第60話 焔瞳の暴走
何が起きたのか分からなかった。白い大蛇に締め上げられ、そして電流を流されて気が遠くなりかけたところで突然解放された。
リング上に落ちた衝撃で体が痛い。電流のせいで手足は麻痺している。顔を上げると、蛇が炎に包まれており悶え苦しんでいた。白い大蛇だけでなく他の蛇も、さらにカルヴィンも燃えている。
そして、先ほどまで瀕死の状態で倒れていたはずのオルトが立っていた。
「う……オルト……?」
痺れる腕で何とか体を起こす。
「……大丈夫か、八雲?」
「え、えぇ」
オルトの目が紅い。剣には炎が灯り、オルト自身からも熱風が出ている。……明らかに様子がおかしい。
腹や両足の傷は氷で止血しているが、受けたダメージ量と出血量を考えたらまともに立ってなんていられないはずだ。それなのにオルトは痛がる様子もなく平然と立っている。
そして何より、今まで見たことのない怖い表情をしていた。目つきは鋭く、不敵な笑みを浮かべながらも怒りの感情が溢れ出ている。
「オルト、どうしちゃったの!? 大丈夫!?」
「……」
オルトからの返事はない。オルトは何も言わずにカルヴィンの方を見た。
カルヴィンと大蛇は炎を消してオルトを睨んでいた。かなり酷い火傷を負っている。
「逆鱗に触れてしまいましたか」
「燃えて無くなれ」
オルトが剣先をカルヴィンに向けた。その瞬間、カルヴィンが発火し、それが燃え広がって大蛇も燃える。
「ぐぅ! そう何度も同じ手を食らうか!!」
白い蛇の口から水流が発射されカルヴィン達を鎮火する。カルヴィンはボロボロになった燕尾服の上着とシルクハットを脱ぎ捨てた。そして、大蛇と共にオルトに突撃する。
「お前らエルトゥールの特技は触れた物質に氣術を宿せること! 私の服を発火させたのだろうが、もうその手は使えん! そしてここにはお前の武器になるものは何も無い!!」
「だから何だ?」
オルトは全くその場を動かず、周辺に巨大な氷柱を十本ほど出現させた。
「使えるのはその特技だけじゃねえよ」
氷柱がカルヴィン目掛けて飛ぶ。カルヴィンは氷柱をすべて斬り崩した。
「確かに、そうですね! もう十年も前のことでしたのでエルトゥールの戦闘能力を忘れかけていましたよ!」
五匹の大蛇がオルトに飛びかかる。そのうち一匹は毒液を吐き、もう一匹は電撃波を発射した。オルトは目の前に氷の壁を出現させて、それら攻撃を全て防ぐ。氷の壁の向こう側で蛇達がぶつかる音がした。
しかし役目を終えて壁が消えた先、そこにはカルヴィンの姿が無かった。
「え!? どこに行ったの!?」
「……光の氣術で消えたか」
カルヴィンは氣術で姿を隠したらしい。オルトが周囲に注意を払う。
「なるほど、景色の淀みすら生まない様にコントロールしてるのか。そんな芸当いつまで持つかな?」
オルトが剣を下ろし、周りを見回した。私も見回すと、騒然となっている観客の皆が見えた。
シャーロットはクリストファーを抱えて困惑した顔でこちらを見ている。セファンと琴音は慌ててこちらの方へ向かってきていた。エリザベートは箒を出して仁王立ちしており、隣ではグランヴィルが剣を抜いて立っている。
「まぁでも、そんなの待ったりしないさ」
オルトがそう言うと、急に熱風が吹いた。砕けたリングの瓦礫が大量に舞い上がり、闘技場内を勢いよく飛び交う。
高速で飛ぶ大きな瓦礫が客席のバリアにぶつかり、ヒビが入った。いくつも激突してバリアにどんどん亀裂が入っていく。
「うおぉ! これヤバくねえか!?」
「ちょ、危ねえ! 何してくれてんだあいつ!!」
「これ逃げた方が良くねえか!?」
観客達が危険を感じ慌てて出口の方へ向かう。一気に人が移動し始めて出口付近がごった返す。セファン達は人の波に揉まれて身動きが取れなくなっていた。
