第66話 暗躍する影
暗い街の中を、俺は一人で歩いていく。誰かに見られない様、細心の注意を払いながらだ。
「あぁ、約束の時間にちょっと遅れちゃうな」
思ったよりも屋敷を出るのに時間がかかってしまった。やはり警戒の仕方がどんどん手強くなっている。
俺は急いで、かつ静かに街を駆け抜けて行った。酔っ払い達が歩いている可能性がある大通りは避け、人通りの少ない細い道を選んで進む。何匹か猫を見かけた。
しかしそれには構わず街の外れを目指して走っていく。
そもそも、どうして俺がこうして夜道を1人で走っているかというと、それは数時間前に遡る──。
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ジゼルに連れられて公園からそれぞれの屋敷に戻る途中。帰りはマリィとビアンカがジゼルを挟んで手を繋ぎ、俺達男どもは後ろからついて歩いていた。兄さんはマリィの隣を歩いている。
「……なぁ、あの図書館もう一回コッソリ行かね?」
「うん、行きたい。探検途中で出てきちゃったもんね」
俺とレオンがジゼル達に聞こえない様ヒソヒソ話をする。図書館とは昨日行った廃墟のことだ。
「でも昨日抜け出したばっかりだから、俺かなり警戒されてるんだよね。また抜け出さない様にさらにガード堅くされちゃった」
「あーそれ俺も。どんどん監視強くなってるぜ」
ちょいちょい屋敷を勝手に抜け出すたびに、母さんや使用人達が対策を講じてくるのだ。俺はあの手この手を使ってそれを毎回出し抜いて出てきているのだが、当然のごとく脱出の難易度がだんだん上がってきている。特に抜け出した直後の一週間の監視の強さはハンパない。
「やっぱそうだよね。もうちょっと監視が落ち着いてからチャレンジしてみる?」
「うーんでも俺明後日からさらに授業増やされて忙しくなりそうなんだよなぁ。もういつ神使が出てきてもおかしくないからさ」
最近没した前神使が最後のお告げで、一年以内に新しい神使が出現すると言ったらしい。よって、ローウェンス家の神子候補になるレオンは神子に選ばれるために急ピッチでたくさんのことを学ばなければならない。
「そっか。レオンはローウェンス家の期待の星、ってやつだもんね。レオンのお父さん厳しそうだし大変だなぁ」
レオンはよくローウェンス家当主である父親と一緒に俺達の屋敷に来たりするのだが、レオン父はとても厳格な人という印象がある。顔はレオンとそっくりで(というかレオンが父親似)、中身はクールで生真面目で怖い感じだ。
「ユウ何で他人事みたいなんだ? エルトゥールの神子候補はまだ決まってないんだろ? ユウがなるかもしれないじゃんか」
「いやいや兄さんでしょ」
「そうか? 俺からしたらユウの方が強いし氣力も多いから神子候補になりそうに見えるぞ?」
「うーんどうかなぁ。王様やるんだったら兄さんの方が向いてると思うけど。頭良いし」
「ユウだって結構できるじゃんか」
「そう?」
これは結構色んな人に言われる。兄さんよりも俺の方が神子候補として相応しいんじゃないかと。
でも正直、俺は神子になるのにはあまり興味が無いと言うか……どちらかといえば兵士として戦いたいのだ。だから勉強より武術の稽古に力を入れている。
そんな俺とは対照的に、兄さんは真剣に神子になるために毎日勉強しているし、神子になりたいとも思っている。だから周りから俺が神子候補で良いのでは、と言われると兄さんにとても引け目を感じるというか申し訳ないというか……複雑な心境になる。
しかし兄さんはそんな周りの胸中に気づいても、俺のことを恨めしく思ったり妬んだりすることも無かった。むしろ優しく兄として接してくれ、更には俺にも神子候補としての努力を勧めてくるくらいだ。
その器の大きさこそまさに王に相応しいと俺は思う。
