る程、そういう理由ならこの男らしい。
「それじゃあいくぞ」
ゼオの背中に左手をつき、すぅ…と息を吸う。
大丈夫だ、今は屋内で雨も降っていない、ゼオの選択もらしい理由を元になされている。
失敗するはずがない、問題ないと自分に言い聞かせ、目を閉じる。
蓋された首の細いフラスコをイメージする。
フラスコの中では黄色い閃光が縦横無尽に駆け巡っている。
フラスコが割れる事はない、引き出す量を間違えなければ…。
「汝、雷の恩恵を受けし者」
右手の人差し指と中指を立て、空を横に切る。
閃光が言葉に反応し、動きを止める。
「その力、開放せよ」
横切った右手をそのまま上に動かし、下に落とす。
指が十字を描くと、フラスコの蓋が開き、動きを止めていた閃光が一斉に細い首から外へと出ようとする。
無数の閃光が狭いフラスコの首から外に出る事はできない。
フラスコの首が割れてしまう。
俺は閃光を手で掴み、フラスコの底へと引き戻す。
ビリリッと電気が手を伝い、体へ回る。
感覚が麻痺してしまいそうだが、脳が一斉に閃光を出してはいけないと命令する限り、手を休める事はない。
このフラスコが割れてしまったら…、フラッシュバックする奥底に沈めた記憶。
シャワーなんて浴びるんじゃなかった。
不意に誰かに手首を掴まれる。
ひんやりとした水を思わせる温度にはっとして目を開け、俺の手首を掴んでいた何かを振り払う。
ぜぇぜぇと肩で息をしながら手首を掴んだ本人を見る。
「少し力を開放させただけでこの様?
目も開けられない、自己負担の制御もできない、クリエーターとして未熟ね」
リンが振り払われた手の爪をつまらなそうに眺めながら俺を蔑む。
「プレゼンターのお前にクリエーターの何が分かるんだよ…、こっちはなぁっ!!」
「はいはい、ウルフくんストーップ」
パンパンとゼオが自分の手を叩き、ゼオの背中に置かれたままの俺の左手を退ける。
落ち着け、と静かに諭され、深呼吸をする。
電気が全身を回ったせいか体が小刻みに震えている。
リンは何も言わず俺から離れ、飲み水を用意していたカレンに今は渡さない方がいいと伝える。
「俺様はこんな危なっかしい力制御してくれてるエクリチュールに感謝してるぜ。
お陰でお姉さんの声も聞こえやすくなったしな」
流石俺様、天才的だな。とゼオは自画自賛し、再びラジオの声に耳を傾ける。
産まれながら何らかの特異能力を持つ者。
しかし、彼らは己の力を開放する事ができない。
神に愛された者、プレゼンター。
産まれながら何の力も持たぬ者。
しかし、彼らは神に愛された者の力を開放する事ができる。
神に慈悲を与えられた者、クリエーター。
クリエーターがプレゼンターの血液を取り込む事で、特定のプレゼンターの力を開放する事ができる。
契りを結んだ者たちの事をエクリチュールと呼ぶ。
俺とゼオはエクリチュールになって1年ほどだ。
1年もすれば、どんなにできの悪いクリエーターでも目を開けてプレゼンターの力を引き出す事ができる。
リンの言うことは正論だ。
「そ、それで、エデンの浮遊は…?」
黙り混んだ俺を気にしたのか、カレンは少し裏返った声でゼオに聞く。
ゼオはふふふ、と不敵に笑い、無駄に白い歯を見せつけた。
「ダート港で深夜2時に作業開始だそうだ。
わざわざラジオで宣伝したんだ。
他のチームもエデンの浮遊を手伝いたがるだろうな」
絶対的権力とも言える天人が住むエデンの浮遊を手伝えば、チームに与えられるポイント数は計りきれないほどだろう。
ランクDからランクCに昇格できるかもしれない。
「どうするよリーダー」
ジッと3人が俺を見る。
先ほどまで悪態をついていたリンでさえ俺の答えを待っている。
一度大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。
俺は出来損ないのクリエーターだが、このチームのリーダーだ。
憧れのクリエーターが言っていた。
チームリーダーは堂々としていなくてはいけないよ。
ここぞ、って時だけでもいいからさ。
「深夜2時にダート港に行くからな。
早めに就寝すること。
1時30分になっても起きてこなかったら叩き起こすからな」
胸を張って偉そうに指示を出す。
不思議なことにリンはこういう態度には何も反論せずに素直に言うことを聞く。
美容のためにも早く寝ないと、と言って真っ先にリビングから出ていった。