第85話 好きな人
エリックの家を出て少し歩くと、私の外出に気づいた葉月がすぐに追いかけてきた。最初は心配そうにこちらを見ていたが、私の表情を見て安堵したらしい。頭を擦り付けた後、私の散歩についてくる。
特に行き先は決めていない。ここ三日間エリックの世話になっているが、ずっとオルトの側にいたため周辺の散策はしていなかった。よって、探検してみたい場所は結構ある。エリックとエリザベートの話では、近くには綺麗な池や見晴らしのいい丘、少し歩くと滝もあるらしい。
「うーん、どこに行こうかな。でも護衛無しであんまり遠くには行けないしなぁ」
「私がついていきますので大丈夫ですよ」
「ひゃあ!?」
独り言のつもりで発言したのに、いきなり後ろから返答されてビックリした。振り向くとそこには琴音がいた。
「あ、驚かせてしまいましたか……すみません」
「ちょ、ちょっとビックリしたけど……でも大丈夫。じゃあお言葉に甘えて滝の方まで行ってみようかしら。琴音、道わかる?」
「はい。夜の間にだいたい周辺は見回ってますので」
「え、夜にそんなことしてたの?」
この辺りは郊外で人気はなく、夜になると真っ暗になる。その中を一人で見回りしていたというのか。
「日中はリッキーの手伝いとリッキーやエリちゃんが出かけた際の留守番がありますし、もし敵が襲撃してくるのなら夜に行動する可能性の方が高いですからね」
「なんだかんだで一日中働き詰めね……」
「これくらい全然大したことありませんよ。竜の鉤爪の仕事と色んな依頼を兼業していた時はこんなもんじゃなかったので」
「琴音って本当にハードな生活してるわよね。ところで、どうして私が散歩に出たって分かったの?」
「最初に気づいたのは葉月です。それで葉月と一緒にいたセファンも気づいたんですけど、セファンからついていくように頼まれました」
「セファンが?」
「はい。自分じゃ力不足なのと、あと今はちょっと話し辛いそうです」
「話し辛い?」
「……まぁ、八雲は気にしなくていいと思いますよ。セファンが勝手にモヤモヤしてるだけなので」
「え、モヤモヤ? 何で?」
「さ、八雲。滝まで行きましょうか」
琴音はそう言って私の肩を掴んで進行方向へ体を向けさせた。セファンがなぜ悩んでいるのか全く分からないのだが、琴音は答える気がないらしい。仕方なく私は琴音の示す方向へと歩き出す。
「もう、琴音までちゃんと答えてくれないなんて」
「私まで?」
「……オルトにもさっきはぐらかされたわ」
「……何をですか?」
「その、えっと……今でもリアトリスさんのこと好きなのかって聞いたわ。そしたら答えてくれなかった」
「……あぁ」
すると琴音は一瞬キョトンとし、そして少し寂しげな顔をした後笑った。
「琴音どうしたの?」
「オルトの鈍感さはかなりのものですが、八雲もそこそこ鈍感ですね」
「え?」
「全く、私とセファンの気も知らないで困った方々です」
「え、え?」
琴音の言う意味が全く理解できない。私とオルトが鈍感?