一方私の周りだけは瓦礫が避けられていた。オルトが操作しているのだろう。
すると、何も無いはずの場所で舞う瓦礫が砕かれ、弾かれているのが見えた。
「そこか」
オルトがそちらに目を向けると、それまで自由に飛び交っていた瓦礫がそれぞれ発火しそこへ一点集中して向かった。すると、カルヴィンの姿が出現しその周りに岩の壁が生える。すごい勢いで瓦礫と壁がぶつかり合い、煙が上がった。
全ての瓦礫が砕けると同時に、壁も崩れる。その瞬間、崩れ落ちる隙間からレーザービームがオルトに向けて発射された。
「!」
オルトが避けるが、腕にかすった。そして避けたところを狙って大蛇が噛みつきにかかる。三匹同時だ。
オルトはそれを炎の剣で迎え撃つ。群青色を真っ二つにし、二匹も返り討ちにしようとした時足がフラついた。一匹は躱したが、もう一匹に腕を噛まれる。
「オルト!!」
私が叫んだ瞬間、噛み付いた蛇が燃えた。腕を離して蛇がのたうち回る。
オルトは膝をついた。しかし、噛まれ肉が抉れた部分を凍らせると何事も無かったかの様に立ち上がる。
「オルト、もう止めて!」
オルトの体はとうに限界を超えているはずだ。それなのに怒りに任せて無理矢理戦っている。
このままでは死んでしまう。
「お二人とも、もう止めてください!! これ以上は……!」
シャーロットもクリストファーを介抱しながら悲痛な声で叫ぶ。しかしオルト達は全く聞き入れようとしない。カルヴィンは再び姿を消す。
「……あぁ、面倒くさいな」
オルトがそう言うと、周辺に地割れが起きた。オルトを中心に放射線状に地割れが入り、それは観客席の方まで伸びる。
全てのバリアが粉砕され、受付嬢が顔面蒼白になって倒れた。バリアは彼女の氣術だったらしい。さらに地割れは伸びて観客席を破壊し、壁つたいに天井まで亀裂を入れた。
「うわああぁ! 逃げろぉ!!」
「どけよ! 俺が先だ!!」
「うるせえ、邪魔だぁ!!」
観客席はパニックに陥っている。出口周辺に人が殺到して大混乱になった。天井の破片が次々と落ちてくる。
オルトは更に強い熱風を発生させ、場内は熱気に包まれた。そして風の氣術を使って落ちていた景品の宝剣を舞い上げ、自分の手元に飛ばす。
オルトが自分の剣をしまい飛んできた宝剣を握ると、埋め込まれていた宝石が光った。
「全部ぶっ壊してやるよ」
次の瞬間、宝剣が発火しそこから三匹の炎の竜が現れた。オルトが宝剣を振ると、竜がそれぞれ場内を縦横無尽に暴れ回る。
さらにリングの瓦礫は炎を纏って飛び交い、観客席がところどころ発火していく。竜からも炎が場内至る所に燃え移り、地下会場は火の海と化した。
「ああぁーー!」
「助けてくれえーー!」
壁と天井の亀裂が広がり、崩壊しつつある会場。飛び交う大量の炎の瓦礫。燃える観客席とリング。暴れ回る三匹の炎の竜。まだ逃げられていない人々の悲鳴。まさに地獄絵図だった。
「オルト、お願いだからもう止めて……!」
オルトは完全に我を失っている。瀕死の体で、全てを破壊することしか考えていない。
「見つけた」
三匹の竜が急に方向転換して、一点に向かった。するとカルヴィンが姿を現し、岩の壁を出現させる。
竜達はその壁ごとカルヴィンを呑む。
「あああああぁあぁ!!!」
カルヴィンの悲鳴が響き渡る。岩は溶け、カルヴィンと大蛇は猛火に焼かれていた。
苦しむカルヴィンに向かってオルトが風を利用し疾風のごとく駆ける。それにカルヴィンは気づき、焼かれながらも大蛇がオルトへ迫る。
「エルトゥールめえぇ!!」
凄まじいカルヴィンの気迫に、離れている私までたじろぐ。しかしオルトはスピードを落とすことは無い。
そして蛇の牙がオルトへ届く、そう思った時。
