番外編3 黒猫ミーアの冒険
ここはアリオストの首都、ヴォルグランツ。アタシはこの町の外れにある森で暮らしているのだけれど、今日は退屈しのぎにちょっと町まで出てきてみた。ママには止められたんだけどね。ママって言っても本当のママじゃない。覚えてないんだけど、アタシが生まれてすぐ親に捨てられちゃったところを今のママに拾われたんだって。でもアタシにとってのママは今のママ。ママはあんまり町に来たがらないわ。何でなのかは分からないけど、いつも町に行こうとすると止められる。でも今日は振り切って来ちゃった。だって、何があるのか気になるじゃない。
『うわぁー!』
凄い! 人間がいっぱいだ。色んな色の服を着けた人間達が沢山歩いてる。色んな匂いもする。
『あ、鳥がいる』
目の前に、小太りの鳥が歩いてた。ハトかな? 森に住んでるハト達とはちょっと色が違う気がするけど。
『うふふ、ちょっとビックリさせちゃおー』
ハトの後ろから静かに近づいてみる。ハトは全然気づいてなくて、呑気に地面に落ちてる黄色の粒をつついてる。
『せーの……わっ!!』
『わあぁ!!』
ハトのすぐ後ろで大声を出してみた。ハトはとってもビックリして、羽をバタバタさせて飛んでっちゃった。驚きすぎて、こっちのことなんて一回も振り向かなかった。
ハトを見送って満足してると、美味しそうな匂いが漂ってくる。
『お腹……空いたかも』
匂いを嗅いでいたら何か食べたくなっちゃった。クルクル周りを見回すと、すぐ近くにあったお店のガラスに自分が映っているのが見えた。
『あれ、結構ボサボサね』
ガラスに映ったのは黒い毛並みに可愛い四本の足、金色の目を持つ子猫。アタシだ。予想以上に毛並みが乱れていたのでちょっと毛づくろいして直してみる。
『うん、バッチリね!』
黒くてツヤツヤの毛を綺麗に整えて、満足。さて、どこにいこうかな。
『あ、あれ美味しそう』
目線を上げると、黄色くていい匂いのする何かを手に持っている人間がいた。女の人で、横にいる別の女の人とお話してる。あれ、欲しいな。また静かに、気づかれないように近づいてみる。
『えい』
「きゃ!?」
隙だらけだったからジャンプして盗ってみた。簡単にゲットできちゃったよ。アタシは黄色いそれを咥えてさっさと走って逃げていく。後ろから女の人の叫び声とガッカリした声が聞こえてきたけど気にしない。どんどん離れて人の少ないところまで来た。
『んー美味しいっ』
フワフワの外身の中に、甘いドロっとしたやつが入ってる。人間は毎日こんなの食べてるのかぁ。良いなぁ。ママへのお土産にしようかな。言うこと聞かずに町に来ちゃったから怒ってるかもしれないし。それに、ママには感謝しなきゃいけないこといっぱいあるし。
「何だこの猫」
『ひゃあ!?』
美味しいもの食べて幸せーってなってたのに、後ろ首をいきなり掴まれた。アタシの足が地面から離れる。なになに、何なの?
「うわ、口にクリーム付いてるぞ、きったねー」
「ははっビビってるぞこの黒猫!」
「人様の物に手を出すなんていいごみぶんだなこいつー!」
目の前に、三人の人間の男の子がいた。一人がアタシの首をつまんでる。やだ、捕まっちゃったのアタシ? 黄色いあれに夢中で気づかなかった。どうしよう、逃げなきゃ!
『離して!』
「あー何か鳴いてるぞこいつ」
「そんな可愛く鳴いたって無駄だぜ?」
「悪い子にはお仕置きしないといけないもんなぁ」
この人たち、凄く嫌な顔してる。何か悪いこと考えてる。嫌だ、早く逃げないと殺されちゃう。助けてママ!!
「取り敢えずこれで縛っちまおう」
「へぇ、よくそんなロープ持ってたな」
「オレのじゃねえよ。そこの家からコッソリ借りた」
『やめて、離して!!』
こっちの声は全く通じてないみたいで、男の子はアタシの首に縄を巻きつけた。引っ張ってみても噛んでみても全然外れない。あぁ……アタシどうなっちゃうんだろう。死んじゃうのかな。ママの言うことを聞かなかったせいなのかな。ごめんなさい、ママ。謝るから……だからお願いだから助けて。
『嫌だ、嫌だよ! ママ助けて!』
アタシは叫ぶけど、全然効果はない。男の子は木の棒を持ってきて、それでアタシを突きだした。痛いよ、やめてよ!
「おらおら、もっと鳴けよ」
「ははん、足掻いたって無駄だぜ」
「おっと、逃げられねえよ?」
ママがアタシを止めたのは、人間がこんな怖い生き物だからだったんだ。だから町に行かないでって言ってたんだ。ママはアタシを守るために言ってくれたのに、それに気づかないなんてアタシはなんて馬鹿なの。これはきっと、その罰なんだわ。でもこんなところで死にたくない。お願いママ、これからはちゃんと言うこと聞くから、だから助けて!
