第185話 それぞれの未来へ
王城での戦いから三日。オルトやレオンさん達はユニトリクの復興で毎日忙しくしていた。琴音も駆り出されて一日中部屋にはおらず、王城の一室でゆっくりしているのは私とセファン、そして葉月とサンダーだけだった。
ゆっくりしている、というか私はセファンの看病をしているのである。先日の戦いで大怪我を負ったセファンはまだ本調子じゃないのだ。傷は私が完全に治したものの、流した血は多いし疲労やダメージは残っている。昨日からようやく立ち上がれるくらいになっていた。
ちなみに今、彼のためにリンゴの皮を剥いている。
「はぁ、なんかごめんな八雲。俺こんなんで……オルトと琴音はあれくらいの怪我負っても次の日にはピンピンしてるのになぁ」
「あれは二人がおかしいのよ。セファンくらいの怪我したら、普通は何日か寝っぱなしだろうし、起きててもまともに動けないわ。ちゃんとこうして目を覚ましてるだけ十分凄いわよ」
「あいつらの体ってどうなってんだろーな? 中身機械仕掛けになってんじゃねーの?」
「さすがに出血はしてるから機械ではなさそうよね。まぁオルトも死にかけた後何日か寝込んだことあるし……一応人間じゃない?」
「一応な」
我ながら中々酷い言い様だな、と思う。まぁ二人は人外の丈夫さなのだから仕方ない。もし二人がこれを聞いていたら、オルトは苦笑い、琴音は表情はクールだが中身はノリノリで機械仕掛けの体について嘘の説明をしてきそうだ。
「それにしても……葉月はだいぶでかくなったよな」
「そうね、ハルモのお陰ね。できることもたくさん増えたし」
「キュウ!」
ハルモの力を受け取って、成長した葉月。アリオストで会った成獣とまではいかないが、だいぶ体長が伸びた。白い翼も大きくなって自由に飛べるようになったし、模倣だって多数の術を自在に操れる。変身も、以前の様な狐耳などは生えなくなっていた。それはそれで何だか残念だが。
私は剥き終ったリンゴを、セファンのベッドの隣の机上にある皿に置く。うん、ガタガタで不恰好な上に小さい。剥いた皮にだいぶ実が付いていた。
「でもハルモ、もう神使やらないんだったよな?」
「うん。次の神使がすぐに現れるから、そしたらまた神子選考するんですって」
「オルトも出るのかな」
「悩んでるみたいだったけど、出るんじゃないかしら」
「八雲は……どう思う?」
「え?」
セファンが急に、真剣なトーンで質問してきた。私は包丁と皮を片付けて、セファンを見る。
彼はじっとこちらを見返してきた。
「どうって……どういうこと?」
「八雲は、オルトに神子選考出てほしいか? 出てほしくないか?」
「え、どうして? 神子選考に出るのはオルト次第じゃ……」
そこまで言って、私は自分が抱えていたモヤモヤに気付く。
そう、私は────
「私は……正直、出てほしくない」
オルトが神子選考に参加するということは、次期王になる可能性があるということだ。それはつまり、オルトがユニトリクに縛り付けられるということになる。
私もオルトも旅の目的は果たした。後は、私が里に帰るまでの護衛業務が残っているだけだ。ザウルが倒れた今、私をつけ狙う竜の鉤爪の襲撃にはもう遭わないだろう。馬車が使えるのであれば、往路ほど時間を取らずに帰れるはずだ。
でも、私は上依の里に帰ってそれでオルトとの関係を終わりにしたくはない。もっとずっと、一緒にいたい。旅をしたい。せめて上依の里の次の神使が現れるまでは、オルトと旅を続けて世界を見て回りたい。
だが、もしオルトが神子に選ばれればそれが叶わなくなるのだ。オルトがユニトリクの神子になり、私が上依の神子に復職すれば、神子は基本的には町を離れることができないのでもう会う機会が無くなってしまう。せめてどちらかが神子でなければ、まだ会いにいくことができるのに。そもそも護衛業務すら、琴音の代打になるかもしれない。
「でもそんなの……我儘よね」
なんて自分勝手な考え。神子は町を、国を守るために、人々を守るために力を尽くす存在。自分でギルベルトにそう言い放ったではないか。
国の未来よりも自分の恋心を優先するなんて、言語道断だ。
そもそも、オルトはエルトゥール一族の復興で忙しくて、私と旅するどころじゃないはず。
「はは、八雲ならそー言うと思ったぜ」
