第3話 卯月〜best friend 〜
カツカツカツ──
足速に階段を登る音が響き渡る。
神子一族の屋敷の裏には高台がある。頂上には木々が生い茂っているが、その周りはゴツゴツとした岩肌が見えており、かつ急斜面のため普通に登る事はできない。唯一、その頂上までたどり着くための廊下が神子一族の屋敷最奥から伸びている。人一人しか通れないくらいの狭い階段がてっぺんまでずっと続いており、今私はその階段をせっせと登っているのだ。
人一人しか通れないのだが、それは一人しか通る人間がいないからだ。この廊下は神使のいる高台へと続く道。神子に就任して初めて神使に会う時以外は、原則神子以外は神使と接触してはならない。何か緊急事態があれば別だが。
よってこの階段を登るのは神子である私一人だけとなるので、こんな狭い仕様になっているらしい。
『この里で最近何か妙なことはありませんでしたか?』
先程のオルトさんの言葉が頭の中をグルグルと渦巻いている。
『神使の様子で変わったことはありませんか?』
──確かに、最近様子がおかしい。元気が無い様に見える。
「首と尾に飾りを付けた、体が白くて大きな羽のある一角竜を見たことはありませんか?」
────まさか、ね。
神使が神子以外の人間の前に現れる事など、絶対にない。絶対に。……だが、オルトさんの言っていた竜の特徴は私の神使の特徴とよく似ている。
神子信仰のある場所ばかりで起きている異変、元気のない神使、そしてオルトさんの見た竜。しかも、ひどく衰弱していたと言っていた。嫌な予感が走り、胸がざわつく。
──いやそんなまさか、ね。確かに昨日の神使も元気が無さそうではあったけれど、そこまで酷く衰弱はしていなかった。だから大丈夫! ちょっと体調が悪いだけだ。そんな異変に、厄災に、この里が巻き込まれるだなんてことは無いはずだ。
私も、神使も、この里も大丈夫!
そう自分に言い聞かせて私は力強く階段を踏む。神使のいる高台の頂上へと続く扉の目の前に来た。扉には荘厳な模様が彫られている。初めて見た人はきっと見とれてしまいそうなほど美しいが、毎日ここに来る私は見慣れてしまっていた。
ゴクリと唾を飲み、扉を押す。すると低い音を立てながら扉が開いた。扉の隙間から明るい光が差し込み、一瞬視界が白くボヤける。
そして扉を開けきると──私が恐れていた光景がそこにはあった。
「卯月!??」
竜が池から上半身を出し、芝生に倒れこんでいる。目を瞑り、息は粗く苦しそうだ。
私はその様子に驚き、急いで卯月のもとへと駆け寄る。
頂上は円形で芝生で覆われており、周辺部分は木々が茂っている。屋敷から続く廊下の扉はその木々の間からひょこっと顔を出していた。中央には透明度の高い大きな池があり、それは丸石で囲まれている。その池が、神使の──卯月の住処だった。
「どうしたの卯月!?? 大丈夫!?」
私が頬に触れた瞬間、卯月はビクッと動いて目を見開いた。そして、五メートル程ある上半身を慌てて起こす。その様子に私は驚いて肩をビクつかせた。
「え、なになに?」
「クェーー! クァーー!」
卯月は羽をバサバサと振りながら、会えて嬉しい! と言った感じで鳴く。……先程までの苦しそうな表情を掻き消して。
神使は神からのお告げを神子に伝える役目を担っているが、言葉を話せる訳ではない。お告げの際、神使と目を合わせると不思議と言葉が頭の中に流れて来るのだ。テレパシーの様なものなのだろうか。
しかしお告げ以外の言葉は入ってこないのだから、神使自身の意思でテレパシーを使えるということでは無い様だ。私にもこの仕組みはよくわからない。ただ、私と卯月は小さい頃からよく一緒に遊んでいるから言葉なんて無くたって言いたい事は大体分かる。
だから……今の卯月が苦しいことを必死で隠していることだってお見通しだ。
「卯月、ちょっと頭を下ろして。今熱かったわよ? 熱があるんでしょ? それに明らかに苦しそうじゃない……! ちゃんと診てあげる!」
しかし卯月は私の言うことを聞かず、元気な素振りで羽と前足をバタつかせている。そして、ハッと何か思い出した様に池の中に潜った。
「ちょ、卯月!?」
潜られてしまってはこちらも手の出しようが無い。こっちはすごく心配してるのに……と悶々としていると、卯月はすぐに池から上半身を出した。そして、こちらに近づいてきて私の手に口から何かを渡す。
「え……? これって……」
私の手には、卯月の首と尾に付いているものと同じ飾りの輪が置かれた。卯月が付けているものと比べればサイズはだいぶ小さいが。
それは、幼い私と卯月が仲良くなるきっかけを作った輪だった。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
あれは、私が六歳の時──
両親が亡くなった。父は神子だった。娘である私が神子を引き継ぐことになり、祖父である一継と一緒に神使に挨拶することになった。神使もちょうど同時期に代替わりしていた。
「それが、八雲様がこれからお告げを受ける神使です。お告げの受け方は自然に分かるはずです。仲良くしてくださいね」
目の前には、私と同じ背丈くらいの大きさの白い竜がいた。クリッとした琥珀色の瞳でこちらを見ている。可愛い。
私が一歩前に踏み出すと、竜は短い足、小さな羽、そして細長い尾がピタっと動きを止める。警戒されているらしい。
「は、初めまして! 私は神郡八雲。よろしくね!」
緊張しながら私は挨拶する。もう一歩踏み出し、握手しよう、と手のひらを差し出した。
────プイ。
小さな竜はそっぽを向く。
「……」
「ねぇ!」
触ろうとすると、竜はピョンと後ろに跳ねてかわした。話が違うんだけど……と、一継の方を見る。
「……神子でない私には一切の手出しができません。なんとか頑張って距離を縮めてください」
「えぇーー?」
避けられるのは地味に傷つく。しかし私は勇気を振り絞って、竜へとまた近く。
「よろしく、ね!」
またヒョイとかわされた。ああぁ……切ない。
「………」
一継も微妙な表情でこの光景を見ている。うわぁなんだこれ、逃げたい。……しかしこれはお父さんから引き継いだ大事な神子の役目だ。頑張らなければ!!
