第36話 キメラ戦の結末
後ろで氷の音が怪しく鳴る。テオルは再起不能にしたはずだ。しかしこの音は、明らかに先ほどの氷の氣術のものとそっくりに聞こえる。
エイリンとチェチェはそれに気づかずこちらに走ってきた。
「何だ……?」
俺はテオルの方を振り返る。
すると──テオルの背中を突き破り、おぞましい蜘蛛の獣魔がモゾモゾと出てきていた。まるで脱皮だ。切れた四本の足を氷で補って修復し、紫がかった黒い体をゆっくりと現わす。体は細かい毛で覆われており、尻には鋭い針が生えていた。目は八つある。
「ひ……何だよアレ!?」
セファンもそれに気づいて悲鳴をあげた。彼は恐ろしいその光景に青ざめて、後ろへ一歩下がる。
「埋め込まれてた獣魔が……出てきたって訳か」
俺は蜘蛛に剣を向けた。
すると、蜘蛛がムクムクと体を膨らませ、二メートルほどまで大きくなる。益々気味が悪くなった。
「ぎゃーー気持ち悪い!」
巨大蜘蛛を前にセファンとサンダーが抱き合う。
「セファン、エイリンさん達と一緒に下がれ!」
「お、おう!」
走ってきていたエイリンとチェチェも巨大化した蜘蛛を見て足を止めている。二人とも怯えた顔をしていた。
「まさか中の獣魔が生きてるなんてね……とんでもない実験に加担したな」
テオルが動かなくなった途端に蜘蛛が出てきた、という事はロードリールの猫も出てくるだろうか。ロードリールの方に目をやる。しかし、彼女の方は特に動きがない。
「死に瀕すると出てくるのか……?」
警戒しながらそんな思考を巡らせていると、蜘蛛が足元に倒れているテオルの方を向いた。
次の瞬間、蜘蛛は糸でテオルの体を絡め取り、飲み込んでしまった。その場にいた全員がギョッとする。
「「きゃあぁ!」」
「なっ! あいつ宿主を食べたぞ!?」
エイリンとチェチェの悲鳴、そしてセファンの叫び声が後ろから聞こえる。
蜘蛛は構うことなしにゴクンと飲み込み、周りを見回した。そして、ロードリールの方を見る。
「……まさか!?」
俺がそう言った直後、蜘蛛の口から勢いよく糸が伸びる。その糸がロードリールを絡め取り、蜘蛛の口の中へ放り込んだ。
その衝撃的な光景に、また後ろから悲鳴があがる。
「共食いかよ……」
人を捕食するキメラが、その中の獣魔に捕食されてしまった。ロードリールも丸呑みされて腹に収まる。見ていて何とも気分が悪い。
蜘蛛は満足げに口から息を吐いた。そして、こちらを見る。……次の捕食ターゲットを俺にしたらしい。
蜘蛛が仕掛けてくるのを警戒して俺が構えた直後、再び糸が口から発射された。
「オルト!!」
間一髪、それを避ける。そしてすかさず氷で作られた足を斬りつけた。しかし、それは硬くて剣が弾かれる。
そこに蜘蛛の鋭い足が突き刺しにかかってきた。俺はジャンプして躱し、残りの体を支える足を踏み台にして蜘蛛の腹の上に乗る。剣を突き立て、腹を刺そうとした瞬間、腹の上部が氷に覆われてまたしても剣が弾かれた。
そして蜘蛛が甲高い声で咆哮し、体を大きく降ったために俺は振り落とされる。
「硬いな、氣術がないと厳しいか」
セファン達からは距離が離れている。斬りつけるその瞬間だけ氣術を使う様にすれば、分からないだろう。
「もしくは……」
脳を回転させる。恐らく氷で覆うことのできない部分があるはずだ。氣術を使わずとも、そこを狙えば倒せる。
「オルト、大丈夫か!?」
「大丈夫、エイリンさん達を守ってて!」
セファン達が心配そうな顔でこちらを見てくる。すると蜘蛛がセファン達の方を向いた。マズイ、セファン達をターゲットにされる訳にはいかない。
すかさず蜘蛛を斬りつけにかかる。今度は頭部を狙ったが、やはり氷で攻撃は阻まれた。
「おい、お前の相手は俺だぞ!」
蜘蛛がこちらに向き直る。注意を俺に向けるのは成功した様だ。蜘蛛がまた糸を吐く。
「そうそう、そう来なくっちゃ!」
