第175話 抗え
宙に舞う、美しい金色の狐。放り出されたその体がこちらの方へと飛んでくる。
細長い四肢が引きつり、表情は苦痛に歪み、そして特徴的な九本の尾のうち三本が──付け根から半分の位置あたりで切断されていた。鮮血を撒き散らしながら、その儚い体が重力に従って床に打ち付けられる。同時に切り離された尾の先端も鈍い音を立てて落ちた。
「ハルモ!!」
オルトが血相を変えて叫ぶ。彼はハルモの方へと駆け寄ろうとしたが、ザウルによって阻まれた。無慈悲にハルモを傷つけた鋭い鉤爪が、今度はオルトを狙う。
「だ、大丈夫!?」
私は葉月を抱えたままハルモのそばへ走った。セファンはまだ自分の中の憑魔と戦っている。
「酷い……どうしよう」
しゃがんでハルモの頬に触れる。彼女の息は荒く、足が痙攣していた。尾の傷口から血がどんどん流れ出ていく。
「と、取り敢えず止血だけでもしないと……!」
あぁ、こんな時に治癒能力が使えないだなんて。能力をコピーしている葉月はボロボロで寝たままだ。
術抜きで、なんとか手当するしかない。
私は袖の布を引き千切り、ハルモの尾に巻きつけようとした。
『──大丈夫です』
「!」
今、透き通った女性の声が聞こえた。慌てて顔を上げ、周囲を見回す。
ザウルと戦うオルト、ジェラルドと戦うレオンさん、ハインツさんと戦うベルトラムさん、そして彼らの後方で戦闘を見守っているビアンカさんとお母さん、ジゼルさん。気を失っている琴音に、呻き声を上げ続けているセファン。……声の主と思われる人物が見当たらない。
『私です、八雲さん』
「え、まさか……ハル」
『あぁ、ザウル達に私が意識があることを気づかれると狙われかねないので、どうかそのまま知らぬフリをしておいてください』
「……分かったわ。でもどうして急に声が」
顔はオルト達の方に向けたまま、小声でハルモに返答する。
『今、あなたの脳に無理やり直接信号を送って話しかけています。あまり乱用すると体に負担をかけ過ぎるので、手短にお話しますね』
「……」
『今から、そのイミタシオンの子供に私の残りの力を授けます』
「残りの力……?」
『先ほど焔瞳にかなりの量の氣力を渡してしまったので、あまり残量はありませんが……その子が回復するくらいの力はあるはずです。今の私の体では、まともに浄化の光は使えません。ですがその子が治癒能力を発動できる様になれば、今苦しんでいる彼の憑魔も排除できるし、お仲間を回復させることもできるでしょう』
「確かにそれならあなたの傷を癒すこともできるわ。でも尻尾を生やし直すことは……きっとできない」
『構いません。それより、ぐずぐずしている時間はありません。その子を私のそばに下ろしてくれますか?』
「え、えぇ」
言われた通り、葉月を倒れたハルモの目の前に下ろす。ハルモはゆっくりと顔を葉月の方へと動かした。
しかし次の瞬間、何か嫌な気配を背後に感じる。
「うおらああああ!!」
「っつ!?」
咄嗟に結界の壁を出す。すると、突き出された拳が結界に当たって跳ね返された。攻撃した主は顔を歪める。
「ううう……」
「そんな、セファン……!?」
振り返ると、目に入ったのは手をさするセファンだった。瞳に生気は感じられず、口からは涎が垂れ、小さく唸り声をあげながらこちらを見ている。
……これはセファンではない。彼の中にいる、憑魔が表面に出てきてしまった。
「らああ!」
「きゃ!!」
セファンが床を殴ると同時に、私の足元から岩のドリルが生えた。咄嗟に躱すが、腕をかする。
セファンは結界を回り込んで殴りかかってきた。
「やめてセファン!!」
私はすぐさま葉月とハルモを抱えて回避する。攻撃を外したセファンは勢い余って床に突っ伏した。
私は急いでその場を離れる。
「セファンやめろ!!」
「よそ見とは余裕やな!?」
「く!!」