舞っていた鋭い瓦礫が大量に大蛇達へ刺さった。四匹全てが串刺しになる。
「くそおおぉ!!」
カルヴィンの剣がオルトを狙う。そして、二人が接触した。
「オルト!」
オルトの宝剣がカルヴィンの胸を貫いた。対してカルヴィンの剣はオルトの首元をかすっている。
しかしその直後、カルヴィンの体から強力な電流が流れた。接触しているオルトは感電している。しかし、表情一つ変えない。
「……しぶとい」
オルトは刺さった宝剣に力を入れ、カルヴィンの体を下まで斬り裂いた。すると電流が消え、カルヴィンと大蛇は焼かれながら倒れる。
カルヴィンが動かないことを確認したオルトは、宝剣を抜いて一歩下がる。そして宝剣についた血を振り払った。
「……」
オルトは黙ったまま立っている。私は急いでそちらへ駆け寄ろうとした。
しかしオルトはその紅く染まった焔瞳を見開き、再び竜を暴れ回らせる。
「!? どうしたの!? もうカルヴィンは動かないわよ!! もう止めて!」
「……全て壊す」
オルトが狂気の目をして笑った。完全に目がイってしまっている。
見たことのないオルトのその表情に、寒気が走った。
「八雲、大丈夫か!?」
「ひぇーー、なんか大変なことになっちゃったわねー!?」
セファン達がようやくリングまで辿り着いた。瓦礫と炎を必死に避けながら走ってくる。
「み、皆危ないわ! 早くこっちへ!」
立ち上がり、周りに結界を張る。
「八雲、怪我は大丈夫ですか?」
「わ、私は大丈夫。それよりオルトが……!」
「一体何がどーなってんだ!? 氣術使えないって言ってたオルトが何であんなことになってんだ!?」
「まーまー。取り敢えず今はその辺の説明よりオルトくんを何とか止めてここから出ないとだよーー?」
「今のあいつには迂闊に近づけんぞ。歩く間に焼かれるか、瓦礫で撲殺か刺殺されるかもな」
皆、困惑した表情でオルトを見る。歪に笑いながら暴走を続けるオルト。早くなんとかしなければ、オルトも私達も皆死んでしまう。
「……私が行くわ!」
「えぇ!?」
「八雲、危険です!」
「大丈夫、私だけは炎も瓦礫も当たらないようにしてくれてるみたいだから」
「でもどーやって止めるのぉ?」
「頑張って説得する!」
「ホントに大丈夫かよ……」
「考えてる暇なんて無いわ! 皆は結界の中で待ってて」
私はそう言い残し、オルトの方へ駆け出した。
全速力で走る。やはり炎や瓦礫は当たらない。
「オルト、聞いて!! もう戦いは終わったのよ!」
走りながら叫ぶ私の声を全く聞かず、破壊行為を続けるオルト。地響きが鳴り、場内が振動し始める。崩れるのは時間の問題だ。
揺れて非常に走りにくいが、それでも一目散にオルトを目指す。
「お願い、あなたの体はもうボロボロなのよ!? そのままでは死んでしまうわ! だから止めてちょうだい!!」
観客達はほぼ避難できた様だ。残りは私達と、受付嬢とクリストファーを介抱しているシャーロットだけだ。オルトのいる位置まで、あと少し。
……その時、シャーロットが恨めし気な顔でオルトを見た。
「この……化物め……!!」
すると、オルトがシャーロットの方を向いた。
不気味に笑い、宝剣を振り上げる。一匹の竜が宝剣に纏わり付いた。
それを見てシャーロットが青ざめる。私も血の気が引いた。
そして、オルトは宝剣を振り下ろそうとした。私は力強く足を踏み切る。
「ダメっ!!!」
振り下ろされる前に、私はオルトに後ろから抱きついた。
「……!」
オルトの動きが止まる。
「……や、くも……?」
オルトはゆっくりと振り向き、焔瞳で私を見た。
「お願い、もうやめて……!」
抱きつく腕に、さらに力を入れる。オルトが動きを止めたまま、少しの間沈黙が流れる。
すると、オルトの目から生気が消えた。