「この際ですからちゃんと確認しときますが……八雲はオルトのことが好きですね?」
「んなっ!!?」
いきなりストレートに聞いてきた琴音。思わず私は顔を赤らめる。
「まさか隠しているつもりでしたか?」
「あ、いやえっと……その、す、好きかも」
正直、屋敷の中で過ごすことがほとんどだった私に取ってこんな気持ちになるのは初めてで、この気持ちが『好き』というものなのかもよく分かっていない。だが、オルトと旅するうちにいつからか彼の存在がとても大きいものになっていて、ずっと一緒にいたいしもっとたくさんのことを知りたくなっていった。オルトといる時間がとても楽しくて、一緒にいれない時間が寂しかった。これがきっと、恋心というやつなのだろう。
「……それで、さっきオルトの話を聞いていたら切なくなって泣いてしまったと」
「えぇ!?」
「オルトがリアトリスさんのことをとても愛していたのが分かって、辛くなってしまったのではないですか?」
「うぅ……琴音すごいわね……」
「八雲が分かり易いんです。たぶんオルト以外は皆分かってますよ」
「嘘ぉ!? え、私の気持ちそんなバレバレなの!?」
「会ったばかりのリッキーですら気づいてます」
衝撃の事実。オルトが好きだなんて誰にも言ってなかったのに、完全にバレていたらしい。
「……っていうか琴音、なんか機嫌悪い?」
何となく琴音の口調がいつもよりキツイ気がする。すると、琴音は目を逸らした。
「……そんなことはないですよ」
「何その言い方!? 絶対なんかあるでしょ!」
「ありません。ほら、滝が見えてきましたよ」
「うぅーまた答えてくれない」
滝を指差す琴音の隣で私は肩を落とす。
「……八雲がその答えに辿り着いたら、ちゃんと話しますよ」
「本当ね? じゃあ頑張って考えるわ」
私達は滝壺に辿り着く。微細な冷たい蒸気が肌を撫で心地よい。私は靴を脱ぎ、浅瀬に足を入れた。冷んやりとして気持ちいい。葉月は勢いよく水の中に飛び込み、飛沫があがった。楽しそうだ。琴音は後ろで滝を眺めている。
「ねえ琴音、オルトはまだリアトリスさんのことが好きなのかしら?」
「それは、オルトが回答をはぐらかしたのが答えだと思いますけど」
「? どういうこと?」
琴音は複雑な表情をして頬を指でかいた。
「まぁ、もしまだリアトリスさんのことが好きであれば肯定するでしょう。過去に彼女を愛していたと自分で言っているのですから、隠す必要もないですし」
「じゃあ今はもうリアトリスさんへの気持ちは消えてるってこと?」
「完全には消えていないかもしれませんね。さっきの話し方の様子ですと」
「うーん、そっか。他に好きな人とかいたりするのかな」
リアトリスさんと死別してからは心を開く相手はいなかった様だから、恋人はいなさそうだが。いやオルトはモテるから、旅の途中で一人や二人誑かしてる可能性も……。
「……ふふっ」
「琴音どうしたの?」
「いえ、八雲は可愛いですね」
「え?」
「天然でピュアです。その純真さを捨てないでくださいね」
「え、うん?」
私が首を傾げると、手を口に当てて笑いながら琴音が近づいてきた。そして、琴音も足袋を脱いで浅瀬へ入る。
「冷たくて気持ちいいですね」
「でしょ?」
「八雲、先ほどの質問。他に好きな人がいるかどうかですが、どこか遠く離れた町に想い人がいるか、という意味では答えはノーだと思います。私が言えるのはここまでです」
何とも回りくどい言い方ではあるが、オルトには現在好きな人はいないだろう、ということか。
「そっか。じゃあ私、好きになってもらえる様に頑張らないとね」
「……」
琴音がまた困惑したような、しかししょうがないなぁと言いたげな顔をする。
「はい、頑張ってください」
「うん。ありがとね」
お互いに目を合わせ、そして微笑み合った。
私達は少しの間滝のそばで遊び、エリックの家へと引き返した。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
夕餉の時間。相変わらず美味しいエリックと琴音の料理の数々を堪能している途中、オルトがエリザベートへ話を切り出した。
「そいやエリちゃん、コンクエスタンスの情報を知ってるんだよね? 契約の対価、貰っていいかな」
「うん、そうだねー。ちゃんと過去のお話してくれたもんね? エリちゃんの持ってるコンクエスタンスの情報ってのは、奴らの実験場のことよ」
「実験場……」
カルヴィンやテオルの様なキメラの合成実験、そして人や神使を操る影の製造実験。悍ましいそれらの実験を行う施設のことか。
「いくつか実験場を所持してるらしいんだけど、その一つがアリオストにあるらしいのよー」
「「なっ!!」」
アリオストという単語に特に驚いたのはオルトとグランヴィルだ。