オルトがこちらに援護に来ようとするが、それはザウルに阻まれてしまう。レオンさんもジェラルドの相手でそれどころではない。
すると、金属が割れる様な音がした。驚いてそちらの方を見る。
「ベルトラムさん!!」
目に映ったのは、全身に切り傷を負ったベルトラムさんだった。腕から生えた刃には大量のひび割れが入ってボロボロと崩れており、体中の傷から血を滴らせながら彼は崩れ落ちる。その目の前で、ハインツさんが笑っていた。
「あはははは!! ベルトラム、君は長年王の側近として軟禁状態だったんだよ? 王の近くに置いておくからには、危険な力は削ぎ落としておくに決まっているじゃないか。憑魔を憑けるだけじゃない。体が少しずつ蝕まれていくように、ちゃんと毒を盛っておいたのさ。長年蝕まれたその体じゃ、もう無理はできないだろうねえ!?」
「ハインツてめえ!! 父上になんてことしやがる!!」
「僕が直接混ぜた訳じゃないけどね。あぁ、レオンには毒は盛ってないから安心してよ」
レオンさんがハインツさんへと斬りかかろうとする。しかしジェラルドに邪魔され、ハインツさんの元へと駆け寄ることができなかった。
「うがああ!」
「ひゃ!」
セファンが再び殴りかかりにくる。手には岩で作った拳鍔が付けられており、先ほどよりも脅威が増している。
結界を目の前に張ると、彼は思い切りぶつかって情けない声を上げた。
「セファン、ちょっとじっとしてて!」
私は掌をセファンの方へと向ける。
彼を閉じ込めるため、今出した結界と新しい三枚の壁で彼を取り囲もうとしたその時。
「え……!?」
突然、後ろから土砂が流れる様な音が聞こえた。驚いて振り向くと、私の真後ろの床から発射された小規模の土石流が葉月とハルモを飲み込んでいた。
「葉月! ハルモ!」
土石流は重力に逆らって天井へ向けて伸び、そして勢いを止めたところで乾燥して固まる。茶色い彫像の出来上がりだ。
葉月とハルモは顔だけ出しており、土砂の塊に体を完全に埋められて身動きが取れなくなっていた。
いけない、これではセファンを元に戻すことができない。
「ガウ!」
「サンダー!」
サンダーがセファンに飛びかかった。彼の腕に噛みつこうとするが、拳鍔で殴られ弾き飛ばされてしまう。
思い切りぶたれたサンダーはキャン、と悲鳴を上げながら倒れこんだ。
「お願い、目をさましてセファン!」
相棒であるサンダーを躊躇なく殴りつけたセファン。その光景は、私にとってとてもショックなものだった。
明るくて、優しくて、ちょっとお馬鹿でおっちょこちょいの彼は、とても仲間思いの良い子だ。毎日鍛錬で自分を鍛える真面目な面もあるし、羽目を外すことも多いがムードメーカーでもあるし、時には素直でビックリするくらい気が利いたりする。まだ幼いながらも辛い過去を乗り越えて前に進んでいる彼の姿を、私は尊敬している。
……そんな彼を、こんな風にした憑魔を、憑魔を生み出したコンクエスタンスを、私は──決して許さない。
「セファン……私が、助けてあげる」
きっと本当の彼の意思は今、相棒に手を上げてしまったことに心を痛めている。何とか自分の中から憑魔を廃しようと、必死に戦っている。
彼にも今までたくさん助けてもらった。たくさん守ってもらった。
だから、今度は私が彼を助ける番だ。
「うああああ!!」
セファンがこちらに迫ってくる。攻撃力が上がった右手を突き出してきた。
私は一歩も動かない。
「セファン、大丈夫だよ」
目の前に迫る拳。歪んだセファンの口。
その生気の抜けた虚ろな双眸に──刹那、光がともった。
「!!」
拳鍔が顔面に打ち付けられるかと思ったその瞬間、腕の軌道が僅かに逸れた。
拳は私の左頬を掠めつつ、空気を殴る。
そして、セファンの体の動きが停止した。
「……セファン?」
「う……あ……や、やく……も」
セファンの体が震えだす。腕を私の左肩後ろに突き出したまま、手足を硬直させて口を震わせた。
