第38話 琴音の毒牙
危機を琴音に救われるこのシュチュエーションは一体何度目だろうか。
「大丈夫ですか?」
琴音がこちらを見て優しく話しかける。その顔に、声に、私はホッとした。
「大丈夫よ、ありがとう。それより琴音も無事だったのね」
「ぐ……なぜ貴様がここに。ロードリールは失敗したのか」
カニの足で頭をさすりながらラーグが起き上がった。琴音がテオルを睨みつける。
「私がいる限り、仲間が毒を飲んで死ぬなんてことはありえません」
「なるほど、全員無事だと言うのか。貴様だけここに来たと言うことは……テオル様も交戦中か」
オルト達も無事ということか。良かった。テオルが交戦中、となると、オルトあたりと戦っているのだろう。
琴音は私を下ろし、苦無を構えた。隣には風太丸がいる。
「八雲、下がって」
「えぇ、気をつけて」
「全く……とんでもないお客様達だ」
「お褒めに預かり光栄です」
ラーグがハサミを構えた。そして次の瞬間、琴音の方へ突っ込んで来る。
琴音はハサミの一撃目をかわし、二撃目を苦無で受けた。すると、苦無を挟まれそのままラーグ自慢の力で引っ張られる。
琴音は体勢を崩しかけたところで苦無を離した。そして飛び退いて距離を取る。
ラーグはハサミの中に残った苦無に少し力を加えて真っ二つにした。破片が無残に床に落ちる。
「全く……とんでもないハサミですね」
「お褒めに預かり光栄ですね。数少ない私の長所です」
ふー、と息を吐きながら琴音がまた苦無を出した。一体何本隠し持っているのだろう。
「次は、体を真っ二つにしますよ」
「それは遠慮しておきます」
再びラーグが走って来る。先ほどと同様にハサミで攻撃を仕掛けてきた。
琴音が一撃目を避け、次に繰り出させる攻撃も避けようとした瞬間──ラーグは方向転換して風太丸の方へ飛んだ。
「なっ!? 風太丸!!」
「遅い!」
突然の攻撃に風太丸は反応できず、ラーグのハサミに捕らわれた。風太丸の大きな体を、大きなハサミ二本がしっかりと挟み込む。
ラーグは締め付けにかかった。ハサミがどんどんめり込んでいき、風太丸が悲鳴をあげて苦しむ。羽が何枚も飛び散り、体が軋んでいる。いけない、このままでは風太丸が……!
「させません!」
琴音が叫びながら腕を振り下ろした。すると風太丸の姿が突然消え、飛び散った羽だけが残る。ハサミは空気を挟んだ。
ラーグは目を見開く。
「おや、一体どういう仕組みでしょうか」
「弱いもの狙いとは卑怯ですね。……まぁ、風太丸は弱くありませんが。彼には帰ってもらいました。あなたの敵は私ですよ?」
琴音は苦無の切っ先をラーグに向けて威嚇する。ラーグは琴音を睨みつけた。すると琴音も睨み返す。
直後、ラーグがまたハサミを突き出した。また同じパターンでの攻撃が来ると読み、琴音が避けるフォームに入る。
「避けられますかね」
ラーグがそう言うと同時に琴音の目の前に来たハサミが大きく開き、炎を発射した。勢いよく噴射された炎が琴音を飲み込む。
「ぐっ!!」
火炎放射の風圧に押されて琴音が床に転がった。腕でガードはしていたが、炎をモロに食らってしまった様だ。大丈夫だろうか。
「琴音! 大丈夫!?」
私は急いで琴音に駆け寄り、大きな水泡を出して琴音に水を被せた。服に燃え移っていた炎を鎮火する。琴音は体にも火傷を負った様だ。
「ありがとうございます。大丈夫です。カニなのに炎を使うのですね……油断しました」
琴音は立ち上がって口元を袖で拭き、私に下がってと合図する。私はそれに応じて数歩後ろへ下がった。
「丸焦げにならなくて良かったですね」
「ちょっとビックリしましたが……私も本気出させてもらいます」
そう言って琴音は姿勢を低くした。
「ほう、その本気とやらを見せてもらいましょうか!」
ラーグが走り出そうと動いたと同時に、琴音が前方に高くジャンプした。人間二人分は軽々と超えられる高さだが、謁見の間の天井は高いため頭をぶつけることはない。
琴音の動きを見て足を止めたラーグに向かって、彼女は手裏剣を多数投げつけた。それをラーグは大きなハサミを使って弾き飛ばす。
と、琴音は手裏剣に気を取られていたラーグのすぐ後ろに着地し、苦無で太腿の裏を切りつけた。咄嗟にラーグが背中から出ているカニの足で琴音を狙ったため、うまく切りつけることができず、太腿に入った傷は浅かった。
ラーグが振り返り、飛び退いた琴音に鋭い視線を送る。
「なるほど、ハッタリではない様ですね」
「当然です。嘘なんてついたことありませんので」
そこまで言っちゃうと逆に嘘くさくなるんだけどな、と二人のやり取りを離れて見ながら思った。そこが琴音の茶目っ気のあるところと言えばそうなのだが。
そんな事を考える間に、また二人の攻防が始まる。琴音が跳躍力を活かして撹乱しながら苦無で攻撃し、ラーグは大きなハサミで攻撃を防ぎつつ炎を噴射する。
「皆大丈夫かしら……」
葉月のことが頭をよぎる。先ほどの会話からオルト達はたぶん無事だろうが、葉月の安否はわからない。まさかテオルの餌食になっていないだろうか。考えれば考えるほど、どんどん不安になってきてしまった。
琴音達の方から窓へ視線を移す。あそこから何か見えないかと思い、つい体がそちらへ動いた。
すると、私の動きに気付いたラーグがこちらへ炎を発射してくる。
「八雲!」
しまった、反応が遅れた。結界が間に合わない。焼かれる……!
