第173話 バルストリアの狂乱
美しい金色の狐がこちらを見つめる。俺とハルモ・ヴィクス以外は何が今起こったのか理解できず、その場で硬直していた。火竜達が消え、謁見の間の中に静寂が訪れる。俺は氣力をほぼ使い切ってしまい、全身が倦怠感に襲われた。
ハルモ・ヴィクスは九本の尾を立てて揺らしながらギルベルトを睨む。俺はへたり込む八雲の方へ駆け寄った。レオンもハッとして立ち上がり、ビアンカの方へと走る。
「そ、その狐さんって……アリオストにいた……?」
「そうだよ八雲。俺が呼び出した。ビアンカ、君達に憑けられた憑魔は消えた。安心して」
「え、あの、ええっと……」
レオンはビアンカを抱き起し、困惑した表情でハルモ・ヴィクスを見る。彼の両親も彼女に釘付けになっていた。
すると、ギルベルトが震え声をあげる。
「あ、あなたは……まさか……!?」
明らかにギルベルトの様子がおかしい。亜空間を破られ、憑魔を消去されたこと以上に、何かに驚いている。
彼はゆっくりとハルモ・ヴィクスを指差した。
「それをユウ君が呼び出しただと……!?」
「あぁ、そうだ。ビアンカ達の憑魔は消えた。もう好きにはさせないぞ」
「そんな、馬鹿な……」
ギルベルトは両手で頭を押さえ、怯える様な表情で唇を震わせる。異常な落胆ぶりだ。人質が解放されたことがそこまでショックなのだろうか。いやしかし彼だって氣術の達人のはず。この程度で戦意を喪失するとは思えない。
すると、後ろから声をかけられた。
「ユウフォルトス、なぜお前がその御方を呼び寄せることができたのだ?」
「え……?」
振り向くと、ベルトラムおじさんが戸惑った表情でこちらを見ている。すぐそばのレオンも、まるで説明を求めるかの様に俺の目を見ていた。
今ベルトラムおじさんは、ハルモ・ヴィクスのことを『その御方』と言った。この不思議な狐の獣魔のことを知っているのか。
「なぜ、と言われると俺にもよく分かりませんが……」
「……お前まさか、その御方が何者なのか知らないのか?」
「?」
困惑した顔で質問を続けるベルトラムおじさん。一体何が言いたいのだ。
────いや待て。彼女のことを敬称で呼ぶベルトラムおじさんとギルベルト。神子一族当主である彼らが敬称で呼ぶ人間は、神子である王だけ。もしそれ以外で敬って呼ぶことがある存在といえば──
「……まさか、神使!?」
『はい、そうですよ焔瞳』
「知らなかったのか……」
「ユウお前って奴は……」
呆れ気味に溜息をもらすベルトラムおじさんとレオン。ハルモ・ヴィクスは嬉しげに眼を細めた。
「それならそうと言ってくれよ、ハルモ……」
『まぁ、あなたならそのうち気が付いてくれるかと思いまして』
「だから焔瞳って単語知ってたのか……」
「ユウお前……もしかして神使と喋ってる?」
「え? あぁ……あ、もしかしてハルモの声、聞こえない?」
「やっぱ喋ってんのか。俺には聞こえねえよ」
『私の今の声は、あなたにしか聞こえていませんよ。彼らに無理やり言葉を飛ばすこともできますが』
「……っていうか、どうしておじさんはハルモのこと知ってるんです? 会ったことあるんですか?」
「俺は前々回の神子選考で先代の神使に会っているからな。神使の気配は何となく分かる……だから、同じく神子候補だったギルベルトもそうだろう」
「!」
ベルトラムおじさんの視線が俺の後方に移る。俺は振り返り、そちらを見た。
ギルベルトが頭を抱えてぶつぶつと何かを呟いている。
「なぜ……ユウ君、君が神使を呼んだということは……君が神子に選ばれたというのか? 玉座を奪いに来たのか?」
「神子に選ばれたも何も、俺今ハルモが神使って知って……」
「あああぁあぁああぁぁ!! ライファルトもユウフォルトスも!! お前達エルトゥールはどうして私をこうも侮辱するのだあああ!!!」
「!!?」
突然、ギルベルトの周囲に冷風が巻き起こる。激昂する彼の足元がパキパキと音を立てながら凍りついた。
「おい落ち着けギルベルト!!」
咄嗟にベルトラムおじさんがギルベルトを制止させようと踏み出す。
するとその時、冷え切った声が聞こえた。
「……もう、何やってんだよお父さん」
