番外編4 元気付けよう大作戦
この話は第五章の第六十話と六十一話の間のお話になります。
綺麗なエメラルドの湖。透明度が高く、水深は十メートル以上あるはずなのに底がしっかり見える。太陽の光をキラキラと反射する水面の奥には、群れをなす魚が泳ぐのが確認できた。その大きな湖の湖畔には葦が群生する草原が広がっており、そのところどころに広葉樹が生えている。ここはとある国の湖沼地帯。人の手が入っていない、自然豊かな動物達の楽園だ。
『……いたでござる』
拙者は今、湖畔に生える高木の一本にとまって枝葉に身を隠している。大きな翼、黄色い嘴、黒褐色の体に白い風切羽。この体を微動だにさせずに木と同化しているのは、草原を彷徨く兎を狩るためだ。若からも食い物は頂いているが、この大きな体を維持するには足りない。若の下でもっと働けば相応の報酬を貰えるのだろうが、生憎最近は仕事が少ないため貰える肉も以前より少なくなっている。その分自分の時間は増えているのだが。よって、今こうして空腹を満たすために拙者は狩をしているのだ。
褐色の毛皮を纏う兎はこちらに気づかず、草を食みながら近づいてくる。拙者は姿勢を低くし、息を殺しながら飛び出すタイミングを見計らう。そして──
『今だ!!』
力強く枝を蹴り、大きな翼を羽ばたかせて兎へ一直線に突っ込んだ。兎はこちらに気づき、すぐさま踵を返して走り出すがもう遅い。こちらの鋭い足の爪が兎の柔らかな首と腹に食い込み、動きを封じて地面に押さえつけた。
『うむ、上々』
自分の華麗な狩に満足して、いざ足元で暴れる兎を食しにかかる。これが至福の時間なのだ。ただ、周りへの警戒は怠ってはいけない。なにせ、食事の時間はとても無防備なのだから。
『では、頂くでござる』
大きな嘴を兎へと近づける。その柔らかい肉を啄もうとした、その時。
「風太丸!」
『──あ!?』
突然、体が浮遊感に包まれる。足が地を離れ、目の前の景色がグルグルと回り、今感じていた匂いも掻き消された。これは、契約者である若が拙者を呼び出す時の感覚だ。あぁ、何でよりによってこんなタイミングでの召喚なのだ。せっかく食事にありつけると思ったのに、本当に間が悪い。
『……何でしょうか、若』
視界が切り替わり、拙者は芝生の上に立っていた。どうやら人気の少ない丘の様な場所で、ログハウス風の家が一軒建っている。その家から少しだけ離れたところに拙者は召喚され、その目の前には我が主人である若、琴音様と八雲殿と葉月殿とサンダー殿がいた。
「あれ……何か不機嫌そうですね。呼び出しちゃマズかったですか?」
『いや、構いません。何の御用でしょうか?』
足元に兎はいない。正直かなり不満はあるが、若もわざとやった訳ではないから仕方ない。ここは大人の対応をしよう。
「私ではなくて、葉月とサンダーが風太丸に用件があるそうです」
『ほう?』
葉月殿とサンダー殿が目を輝かせてこちらを見ている。一体何の用だろうか。
『八雲、琴音に頼んでくれてありがとう! あとはボク達でお話するから、家にいていいよ!』
「八雲、葉月は何て言ってるんです?」
「んー、風太丸を召喚してくれてありがとうっていうのと、家に戻っててって感じかな」
『そう、さすが八雲大正解!』
『八雲凄いなあ? まぁオレとセファンの意思疎通率には敵わないけどね』
「じゃあ私達は戻ってるね? 皆あんまり遠くに行っちゃダメよ」
『『はーい』』
若と八雲殿が家へと歩いて行く。葉月殿とサンダー殿はそれを見送った後、こちらを向いた。
『……それで、拙者に用とは何でござるか?』
『えーと、実はね……』
葉月殿とサンダー殿は互いに目を見合わせ、そして改めて拙者を見る。
『八雲と琴音を元気にしたいんだ。それに協力してもらえないかな?』
『元気に……とはどういうことでござるか?』
『オルトがね、大怪我してなかなか目を覚まさないの。八雲すっごく心配そうにしてて、元気がないんだ。琴音もそう』
『二人共オルトのこと好きだからね』
『ぬぬぬ?』
待て待て、聞き捨てならぬぞ。若がオルト殿を好きだと?