「首都ヴォルグランツから少し北に離れた場所にあるんだって。詳しい位置と実験内容については分からないわ。でも、ヴォルグランツ近くにあるっていうのだけは確かな情報よー」
「……リアにつけた影もそこで作られたのかもしれないな」
「あともう一つ。地下武闘会のオーナーがコンクエスタンスの関係者かもー。これはちょっと確証ないけど」
「! た、確かに受付の時にオーナーと竜の鉤爪には繋がりがあるって言ってたわね」
「……だとしたらマズイな。あの大会にコンクエスタンス関係者がいたら俺の正体に気づいてるかも」
オルトが食べるのを止めて考え込む。もしエルトゥールを滅ぼしたコンクエスタンスに属するメンバーに正体がバレれば、オルトは命を狙われる可能性がある。
「それなんだけど、僕さっき裏ルートで調べたけどオルトくんの情報出回ってなかったんだよね」
エリックが口を開いた。裏ルートなんてあるのか……さすがトレジャーハンター。
「もしコンクエスタンスに正体がバレて、奴らが本気でオルトくんを探そうとしてるなら裏で指名手配されそうなんだけど、そういうのは出てないっぽいんだ」
「運良くバレなかったか、そもそもコンクエスタンス関係者はあの場にいなかったか、それとも……」
「正体を知った上で追う気がないのか、あえて泳がされてるのかもねー」
オルトの言葉を引き継いでエリザベートが怖い内容を明るく言った。
「少なくとも俺はユニトリクでは指名手配されてるから全く追う気がないって訳じゃないと思うんだが……一番怖いのは最後のパターンだな」
「あえて泳がされてるってどういうこと?」
「何らかの理由でコンクエスタンスにはオルトくんの居場所を知る必要性が出てきて、それで宝剣を餌にオルトくんを釣った。生存確認と位置確認できたら、あとは──例えば実験に利用するためにタイミングをみて確保とか? ま、あくまでエリちゃんの憶測だけどねー」
「……なんか難しくて俺全然ついていけてねーけど、ヤベエっていうのは分かった」
「まぁ何にしろ、俺もこれからは八雲と同じで外出時は念のためローブ被った方がいいかもしれないな」
「ちなみにそのリアちゃんがオルトくんの瞳にかけた氣術って特殊な何かなの? エリちゃん自分で言うのもなんだけど結構凄腕の氣術使いだから、切れかけの術かけ直せるかもよー?」
「これはたぶん無理かな。リアは元々全属性の基礎氣術を使えるんだけど、この瞳にかけてるのはリアの特殊能力を光の氣術と混ぜたものなんだ」
「その特殊能力ってのはー?」
「リアの特殊氣術は、氣術自体を術者の後押し無しに継続させること。あとは、転移氣術」
「継続させる氣術?」
私はオルトに聞く。
「普通、氣術って術者が氣力を注ぐ間だけ発動してるよね? リアは、氣力を注ぎ続けなくてもしばらくは術を発動し続けることができるんだ。エリちゃんにその能力がなければ、エリちゃんが術をかけている間だけは焔瞳が隠れて、術をやめた途端元に戻ることになる」
「なるほどねー? 残念だけどエリちゃんにその特殊能力は無いなあー」
「オルト、もう術が切れそうなの?」
「いや、まだ大丈夫だけど完全に切れるのは時間の問題かな。かけ直してもらってから時間経ってるし」
「正体を隠したいのなら忍ルックはいかがですか?」
「うーん、遠慮しとくよ」
「残念です」
忍装束が二人揃って歩いていたら、それはそれで目立ちそうな気もする。
「えっと、じゃあ私達はこれからアリオストを目指す?」
「そうだね。どっちにしろユニトリクに行くにはアリオストを通らなきゃいけないし」
「アリオストってここから近けーのか?」
「うーん、マリュージャからは結構あるねー。国の反対側までクライナスを横断しなきゃいけないし、アリオストに入ってからもヴォルグランツまではそこそこ距離あるよー」
「マジかよ……不安が増えた上で長距離移動とか気が遠くなるぜ」
「まぁでも地下武闘会が崩壊した件はカジノ下の不発弾が爆発したってことで表では片付けられてるし、そこまで動きづらくはなってないんじゃないかなあー?」
「え、そうなのか?」
「僕が色々調べてきたけど、表沙汰にはなってないみたい。まぁ国としてもあんな違法な大会を黙認してたのを知られる訳にはいかないしね。だから、表でも裏でもオルトくんの情報は出回ってないからこれまで通り旅を続ければいいと思うよ」
「コンクエスタンスには特に警戒しながら、だな」
「あとは竜の鉤爪もですよ」
「うん、じゃあ気をつけながらアリオストを目指すってことで決まりね!」
アリオストの首都ヴォルグランツの近くにある実験場に行ってコンクエスタンスの秘密を探る。何か収穫があればいいのだが。
「ホント、色々大変そうだけど頑張ってねー?」
「あぁ」
「任せて!」
「仕方ねーなあ?」
「問題ありません」
今後の方針が決まり、私達四人はコンクエスタンスと戦う決意を改めた。