一人で落ち込む私を見て、セファンが笑いながらベッドから立ち上がる。
「まぁなんて言うか……俺は素直で元気な八雲が好きだぜ? そこに惚れてる。あ、いや好きなとこもっといっぱいあるけどな?」
「え、あ、え? ……せ、セファン!?」
いきなり小っ恥ずかしいことを言われて、私の顔が赤くなる。頭が、頬が熱を持つのを感じた。
「ってことで、オルトがダメだったら俺の胸にどーんと飛び込んできていいぞ!」
「もう……セファンったら!」
セファンのおでこを小突く。押された彼は、そのままストンとベッドに腰を下ろした。
……つまり素直になれ、ということか。
すると、セファンがまた真剣な目でこちらを見た。
「……八雲、俺明日ここを発とうと思う」
「え!?」
「ここにいてもやること無えしな。ラスボスは倒したし、俺は一回グルジ族のところに戻ろうと思う。ちゃんとタネリと話して、あいつの目を覚まさせてやりたい。タネリが変わっちまった原因も、麻薬だって分かったしな。今なら……あの時よりは、俺でもタネリの心を動かせるんじゃないかって思う。まぁ追放されちまった身だから門前払いの可能性もあるけど」
「で、でもセファンまだ体調回復し切ってないのに、モルゴまで行くなんて無茶じゃない!? もう少し時間置いてからでも……」
「あんまりダラダラしてるとこの決意も揺らいじゃいそうだしよ。だってやっぱ戻るの怖えもん。別れ際のグルジ族の皆の目とかちょいトラウマ。それに、本調子じゃないうちはサンダーに助けてもらえばいいし」
「ワウ!」
セファンの発言を受けて、サンダーが嬉しそうに尻尾を振る。任せろ、と言わんばかりだ。
「ちゃんと動ける様になるまでは、サンダーに乗せてもらうぜ。そのうち全快するだろ。それに、動いてた方が体鈍らなくていい」
「そっか……心配だけど、セファンがそこまで言うなら仕方ないわね。タネリさんと、ちゃんと話せるといいね」
「おう」
「私はどうしよう……琴音はどうするのかしら」
「私も、近日中にここを出ようかと思ってました」
「きゃあ!?」
「うわぁ!?」
突然窓の外に現れた琴音に私とセファンは驚く。開いた窓の上側から、黒髪の忍が部屋を覗き込んでいた。
「ビックリさせんな! いつからいた!? てかどーいう登場の仕方だよ!?」
「ちょうど今来たところですよ。フェラーレルを彷徨く竜の鉤爪の残党を排除してきました。この王城は入り組んでて、内側から目的地に辿り着くのに結構余分に移動しなきゃいけないじゃないですか? 面倒なので、外側からショートカットしました」
「中庭から三階のこの窓までショートカットする方が、普通はよっぽど大変だと思うわよ……」
琴音は私の隣に華麗に着地する。竜の鉤爪を排除した、と言っていたが、服に汚れは見当たらなかった。穏便に済んだのだろうか……いや、きっとそんなことは無いだろう。
「で、先ほどの話ですが、私もここを出て一先ずランバートへ行こうかと思ってます」
「伊織さんに会うため?」
「はい。竜の鉤爪の本部を壊したこと、ザウル達を倒したことを直接報告しようと思いまして。伊織が今どんな様子かも知りたいですし」
「エイリン達にみっちりしごかれてるかもね?」
「もし伊織がまだエイリンさん達の元で働きたいと言うのなら、私は各地にある竜の鉤爪の支部を潰して回ろうかと思います。もし伊織がインジャに帰りたいと言うなら、インジャに送り届けてから支部潰しに行こうかと」
「どっちにしろ支部には乗り込むんだな!? ってかそれ一人でやる気なのか? 危なくね?」
「竜の鉤爪を殲滅することは伊織との約束ですからね。本部が無くなって、強力な幹部もいなくなったので、今までのアジト攻略よりはかなり楽だと思いますよ」
「うーん、琴音ならケロッとした顔でやりそうだもんな……」
「八雲はどうするつもりですか? もしインジャに帰るなら、同じ道のりなので一緒に行きましょうか。オルトは当分ユニトリクを離れられなさそうですし、八雲を付け狙う連中はいなくなったとしても、護衛は一応付けといた方が良いですからね。途中まで同じなのでセファンも一緒に行けますよ」
「お、それなら一緒の方が俺はありがてーかな。仲間が多い方が旅は楽しいし、琴音がいれば道中も安心だしな」