私は両腕を彼の背中に回す。そして自分に引き寄せた。
「もう大丈夫だよ、セファン」
「──!!」
途端、セファンの体から力が抜ける。崩れ落ちそうになる彼の体を支えた。
「八雲……ごめん、俺、俺八雲を殴って……」
「大丈夫、ちょっと掠っただけで怪我はしてないわ。それよりも……」
「はっ! 抵抗しても無駄だよぉ!!」
緊張の糸がほどけかかったところに突然、ハインツさんの声の横槍が入る。ハインツさんは右腕を上げながらこちらを見ていた。
直後、セファンの体が強張る。
「セファン、どうしたの!?」
「八雲、ダメだ!! 離れろ!!」
「きゃあ!?」
私はセファンに突き飛ばされた。勢いよく後ずさり、葉月達が埋まっている彫像に背をぶつける。
セファンは両手をだらりと下げ、苦しそうに胸を押さえながら荒い息をしていた。
「少しでも自我を取り戻したのは褒めてあげるよ。でも、そんなのは無駄な努力さ」
「ハインツ、やめろ!!」
離れた位置のハインツさんは、セファンに掌を向ける。そして手をくるりと返した。
すると、セファンが目を見開く。
「ぐああああ!!」
雄叫びをあげるセファン。叫んだ後がっくりと頭を落として大きく溜息を吐き、そして顔を上げてこちらを睨んだ。
直後、飛びかかってくる。表情は殺気に満ちていた。
「セファンっ……!」
こちらへと伸びる腕。顔面を狙って拳が飛んでくる。取り戻しかけた彼の意思はそこには無い。
しかし、まだやれるはずだ。正面から向き合えば、きっとまたセファンの意識を取り戻すことができるはず。
私はそう信じて両手を広げる。目の前に迫るセファン。オルトの叫び声が、遠くから聞こえる。
勢いを殺さず迫り来る拳。思わず瞑りそうになる目を懸命に見開き、セファンを受け止めようとしたその時。
「────がはぁっ!!」
赤い滴が目の前を舞う。
セファンは拳を振り下ろし、床を叩きつけると同時に岩ドリルを生やしていた。その岩ドリルは──彼の腹を貫いている。
「セファン!!?」
私の目の前で、自らを串刺しにしたセファンは苦しそうに血混じりの咳をする。彼は顔を上げ、ハインツさんの方を睨んだ。
「へっ……どうだ、抗ってやったぜ……」
「な、馬鹿な……!?」
「セファン、何てことを……!! どうしてこんな……」
「八雲……へへ、傷つけずに済んで良かった……」
「セファン、嫌よ……セファン!?」
「これならもう動けねー……八雲達を傷つけることもねー……」
「なんて無茶を……!」
ドリルが刺さったまま、床に手をつきうなだれるセファン。私は彼に駆け寄り、体を支える。
ドリルはセファンの体を貫通して背中から先っぽが突き出ており、付いた血が重力に従って滴れてきている。彼の体から生気が失われていくのを感じた。
「セファン、しっかりして! お願いセファン、死んじゃ嫌よ!?」
「うぐ……うん、俺も死にたくねーけど……何かまた意識が遠のいてきた……何かねみー」
「セファン待って! お願い、お願いだから……」
だんだんと虚ろになっていく彼の表情を見て、血の気が引く。どうしよう、このままではセファンが……!
すると後ろで、土砂が静かに崩れる音がする。葉月とハルモを捕らえていた彫像が、ボロボロと砕けていった。二匹の体が床に引きつけられていく。
「お願い……ハルモ!!」
『──はい!!』
私の後ろで、ハルモが力強く叫ぶ。それと同時に眩い光が部屋の中を照らした。白く強い光が眩し過ぎて、思わず目を瞑る。
「ハルモ!?」
「おいおい何だよ!?」
オルトとレオンさんの声が聞こえた。皆驚き、光の中で動きを止めている。
少しの間、光が部屋内を包みこんだ後、それはゆっくりと消失する。私は恐る恐る目を開いた。
そして、目の前にいる生物を見て驚く。
「…………え?」
私の前には、細長い角、白い翼、狐耳を持つ、葉月よりふた回りほど大きな白竜がいた。