「……何だよ?」
「ジロジロ見んな」
「何かオレらに文句でもあんの?」
急に、男の子の突っつきが止まった。どうしたんだろう。願いが通じたのかな?
こわごわ見上げると、男の子達は三人共同じ方向を向いてた。アタシとは別の方向。その男の子達が向いてるところに、また違う男の子が立ってた。
「その子離してあげてくれないかな?」
男の子が笑顔で喋った。アタシを虐める三人より背はちょっと小さくて、金髪に綺麗な青い瞳。アタシからしたら人間は皆だいたい同じ様な顔に見えるんだけど、その男の子は違った。明らかに美しいわ。あと、何かふんいきが他の人間と違う。何て言えばいいのか分かんない。しっかりした感じ? キリッとした感じ?
というかこの男の子は……アタシを助けようとしてくれているのかな?
「ざけんな。誰に向かって物言ってんだてめぇ」
「はい離します、って言って話すわけねーだろ」
「お前誰だよ? チビのくせにオレらに口出しするとかいい度胸してんじゃねえか」
悪い男の子達が金髪の男の子を睨んでる。どうしよう、どうなっちゃうのかな。アタシは助かるのかな。
金髪の男の子が手を合わせてアタシを離してってお願いしたけど、悪い男の子は全然聞かない。
『きゃあ!』
怒った悪い男の子に急に縄を引っ張られた。いきなり首を絞められた感じになって、ちょっとの間だけ苦しくて痛かった。悪い男の子達はプンプン怒ってて、金髪の男の子に怒鳴ってる。今度は金髪の男の子に木の棒を向けた。あぁ、金髪の男の子が危ない。この子は悪い子達よりも小さい。きっと負けちゃう。──そう思った時、
「子猫を離せ」
金髪の子がアタシについた縄を持ってる子の腕を握った。その動きが凄く素早くて、アタシ驚いて目を丸くしちゃった。金髪の子はさっきまでの笑顔から真面目な顔になってて、何かとっても迫力ある。そうか、この男の子は強いんだ。掴まれた男の子も凄くビックリしてる。
そしたら、隣の悪い子が金髪の子を叩こうとした。
「うおらああぁ!!」
「痛ってえええ!!」
またまたビックリなことが起きた。叩こうとした男の子を、また新しく出てきた男の子が叩いた。黒い髪の毛に、目つきが怖い男の子。
『な、何が起きてるんだろ……』
金髪の男の子を守ったってことは、黒髪の男の子は仲間なのかな? でも金髪の子と黒髪の子、何か言い合ってる。仲間じゃ無いのかな……?
『きゃあ!!』
目の前の光景をぼーっと見ていたら、急に縄を引かれた。苦しい、痛い。悪い男の子はアタシを引きずりながらどんどん金髪の子達から離れてく。
「ちっ! いきなり訳わかんねえ奴らが出てきやがった! 取り敢えず逃げるが勝ちだ!」
『ちょ、ま、待ってよ! 止まって!! 誰か助けてー!』
なんとか足を踏ん張ってみるけど、男の子の力には敵わない。爪を立ててみるけど全然意味無い。体だけは倒れない様に頑張ってるけど、それで精一杯。
『く、苦しいし痛いよぉ。お願いだから離して!』
叫んでみるけど、男の子はアタシの方なんて見向きもしない。ただひたすらどこかを目指して進んでる。
しばらく引きずられていくと、目の前に川が現れた。男の子は立ち止まる。
「おい、飛ぶぞ!」
『えぇ!?』
川の中からちょこちょこ出てる石。それを指差して男の子は言った。と、飛ぶって……あそこまで飛ぶってこと? どうしよう、飛べるかな……。水、怖いな……。
「せーのっ」
『わあぁ!』
悩んでるアタシのことなんて全然考えないで、男の子が飛んだ。掴んでいた縄で引っ張られて、アタシも川の上に飛び出しちゃった。あわわわ! 無理矢理飛ばされてバランス崩したけど、何とか男の子が降りた石の隣の石に着地できた。
「ほら、まだだぞ! あっちまで行くぞ!」
『や、やめて! 怖いよ!』
男の子がまた縄を引っ張って飛ぼうとするけど、アタシも踏ん張って動かないようにする。足場が悪いから男の子も上手く引っ張れないみたい。男の子がだんだん怒った顔になってきた。
「あーもうグズグズすんなよ! 追いつかれるじゃねえか!!」
男の子がプンプン怒ってる。一生懸命縄を引っ張ってるけど、アタシも頑張って引っ張り返す。すると、男の子が縄を投げ出した。
「あぁもう!! お前なんか知るか!!」
男の子は諦めたみたい。アタシを置いて、一人で川を渡って走って行っちゃった。ぽつん、とアタシだけ川の真ん中に取り残されたわ。……どうしよう。水が怖いし、ジャンプして岸まで行ける自信なんて無い。
『だ、誰か助けてよぉ』
やっぱり町に来ちゃダメなんだ。人間って怖い生き物なんだ。凄く怖くて寂しくて、もう泣きそう。このまま森に帰れなかったらどうしよう。ママにもう会えないなんて嫌だよ。
「もう大丈夫だよ!」
とっても暗い気持ちになった時、さっきの金髪の男の子が川岸に現れた。悪い男の子を追いかけてきたんだ。……でも、この子だって人間だ。助けるフリをしてアタシを虐めるかもしれない。
金髪の子が近づいてくる。怖い。逃げなきゃ、って思って後ろ足を下げた時、そこに地面が無かった。
『ひゃあ!?』
アタシの体は石の上から川の中に吸い込まれちゃった。水が冷たい! 息ができない! 怖い! 必死にもがいて頭を水の上に出す。ようやく息ができた。
『あわわ、流されてる! ママ助けてー!』
アタシ、どんどん流されてる。冷たい冷たい水の中を浮かんだり沈んだりして流されてる。泳げないし、浮き上がるたびに景色が変わっててもう訳分かんない。音もよく聞こえない。今度こそ、死んじゃうかも……そう思った時、急に体が持ち上げられた。
『あ、れ?』
アタシの体を水の上に出してくれたのは、金髪の男の子だった。優しい目でこっちを見てる。助けてくれたの? 人間だけど、アタシを虐めるんじゃなくて助けてくれるの?