「ついでに支部攻略にも付き合ってもらいましょうか」
「え、マジ!!?」
「冗談です。セファンまでわざわざ危険に足を突っ込まなくていいです」
「あー、まーいや、別に俺は手伝っても良いけどね? オルトほど戦力にはならねーけど」
「では、ほんの一ミリだけ期待しておきましょう」
「一ミリだけかよ!? えらく少ねーな!!」
「……で、八雲はどうするのですか?」
「私は……」
まだここにいたい。オルトがいる、このユニトリクに。彼と離れたくない。
だが私が上依の里の神子である以上、旅の目的を達成した今、帰るべきなのだ。一継や智喜、春華だって心配しているだろう。一応手紙は定期的に出してはいるが。
里の結界だって代理の春華に任せっぱなしになってしまっているし、そもそも異変の原因を突き止め、排除するまでの旅、という約束なのだ。
それに、私が残ったところでオルトやレオンさん達の手助けが何かできるわけでもない。せいぜい小間使いになるくらいか、もしくは穀潰しだ。
「私も……一緒にインジャに帰ろうかな」
自分自身を納得させながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。セファンと琴音が少し難しそうな表情をした。
「八雲は……それでいいんだな?」
「うん。いいの。私も神子としての使命を果たさないと。里の皆にも会いたいし、ここにいたって邪魔だろうし」
「邪魔ってことはないと思いますけどね」
「ま、いいの。そう決めたわ。出発は明日?」
きっと、私はどちらの道を選んでも後悔する。ならば、自分がやるべき方を選ぼう。
それにお互い元気に生きているのだから、きっといつかまたオルトには会えるはずだ。
気持ちを切り替え、二人に笑顔を向ける。
「おう、俺は明日行く予定だったけど……八雲と琴音がもうちょい待ってほしいなら合わせるぜ」
「私は明日でも大丈夫ですよ。フェラーレルの竜の鉤爪の残党はほぼ退治しましたし、コンクエスタンスの残党探しも大体終わりました。私がいなくても、あとはここの騎士団がきっちり片付けてくれるでしょう」
「私も……セファンがいなくなるとやること無くなっちゃうわね。町もまだぐちゃぐちゃで観光できそうにないし」
「では明日の朝にここを発つとしましょう。オルト達に言わないといけませんね」
「でもオルトあちこち走り回ってて中々会えないのよね。夜戻ってくるのも結構遅いし」
「私が探して伝えておきますよ。追いかけっこはまぁ得意な方です。あと言わなきゃいけないのはレオンさんとベルトラムさんあたりですかね。ついでに馬車の手配もしておきます」
「さすが琴音だぜ」
「じゃあ出発の準備しないとね。あと、最後にフェラーレルの街並みでも目に焼き付けておこうかしら」
「お、外出るの? じゃあ俺もサンダーに乗って行こうかな」
「じゃあ王城の人達に挨拶がてら、デートしましょうか」
「やったー!」
両手を上げて喜ぶセファン。その様子を見て、私と琴音は微笑む。
フェラーレルで過ごす最後の一日を満喫するため、私とセファンはまだ復興途中の町へと繰り出した。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
──夜。
結局今日はオルトと会うことができず、寝る時間になってしまった。私達は王城の客室を一人一部屋あてがわれており、私と琴音の部屋は隣同士だ。オルトとセファンの部屋は、廊下を挟んで正面に並んでいる。
最後の夕食くらいはオルトと一緒に食べたかったのだが、彼はずっと仕事で戻らずセファン、琴音と三人で食べた。
「はぁ、出発する前にちゃんとお話ししたかったんだけどなぁ……」
ベッドに転がり、溜息を漏らす。このままだとオルトに会えるのは明日の朝だけ。ゆっくり話す時間などないだろう。
ユニトリクとエルトゥール一族の立て直しで忙しいのは分かるが、別れ際がこれではあんまりではないか。私達との最後の時間よりも、リアトリスとの約束の方が大事なのか。
私は頬を膨らませた。
「むう……仕方ないってのは分かってるんだけどぉ……」
するとその時、廊下の方で物音がした。静かにドアが閉まる音だ。
「もしかして……オルト?」
私はすぐに起き上がり、ドアの方へと駆ける。ゆっくりと、少しだけドアを開けて廊下を除いた。
