第88話 病と臭いとチョコレート
神子屋敷をあとにして大通りへと出る。俺達はセファンが直感で決めた飲食店で夕飯を食べることにした。店内にはそこそこ客が入っており、それなりに賑やかだ。
「何か町中の雰囲気と違うなぁ? 実は皆、旅人には無愛想なだけだったとかー?」
「ホント、ここにいる人達は普通にお話してるわね。通りを歩いてた人とはだいぶ違うわ」
料理を食べながら八雲とセファンが店内を見回す。客達は楽しそうに会話しながら食事をしており、表情は明るい。外で見かけた人達とは正反対だ。
「お客様は旅の方々ですよね? ごめんなさいね、町の人間は皆疑心暗鬼になってるんです」
店員の女性が追加の料理を出しながら申し訳なさそうに言った。出された料理から香ばしい香りが漂う。それを見てセファンが目を輝かせた。
「え、疑心暗鬼ってどういうことなの?」
「えっとですね。少し前から奇病が流行ってて……その病気にかかると、自分の意思に反した言動を取ってしまうんです。親しい人に乱暴なことを言ったり、暴力を振るったり、それに犯罪を犯したりすることもあるみたいですよ。本人はその時の記憶は無くて気付いたらやらかしちゃってるって感じで……それで周りの信用も失って、自分のことも信じられなくなっていくみたいなんです」
「うえぇ何その病気!? こえーなぁ」
「原因不明の病気で、お医者さんもお手上げらしいです」
「それで皆表情が暗かったのか」
「なぜかこの町でしか流行ってないみたいで、キフネ病なんて言われてるんです。キフネ病の人は自分が何をしでかすか怖くてまともに会社も学校もお店も行けないですし、罹ってない人は病気をうつされたり襲われたりするのに怯える毎日です。それで町が殺伐とした感じになっちゃってるんですよ。実際、私も怖いですし」
なるほど。それでキフネ病の人がまず来ないであろう飲食店の中は、罹患者以外の人が寛げる場所となっているということか。
「お客様も気をつけてくださいね。感染経路も分かってないので気をつけろって言われても困るかもしれませんが……」
「あぁ、ありがとう」
女性は一礼して厨房へと戻って行く。俺達は顔を見合わせた。
「キフネ病も……もしかしたらコンクエスタンスの仕業なのかしら?」
「神子信仰のある町で起きてる怪奇現象だから、その可能性は高いかもね。この町にしか感染者はいないみたいだし。それに、自分の意識とは別の行動をするって言ったら……」
「影、ね?」
八雲が真剣な眼差しをこちらに向けた。
そう、コンクエスタンスがリアトリスや卯月に埋め込んだ影は、宿主の自由を奪って操ろうとしていた。キフネ病もその影の実験の一つなのかもしれない。
「しかし、影をつけるにしてもかなりの人数ですよね。どうやって取り憑けているんでしょうか」
「マリュージャの神子に憑けたみたいに後ろからサッと……ってのは大人数には厳しいか」
「一気にたくさんの人に憑ける方法かぁ。でもそんな大勢に憑けてたら絶対誰か気づくんじゃね?」
「うーん、誰にも気づかれないで影を埋め込む……難しいわね。やっぱり謎の病気なのかしら?」
俺達は皆考え込む。だがまだ答えが出るには情報が足りない。
「……あ」
その時、先ほど出会った神子の姿が脳裏に浮かんだ。
「さっきのキフネの神子……まさか、な?」
「! まさか神子までキフネ病にかかってんのか!?」
「た、確かに挙動不審だったけど……でも暗いって感じじゃ無かったし、そうじゃないと信じたいわね」
少女はかなりオドオドとしていたが、町の人と違って目が死んでいる訳では無かった様な気がする。だいぶ日が暮れて暗くなってきていたし、会ったのはほんの一瞬のことなので何とも言えないが。
「でももしコンクエスタンスが神子に影を憑けたのだとしたら、マリュージャの神子の様にすぐ殺さないのは何故なんでしょう?」
「そうなんだよな。カルヴィンはコンクエスタンスが神子信仰撲滅を図る組織だって言ってたからなあ。自暴自棄にさせてお告げができない様にして、神子信仰を崩壊させる……ってのはだいぶ回りくどいか?」
