第92話 町のケーキ屋さんにて
神子屋敷を出て俺とフィオラはしばらく歩いて行く。日が高いにもかかわらず、やはり人通りが少なく町の雰囲気は暗い。キフネ病が流行る前は賑わっていたであろう大通りを進み、目的のケーキ屋とやらを目指す。神子屋敷からは少し距離がある位置に店を構えているらしい。
「あのチョコレートを作っているのはそのケーキ屋だけなの?」
「は、はいぃ……け、ケーキ屋さん特製のぉ……チョコらしくてぇ……そ、それをぉ……この町の食料品店とかにもぉ……卸してるらしくてぇ……だ、だからぁ、この町の人なら結構手軽に食べられるっていうかぁ……隠れた名産品っていうかぁ」
隣でモゴモゴとフィオラが話す。先ほどお茶まみれになった神子装束から着替え、今は町歩き用の簡素な格好になっている。フード付きのベストを羽織り、下はハーフパンツでどちらも地味な色だ。頭髪の黄緑色だけが鮮やかで、服の地味さを打ち消している。
久しぶりに八雲以外の神子と話して、エイリンのことをふと思い出した。
「一応確認だけど、フィオラが神子ってことは町の人は知らないんだよね?」
「は、はい。しし知りませんよ……? ふ、普通神子はそうなんじゃないんですかぁ……?」
「そうだね。いや、確認しただけ」
神聖なものとして人々から距離を取るため、決して神子は人前に現れない。まぁ神子として堂々とは現れない、ということだが。神子が外に出る時は基本お忍びである。
だが、その常識をエイリンは変えた。自ら神子であることを公表し、ゼロから、いやマイナスから神子の信用を取り戻そうと必死になっている。今ランバートはどうなっているだろうか。エイリンとチェチェならきっと上手くやっていると思うが。いつかまた会いに行かないとな。地下武闘会で俺を救ってくれたお守りのお礼もしたいし。
「フィオラの屋敷に最後まで残ってた使用人って今はどうしてるの?」
「し、シンシアはぁ……あ、あれから連絡取ってないのでぇ……わわ分からないですぅ。い、家に行ってもぉ……いなくなってましたしぃ……」
「え、行方不明ってこと!?」
「そ、そ、そうかもしれませんん……じ、実家とかにぃ……帰ってるのかもしれませんしぃ……自暴自棄になってぇどっか行っちゃったのかもしれませんしぃ……」
「それ後者だとしたらヤバくない?」
「そ、そうなんですけどぉ……い、一応警察にも言いましたけどぉ……じ、実家とかもどこか分からなくてぇ……な、難航してるっていうかぁ」
使用人が屋敷を出て行ったのが六日前。自発的に出て行ったのなら実家などに帰っている可能性が高いか。
「いい今から行くケーキ屋さん、し、シンシアが好きなお店なんですぅ……シンシア甘いものが大好きでぇ……前はお給料日になるとよくケーキ屋さんに行ってたみたいなんですぅ。さ、最近はあんまり行ってなかったみたいですけどぉ……こ、この前久しぶりに行ったみたいでぇ」
「……その給料日っていつ?」
「え、えっと……な、七日前かなぁ……?」
「じゃあやっぱりそのケーキ屋のチョコレートか」
シンシアという使用人は給料日にケーキ屋に行って好きなチョコレートを買って、そして食べた翌日に屋敷を出て行ったということか。チョコレートが原因だという推測が確証へと変わっていく。
「あ、あそこですぅ……」
話している間に目的地まで辿り着いた。フィオラがケーキ屋を指差す。そこには二階建ての可愛らしい装飾の店舗があり、ケーキ屋という割には大きい。一階部分には大きな窓が設置されており、店内の様子が見える様になっていた。
「……ちょっと中に入ってみようか」
「だ、大丈夫ですかぁ!?」
「お客のフリしてちょっと探るだけだよ」
不安そうにするフィオラの手を引いてケーキ屋へと入る。中に入ると甘い香りが鼻の中に入ってきた。小綺麗な店内に俺達以外の客はおらず、店員が一人いるだけだ。店員の後ろには店奥へ続く通路があり、カーテンがかけられて奥は見えない。ショーケースには何種類ものケーキが並び、店内には飲食スペースもある。ショーケースの上には例のチョコレートが並んでいた。
「さ、さすがに中は見えないですねぇ……?」
「そうだね。でも外観に比べて店内がだいぶ狭く見えるな。あの奥のスペースが厨房だとしても、かなりの広さになる」
「と、ということはぁ……あ、あの奥にぃ……コンクエスタンスっていうののアジトがぁ……あ、あるんですかねぇ……」
「かもね」
俺とフィオラはヒソヒソ声で話す。店員は俺達に構わずショーケースを拭いていた。
「取り敢えず戻ろうか。店の場所は分かったし、やっぱりここが怪しいってのも分かった」
「は、はいぃ」
怪しまれるといけないので適当にショーケースを物色し、チョコレート一箱とケーキ二つを買った。ケーキが入った箱を受け取り店を出ようとする。フィオラはオドオドしながら後ろからついてきた。するとその時、
「──お待ちください、忘れ物ですよ」
店員に呼び止められ振り返る。
瞬間、
「!!!」
「ひゃあぁ!?」
ナイフが二本、俺とフィオラ目掛けて飛んできた。すかさずフィオラを抱えて避ける。買ったケーキは手放してしまった。
「あら、すばしっこい」
店員はナイフを投げ切ったフォームのまま鋭い目でこちらを睨みつけた。さっきとはまるで別人だ。
「こんなナイフ忘れた覚えはないんだけど」
「腕のいいボディガードがいるなんて情報なかったんだけど……全くあの方も適当ね。取り敢えずそこの神子置いていってくれる?」
こいつの狙いはフィオラか。これでここがコンクエスタンスの拠点ということは確定だろう。しかしフィオラが神子であることは知っているのに俺のことは知らないらしい。コンクエスタンスには情報が回ってないのか?
