君の翼
円錐を逆さにした形で浮いているエデン。
エデンの台地にはまばらに緑色の苔が生えている。
俺たちを運んでいた薄い水色の箱はエデンの大地に降り立つと、すぅっと消えていく。
微かに塩の香りがする。
特権を持つものだけが暮らせる、と言われているエデンはこんなに簡素なのだろうか。
見渡す限りむき出しの台地が続いている。
「初めてのエデンがこんなところでごめんね」
ゲイルさんが肩をすくめ、でもね、と空を指差した。
促されるまま視線を上げると、星空の絨毯が広がっていた。
「開発中のエデンには人工の灯りが少ないからちょっとは綺麗に見えるんだよ」
「あのエデンのせいで台無しだけどな」
ゼオが斜め右に視線を向ける。
俺たちがいるエデンとワイヤーで結ばれたエデン。
きらびやかな光を放ち、小さな何かが飛び回っている。
「あれはメカニクルと呼ばれているエデンだね」
「エデンにも名前があるんですか?」
「全部エデン、じゃ見分けがつかないからね。
全てのエデンにナンバーが割り振られていて、あぁいう大きいエデンには固有名詞がつけられたりするんだ」
つまり、俺たちが居るエデンにもナンバーがあるのか……。
作業場所に案内するよ、と歩き出したゲイルさんの後に続く。
ゼオは時折メカニクルの周りを飛んでいる何かを気にしていた。
「なぁゼオ」
「なんだい?ウルフくん」
「お前、あれが何か知ってんの?」
正直、周りを飛んでいるものに興味はなかった。
ゼオの瞳が僅かに揺れ、さっぱりだね。とゼオは大袈裟に両手を広げる。
嘘だな。
ゼオはエデンに馴れすぎている。
あの水色の箱にも、メカニクルにも、全く反応を示さない。
俺もリアクションが薄い、と言われるが、少しは驚いている。
誰にでもわかる嘘をついてまで何を隠したいのか。
ビリビリと手を締め付ける電気がこれ以上踏み込むな、と伝えている。
「そういえば君たちは誰か憧れてる人とか居たりする?」
ゲイルさんが歩みを止めずに俺たちに話しかける。
「えっと、俺はブラダイのカズキさん、ですね」
「ウルフくん相変わらずだねー」
けらけらとゼオが笑う。
手を締め付けていた電気が少しだけ緩んだ。
「彼に憧れているクリエーターは多いね。
僕もBランクにしておくには勿体ない逸材だと思うよ」
ブラダイのカズキさん、と言う名前がゲイルさんに伝わったことに目を丸くする。
ゲイルさんはあの流星の一員だ。
Bランクのメンバーを認知しているなんて…。
「まぁ、カズキさんが引き出すあいつの翼綺麗だからな。
よくある炎の翼なのに、一度見たら忘れられないつーか…」
ゼオがボリボリと頭をかきながら、それで、と話を切り返す。
「そこの鉄球がこのエデンを浮かせてる仕組みだよな」
ゲイルさんが少し横に捌けると、彼の背後に1本の短い棒が地面に突き刺さっていた。
手を前に出せば棒の先についている磨かれた鉄球を簡単に触れそうだ。
「この鉄に電気を流し続けることが君たちの仕事だよ。
電流の強さによって色が変わる仕組みになってるんだ。
全体を青色で保ってね」
どうぞ。とゲイルさんに促され、ゼオが鉄球を挟むように両手を差し出す。
「汝、雷の恩恵を受けし者
その力、解放せよ」
口上を述べ、十字を切ると現れる雷の翼。
無数の雷の糸が絡み合い、形を成している。
エデンをあまり良く思っていないようだが、翼は安定している。
ゼオは黙って鉄球を見つめ、指先から電気を糸のようにし、鉄球に巻き付かせていく。
全体がほんのりと緑色に変化し、ゼオは電気の供給を指差から手のひらへと変える。
すると、ゼオの手に近い部分は赤、遠い部分は緑、中間地点が青色へ変化した。
電気の供給が手元は多すぎ、後部へは少なすぎるのだろう。
「全然できちゃぁいねえじゃねえか‼」
がさつな声と共に響く雷鳴。
咄嗟に頭上を見上げたが、星が輝くだけだった。
「自力でエデンに来れるってことは、ランクB以上のチームかな」
ゲイルさんはゆったりとした口調で語り、前を見据えていた。
あっ……、と小さな声が溢れる。
勝ち誇ったような笑顔。
瞳の奥に渦巻くどす黒い色。
自己顕示欲の象徴とも言える雷の四枚の翼。
「俺たちが変わってやるよぉ…下級生」
空中で手を振るい、俺の爪先を雷が駆ける。
「合格者以外にやらせる訳にはいかないんだよね」
「あぁ?ひょろい発明家ごときは黙ってな」
「つーか、あんたも困るだろ?んなでき損ない。
傾いてますよー」
鉄球に電気を送り続けるゼオに聞こえるようにわざと体を傾け告げる男。
「変わってやるからとっとと退けよ。
でき損ないのプレゼンターさん」
四枚の翼を携えたまま、そいつは俺の肩に触れ、俺を押し退けようとした。
「あぁ?なんだ?」
肩に置かれた手首を握ったまま黙っていると、そいつは小さく舌打ちをする。
「とっとと離しなボクちゃん」
目立つだけの大きすぎる四枚の翼は手を伸ばせば掴めそうな距離にある。
「ははは……」
「おいおい、俺様の翼を見て自信喪失しちまったか?」
仕方ない、と大声で笑う男たち。
本当に笑える。
圧倒的な差だ。
「見た目と音だけだな」
地面に引きずるくらい大きな翼。
四枚の珍しい形状。
