第89話 異臭男の取引
宿に戻った後、私達は例の異臭男を監視することにした。監視すると言っても、実際は琴音が一人で隠れて見張っているのだが。私も手伝おうかと声をかけたが、一人の方が隠れやすいのでいいと断られた。という訳で琴音以外は皆普段通りに過ごしており、そろそろ眠くなる時間だ。
ちなみに私は部屋に一人にはなれないので、オルト達と同じ部屋で寝ることになった。私がオルトのベッドを使って、オルトは椅子で寝るらしい。セファンもベッドを譲ると言ってくれたが、成長期の子供は椅子で寝ない方がいいとか寝相が悪いから椅子で寝ると落ちるとか色々オルトに言われて却下されていた。
「琴音、大丈夫かしらね? 一晩中ずっと見張る気なのかしら」
「深夜まで動きが無ければやめるんじゃないかな?」
「ふあぁ、俺眠くなってきたぜ」
セファンが大欠伸をした。ちなみに葉月とサンダーは部屋の端っこでかたまって既に熟睡中だ。
「寝ていいよ、セファン。今日は何も起きないかもしれないし、明日の朝だってトレーニングするだろ?」
「おぅ……じゃあお言葉に甘えて寝ようかな。八雲は寝ねーのか?」
「うーん、私も眠いかも。申し訳ないけど寝ようかしら……オルトはまだ起きてるの?」
「俺はもう少し起きてるよ。何かあったら起こすから、二人共寝てて」
そう言いながら剣の手入れを始めるオルト。もう少しなんて言っているが、結局琴音が戻ってくるまでしっかり起きていそうだ。オルトと琴音の体力馬鹿さ加減には本当に感心する。
「じゃあ私も寝るわね。お休みー」
「あぁ、お休み」
私もセファンもそれぞれベッドに入る。私達のためにオルトが灯りを消そうとしたその時、ドアが静かにノックされた。琴音だろうか。オルトはドアの方へと歩いて行く。
「──本当か? じゃあ行こう。琴音は先に追って。サンダーが後から追える様に匂いをある程度残して行ってくれると助かる」
オルトの話し声が聞こえた後、ドアが閉まる音がした。ここからではドアの方は角度的に確認できないが、会話からして琴音が男を追って動くのだろう。戻って来たオルトが私達のベッドの前に立った。
「よし、二人共行こうか。あの男がどこかへ向かったらしい」
「マジか! 寝る気満々だったんだけどな」
「セファン眠いなら寝ててもいいよ? でもサンダーは貸してね」
「いや俺も行くよ! 一人だけ置いてかれるの寂しいじゃん!」
私もセファンもベッドから出てすぐ外に出る準備をする。葉月とサンダーは非常に眠そうだ。気持ちよく寝ていたところを起こしてしまったのは可哀想だが仕方ない。
私達は宿の外へと出た。
「じゃあサンダー頼む。琴音の匂いを追ってくれ」
「ワウ!」
オルトに頼まれ、サンダーが周りの匂いを嗅ぎだす。そしてすぐに琴音の匂いをキャッチし、走りだした。私達も急いでサンダーを追う。
人のいない大通りを走り、途中で曲がって狭い道へと入る。何度か右左折を繰り返しながら細い道を進んでいった。
「すっげえクネクネ曲がるなあ? 絶対大きい通りから行った方が目的地に早く着きそうじゃね?」
「つけられても撒けるようにあえてこの道を選んでるんじゃないかな?」
「つけてるのバレてたりしないわよね?」
「もしバレてたら琴音が何かアクション起こしてると思うから、まだ大丈夫なはず。こんだけ走ったらそろそろ追いつくかもね」
オルトがそう言った時、サンダーが急に足を止めた。私達も慌てて急ブレーキをかける。
「どうしたサンダー?」
サンダーは振り返り、鼻を静かに鳴らした。そして再び前を向き、耳を立てる。前方は道がカーブしているのと闇が深いことからよく見えない。
「……琴音に追いついたのか?」
