浮上
女王蜂からの手紙には日時と監督員の名前が記されていた。
作業日程は最長3日間。
同封されていた地図の場所に今夜集合しなくてはいけないらしい。
集合場所はCランクの居住区から山側へと進んだ場所。
綺麗な小川が流れているキャンプ場。
リンが溺れた場所だった。
「生活用品も貸してくれるみたいだしよ。
このまま向かうか」
ゼオが俺の手から地図をひょいと奪い取る。
ビリっと僅かに胸に辺りを電気が流れる。
ゼオの態度はいつもと変わらない。
内心俺の事を気にかけているのだろう。
「そうだな。持っていけるような生活用品もねぇしな」
ゼオの気遣いを無駄にしないように俺もいつも通りに振る舞う。
集合場所を見たとき閉じ込めたはずの不甲斐なさを思い出した。
先に歩き出したゼオの背中を一瞥し、未だ硬直したまま情けなくわめくエクリチュールを見た。
彼らはずっと称賛されていたのだろう。
4翼の大きな翼を授けるクリエーターと、4翼の力強い翼を操るプレゼンターとして。
俺たちとは少し違う歪な形。
称賛される快感を覚え、何かを忘れてしまったような…。
わめき声が頭に響く。
これ以上この声を聞きたくない。
わめき声が助けを求める少女の声へと変わる前にゼオの後を追った。
無心で歩き続けていると、ようこそ楽しいキャンプ場へ、と書かれた木製の看板が目に入った。
看板の奥には土道がうねりながら緩やかに上へと延びている。
土道を上っていくと、うっすらと昔の俺たちが目の前に現れたような気がした。
先生から支給された大きなリュックを背負って俺は先頭を歩いていた。
カレンから色んな質問をされて、それに答えている。
タケルは小さな声でメロディーを刻んでいる。
リクとリンは最後尾に居た。
「俺様このキャンプで一番美人の先生に告白したんだよな」
「振られただろ」
「俺様が魅力的すぎたからな」
ゼオがニッと笑う。
何気ない会話が目の前の幻想を夢へとさらっていく。
風が吹き、木々がさらさらと揺れる。
頭上にエデンがなければ木漏れ日が綺麗に見えたかもしれない。
「そんな魅力的なゼオくんに質問です」
「何ですか?ウルフくん」
「もし、俺がまた目を瞑らないとゼオの力を引き出せなくなったらどうする?」
ビリリッと全身を電撃が駆け巡り、顔をしかめ、立ち止まる。
ゼオは黙って登り続けた。
俺が立ち止まった事には気づいているだろう。
それでも進み続ける彼の行動が質問の答えなのだろう。
追い付くまで待っててやることも、手をさしのべることもしない。
ゼオが俺に期待しているのか、呆れているのか、判断できない。
激しく暴れまわっていた電気が収まり、一歩踏み出すとゼオが顔だけを俺に向けた。
ゼオは俺が歩き出した事を確認するとまた黙って歩みを進める。
風が木々を揺らす音と一緒に湿った水の匂いが漂う。
水と雷は全く違う。
深い池の中から顔を出し、雨のように降り注ぐ雷の高原を見ている。
今の俺の立場はそういったところだろう。
早く池から出ないといけないが、何かに足を捕まれ、動けない。
きっと池に視線を向けると、大きなリュックを背負った子供が俺の足を掴んでいる。
池に縛り付けているのは、俺だ。
「目を瞑ってでも引き出せるならいいんじゃねぇの」
歩みを止めることなくゼオが答える。
「俺様は当事者じゃねぇし。
人づてに聞いただけだがよ、女の子を危険な目に合わせた不甲斐なさは簡単に拭えねぇよな、きっと」
1年早く生まれただけのゼオの背中が大きく見えた。
同時に電流が胸を締め付ける。
ゼオの言葉には実体験が含まれている気がした。
俺がギュッと胸が痛くなるのは、いつもあの日の何もできなかった自分を思い出した時だから。
お前も何かあったのか?と聞こうとした口を閉じた。
池に入ったままでは、雷を受け止めてやれない。