『あれれ、風太丸知らなかったのー?』
『葉月もオレが言うまで気づいてなかったでしょうが。まぁ確かに琴音はあんまり感情出さないけど、ちょいちょい隠しきれてないよ』
『む、無論拙者も知っているでござる』
得意顔のサンダー殿。主人の気持ちを見抜けていなかったことと、それを別の者から知らされることは非常に悔しいが、いやしかしそれも拙者の不行き届きの故。それにサンダー殿達は拙者と違って常に若と一緒にいるからこれも仕方あるまい。ここも取り乱したりせず、大人の対応だ。
『で、お主らはどうやって若達を元気付けようと? 今の話ではオルト殿が起きないとどうにもならない気がするでござるが』
『それをねー、一緒に考えて欲しいの』
『風太丸はどうやったら琴音が喜ぶと思う?』
『うむ……拙者の背に乗っている時は楽しそうでござる』
『じゃあ八雲と琴音を背中に乗せて、風太丸が色んなとこ飛ぶとか?』
『生憎拙者は一人乗りでござるよ』
『なら順番で乗ってもらうのは?』
『若はともかく、八雲殿は高い場所は平気でござるか? あとは感動的な絶景ポイントでもないと気が紛れないと思うでござる』
『うーん、じゃあ他には何かある?』
葉月殿が首を傾げながら聞いてくる。
『若は可愛いもの好きでござるな』
『可愛いものー?』
『お、なら葉月が可愛い兎とかに変身すれば良いんじゃない?』
『それは推奨できないでござる』
『『何で?』』
『拙者、今小動物を見たら本能のままに狩ってしまうかもしれませぬ』
『きゃー!』
『怖いよ!』
葉月殿とサンダー殿が拙者と少し距離を取った。今の話は半分冗談、半分本心だ。何せ拙者は今、空腹のため。
『まぁそれと、小動物に変身しても効果は薄いと思うでござるよ。葉月殿達は何か他の方法は試してござらんのか?』
『ボクはオルトに変身して八雲に抱きついてみたよ! そしたら八雲すっごくビックリして、でもちょっと嬉しそうだった。でもすぐお顔真っ赤にして、ふざけてそういうことしちゃダメって怒られちゃった』
『……お主、なかなかやりおるな』
『風太丸、何か良い案ないかな? オルトが起きるのを待つっていうの以外で』
サンダー殿が困った顔で聞いてきた。
『ふむ。セファン殿に相談してみるのはどうでござるか? 拙者より、人間の方がそういった励まし方は詳しいと思うでござるよ』
『うーん、それなんだけどね。実はセファンも落ち込んでるんだよ。八雲と琴音程じゃないんだけど……色々思うことあるみたいでさ。だから声かけてなかったんだけど……よし、ちょっと聞いてみようか』
そう言ってサンダー殿は家の方へ駆けて行った。葉月殿が尻尾を振りながらそれを見送る。それにしても、まさか呼び出された理由が若と八雲殿の鬱屈とは。そして理由がオルト殿への恋心が根底にあるからだったとは。
『拙者もまだまだ未熟でござるな』
『どうしたの?』
『いや、何でもないでござる』
『おーい、連れてきたよ!』
「あれ、風太丸もいんじゃん。動物メンバーが揃ってどうしたんだよ?」
サンダー殿がセファン殿を連れてやってきた。セファン殿はサンダー殿に促されて拙者達の前に座る。
『セファン、ちょっと相談があってね。オレ達、八雲と琴音を元気付けたいんだけどその方法が思い浮かばなくて困ってるんだ』
「八雲と琴音を元気づける?」
『うん、今オルトがなかなか起きなくて二人共元気ないでしょ? まぁ……セファンにしたら複雑かもだけど』
「あー、その通りすっげえ複雑だ……ってあれ? 琴音も?」
『あれ、セファンも気づいてないんだ。琴音もオルトが好きなんだよ』