セファンが小声で尋ねると、サンダーは前を向いたまま頷いた。どうやらすぐそこに琴音がいるらしい。ということは、異臭男もすぐそこにいるということだ。私達は顔を見合わせた後、音を立てない様に気を付けながら前へ歩く。建物の窪みを利用して隠れながら壁伝いに慎重に進み、カーブに差し掛かった時人影が見えた。私達と同様に建物の陰に隠れている琴音だ。琴音は体は前に向けたまま、こちらに目配せした。
「……琴音」
「しっ!」
私が近づいて話しかけようとした時、琴音が指を口に当てて喋らない様に促す。私は口を押さえ、一歩下がろうとした時。
──カツッ。
「「「「!!!」」」」
足元にあった小石を蹴ってしまった。私達四人と二匹は戦慄する。小石は音を立てて道の真ん中へと転がっていった。
「──誰だ!?」
カーブの先から男の声が聞こえた。異臭男だろうか。どうしよう、ヤバい、私のせいでバレた。オルトと琴音が武器を手にかけカーブの先の方を見る。臨戦態勢だ。
声の主の足音がこちらに近づくのが聞こえる。
「……にゃあ」
ゴクリと唾を飲んだそんな時、上方から可愛らしい声が発せられた。私達は一斉に声の発生源を見る。そこには、一匹の黒猫がいた。建物の小さな出っ張りの上に器用に立ってこちらを見ている。そして私と目が合った瞬間、黒猫は出っ張りから飛び降りて私達の横を抜け走り去って行った。
「……猫か」
近づいてきていた足音は止まり、男はそう言った後引き返していく。先ほどの音は猫のものだと勘違いしてくれたらしい。助かった。
私は胸を撫で下ろし、オルト達の方を見ると……全員が私を睨みつけていた。まあ当然だろう。私が手を合わせて謝罪のポーズを取ると皆は静かに溜息を吐いた。
「……で、例の物なんだがよ。ちょい前に作り手がいなくなっちまって、もうこれしか残ってねぇ」
「何と、それは困りましたネ。この町での実験は大体終わっていますケド、それじゃあ他で応用するには別を考えなければいけない訳ですか」
カーブの先から男二人の会話が聞こえてきた。私達は物陰からそっと顔を出し、男達の様子を確認する。そこにいたのは宿ですれ違った異臭男と、彼と向き合い話す黒いローブを羽織った男だ。フードを目深に被っているため顔はよく見えない。異臭男は一抱えほどの大きさのケースをフード男に渡している。中身は何だろうか。
「そちらさんの都合はよく知らねえが、取り敢えずこれは最後だ。また何か要望あったらボスに言ってくれ」
「ふむ、考えておきましょう」
フード男はケースを少しだけ開けて中身を確認している。ここからじゃ何が入っているのかは見えない。オルト達も目を細めてフード男とケースを見ていた。するとその時、フード男が顔をふと上げる。
「……おや、いけませんネ。大きな猫ちゃんがいますよ」
「「「「!!」」」」
急にフード男はケースを閉め、そしてこちらを睨んだ。フード男から発せられた殺気に私は背筋が凍る。しまった、バレた。
「あ? 何言ってん……」
異臭男が怪訝な顔をしてフード男を見たその時。
「ああああああ!!!」
異臭男が発火した。瞬時にして全身に火が周り、男は悲痛な声をあげながら悶え苦しんでいる。フード男の手には何かが握られていた。
「行くぞ琴音!」
「はい!!」
オルトと琴音が駆け出す。狙いはフード男だ。武器を構え、攻撃を仕掛けようとした。
「全く、つけられるなんて本当に困った無能ですネ。せめて盾にでもなって時間稼ぎしてください」
フード男は燃える異臭男を蹴り、オルト達の前に突き飛ばす。それと同時に腰から取り出したボトルを振り、液体をばら撒いた。直後、異臭男の炎がばら撒かれた液体に引火して狭い通りが火の海になる。
「なっ!? 待て!!」
「では、さようなら」
突っ込んできた異臭男を避けながらオルト達はフード男を追おうとするが、目の前に広がる炎に阻まれる。その躊躇した隙に、男はローブをなびかせながら逃走した。
