第48話 魔女〜邂逅〜
自分のことをエリちゃんと言ったその女性は、見た目からすると二十歳前後だろうか。瞳は灰色で、ショートカットの赤髪の上に紫色の鍔の広い三角帽子をかぶっている。大きな胸の谷間を見せつける肩の出た白いキャミソールは丈が短く、綺麗なへそが見えていた。短いタイトスカートの下からは艶めかしい脚が伸びており、背中にはマントを羽織っている。その全身から発せられる色っぽい雰囲気で、きっとこれまで様々な男を誘惑してきたであろう。
「ほらほら、逃げるんなら今のうちだよーー? 見逃しといてあげるからさ!」
女性は獣魔達にしっしと手を振る。しかし獣魔達は逃げるどころか、仲間を吹き飛ばされた怒りでさらにボルテージが上がっている様子だ。飛びかかるタイミングをうかがって喉を唸らせている。
「だ、大丈夫かしらあの人……!?」
「氣術を放った人みたいだね。ならたぶん大丈夫だと思うけど」
全く逃げようとしない獣魔達を見て女性はうーん、と言いながら首を傾げ腕を組む。
「じゃーあしょーがない。グラン、やっちゃってーー!」
「あぁ」
女性と共に出てきた男性は返事をして長剣を抜いた。銀髪のロングヘアーをなびかせ、深緑の鋭い目で獣魔達を睨みつけながら颯爽と歩く。黒を基調とした騎士を思わせる服装には繊細な装飾が施されており、どこの国かの騎士であればおそらくかなり上の階級持ちであろう。年齢は二十代後半に見えるが、その低く落ち着いた声と、獣魔を前にしても堂々としたその所作から貫禄を感じる。
「──散れ」
言葉を発した直後、グランと呼ばれた男性が獣魔達に向かって走り込み、そして長剣を振りながら一気に駆け抜ける。刹那、あまりの速さに獣魔達は動けなかった。走り抜け、そして足を止めた男性が長剣を鞘に戻した瞬間──残りの獣魔が一斉に血を吐き倒れた。
「わわ、何が起きたんだ!?」
「一瞬で獣魔全員斬りつけたね」
「なかなかの早技ですね……」
「ふ、二人とも今の見えたの!? 私にはただ走ったようにしか見えなかったわ……」
獣魔の死骸が目の前に広がる。その光景を見て、御者や他の乗客が歓声をあげるのが聞こえた。
「ふっふーーん! 見たか、グランの実力!」
女性が腰に手を当て、満足げに叫んだ。しばし称賛の声と拍手を堪能する。
そして一息ついて振り返り、俺達を見た。
「えっと? あなた達馬車には乗ってなかったわよね? 馬車を狙う山賊……には見えないけど、どちら様かしらー?」
頰に人差し指を当て、首を傾げながら聞いてきた。
「あ……俺はオルト・アルクインです。旅をしてまして、たまたま馬車が襲われてるのを発見して走ってきたんですけど……助けは必要なかったみたいですね」
「あら、そなの? わざわざ来てくれてありがと。出番潰しちゃってごめんね? 私はエリザベート・バルザック。エリちゃんって呼んでね!」
そう言いながら、エリザベートは笑顔でウインクした。
「私は神郡八雲です。あの、さっきの風の氣術はあなたが?」
「そ、エリちゃんがやったよー。なかなかやるでしょ?」
「凄かったぜ! ビックリした! あ、俺はセファンね。よろしく!」
「……私は琴音です」
「うんうん、オルトくんに八雲姫にファンファン、琴ちゃんね!」
「ひ、姫……?」
「ファンファンって……」
いきなりニックネームを付けられて戸惑う八雲とセファン。
「彼はグラン。グランも強かったでしょー?」
「俺はグランヴィル・モーズレイだ」
エリザベートの後ろからグランヴィルがこちらへ歩きながら喋った。
「うん、凄かったな! 何が起きたのか分かんなかったぜ!」
「さっき旅をしてるって言ってたけど、どこまで行くつもりなのかな?」
「ユニトリクです」
「へぇ、結構遠いけど歩いて行くの? 良かったら一緒に乗ってく? 御者さんに聞かなきゃだけど、席空いてるしこの馬車国境まで行く予定だよ?」
「いえ、俺達は大丈夫です。ありがとうございます」
「そう? 何か変わった面子だし訳ありっぽいわねー。まぁ頑張って! じゃあねーー」
そう言ってエリザベートはくるりと身を翻し、馬車の方へスタスタと歩いて行く。グランヴィルはこちらに一礼して、エリザベートの後から馬車に乗り込んだ。
二人が乗り込むとすぐに再び馬車の中で歓声があがり、エリザベートが嬉々として話す声が聞こえる。そしてすぐに、御者が馬に指示して馬車が動き出した。馬車内の興奮した声が俺達からどんどん離れて行く。俺達はそれを立ち止まったまま見つめていた。
「……なんか、変わった人だったわね。あの人の空気に呑まれちゃった感じがしたわ」
「そうですね。ただ実力者なのは間違いないでしょう」
馬車がカーブを曲がり、見えなくなったところで八雲と琴音がようやく声を出した。
「……オルト、不覚にも俺ドキドキしちゃったよ」
「うん、俺も目のやり場にちょっと困った」
エリザベートの起伏に富んだボディライン、小悪魔的な仕草、そして美人というよりは可愛らしい顔に、男なら誰もが一度は目を引かれるだろう。もちろん、エリザベートに対して特別な感情を抱いた訳ではないし、側にいる八雲だって琴音だって彼女に劣らず綺麗な顔をしている。