「マジかよ!!? 何でサンダーそんなこと知ってんだ!?」
『何でって……見てれば何となく』
「うおぉ、何か分かんないけど精神的ダメージ来たよ! オルトめえ、四人グループ中の二人を拐かすとは!! てか俺全然相手にされてない感じすっげえ寂しい切ない!!」
『まぁまぁ。セファンはまだ子供だし仕方ないんじゃない? これから頑張れば挽回できるよきっと』
「本当かよ……。何か気持ちが更に沈んだぜ」
セファン殿がうなだれる。サンダー殿が優しく彼の頬を舐めた。
『セファンはどうして落ち込んでるの? 好きな八雲がオルトにつきっきりでヤキモチやいてるの?』
葉月殿が質問する。容赦無い。しかしセファン殿に葉月殿の言葉は通じないらしく、サンダー殿がオブラートに包みながら翻訳? して聞かせていた。
「まぁそれもあるけど、俺だってオルトに色々と思うことあってな」
『え、まさかセファン!? ごめん、オレ気づかなかったよ。セファンにそういう気が』
「違えよサンダー!! 俺が好きなのは女の子で八雲!!」
『あはは、ごめんごめん。で?』
「オルトの奴、前に氣術全く使えないって言ってたのに、地下武闘会で何か凄え術ばんばん使ってた。目の色も変になってたし。それで一人で無茶してボロボロになっちまって。たぶん、オルトは何か理由があって嘘ついてるんだ。それで、何か一人で背負い込んでるんじゃないかな。一緒に旅してる仲間なのに……俺オルトのこと全然分かってなかったんだなって思ってさ」
『セファン……』
「ま、だからオルトが起きたらちゃんと嘘とか一切無しで話してもらう! で、一人で背負い過ぎんなって言ってやるよ! ……タイミングがあれば」
『せっかくカッコよかったのに、最後勿体無いなあ』
セファン殿が立ち上がり、そしてガッツポーズをした。良い少年だ。心が優しい。
「あー、で。二人を元気付ける方法だけどさ……」
『お、何か名案でもあるの?』
「名案かどうかはわかんねーけど、女の子喜ばすならこれかなって」
セファン殿が人差し指を立てながら言った。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
『お、重いでござる……』
「頑張れ風太丸、高度落ちてるぞ!?」
『ふぁいとー!』
『頑張れー!』
『葉月殿は飛んでくださらぬか!?』
『ごめん、ボクまだ飛べないんだ。だから歌って応援するね!』
『いやそれは気が散るから遠慮するでござる。あと動かないで頂きたい』
『風太丸大丈夫? 墜落したらシャレにならないよ』
『そもそも拙者は一人乗りだと言ったでござるよ! 何気にセファン殿とサンダー殿が結構重いのと、葉月殿が落ち着きなく動くからバランスが取りづらいでござる!』
『え、そうなの? ごめんね?』
『しかしこれも若の頼みの一環! だから絶対墜落なんて失態はしないでござる!』
『さすが従者の鏡だね!』
『かっこいい!』
「何か楽しそうだなお前ら?」
横から差す夕日が眼下に広がる景色をオレンジ色に照らしている。セファン殿、葉月殿、サンダー殿を背に乗せて、拙者は若達の元へと飛び戻っていく。前方に若達が滞在している家が見えてきた。飛翔スピードを上げ、そこ目指して一気に進んでいく。
『あっ一本落ちちゃった!』
『ぬ!?』
葉月殿が声をあげた。拙者は振り向き、そして取りこぼした一本を足で掴む。
『わ、ありがと風太丸! すごい!』
『そいや風太丸って獣魔じゃないんだよね? でもそれにしては普通のオオワシより体が大きいし頑丈じゃない?』