誰もいない。
「でも今の音……たぶん正面の部屋よね。オルト帰ってきたのかしら」
そっと廊下にでてドアを閉め、オルトの部屋の前に立つ。
そして少し控えめにノックした。
「……はい」
返事が聞こえた。オルトだ。
「オルト、私よ。八雲」
すると静かにドアが開く。オルトが驚いた表情でこちらを見ていた。
「八雲、起きてたのか。あぁ、会えて良かった」
「え、あ、えっと……お帰り。遅くまでお疲れ様」
文句の一つや二つでも言ってやろうと思っていたのに、オルトがとても安心した様な、そして嬉しそうな顔をするものだから、毒気を抜かれてしまった。
「ありがとう。えっと、どうしたのかな? もしかして……会いに来てくれた?」
「そうよ。お話しようと思って。オルトは夜ご飯食べた?」
「いや食べてない。琴音から明日出発すること聞いて、これでも急いで仕事終わらせてすぐ帰ってきたんだけど……皆寝ちゃってるっぽいし、疲れたしもう寝ようかと思ってた」
「こら、ちゃんと食べないとダメよ? オルトずっと働き詰めなんだし、栄養とって休まないと倒れちゃうわ。厨房の方行けば余りものとかあるかもしれないわ。行きましょ」
「うん、ありがと」
私達は厨房へ向かう。オルトは寝巻姿の私に、自分の部屋から出した上着を羽織らせてくれた。
もう夜も遅かったが、厨房には一人だけ仕込みをしているシェフがまだいた。何か食べ物があるか尋ねると、手早く簡単なサンドイッチを作ってくれた。
美味しそうなサンドイッチを受け取って、オルトと一緒に中庭の花壇に腰かける。
「あー美味しい。さすが王城のシェフだ。八雲も食べる?」
「凄く美味しそうだけど、私はいいわ。夕食を目一杯堪能したもの」
「そっか」
月明かりの中、サンドイッチを頬張るオルト。三日間ずっと朝早くから夜遅くまで走り回っているにも関わらず、オルトには大きな疲労の色は見えない。多少は疲れている様だが。やはり鉄人。
私は夜空を見上げる。上空には綺麗な満月、小さな数多の星々。たまに梟の鳴く声が聞こえるくらいで、とても静かだ。
「オルトに初めて会った日も、こうして夜空を見上げながらお話したわね」
「そうだったね。あの時は八雲が屋根からいきなり落ちてビックリしたよ」
「それで庇ってくれたオルトを下敷きにしちゃったのよね。懐かしいわ」
「あれで初めて治癒能力をかけてもらった時は本当に驚いた。八雲、秘密事も普通にバラしちゃうし」
「オルトならきっと大丈夫かなって思ったのよ。でもオルトは中々秘密を話してくれなかったわね」
「ご、ごめん」
「いいの。事情が事情だしね。オルトも色々大変だったわね。今も大変そうだけど」
「今の大変は、前向きな大変だからまだいいよ。ずっと掲げてた目標がようやく達成されて、また新しい目標に向けて頑張れてる」
「リアトリスさんとの約束も果たさなきゃいけないしね?」
「ん? ……うん、そうだね。エルトゥールの末裔として、一族とユニトリクの未来を取り戻す……どの時点で達成っていえばいいか分からないけど」
リアトリスの名前が出たことで、オルトが不思議そうな顔をする。
あぁ、何故私は彼女の名前をここで出した。わざわざオルトにリアトリスを意識させてどうする。故人ではあるが、一応恋のライバルなのに……私は阿呆か。
するとオルトが食べ終わったサンドイッチを包んでいた紙を丸めて視線を落とした。
「八雲……明日、インジャに帰るんだよな」
「うん……急に決めてごめんね」
「いや、俺の方こそ全然八雲達と話せてなくてごめん。ギルベルトを倒してから、放置しっぱなしだった」
「仕方ないわよ。オルトにはやることいっぱいあるんだし」
「あと、護衛業務ちゃんと最後まで務められなくてごめん。俺はしばらくユニトリクから離れられないから……琴音が代わりに里まで護衛してくれるんだよな?」
「そうよ。ロベルトさんとかフィオラとか、お世話になった人達に会いながらインジャに向かうつもり。もちろんエイリンのところにも寄るわ。セファンとはシェムリで別れる予定よ。グルジ族に戻って、タネリさんの目を覚まさせるんだって」
「そっか。セファンも強くなったな。ロベルト達によろしく。一応俺からも皆に手紙は送っておくけど。……一継さんへの謝罪文もね」