糸を避けると足で追撃してきた。それを身のこなしで躱す。躱しながら、蜘蛛の目を狙って剣撃を出した。蜘蛛はそれに驚いて避け、飛び退いて距離を取ってくる。
そして、カタカタと口で威嚇音を立て出した。
「……何だ?」
何かしようとしている、と警戒したその時、蜘蛛は口から糸を建物に向かって吐き、その粘着性のある糸で体を引っ張って屋敷の壁に張り付いた。壁に飛びついたと思ったらまた糸を別の壁に吐いて、糸を利用してその壁まで移動する。中庭を囲む四方の壁に順々に飛びついている。どうやらこちらを撹乱しながら攻撃の機会をうかがっている様だ。
「ていうか、蜘蛛の糸ってお尻から出るものだと思ってたんだけどな」
そんな独り言を言いながら、蜘蛛の動きを注視する。蜘蛛が背後の壁に回り込んだその時、お尻の針を向けて高速でこちらに突っ込んできた。
「おっと!」
攻撃を避けると、蜘蛛の針が地面に突き刺さった。蜘蛛は足を伸ばして針を抜き、再び壁に飛びつく。さっきよりも威嚇音が大きくなっている。攻撃が当たらなかったことに怒っているのだろうか。
「……いつでも来いよ」
俺は剣を構える。神経を研ぎ澄ませて蜘蛛の動きに集中する。
蜘蛛はランダムに壁を移動をしている。何度も何度も糸を吐き、壁に引っ付き、を繰り返す。
しばらく移動を続け、そして再び俺の背後に回り込んだ瞬間に飛び込んできた。俺はそれを察知して振り返り、剣を突き出す。
────剣が獲物を捕らえた手応えを腕に感じた。
「グギ……ギ……」
蜘蛛の針は的を外して地面に刺さり、俺の剣は蜘蛛の口の中へ刺さった。剣が頭部を貫通して黒い体液が出る。
そして力を入れて剣を引き抜くと体液が勢いよく噴き出し、蜘蛛は鈍い音を立てながら倒れた。
「や、やったあ!」
離れた場所でセファンが喜んでいる。エイリンとチェチェは本当に終わったのか半信半疑の様子だ。倒れた蜘蛛は呻き声の様なものを出してピクピクと動いている。
しかしまだ油断ならない。念のため蜘蛛の前で剣を構えたままでいる。
すると、蜘蛛の体は黒い塵となって消滅した。地面に溢れた体液も気化して消える。
これで……ようやく終わったか。
「大丈夫ですか!?」
蜘蛛が消えたのを見て、戦いが終わったと安心してエイリン達が走ってきた。
「俺は大丈夫です。あとは琴音が……」
八雲を無事に奪還できただろうか……と考えたその時、爆発音が聞こえた。
「「きゃ!」」
「何だ!?」
中庭にいた皆が音のした方向を見る。すると、最上階から炎が上がっていた。
「あそこは……謁見の間です!」
「え、そこって八雲が捕まってるとこだよな!?」
「琴音が行ってるはずだけど……」
すると、最上階の窓から何者かが飛び出してきた。その者は人間離れした跳躍力で屋根伝いに中庭に面した建物の上まで飛ぶ。
そして──屋根の上で立ち止まってこちらを見たその人は琴音だ。腕には八雲が抱きかかえられていた。
グッタリとしている。気絶しているのだろうか。
「琴音! 大丈夫か!?」
「……」
琴音はこちらを見るが、返事はない。
────また嫌な予感がした。
「おーい! 大丈夫なのかーー?」
セファンが叫ぶ。しかしやはり返事はない。
すると琴音はすこし悲しそうな顔をした後一礼して、風太丸を出した。
「え? どうしたんだ琴音のやつ?」
「……まさか! おい、琴音!!」
そう叫んだ直後、琴音は踵を返し風太丸に乗って飛び立つ。
去り際に何か言っている様に見えたが、声は聞こえなかった。
「クソ! 待て琴音!!」
「え、ちょ、琴音どこ行くの!?」
俺達の言葉には反応せず、琴音達はどんどん遠くに離れて行く。
俺達は走って中庭から廊下へ抜け、窓の外を見上げる。風太丸は建物の陰に隠れて見えなくなってしまった。
「なあ、どうなってんだ!? 琴音はどこ行っちまったんだよ?」
セファンが追いかけてきて問う。エイリン達もついてきた。
「琴音は──八雲を攫って逃げた」