「……がはっ!」
「きゃ!!」
オルトは血を吐き、私の方へ倒れ込んだ。慌ててオルトを支えながらゆっくり座る。
それと同時に炎の竜は消滅し、飛び交っていた瓦礫も氣力を失って一気に落ちた。
「オルト、大丈夫!?」
オルトは気絶している。冷たい。体じゅう至る所から出血しており、虫の息だ。
「今治してあげるから! お願いだから死なないで!!」
すぐに最大出力で治癒能力をかける。もうこうなってはエリザベート達に見られようが構わない。オルトの命が最優先だ。
「やったな八雲! オルトは!?」
「大丈夫ですか!? 取り敢えずここを脱出しましょう!」
暴走が収まった様子を見て、セファン達が駆け寄ってくる。
しかしエリザベートだけは箒に乗ってシャーロットの方へ向かった。
「怪我はかなり酷いわ……もうとっくに死んでてもおかしくなかったのに、あんな無茶して……!!」
涙が出てくる。治癒能力をかけているにも拘らず、オルトの容態がなかなか良くならない。どんどん生気が抜けていく。最悪の事態が頭をよぎった。
「ダメよ、お願いだから……生きて……!!」
オルトをしっかりと抱きしめ、治癒能力をかける。体は未だ冷たく、生命力が感じられない。
でも、絶対に諦めない。
「おい、オルト!! しっかりしろよ!!」
「そうですよ! オルトはこんなとこで死ぬ人間ではありません!!」
「……死ぬことなど許さん」
「キュ! キュ!!」
「ワンワン!!」
周りの皆が励ます。オルトを抱く腕にさらに力を入れた。
闘技場の崩壊が進み、揺れが激しくなる。
「マズイです、このままでは……!!」
「ど、どーする!? 一旦切り上げて脱出するか!?」
「でも、今治療を止めたらオルトが……!!」
抱いたオルトに治癒能力をかけ続ける。もう手遅れなのだろうか。そんなのは嫌だ。絶対に嫌だ。
絶対に……オルトを助ける!
そして頬を伝った涙がオルトの顔に当たった時──オルトの胸で何かが光った。
「……?」
光の出ているあたりを探ってみる。すると、小さな巾着袋が出てきた。白い光が出ている。
「……あ、それエイリンさんから貰ったお守りだ」
「え?」
セファンが巾着袋を指差して言う。
すると、エリザベートがこちらに戻ってきた。何かをやり切った様な表情をしている。シャーロットの方を見ると、彼女は倒れていた。
「オルトくん大丈夫そーう? ってそれ何?」
「あ、えっと……」
次の瞬間、光る巾着袋から突然淡い水色の、そして大きな竜が出てきた。
「……え、えぇ!?」
「なんだこりゃあぁ!?」
「!? り、竜が……出てきました……」
「おほーー!? また何か凄いの出てきたわねーー!?」
「……」
オルトの上で浮遊する竜がこちらを見た。
「……我が主の命により、そなた達を護らせて頂きます」
そう言い、竜が涙をこぼした。その雫がオルトに当たる。
すると、オルトに生気が戻ってきた。表情が和らぎ、少しだけ体が温かくなった様に感じる。
怪我が癒えた訳ではないが、一命は取り留めた様だ。
「! あぁ、オルトが……! 良かった」
「え? え? 何が起こってんだ!? どーなってんだおい!?」
「……セファン、ちょっと静かにしましょうか」
私は竜の方に顔を向ける。
「ありがとうございます!」
「……では、ここを出ます」
その時、天井が崩れた。壁も一気に崩壊し、地下空間が潰れていく。
それと同時に竜は私達全員を大きな水の透明な膜の様なもので包んだ。竜は私達の入ったそれを握って崩れる天井目掛けて上昇する。
「ひゃ、ぶ、ぶつかる!?」
竜の鼻が天井に着く瞬間、水流が目の前に発生して天井を押しのけた。そのまま上昇していき、天井を越えた先のカジノを抜け、さらに上昇してカジノ天井を突き破って建物を脱出した。