「暇ができたらロベルトさんには会いにいってあげてね? 大切な親友だし、アリオストなら隣国だからまだ行きやすいでしょ?」
「うん、そうするよ」
「オルト……元気でね」
「八雲……」
こうしてゆっくりオルトと会話できるのもこれが最後。明日の朝には、お別れだ。次に会えるのはいつになるか分からない。
そう思うと寂しくて、切なくて、目に熱いものがこみ上げ、声が震えた。
オルトがその焔瞳でこちらを見つめる。
「八雲……本当に、会えて良かった。八雲がいなかったら、たぶん俺はここまで来れなかった。本当に感謝してる」
「……うん」
「体力面でも、精神面でも、たくさん助けられた。それにすごく楽しい旅になった」
「うん、私もとっても楽しかったわ」
「だから八雲、ここでお別れなのは凄く寂しい。本当は、まだ一緒にいたい。でも、一継さん達だって八雲の帰りを待ってるだろうし、俺だって一族と国のためにやらなきゃいけないことがたくさんある」
「うん……」
「だから八雲も……元気で」
「……うん」
私の頬を、一粒の涙が伝う。涼しい夜風に吹かれて、涙の跡がひんやりと感じた。
オルトが私の頬に優しく触れる。彼もまた、瞳を僅かに潤ませていた。
頬に触れていたオルトの手が、私の桃色の髪を撫でる。
──好きよ。
そう、オルトに伝えるべきだ。今言わなければ、もう機会が無い。別れる前に、気持ちを伝えておきたい。
……しかし、私の口は開かない。
伝えるのが怖かった。
今、オルトがこうして私に触れながら嬉しそうに見つめてくれているこの甘い時間が、愛おしく感じた。
だからこそ、この関係が壊れるのが怖くて言えなかった。
オルトが何かを言おうとして口を開ける。しかし、少し恥ずかしそうに、そして気まずそうにしたあと言葉を発するのをやめた。
月が見守る中、私達は別れを惜しんでそのまましばらく見つめ合っていた。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
翌日朝。
準備を終えて、私達はフェラーレルの入口に立つ。オルトとレオンさんが見送りにきてくれた。
「はー、ここでオルトとお別れかぁ。神子選考頑張れよユウフォルトスさーん?」
「はは、セファンにその名前で呼ばれるの新鮮だな。セファンも頑張れよ」
「おーよ! そのうち観光がてら会いに来るぜ!」
「お世話になりました。オルトがいなければ、今の私と伊織はいません。本当にありがとうございました。遠くから応援してますね、ユウフォルトス」
「琴音まで無理して本名で呼ばなくていいよ。俺も、琴音がいなければここまで来れなかったよ。ありがとう。元気でな、というかあんま無茶するなよ?」
「無茶についてはオルトに言われたくはありませんね」
「おう、もっと言ってやれ姉さん。今も無茶しまくってるから」
「レオンも人のこと言えないからね?」
「ま、取り敢えずあんたらがユウと一緒にユニトリクに来てくれて本当に助かった。ユニトリクの騎士団長として、そしてローウェンス家嫡男として礼を言う。ユウとこの国を救ってくれてありがとう」
「いえ、私達はほんの少しお手伝いしただけです。オルトは自分の力で未来を勝ち取りましたし、この国を救ったのはユニトリク国民であるあなた達ですよ」
深々とお辞儀をするレオンさんに対して、私達はいえいえと手を振る。彼が顔を上げた後、少しの沈黙が流れた。
すると、オルトと目が合う。オルトは少し切なそうに微笑んだ。
「八雲、本当にありがとう。元気でね。気をつけて里まで帰ってね」
「うん、オルトもありがとう。元気で」
また少しの間が流れる。セファン達は何も言わずに見守っていた。
「じゃあ……行くわね」
私はフェラーレルを出ようと踵を返す。
昨日の夜、オルトとは充分話した。幸せな時間を過ごした。心残りが無いかと言えば、それは嘘だ。
でも、これでいい。帰ると決めたのだから。
私は一歩、踏み出す。
するとその時──
「八雲!」
呼び止めるオルトの声。私は振り返る。
そこには、思い詰めた様子のオルトがいた。顔を少し赤らめながら、彼は口を開く。
「八雲…………好きだ!!」
……その言葉に、一瞬頭が真っ白になる。
オルトの発言のエコーが脳内に鳴り響く。
……え? 今何て?