声を聞くと同時にギルベルトの動きが止まる。振り向くと、気だるげなハインツがこちらに歩いて来ていた。先ほどまで彼は扉の近くでジッと独り言を言っていたはずだが。
警戒する琴音のそばを通り過ぎて、ゆっくりとギルベルトの元へと辿り着くハインツ。彼は父親の肩を叩く。すると、ギルベルトはその場に崩れ落ちた。
「お父さんはちょっとお部屋で休んでて」
ハインツは指を鳴らす。するとギルベルトの周囲に細い光の線が走り、四角形を結んで彼を囲んだ。次の瞬間、光の線で囲まれた空間内が点滅し、ギルベルトの姿が消える。ハインツがギルベルト自室へと転送したのだ。
遠巻きに見ているザウルとジェラルドが、あーぁ、と小さく声をこぼす。
「さてユウ……そうか、そうだよね、やっぱりユウだよね……ふふふ」
「ハインツ?」
虚ろな目をこちらに向けながら、不敵に笑うハインツ。何か悍ましいものを感じて、俺は八雲を庇う様に彼女の前に立つ。
「あぁ、神使よ。やはり選んだのはユウでしたか。えぇ、分かってはいた、分かってはいたんです。でも、それでもそうじゃないことを僅かに期待してしまっていたんですよ。でも今、答えが明らかになってしまった……」
「ハインツ、落ち着いて。今、憑魔を取ってあげるから……」
俺はハルモに視線を向ける。すると、彼女は首を振った。
『焔瞳、彼に憑魔は憑いていません。もし憑いていたとしたら、先ほどの光で排除されているはずです』
「な……!?」
『彼の言動は、彼自身の意思によるものです』
「まさか……!」
「おい、どうしたユウ?」
「……ハインツに憑魔は憑いていない」
「!!」
「あはは、そう、僕は操り人形なんかじゃないよ。正真正銘、自分の意思で動いてる」
「じゃあ、ギルベルトに加担してるのもお前の意思だって言うのかよ!?」
「そうだよレオン。僕は僕の考えでお父さんに協力してる……いやむしろ、今は僕が操る側と言っても良いくらいだ!」
「え……?」
「ユウ達は知ってるか分からないけど、お父さんは当主としての素質が無い。人望だけじゃなく、才能もイマイチなんだよ。だから僕が、もう一人の王として政治をしてる! 今のこの国の王は僕なんだ!!」
高ぶりながら話すハインツの双眸に、狂気を感じ取った。興奮気味に彼は話を続ける。
「僕が政治を回す様になって、ようやくお父さんが僕のことを褒めてくれたんだ! ようやく認めてもらえたんだ! ……なのに」
ハインツの声のトーンが急に落ち、彼は俯く。
「……どうしてユウ、戻ってきたんだ」
「ハインツ……」
「せっかく、ようやく僕の居場所が見つかったのに! 僕がやるべきことが、僕が輝ける場所が見つかったのに!! ユウは僕とお父さんを殺しに来たんだろ!? 家族の仇を取りに来たんだろ!? 玉座を奪いに来たんだろ!?」
「ハインツ待て! 俺はそんなつもりは……」
「うるさいうるさいうるさい!!! 神使に選ばれたユウに僕の気持ちなんか分かるか!!」
「ハインツ落ち着け!! 俺の話を……」
「ユウなんて……ユウなんて戻って来なければ良かったのに!! ユウなんて嫌いだ!! ユウなんてし」
「ハインツ!!」
レオンの怒号と拳がハインツの言葉を遮った。頬を殴られ、ハインツがよろける。
「この馬鹿野郎!!」
「ぐ…………レオンも……レオンも嫌いだ……皆大っきらいだっ……!!」
「いい加減にしろ、ハインツ。お前は……」
「黙れよおおぉーーーーーー!!!」
「「!!!」」
ハインツが叫ぶと同時に、彼の前に黒い球体が現れた。ブラックホールだ。
周囲に風が巻き起こり、それは球体の方へと強く吹き込んでいる。
「よせ、ハインツ!!」
「くっそ、あれどうにかできねえのかよ!?」
俺は八雲を、レオンはビアンカを支えながら、ブラックホールに飲み込まれない様必死に踏ん張る。吹き込む風は次第に強くなっており、このままでは全員あの球体の中に引きこまれて潰されてしまう。
「ふむ、これはさすがに我々も逃げた方が良いのかな?」
「はぁ、まぁそうやなぁ。別に止めろとも助太刀しろとも言われてへんしなぁ」
悠長に会話しながら、部屋の外へと足を踏み出そうとするジェラルドとザウル。彼らはまだブラックホールから離れた位置にいるため、風の影響が少ない。