「オーールーートーーぉ!?」
「え、ちょ、何で俺だけ!?」
八雲が物凄い形相で睨みつけてきた。
「オルトさん……」
「え、琴音まで!?」
「あはははーー!」
「おい、セファンも同罪だからな!?」
こうして、林道に一人の少女の怒鳴り声が響き渡った。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
「おっしゃあぁ、ついたーー!」
エリザベート達と接触してから少し歩くと、ようやくモルゴの国境についた。ちょうど日が暮れる。
「ふぅ、なんとか日暮れまでに間に合ったね」
「良かったー! 今日はベッドで寝られるのね!」
国境の検問所を中心に、小さな宿場町が広がっている。
「今日はここで休んで、明日の朝出発ですか?」
「そうだね。取り敢えず船のチケットを手配してから宿を探そうか」
モルゴの国境、検問所を抜けた先にはトゥーイラ海峡が広がる。そこを船に乗って進んだ先に隣国のクライナスがあるのだ。さすがに自力で海峡を渡ることはできないため、今回は船を利用することにした。
「うわー、俺船乗るのとか初めてだよ!」
「私もよ! 楽しみだなぁ」
「酔わないように気をつけてくださいね」
「え、船酔いとかいうやつ? 大丈夫かしら……」
俺が窓口でチケットを買う後ろで、他愛のない会話が繰り広げられている。
「はい、四人分買ったよ。葉月とサンダーは無料。明日の朝一の便だ」
「ありがとう、オルト。じゃあ宿を探しましょう。もう疲れちゃった」
「そうだね。早く休もうか」
八雲は気怠そうに首を回す。
俺達は宿を取り、買い出しを終えてその日は早めに就寝した。
翌日早朝。
いつも通り宿の隣の空きスペースでトレーニングしていると、セファンが起きてやってきた。
「あれ、もう起きて大丈夫? 寝れた?」
「うん、まぁまぁかな。それよりトレーニングするなら起こしてくれよな」
「ごめんごめん。さすがに今日は疲れてるかなって思ったから」
「てかオルトはホント元気だよなぁ……無限体力だな」
竜の鉤爪のアジトを潰した後から、セファンに武術の稽古をつけている。毎日早朝に起きて、俺が自分のトレーニングをする間セファンも筋トレを行い、お互いひと段落ついたら稽古の開始だ。
武器は使わず、最初は基本的な構え方や受身の仕方、攻撃に対する身のこなし方から始まり、続いて攻撃の際の踏み込み方などを教えている。
「ぐえっ!」
「うん、動きはだいぶ良くなってきたよ。でもまだ踏み込みが甘いかな」
攻撃に失敗したセファンが俺のカウンターを食らって仰向けに倒れた。もちろん怪我をしないよう加減はしてある。
「くっそーー! もう一回!」
「精が出ますね。私も混ぜてもらえませんか?」
琴音が汗を拭きながら歩いてきた。琴音も早朝はいつもトレーニングをしている。俺達とは別でだが。
恐らく一区切りついたのでこちらに来たのだろう。
「もちろん」
琴音が加わり稽古を再開する。皆武器は持たず、素手での戦いだ。
「じゃあ、二対一でいいよ」
「マジか! あ、でも俺の実力じゃ頭数に入らねえか……」
「手加減しませんからね?」
「いいよ。かかっておいで」
琴音とセファンが同時に攻撃を仕掛けてくる。それをいなし、躱し、セファンにカウンターを食らわす。琴音には避けられた。
基本、こちらからは仕掛けず二人の動作に合わせて動く。
俺は全く攻撃を受け付けず、琴音はある程度は躱し、セファンはほとんどの反撃を食らう、という状態で稽古が続いていた時、
「みんなおはよー! 朝から元気ね、朝食食べましょ!」
声を聞いて俺達は手を止める。宿の方を見ると、入口で八雲が手を振って叫んでいた。葉月とサンダーも一緒だ。
「よし、今日はここまでにしようか」
いてて、と声をあげながらセファンが立ち上がる。琴音は汗と体についた砂を払った。
そして稽古を切り上げ、俺達は宿に戻った。
朝食を摂った後すぐに荷物をまとめ、検問所に行く。検問所を抜けた先が船着場だ。
難なく検問所を抜け、朝一で出発する船に乗った。白く、そこそこ大きなフェリーだ。
「わぁーー! 船だぁ! 揺れるわね!」
「ひゃっほーーい!」
船に乗ってはしゃぐ八雲とセファン。他の乗客の目線が気になる……が、優しい人達なのか、それとも八雲達が子供だから仕方ないと思われているのか、微笑ましく見守られた。
「……風が気持ちいいですね」
「そうだね」
隣にいる琴音がデッキの手摺にもたれかかり、髪をかきあげながら言う。視線は朝日を反射して煌めく水面に向けられていた。俺もそちらを見やる。
この海峡を越え、その先の国境を越えてさらにもっともっと進んだ先に、俺の故郷がある。今、ユニトリクはどうなっているだろうか。
──そんな思いにふけった時、背後に妙な気配を感じた。
「おーーるーとくんっ!!」
「おわっ!?」
後ろから、柔らかい感触に抱きつかれたのだった。