『拙者の祖父は獣魔でござる。だから、獣魔の血も入っているから普通種よりゴツくなっているのでござるよ。まぁ、拙者は氣術は全く使えないから獣魔という分類には入らないでござるが』
『『へぇー』』
そう言っている間に、家の前まで着いた。ゆっくりと着地し、セファン殿達を降ろす。
「おかえり!」
「おかえりなさい」
拙者達の到着に気がついたのか、若と八雲殿が出てきた。しかし皆彼女らの方に駆け寄ろうとせず、セファンの脇を固める感じで立っている。
「……? どうしたの皆?」
若と八雲殿が不思議そうな表情をして近づいてくる。拙者達はまだ動かず、彼女達を待っていた。そして、ふたりがすぐ目の前に来た時、
「八雲、琴音、いつもありがとな!!」
そう言って、セファンが花束を二つ差し出した。そう、拙者らが二人を元気付けるために出した答えは、花を贈ることだった。ピンクや黄色、白等様々な色と大きさの可愛らしい花を蔓で纏めた花束だ。一人と二匹を乗せてこの辺り一帯を飛び回り、いくつかの花畑に寄って花を摘んできたのであった。
「せ、セファン!? これって……」
「わ……綺麗、ですね」
目を丸くして驚く二人。そして、笑顔が溢れ出た。花束を受け取り香りを嗅ぐ。
「ありがとう、セファン。でも急にどうしたの?」
「べ、別に何でもねえよ。日頃の感謝ってやつ?」
「……ありがとうございます、セファン。それに風太丸と葉月とサンダーも」
『えへへ、どういたしまして!』
『どうってことないよ』
『喜んで頂けて何よりです』
八雲殿が葉月殿、サンダー殿、そして拙者の順に頭を撫でてくれた。若もそれに続く。そして拙者の頭近くに顔を寄せ、小声で囁いた。
「私達が暗い顔してるから元気づけてくれたんですよね? ありがとうございます」
『若……』
「お腹空いてますよね? 私が呼び出したせいで獲物を逃しちゃったみたいですし。今日はたくさんお肉を差し上げます」
『! 分かっておいででしたか』
「ふふ、契約者ですからね」
若が微笑みながら顔を離す。するとその時。
「ぎゃあ!?」
「どうしたのセファン!?」
何とも情けない悲鳴があがって、皆そちらを見る。セファン殿が手足をバタつかせていた。
「な、何かいる!! 首の後ろ!!」
「え? ……あ、うなじに毛虫がいるわ」
「取って!!」
『セファン、女の子に毛虫取らせるとか情けないなぁ』
「うるせえ! じゃあサンダー取ってくれよ……ってわあぁ!?」
セファン殿が暴れる振動で毛虫がうなじから離れ、そして服の中に入った。不憫。
「ぎゃああ気持ち悪い! 何か痛い、チクチクする!! 助けてー!」
「えっと、どうしよう……琴音、何とかできる?」
「そのままで良いんじゃないですか?」
「うおぉ冷てえな!? いや元通りになって何よりだよ!!」
「仕方ありませんね」
若がセファン殿の元へ歩き、そして彼の片足を掴んで引っ張り上げた。セファン殿が逆さ宙吊りになる。
「よいしょ」
若がセファン殿を振ると、毛虫が服の中から出てきた。
「はい、完了です」
「あ、ありがとよ……」
せっかく花束を渡して良い感じになったのを、見事に締まりのない結果に塗り替えるセファン殿。流石だ。
『うん、二人共元気になって良かった! セファンもサンダーも風太丸もありがとね!』
『いや、むしろ拙者も礼を言いたい。若を元気づけてくれてありがとうでござる』
『オルト、早く起きるといいな』
『そうだね! オルトならきっと大丈夫だよ! すっごく強いし丈夫だもん!』
こうして、平和に日暮れを迎える。拙者はようやく食事にありつくことができたのだった。