「竜の鉤爪と違って秘密裏に動く組織ですからね。その線もあるかもしれません」
「そいや、最近竜の鉤爪に会ってねーな。もう八雲のこと諦めたのか?」
ふと思い出した様にセファンが発言した。確かに、地下武闘会以来あの過激派盗賊団とは接触していない。俺と八雲に気づいたカルヴィンはその場で死んだから情報が回っていないのだろうか。しかしあの会場にはかなりの人数がいた。当然裏社会で幅を利かす竜の鉤爪のメンバーもいたであろうが、本当に誰も俺達に気がつかなかったのだろうか。それに受付で琴音の素性がバレたから、もしかしたら琴音の追っ手が来るかもしれないとも思っていたのだが。
「八雲の能力の貴重さを考えると、諦めるってことは無いと思うけどな」
「私達の足取りが全然掴めて無いのかしらね? まだランバートのアジト近くばっかり探してたりして」
「だったらだいぶ間抜けな奴らだな? あれから結構経ってるぜ?」
料理を食べながらお気楽な様子で話す八雲とセファン。
「さすがにそれは無いと思います。裏切者の私が地下武闘会に行ったことは恐らく知られているでしょうし、一緒に逃げた八雲も当然同行していると思われてるハズです。それにあの会場内には竜の鉤爪がいたでしょうから、誰かしら八雲に気づいていると思います」
「じゃあ何で俺達襲われてねーんだ?」
すると琴音は顎に手を当てて少し考え、そしてセファンを見た。
「リッキーの家がかなり見つかりにくい場所にあったので、私達の位置が分からなかったというのもあるかもしれませんが……それよりは、オルトがカルヴィンを倒したというのが大きいのではないでしょうか」
「ん、どーゆーこと?」
「カルヴィンは竜の鉤爪の五本の指に入る実力者の一人です。そして、ガルシオも。私の記憶では、カルヴィンが三番目、ガルシオが五番目の強さだったと思います。その上位ランクに入る二人を倒したオルトが八雲の護衛とあっては、なかなか彼らも手出しできないのでしょう。その辺のテキトーな団員を差し向けたところで返り討ちに遭うだけですからね」
「「あ、なるほど!」」
八雲とセファンがハモりつつ納得する。
「カルヴィンは三番目か……結構厄介な敵だったのに、あれより更に上がいるのか」
「私も幹部を実際に目にしたことがある訳ではないのですが、ナンバーワンは別格らしいです……あ」
「どうした琴音?」
「その……オルトの過去の話を聞いた時にもしかしたら、と思っていたのですが。オルトのお父さんを殺したっていう仮面の男ですけど、コンクエスタンスではなく竜の鉤爪の一員かもしれません」
「「「!!」」」
俺と八雲とセファンが目を見開く。
「じゃあエルトゥール一族を滅ぼすために、コンクエスタンスが竜の鉤爪を雇って襲わせたってことなの?」
「あくまで推論ですが。竜の鉤爪の名は創設者の武器が由来していると聞いたことがあります。オルトをあの日襲った仮面の男が手に付けていた武器は……」
「鉤爪……」
十年経った今でも、仮面から覗く冷たい目と鋭い鉤爪を付けたその人物の悍ましい姿はハッキリと覚えている。
「あいつが竜の鉤爪の創設者……」
「創設者であり、あの盗賊団のナンバーワンです」
「え、そいつがナンバーワンなの!? ……オルトよく無事に逃げ切れたな」
「あー……あの時は父さんとジゼルが助けてくれたし、それに全然無事に逃げ切れて無いよ。死にかけたからね」
「オルトって昔からしょっちゅう死にかけてるよな」
「悪かったな、俺だってこんな九死に一生体験何度もしたくないよ。セファンに分けてあげる」
「いらねえよ!!」
「ま、取り敢えずしばらくは竜の鉤爪の襲撃はなさそうって思っていいのかしらね?」
脱線した話を珍しく八雲が軌道修正した。
「恐らく雑魚連中がかかって来ることはないと思います。次来るとすればきっと、上位ランクの誰かでしょう。遠方のアジトから向かってきてるとしたら、もうすぐ遭遇するかもしれませんね」