──しかし火炎放射が私に届くその前に、水の壁が目の前に現れた。
「何だと!」
水の壁は炎を吸収し、弾けて消えた。
琴音がこちらを向いている。彼女が氣術で助けてくれたのだ。
「あなたの敵は私です、と言ったでしょう」
ラーグに向き直り、琴音が声を低くして言う。
「水の氣術ですか……私とは相性が悪そうだ」
「では降参していただけますか」
「それは無理ですな!」
ラーグが炎を放つ。今度の炎は特大の大きさで、ラーグの姿がこちらからは見えなくなるほどだ。琴音がまた水の壁を出現させて、炎と相殺させた。
しかし、弾けた水滴の向こう──そこにはラーグの姿がない。
「琴音、上よ!!」
ラーグが天井に張り付いていた。
私が叫ぶと同時に、彼はハサミを振り下ろしながら琴音の頭上を目掛けて落ちてくる。琴音は上を向き、間一髪でラーグを避けた。
「小娘め……!」
ラーグの顔が怒りに染まる。怒りが頂点にきているらしい。床にめり込んだハサミを持ち上げた。
しかし……ラーグは一歩踏み出した途端にフラつく。
「……!?」
ラーグが頭を抱え、膝をつく。苦い顔をして琴音を睨みつけた。
「貴様……まさか」
「苦無に毒を仕込ませてもらいました」
先ほど苦無で傷つけた太腿から毒が回ったのだ。まさか毒を仕込んでいたとは……恐ろしい。
ラーグの体が小刻みに震える。そして力無く倒れ込んだ。
「ぐ……こ、こんな……!」
「先ほどはありがとうございました、八雲」
もうこれ以上戦う必要が無いということなのか、琴音が踵を返してラーグに背を向け歩いてくる。
「い、いえ、私は何もしてないわ」
「八雲……酷い怪我です」
「大したことないわよ。琴音こそ酷い怪我よ?」
「私は平気です。これくらい慣れていますので」
「ちょっと座って。今治してあげるから」
私に従い座った琴音の傷に掌をかざした。白く柔らかい光が出て、傷跡が癒えていく。
治癒能力を琴音に使うのは初めてかもしれない。琴音が仲間に加わってからの道中でセファンには何度も使ったが、オルトと琴音は怪我をほとんどしなかったのだ。
「ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそありがとう。助かったわ」
治療が終わり、琴音が立つ。そして、私の方を見て何だか暗い顔をした。どうしたのだろうか。まだ体が痛むのだろうか。しかし琴音の傷は全て癒えたはずだ。
私は琴音の様子を不思議に思いながら、今度は自分自身の治療を始める。
「……八雲、ごめんなさい」
「え? 何が?」
「私と一緒に来てもらいます」
「……え?」
急に意味深なことを言い出す琴音。彼女の言う意味が分からない。何を言っているのだろうか。
するとその時、琴音の後ろでラーグの体が動いた。
「ちょ、琴音! あれ……!」
琴音が振り返った。その視線の先に、倒れたラーグがいる。
……そのラーグの体から、カニの獣魔が出てこようと蠢いていた。
「中の獣魔はまだ生きていたのですね」
琴音は私を守るように立ちはだかる。カニの獣魔は脱皮をするが如くラーグの体から動き出て、完全にその姿を現わす。
赤い体に大きな二本のハサミ、六本の足。そして漆黒の目がこちらを見ている。下敷きになっているラーグはもう動かない。
琴音が出てきたカニの方へ歩み寄っていった。すると、カニの体が震えだす。
「……?」
カニが体を小さく丸める。琴音が警戒し苦無を構えたその時、カニの体が強く発光した。
次の瞬間、カニが爆発する。
「なっ!?」
「きゃあ!!」
琴音がこちらへ飛び、私を抱えて爆炎から逃げる。しかし爆炎爆風に煽られて壁に激突した。琴音と共に床に倒れる。
少しの間の後、私達は起き上がった。
「うぅ……こ、琴音大丈夫!?」
琴音に庇われた私は大して負傷はしていない。しかし琴音は爆炎を背中に受けてボロボロになっていた。痛々しい。
「まさか自爆するとは……驚きましたね」
この状況でもいたって冷静な琴音。
カニのいた方を見ると、黒い炭のようなものが床に落ちている以外は何も残っていなかった。部屋のあちこちが燃えている。
「ビックリした……でもこれで終わったのよね?」
部屋を見渡して敵がいなくなったことを確認する。琴音も完全にラーグが消滅したと判断したのか、苦無をしまった。
私は再度琴音の治療を始める。
そしてある程度の傷が癒えた時……うなじのあたりに衝撃が走った。
「────あ」
急に意識が遠のく。体に力が入らなくなる。
目の前の琴音が、何か言っている様に見えた。
「……ごめんなさい」
切なそうな琴音の顔を見ながら、私は意識を手放した。