「それは御免だね。この子をどうするつもりだ?」
「さぁ? 私は神子がノコノコ現れたら捕まえる様に言われただけだから。どっちにしろ近々こっちから行く予定だったけど」
「お前ら、コンクエスタンスか?」
「……! よく知ってるわね」
「キフネ病を流行らせているのはお前らだな?」
「あはは、そうそう! 神子信仰を崩壊させるためにね! まぁ神子信仰どころか町民の精神が全部崩壊しちゃうんだけど!」
「このチョコレートでか?」
「へぇ、そこまで分かってるなんて凄いわ。神子様舐めてたかも」
そう言いながら店員はエプロンの内側からナイフを八本取り出し、指と指の間に挟む。
「さて、お喋りは終わり。大人しくそいつ引き渡せよ!」
言い切ると同時にナイフを全て飛ばしてきた。フィオラを抱えたまま宝剣ではない方の剣を抜き、ナイフを全て弾く。
「だから、御免だって!!」
俺はそう言いながら窓を蹴破り外へ出た。ガラスの破片がフィオラに当たらない様に庇いながら飛び出て、そして走りだす。すると数歩進んだところで足が止まった。
「……何だ!?」
「ひ、ひえぇ……な、何ですぅ……!?」
ケーキ屋の前には町人達が集まっていた。皆店を取り囲み、こちらを虚ろな目で見ている。逃げる隙間が無い。
「……まさか、影で操られてるのか!?」
明らかに瞳に生気が無い。これまで見てきたキフネ病罹患者達も生気の無い目をしていたが、彼らにはまだ本人の意思が見えた。今目の前にいる人達の虚ろさはそんなレベルでは無い。恐らくコンクエスタンスに操られ、本人の意思とは関係なしに動いている。
「アレハンドロ様……! すみません」
「いーやいーや! 全くもって構いません」
店員と男の声が後ろから聞こえた。この声、聞き覚えがある──異臭男と取引をしていたフード男だ。俺とフィオラは振り返る。すると店から出てきた店員と、二階の窓からこちらを見下ろす青白い男がいた。
「お前が……キフネ病流行の首謀者だな!? 神子をどうするつもりだ!?」
「ふむ、君は昨晩お会いしましたネ。大変威勢が良くてよろしい。質問についてですが、私はとても慈悲深いので答えて差し上げましょう。まぁ要するに、操り人形になって死んでもらうためですね」
「ひいぃ……!」
アレハンドロの言葉にフィオラが震える。
「神子のことは色々と調べさせてもらいましたよ。外見や内面の特徴もろもろね。神子の情報は中々出回らなくて大変苦労しました」
なるほど、それで一目見てフィオラが神子だと分かったのか。
「それと君。もしかして竜の鉤爪が探してるエルトゥールですかね? あ、いや正確には竜の鉤爪と我々か」
「!!」
やはり地下武闘会の一件で、竜の鉤爪とコンクエスタンスには俺の情報が出回っているらしい。
「まぁ君の捕縛命令は出てないので逃げてもらっても構いませんが……私は慈悲深いのでネ。あ、でも神子は渡してもらいますよ」
口角を上げて不気味に笑うアレハンドロにフィオラがビクッと怯えた。
「嫌だと言ったら?」
「ふふふ、そうは言わせません」
アレハンドロが部屋の中に入り、そしてすぐに出てきた。一人の縄で縛られた女性を連れて。
「これの意味が分かりますね? 神子よ」
その女性を見た途端、フィオラから血の気がみるみる引くのが見て分かった。
「──シンシア」
その女性は、フィオラの最後の使用人だった。