雷鳴を轟かせるようなうるさい音。
手のひらから伝わる電気は30本程度。
仮にも敵に触れられている状況にも関わらず、有り余る無駄な電力を対象へ流さない幼いクリエーター。
グッと手に力を込めると、よわっちいとあざけ笑う。
「とっとと退け!!」
四翼のプレゼンターが拳に雷を集中させ、俺の腹を殴る。
物理的な痛みは感じるが、雷の効果は全く感じない。
よろける素振りをし、プレゼンターから手を離す。
体を左に傾け、満足げに笑うプレゼンターを凝視する。
「ぐぁぁっ!!」
余裕の笑みが一変し、右足を押さえ、うずくまるプレゼンター。
ぽたぽたと乾いた大地に滲む紅。
「何やってんだ!!立てっ!!」
怒号を上げたクリエーターは、プレゼンターの四翼だけを見ていた。
自己顕示欲の固まり。
全てクリエーターである自分の力だと思っている。
「少しはエクリチュールの事見てやれよ」
俺が何度も言われた言葉を投げ掛ける。
「うるさいっ!!」
男が手を振るうと同時に生まれた横に薄く伸びる雷。
それを俺の背後から飛んできた閃光が叩きわる。
閃光は黄色い細い糸のようにグルグルと男に絡み付く。
「あんま暴れんなよ。無駄にエネルギー消費したくねぇんだわ」
ゼオは鉄球に視線を向けたまま告げる。
両手から鉄球に流される電流は当初より安定しており、鉄球全体が薄い青色に染まっている。
ピンと立てられた1本の指先から細い電気の糸が鉄球ではなく、俺の方向に続いている。
「こんなものっ!!」
ようやく絡み付く電気の糸の出所をつかんだ男が、糸を引きちぎろうとする。
ゼオ自身の電気は鉄球への供給に温存しておきたい。
右足を押さえたままの四翼のプレゼンターの肩を掴むと、彼はびくり、と肩を震わせた。
バチバチとうるさかった音も今では悲しげな悲鳴のように聞こえる。
あぁ、きっとこの翼を自分の力だと勘違いしているあの男には相変わらずうるさい雑音のように感じるのだろう。
隅で震えている電気の粒子。
それを電気の糸で絡めとり、ゼオへと還元していく。
引きずるほど大きな四翼は次第に小さくなっていく。
「お前……っ!!何をしているっ!!」
声を荒らげるクリエーターの怒りの矛先は自身のエクリチュールへと向いている。
かつての俺もこんな感じだったのかもしれない。
滑稽だな。
喚くクリエーターに絡まった糸に高電圧を流し込む。
「ぐぁぁっ‼」
男はガクガクと体を震わせ、ぐたり、と地面に倒れる。
仮にも電気の力を開放していたため、死んではいないだろう。
「自分達で解決してしまうとはね」
お疲れ様。とゲイルさんが俺の肩を叩き、立派な四翼がなくなってしまったプレゼンターと視線を合わせるためにしゃがみこむ。
俺はそっとプレゼンターから手を離し、一歩後ろへ下がる。
小さな子供のように足を押さえ、震えたままのプレゼンターにゲイルさんはこんにちは。と何事もなかったかのように話しかけた。
「右足見せてもらえるかな?」
先程までの高圧的な態度が消え、プレゼンターは怯えたように辺りを見渡す。
俺はわざと視線を外し、近くに浮遊するエデン-メカニクル-を眺めるふりをした。
「綺麗に撃ち抜かれてるね。
一応マリアに連絡した方がいいかな…。
あ、君血液型は?輸血のストックってしているのかな?」
ゲイルさんの声を聞きながら、視線を横へ動かしていく。
ふとこちらの様子を伺いながら鉄球に電気を流し続けるゼオと目があった。
「さっきのありがとうな」
「一体どれのことかな?」
歩みを進めながら礼を言うと、ゼオが飄々と言い返す。
「俺様からしてみりゃあエクリチュールでもない奴から電気奪いとっちまうウルフくんの方がすげぇって思うけどな」
「あぁ、あれは出来るかなって思ってやってみたらできただけで…」
水や電気はプレゼンターが生成するものと、自然界にあるものに干渉し、利用しているものがある。
プレゼンターのように自由自在に操れなくとも、対象に触れ、イメージを捉えることができれば……。と考えた。
「相手に干渉できたのは、同じ雷の系統だったからだと思うけど」
水と雷については経験も知識もある。
相手の基本部分がわかっていたからこそできた賭けだ。
とは言え、俺がゼオのように雷で足を撃ち抜くことも、相手を縛ることもできないだろう。
「やっぱゼオの翼の方がいいな」
決め細かな模様を描く雷の糸の翼。
パチパチと音を立て、無限に変化していく。
ちょうど腕を掴めるような大きさで、今の自分自身に合っている。
ぞわぞわっ……と変な悪寒がした。
翼から顔へと視線を向けると、ゼオは顔を赤くしていた。
「疲れたか?」
フラスコに沈殿している雷の糸を確認するが、2割程度しか減少していない。
この程度で根を上げるとは思っていなかったが、エデンで力を使うとプレゼンターの体力の消耗が早いのかもしれない。
「あー…、いや、その、さ。
そう言うのは女の子相手に言うもんだぜ?ウルフくん」
「は?」
「だから、無闇に翼を褒めるなってこと」
ふいっ、とゼオが顔を背け、鉄球に視線を向ける。
無闇に翼を褒めるな……?
…………あー…、そういうことか。
ぞわぞわっ…とした感覚は褒められ慣れてないからか。