「ねぇ! 仲良くしようよ!」
近づくと逃げられる。恐る恐る近づくとまた逃げられる。反対側から回り込んでも同じ。また逃げられて、一向に距離は縮まらない。
この日はずっとこんな感じで追いかけっこをしていた。
しかし、次の日もまた次の日も進展せず、友好は全く深まらないままだった。
「なんか……別の方法を考えないといけないのかな」
夜、私は布団の上に寝転がりながら自分なりに色々考えてみる。
「エサをあげるとか? でも神使には何も食べ物あげなくていい、って言われたしなぁ」
うーん、と唸りながら立ち上がり部屋の中をウロウロと歩く。ふと、おもちゃ箱の中から飛び出ている竹の輪が目に入った。
「あ……!!」
我ながら名案を思いついた! と思った。
翌日、私はまた神使の元を訪れた。竜はこちらを見るなり、また来たのかよ、と言いたげな視線を向ける。しかし、今日の私には秘策があるのだ!!
また逃げられないように興奮を抑えながら少し近づいて、後ろに隠していた竹の輪を差し出した。竹の輪には和紙で作られた葉っぱ形の飾りが等間隔にたくさん付いている。飾りは軽い金具で輪に固定されており、振るとジャラジャラと鳴る。これを昨日の夜、一継と一緒に頑張って作ったのだ。
「これで一緒に遊ぼ!!」
私は満面の笑みで竜に話しかける。
「キュウ?」
効果覿面みたいだ。竜は興味津々という感じで輪を見ている。
「ほらほら! 遊ぼうよ!」
輪をジャラジャラと振ると、竜は輪に触りたい! と言いたげにウズウズした。
「ふっふっふーー!」
私は得意げに笑うと、
「それっ!!」
輪を思いっきり空に向かって投げた。竜はそれに素早く反応し、後脚と羽を使って大ジャンプする。
口でしっかり輪をキャッチした竜が、こちらへ戻ってくる。私のすぐそばまだ来て、もう一回! と言わんばかりにキラキラした目で見てきた。
「えへへー。じゃあもう一回いくね!」
また同じように投げると、上手にキャッチしてまた戻ってくる。竜の表情から、警戒の色はもう消えていた。
──そんな感じで、遊んでいるうちにどんどん私と卯月は仲良くなっていった。
屋敷の外に自由に出ることもできず、神子であるが故に親戚からも敬語で話される私にとって、卯月は対等にお互いを理解し合える唯一の親友となった。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
渡された輪は幼い頃散々これで遊んだので、だいぶ汚れている。
「えっと……卯月これで遊びたいの?」
ある程度お互い成長してからは、これで遊ぶことは無くなっていた。だからこれを見るのはだいぶ久しぶりだ。というか、てっきり無くしたと思っていたのだが卯月がこれを持ってたのか。
それてにしても、今の大きくなった卯月が遊ぶにはだいぶ輪が小さいと思うのだけれども。
「クァーー!!」
卯月はそうそう! 遊んで! と言っている。
「卯月、ダメよ! 今あなたそれどころじゃないでしょう? ちゃんと体を見せて! 辛いのわかってるんだから!」
そう言うと、卯月はとても寂しそうな顔をする。
「キューー……。」
その様子を見て、何かちょっと可哀想だったかなぁと思ってしまう。しかし体調が悪い状態で遊んで更に悪化してもいけないし……。
そんなことを考えていると、卯月は寂しそうな表情のままサッと体を翻して池の中に潜ってしまった。
「あっ!!? 卯月!! 待って!!」
しかし卯月の反応はない。水面に泡が出てくるばかりだ。
もう何なのだ一体……。
結局、それから何度も池に向かって叫んだが卯月は姿を現さなかった。