「しまった……!」
オルトは無理矢理炎の中を通り抜け、走って男を追おうとしたが彼は暗闇の中に既に紛れてしまっていた。琴音が氣術で消火作業をする。
「すみません、油断しました……逃げられてしまうなんて」
「いや、俺も悪かった」
男が見えなくなった辺りを少し見回してから戻ってくるオルトと、消火作業を終え黒焦げで横たわる異臭男を見下ろす琴音。私は二人の元へと駆け寄る。
「二人共大丈夫!?」
「いきなり戦闘モードになるし火事になるしでビックリしたぜ!!」
「ごめん、逃げられた」
「すみません、失態です」
「いえ、二人共怪我が無いならそれでいいわ」
申し訳なさそうにする二人にそう言いながら、私は異臭男の横に膝をついた。男は丸焦げで顔もよく分からない。既に手遅れだ。
「八雲、そいつはもう……」
「えぇ、私の力じゃ……どうにもならないわね」
辛うじて生きているかどうかくらいの状態。ここまできてしまえば治癒能力をかけたところでこの男が復活することはない。
「あんな簡単に人を殺そうとするなんて……あいつ何者なんだ? あとさっきのケースの中身も分かんねーし言ってたことも意味深だったしもう訳分かんねー」
「……ケースの中身も目的も分かりませんが、一つ分かったことがあります」
「? 何が分かったの?」
「この人は竜の鉤爪です」
「「「!!」」」
「後をつけている時に見えたのですが、あの盗賊団の証拠である竜の刺青が入っていました」
それを聞いてオルトの顔色が変わった。
「おい、異変の起きてるこの町で竜の鉤爪と取引してる人間ってことは……」
「「コンクエスタンス!?」」
私とセファンが同時に言う。
「あいつさっき、この町では実験はもう終わりの様なこと言ってたよな。やっぱりキフネ病はコンクエスタンスの実験が原因で、その実験を行うために竜の鉤爪が何かを渡していたってことか」
「その何かが大勢の人を一気にキフネ病にできるカラクリなんでしょうね。それを手に入れられれば真相と、町の人を元に戻す方法を突き止められそうなんですが」
「でもケースは持ってかれちゃったし、もう残りが無いようなこと言ってたから手に入れるのは難しいんじゃないかしら? フード男を追うにしても手がかりが無いし」
「あいつの匂いが濃く残ってたところは焼かれちまったから、サンダーも追えねーな」
重要な手がかりが一つ、消えてしまった。私達はその場で考え込む。
すると複数の声が聞こえた。こちらへ向かってきている……恐らく警官だろう。
「取り敢えずここを離れよう。妙な疑いをかけられても困るし」
オルトの提案に皆が頷く。話し合いは後にして、私達はひとまず宿へと戻った。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
翌日、私達は再び神子屋敷の前まで来ていた。
昨日宿に戻った後状況を整理したところ、現在手がかりを持っていそうなのは昨日の飲食店の店員と神子だ。飲食店は夜にしか営業していないらしいため、先に神子に話を聞くことにした。そもそも会ってくれるか分からないが。
「あのー! ちょっと入れてくれませんかー!?」
藪の外、つまり道路から屋敷に向かって大声で叫んでみる。町行く人々が怪訝な目を向けた。
「頼むぜー! 俺達別に怪しいもんじゃないから入らせてー!」
セファンも叫ぶが、特に屋敷から返事は無い。オルトと琴音は何も言わず私達を後ろから見守っている。……いや、見守って無い。他人のフリをしている。
「はぁ、やっぱり無理なのかしら」
私は溜息を吐きながらうなだれる。すると、右斜め前の草むらが動いた。カサカサと音を立てながら何かが動いている。そして、それは近づいて来て──顔を出した。
「……あ、あのぅ。なな何の御用でしょうか……?」
神子だ。