金髪の子が後ろを振り向くと、そっちの方からさっきの黒髪の男の子も泳いできてた。こんな冷たい川の中を泳いで助けようとしてくれるなんて、実はこの子達は良い人なのかな?
それで黒髪の子が追いついて金髪の子と何か話してたら、二人が急に沈んじゃった。金髪の子が持ち上げてくれてたおかげで、アタシだけ沈んでない。
『わ、だ、大丈夫!?』
すぐに二人共川から顔を出した。良かった、大丈夫そう。金髪の子も黒髪の子も頑張って泳ごうとしてるけど、進んでない。それで、なんか二人共焦り出した。
『どうしたの? まさか、川から出られないの?』
アタシは心配になって声をかけるけど、答えてはくれない。そして、金髪の子は溜息をついた。
『……?』
急に、金髪の子のふんいきがまた変わった。するとすぐに、アタシ達の周りに冷たい氷が出てきた。パキパキって音を立てながら、川が凍ってく。それまで速いスピードで流されてたのに、ピタッと止まった。
『え、何これ? いきなり凍っちゃった』
何かよく分かんないけど、これって助かったってことなのかな? 金髪の男の子がアタシを抱えて氷の上に立ち上がった。それにしても、とっても寒い。川の水も冷たかったけど、氷はもっと冷たい。足がブルブル震えるよお。
「ちょっと待ってね、今暖かくしてあげるから」
川から出たところで金髪の子がアタシを下ろしてくれて、それであったかい風をかけてくれた。あぁ、落ち着く。凍え死ななくて良かった。この子凄いな、色んなことできるんだな。金髪の子のお陰で体が温まって、震えもなくなっちゃった。
『ありがとう』
お礼を言うと、金髪の子はニッコリした。通じたのかな。アタシの頭を撫でてくれる。
「無事で良かった。さぁ、お行き」
『うん!』
アタシは金髪の子に頭をすり寄せて、それで振り返って走った。大好きなママのいる、森の方に。言うこと聞かなかったの、ちゃんと謝らなきゃ。それで、良い人間もいるんだよって教えてあげなきゃ。
すると、ちょっと走ったところの草むらにママがいた。あれ? 町には来ないんじゃなかったっけ?
『ママ!』
『無事で良かったわ、ミーア』
『どうしてここにいるの?』
『あなたが助けを呼ぶ声が聞こえたからよ。心配して急いで来たの。でも、大丈夫だったみたいね』
綺麗な金色の毛が全身に生えてるママ。四本の足も細くて長くて美しい。そんなママは首を下ろしてアタシを舐めてくれる。
『うん、優しい人間が助けてくれたの! ママは人間が嫌い? 確かに悪い人間もいたけど、良い人間もいたよ!』
『ふふ、見てたわ。私は人間が嫌いって訳じゃないのよ。ただ、私が町に行くと人間が怖がっちゃうの。……でもいつか、あの人にお礼をしなきゃね』
『アタシもまたあの金髪の男の子、会いたいな』
『いつか、ね。でもミーア、また一人で町に行ったりしちゃダメよ?』
『はぁい、ごめんなさい』
ママと一緒にアタシは森に向かう。今日の町の冒険は怖かったけど、でも面白かったし楽しかったし、優しい人間に会えて良かった。振り向くと、金髪の男の子達が女の人達と歩いて行くのが遠くに見えた。男の子達の後ろに見える夕日はとっても綺麗で眩しくて、その夕日で照らされたママの九本の尻尾もとっても綺麗に輝いていた。