「まぁ、でもやっぱ兄さんには敵わないよ」
「何か言ったか?」
「あ、いや何でも無いよ」
会話が聞こえたらしく兄さんは振り返った。適当に誤魔化す。
「……まぁいいや。だからさ、俺は今日か明日にもう一回図書館行きたいんだよな」
レオンが声をさらに小さくして言った。
「んー、それだと出るの難しいかもなぁ……あ!」
「どした?」
俺は抜け出し対策を回避できそうな一つの案を思いつく。
「今日の夜、とかどう? 皆が寝た後」
今まで夜に屋敷を出たことなど無い。それは当然危険が伴うことでもあるし、暗すぎで遊ぶのに適さないということもある。それに次の日の朝も勉強や稽古のために早起きしなければならない。
ただ、それを差し引いてもなるべく早くあの図書館にもう一度行きたかった。
「あー……なるほど。それなら行けるかもしれないな」
「ハインツは?」
隣で俺達のヒソヒソ話を聞いているハインツに話しかけた。
「えぇ!? 僕は……やめとくよ」
「何でだ? お化けが怖いのか」
「いや、お化けが怖いのもあるけど……お父さんにまた叱られるの嫌だし……」
そう言ってハインツは自分を抱きしめる。何だか怯えたような表情をした。抜け出したことでよっぽど酷い叱られ方をしたのだろうか。
ハインツもバルストリア家の当主である父親と俺達の屋敷によく来るが、彼の父親はおっとりしていて優しそうな感じだ。
エルトゥール家当主であり現国王である俺の父さんは飄々とした性格で、堅物であるレオンのお父さんとよく口論になっている。それを宥めるのがハインツのお父さんだ。
一見三人は性格もバラバラで相容れない様に見えるが、よく集まってお酒を飲み楽しそうに話しているのを見かけるので何だかんだで仲は良いらしい。その仲を取り持っているのがおそらくハインツのお父さんであり、あの人がハインツをそんなに厳しく怒る様な人には見えなかった。
「大丈夫ハインツ? 何かあったの?」
「いや、何でも無いよ……」
ハインツは俯き、そして少し震えている様に見えた。そして急にブルブルと頭を左右に振ったかと思えば、顔を上げて俺達に笑顔を向けてきた。
「ごめん、僕は行けないや。だから行くならユウとレオンで行ってきて。でも二人も夜は危ないしやめといた方がいいと思うんだけど……」
「んーそうか? ま、じゃあ俺とユウで行ってくるよ」
「本当にハインツ大丈夫? 何か変だよ?」
「本当に大丈夫。何でも無いから」
あくまで笑顔で話すハインツ。腫れていた腕といい、この取り繕い方といい、何か隠している感がかなり醸し出されているのだが話してくれそうにない。俺は仕方なく引き下がる。
「じゃあユウ、今日の夜中日付けが変わる時間に図書館前に集合な!」
「オッケー」
こうして俺達は夜中の廃墟探検計画を立て、それぞれの屋敷に帰った。
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──そして今に至る。俺は屋敷の『ユウ脱出対策』を掻い潜り例の図書館へ向かった。
街の外れまで辿り着き、あと少しで図書館に着く……そう思った時、図書館の中から明かりが漏れているのに気がついた。
「……あれ、誰かいる? レオンか?」
廃墟に正面からどんどん近づいていく。すると窓の奥に、ランタンを囲むガラの悪い男達がいるのが見えた。窓から見えるだけでも五人はいる。
「!? 何だあいつら? どうしてこんなところで……」
すると、男の一人がこちらに視線を向けた。慌てて俺はその場に伏せて静止する。
少しジッとした後目線を上げると、こちらを見た男は建物内に再び目線を戻していた。
「ふえー、危なかった」
立ち上がり、姿勢を低くしながら見つからない様建物に近づいた。そして、昨日の昼間に一度隠れた物陰に入る。
するとそこにはレオンがいた。
「あ、レオン!」
「ユウ、遅かったじゃねえか」