集合場所に着く頃には暗い影が濃くなっていた。
きっと日が沈んだのだろう。
開けたキャンプ場には俺たち以外の人影はない。
見上げるとエデンの端から星空が見える。
合格者によって集合場所が違うのだろう。
キャンプ場を集合場所にしたことから、ごうかくしを東西南北に配置したとして、俺たちは西側を担当することになる。
ビリリリリッと手に電気が流れる。
ゼオを盗み見ると、黙ってエデンを見上げている。
遠くに置いてきた宝物を懐かしむような、触れてはいけないような、どっち付かずの気持ちがさ迷っている。
「ゼオ、お前さ」
「お出ましだぜウルフくん」
俺に続きを言わせないようにゼオが空を指差す。
薄い水色の箱のようなものがゆっくりと降りてくる。
箱の中で一人佇んでいるが、女性ではないだろう。
直線的な動きしかできないのだろうか。
箱の軌道上に手を出し、空中で振ってみるが、糸に触れるような感覚はない。
箱との距離が近づき、中に居る人の容姿がはっきりと見える。
短い黒髪と無精髭が特徴的な男性だ。
体型は良くも悪くも普通で、これといった特徴がない。
背中に羽らしきものが確認できないことから、クリエーターだろう。
男性を乗せた箱は地面に着くと、すぅ……っと消えた。
「えっと、君たちが合格者、かな」
男性が柔らかい声で俺たちに聞く。
適当に頷くと、男性は笑った。
「そうか、僕はゲイル。
君たちに仕事の指示を出させてもらうナナリーの部下で、君たちの上司って感じかな」
「浮遊のプレゼンターがエクリチュールですか?」
浮遊の力を使えるのであれば、空中をゆっくりと降りてきたことも説明がつく。
的を得た質問をしたつもりだが、ゲイルさんは肩をすくめた。
「残念だけど、ハズレかな。
まぁ、実際に乗りながら話そうか」
ゲイルさんがパチンッと指を鳴らすと地面から薄い透き通った水色の壁が現れ、あっという間に俺たちを箱に閉じ込める。
ゲイルさんを乗せていた時よりも大きな箱の中に収納され、足が地面から離れていく。
上っているような体感はなく、地面がただただ遠ざかっていく。
恐る恐る足でドンッと水色の壁を踏みしめるが、底が抜けることはなさそうだ。
「なんですか……これ………、」
「発明品キャリーボックスだよ」
「はつめいひん?」
聞き覚えのない音におうむ返しすると、やっぱりそうか、とゲイルさんが笑う。
「君は金髪の彼と違ってエデンに来るのが初めてなんだね」
「え……」
金髪の彼と違ってとはどういうことだろう。
「いやいや、俺様驚きすぎて声が出なっくって」
あはは、とゼオが乾いた笑いを浮かべる。
誰がどう見たって嘘をついている。
聞かれたくないことなのだろう。
あえて追求しないでいると、ゲイルさんが話を進めた。
「エデンでは発明品と呼ばれるものが流行っているんだよ。
エクリチュールの力を使わずとも便利な暮らしができるようにね。
今エデンを浮かせているのも発明品なんだよ」
「じゃあ、エデンではエクリチュールは不用ですか?」
「普通に生活をするだけなら不用かもしれないね」
不用、そう言って切り捨てるのはどちらなのだろうか。
「僕は切り捨てられなかったけどね」
暗い色を落とした俺に気づいたのかゲイルさんは明るく笑う。
よく人を見ているな、と頭の片隅で考える。
ゼオはずっと上を見上げていた。
エデンが近づくにつれチカチカと光っている何か。
きっとそれも発明品なのだろう。
「どうせならエクリチュールが必要ねぇくらい発達すりゃあいいのに」
ポツリと零れた言葉。
言葉の主は点滅する光を見据えたまま、視線だけが何かを探している。
箱の中で聞こえた声に蓋をして、俺はゲイルさんに適当に質問を投げ掛けた。
ゲイルさんも俺に合わせ、聞こえなかったことにしてくれた。
箱はただ静かに上っていく。