「うえーマジかよ? ナンバーワン来ちゃったらどーしよう」
「ま、そうなったらセファンを囮に逃げましょう」
「やめて!?」
「セファン、私信じてるわ。セファンならきっと逃げ切ってくれるって」
「何その置いてく気満々!?」
「セファン、今までありがとう」
「うおおいオルトまで!?」
「さて、食べ終わったことだし宿に戻るか!」
「あっさり切られた!!」
セファンを皆でイジったところで切り上げ、俺達は店を出ようとする。すると、先ほどの店員が何かを持って来た。
「あの、もし良ければこれどうぞ。キフネで有名なお菓子なんですよ」
店員の掌には銀紙に包まれた一口サイズの何かが四つ乗っている。
「これなあに?」
「チョコレートです。ぜひこの町に来たのなら食べてください。私はアレルギーがあるので食べたことはありませんが、美味しいって評判なんですよ。町は今こんな感じで陰気臭くなっちゃってるので、そのお詫びです」
「お詫びって……別におねーさんが謝ることねえじゃん?」
「まぁ私のせいではないですけど、やっぱり旅の方にこの町を嫌って欲しくないので」
「じゃあ貰うわね。ありがとう、美味しく頂くわ」
八雲がチョコレートを四つ受け取り、そして店を出たところで俺達に配る。
「良い人だったわね、あのお姉さん」
「な! それに可愛かった! あ、変な意味じゃねーよ?」
「変な意味?」
「いや何でもねえ!」
セファンが赤くなって八雲から目をそらす。八雲は意味が分からずキョトンとしていた。
宿に向かって俺達は歩いていく。人通りはほぼ無くなっていた。そして少し歩いたところで俺以外は銀紙を開けてチョコレートを食べようとする。
「──待ってください!」
「わ、何だよ急に?」
「どうしたの琴音?」
琴音がチョコレートを口に付けようとした瞬間、食べるのを止めて叫んだ。八雲とセファンもチョコレートを口にする直前で止まる。
「……何か入ってます」
「──まさか毒か?」
「「えぇ!?」」
八雲とセファンが毒という単語に驚いてチョコレートを手放した。二つのチョコレートが足元に落ちる。そして、その臭いを嗅いだ葉月とサンダーが一言鳴いた。
「……え、さっきの変な臭いと同じなの? 葉月」
「サンダーもそう言ってるぜ。どういうことだ?」
宿ですれ違った男から漂う妙な臭いがこのチョコレートからもするらしい。
「これは、あの男をしっかり調べる必要ありそうだな」
「そうですね。中に入っているのが毒なのか何かはよく分かりませんが、普通じゃない物質というのは分かります。でもどっかでこの臭い、嗅いだことがある様な……」
「さっきのおねーさんはチョコレートに何か入ってるって気づいてねーのか? それとも俺達をどうにかしようとして渡したのか?」
「でも悪い人には見えなかったわよ?」
「どうだろうね。ただの良い人かもしれないし、実は演技で良い人ぶってるのかもしれない」
「戻って聞いてみる?」
「そうだね、もし知らずに色んな人に配っているならマズイ」
俺達は駆け足で店へと戻る。しかし店を出てからそこまで時間は経っていないのに、辿り着いた時には既に閉店していた。
「嘘ー!?」
「マジかよ!? おーい!!」
セファンが店に向かって戸を叩きながら叫んでみるが、反応は無い。
「また明日出直すしかないか」
「私が忍び込みましょうか?」
「いや、あの店員さんよりはさっきの男を調べる方が優先だな」
「あの男の方が明らかに怪しいもんな!」
「取り敢えずセファンには毒味してもらいましょうか。食べるとどんな影響があるのか知りたいので」
「毒味っておい、毒入ってるの分かってんじゃねーか!! それはもう毒味じゃなくて生贄だよ!!」
「大丈夫、私が治すわ! って言いたいところだけど、私解毒はできないの。だから頑張って耐えてね」
「断る!!」
仕方がないので俺達は宿へと戻ることにする。キフネ病、妙な臭いのする男、そして何かが入った名物チョコレート。この町で一体何が起きているのだろうか──。