「ごめんごめん、屋敷を出るのに手間取っちゃって。あいつら何なの?」
「分かんねえ。俺が来た時にはもういて何か話し合ったんだよ」
「何かガラの悪い人達だね。どうする?」
「これじゃ探検はできねえなぁ。でも今日しかたぶん屋敷出てこれねえし、あいつらが何なのかも気にならねえ?」
「まあね。でも流石に危なくない?」
「ちょっと盗み聞きするくらいなら大丈夫だろ」
レオンは物陰から出て、建物の外壁伝いに窓へ近づいていく。俺もそれに続いた。
そして窓のそばで聞き耳をたてると、男達の会話が聞こえてきた。
「──奴さん、まだ来ねえのか」
「日付け跨いで少ししたらって言ってたらしいけどなあ? まさかブッチか?」
「もしそうだとしたら舐められたもんだぜ」
「いやいや、この国の今後に関わることらしいぜ? そう簡単に約束破らねえだろ。そうっスよねキェルさん?」
「……せやな」
俺とレオンは顔を見合わせた。会話からして、ユニトリクのこれからに関わる相談をこの廃墟でするらしい。
しかしこんな時間にこんなところでする密談とは一体どんな内容なのだろうか。あまり良い予感はしない。
「なぁ、やっぱ帰ろうか。流石にヤバい気がしてきた」
レオンも何となく良くない雰囲気を感じ取ったのか、撤退を提案してきた。
「そうだね。でもあとちょっとだけ聞かせて」
彼らはユニトリクの今後に関わること、と言った。もしかしたら王である父さんに何かしようとしているのかもしれない。そんなのは嫌だ。しかしもしそうであれば、できるだけ情報を手に入れて早く父さんに伝えなければ。
そう思い、もっと話を聞きやすい位置に移動しようと足を出した。するとその時、足下で枝が割れる音が鳴った。
「──!!」
しまった。
下を見ると、細い枝が俺の足に踏まれて二つに割れていた。大失敗だ。
俺とレオンは青ざめる。
「何だ?」
男達が音に気づいた。そして窓の方まで近づいてくる。俺達は咄嗟に物陰に隠れた。
頭にターバンを巻いた男が窓から顔を出す。
「……気のせいか?」
ターバン男は辺りを見回し、不審なものがないかを探した。そして俺達に気づかず建物の中に顔を戻す。
「……あっぶねぇ!」
「ごめんレオン」
冷や汗が一気に流れた。心臓がドキドキしている。危なかった。
絶体絶命の危機を回避した──そう思った時、
「キェルさん!?」
建物のドアが勢いよく開かれた。その音に俺達は肩をビクッとさせ、そして次に背筋が凍る。
「どうしたんスか?」
「……ネズミが迷い込んでんなぁ」
キェルと呼ばれた男が建物から出て周囲を見る。そして、俺達の隠れる方を見た。俺とレオンは息を止め、そして体を強張らせる。鼓動が速くなる。どうか見つかりませんように、そう心の中で呟く。
しかしそんな呟きも虚しく、キェルはこちらへと歩みを進めてきた。一歩ずつ、ゆっくりと近づいてくる。だんだん足音が大きくなり、キェルの顔がハッキリと見えてくる。
──このままここにいてはダメだ。
「逃げろ!!」
俺がそう叫んだ瞬間、レオンと共に物陰から出て街の方へダッシュする。俺もレオンも全速力だ。
「……ネズミじゃなくて兎やったか」
後ろでそう言うキェルの声が聞こえた。するとその瞬間、目の前が真っ暗になった。
「なっ!?」
走りながら周りを見回すが、何も見えない。漆黒の闇が広がり、何の音も聞こえず、踏みしめているはずの地面の感覚も無かった。思わず俺は足を止めた。
「何だよこれ……レオン!?」
レオンの姿も見えない。一体何が起こったのだ。
状況が全く分からず、底知れぬ恐怖がこみあげてきた。
「おい……マジかよ……」
冷や汗が流れる。必死に視線を巡らせるが、そこにはただ真っ暗な闇があるばかりだった。
──するとその時、
「っ!!」
何かに後頭部をぶたれた。頭に鈍痛が走り、そして俺は意識を手放した。