す、好きって言われたの私……!!?
「………………ええぇ!!?」
「えっと……急にごめん。その……もし今ここで気持ち伝えずに別れたら、絶対後悔するから……だから言った。俺、八雲のことが好きだよ」
オルトからの告白。その思いがけない嬉しくそして恥ずかしい出来事に、私の体温が一気に上がる。
顔を真っ赤にしながらパクパクと鯉の様に口を開けることしかできなかった。
「ビックリさせてごめんね? あ、別に答えなくてもいいから……」
「──わ、私もっ」
オルトが恥ずかしそうに目を逸らしたところで、ようやく私の声帯が働く。が、しかし声が裏返った。
オルトがキョトンとしてこちらを見る。
「うっううぅー……私も……私もオルトが好き!!」
私は半泣きになりながら、オルトに抱きつく。嬉しくて、とても嬉しくて、涙がこみ上げ流れる。
「や、八雲……」
「オルト、ずっとずっと前から好きだった! 大好きよ!!」
「……!!」
オルトが息をのむ音が聞こえた。彼の鼓動は早鳴っている。
「ありがとう、八雲。……凄く嬉しい。俺も八雲のことが大好きだ」
オルトの胸に顔を擦り付ける私の頭に手が乗る。オルトが撫でてくれている。もう片方の手では私を抱きとめてくれている。
あぁ、ようやく想いを伝えることができた。一方通行ではなく、想いが通じ合った。なんて幸せなことだろう。
顔を上げると、オルトが優しい瞳でこちらを見つめていた。顔が赤い。
「八雲……」
「オルト……」
私達はじっと見つめ合い、顔を近づける。
そして──目を瞑り、そっと口付けした。
触れた唇は柔らかく、温かい。
お互いに火照った体を抱き合いながら、この幸せな時間を堪能する。
オルトからの愛を感じる。全身が幸福感に包まれた。
私達は唇をゆっくりと離し、お互いを見つめ合った。
──するとそこで周りの視線に気付く。
「……ご馳走様です」
「おいおい、神子候補ともあろう者がこんな人通りの多いところでがっつりイチャつくなよな」
「あー、うん、分かってはいたけど俺やっぱショックだわ……」
合掌しながら少し楽しげに見ている琴音、腕を組んで少し恥ずかしそうにしているレオンさん、そして額に手を当てた半泣きのセファン。
告白からキスまで全部しっかり見られていたことに今更気がついて、私とオルトは慌てて離れる。三人だけでなく、知らない人達にまで注目されていた。
「えっと、あの、えっと……」
「なぁ琴音、泣いていい?」
「どうぞ」
琴音がそっとハンカチをセファンに渡す。セファンは涙を拭きつつ鼻をかんだ。琴音の顔が曇る。セファンは今夜あたり毒を盛られるかもしれない。
「ま、取り敢えずユウおめでとう。さて、心が通じ合ったところで御嬢さんどうする? やっぱ帰るのやめるか?」
「え……」
私はオルトを見る。彼は少し困った顔をした後、微笑んで首を左右に小さく振った。
それを見て私は頷き、レオンさんに視線を向ける。
「ううん、一度ちゃんと帰るわ。色々一継達に話したいこともあるし、里の様子も気になるし。それに……また会おうと思えば会えるもの」
「そうだね。神子選考が落ち着いたら……会いに行くよ」
「え、ユウが神子になったらユニトリクから出られねえだろ」
「そこはほら、俺の留守をレオンが守ってくれていれば……」
「おいおいおい、神子以外は神使からのお告げ聞けねえんだぞ!? 無理だろ!」
「ふふ、私が会いにまた来るわよ。神使が現れていないうちはまだ私結構自由にできるだろうし、何とか一継を説得するわ」
「ま。まだ俺が神子に選ばれるかも分からないし……きっと、どうにでもなると思う。だから……次会う時まで元気でな」
「うん。オルトも元気で。またね」
そう、また会える。お互いに神子の仕事に就いた場合、確かに動きにくくなるだろう。しかし、お互いの気持ちは通じているのだ。心さえ通じていればきっと、何とかしてまたオルトとの時間を作る方法はある。
だから、今はまず自分のすべきことをしよう。
私はフェラーレルの門へと一歩踏み出す。
高揚感と、達成感と、そして幸福感を胸に抱きながら──。