「……仕方ない。こうなっては彼を殺すしかなかろう」
「父上!?」
腕から刃を生やして拘束縄を切ったベルトラムおじさんが言う。彼は更にもう一本ずつ両腕から大きな刃を出し、構えた。
「待ってください! ハインツを殺さなくても何か方法が……」
「甘いなユウフォルトス。ハインリヒは自分の意志で闇の組織に加担する大罪人だ。それにお前は家族全員をこいつらに殺されたのだろう? 今もまた、仲間全員が死ぬ危機にあるんだぞ? また全てを失うつもりか」
「でも……何か方法が……」
上手くブラックホールを避けながらハインツを気絶させるか? いや、彼に近づくにつれて風の威力が強くなる。きっと彼に攻撃を当てる前に、体が風に負けてブラックホールに飲み込まれる可能性が高い。
では全員でここから一旦逃げるか? いや、今ザウル達が立っている位置ならまだしも、これだけブラックホールから近ければもう風の効果範囲から全員で出るのは難しいだろう。きっとハインツだって逃げるのを許さないはずだ。それに、それでは根本的解決にはならない。
ならばブラックホールを壊すか? 黒い球体の正体は、亜空間内にある氣術器だ。何とかしてあれを破壊することができれば……
「──琴音! 縄持ってる!?」
「? はい、ありますよ!」
琴音がこちらに駆けてくる。セファンとサンダーは、身を低くしながら風に飛ばされない様に踏ん張っていた。
俺は琴音から縄を受け取る。
「レオン、刃ってどれくらい伸ばせる!?」
「あぁ!? っておい、何してんだ!?」
俺は八雲をジゼルに預け、レオンの腹に縄を巻きだす。その急な行為にレオンが驚いた。
「あの黒い球体はたぶんハインツの亜空間そのものだ。あそこに入った更に奥に、ブラックホール発生源の氣術器がある」
「おい、ちょっと待て。俺の質問に答えてねえぞ……まさか俺に飛び込ませる気か?」
「さすがレオン。大正解」
「おいおいおい笑顔で言うんじゃねえ!! 俺に自殺しろってか!?」
「いや、レオンだからこそ頼んでるんだよ」
「頼んでねえだろこれ。ほぼ強制だろうが」
「今の俺はさっきの術でほとんど氣力を使っちゃったから、氣術器を壊すのは難しいんだ。でもレオンならまだ余力があるだろうし、それに単純な身体能力ならレオンの方が上だよ? 上手くブラックホールに体を潰される前に、氣術器を破壊できると思う」
「つまり、俺にあの亜空間に飛び込んで、それで風にもみくちゃにされながら氣術器をぶっ壊してこいってことだろ? 少しでも目測とタイミング間違えたら俺、死ぬぞ」
「もし氣術器本体に近づきすぎたら、縄を少し引っ張って。そしたら俺が縄でレオンを引っ張り返すから。で、レオンの刃はどれくらい伸ばせるの? 伸びれば伸びるほど、氣術器に近づかなくて済むから成功率上がると思うんだけど」
「……質に拘らなきゃ五十メートルは余裕だと思うけど」
「さすが。じゃ、できそう?」
「…………やるしかねえだろうが」
レオンの体にしっかりと縄を結び付け、彼が支えていたビアンカを受け取って母親であるティアナおばさんに預ける。
レオンは大きく息を吐いた。
「お、お兄ちゃん……」
「大丈夫だビアンカ。俺がハインツを止める」
「もし失敗しそうになったら、俺がハインツを殺すからな」
「そうならないように頑張ります、父上」
「レオンさん……」
「そんな心配そうに見るな、御嬢さん。あんたはユウの心配だけしてな」
ベルトラムおじさんが、俺の後ろで縄を握った。レオンを引っ張るのを援護してくれるらしい。琴音もその後ろで縄を掴んだ。
「……はぁ、なんかユウに乗せられた気がする」
「レオン、信じてるよ」
「おう」
前方では、ハインツが高笑いしながら天井を仰ぎみている。俺達の言動は全く気にしていない。余裕だからなのか、それとも気が狂ってしまって周りを注視する理性すら飛んでしまっているのか。
ブラックホールへと吹き込む風がだんだん強くなってくる。体勢を保つのがきつくなってきた。
「レオン!」
「うっしゃあああ! 行くぞ!!」
レオンが床を蹴り、ハインツの元へと飛ぶ。彼の体はたちまち、黒い球体へと吸い込まれるように引き寄せられていった。吹き荒れる風のせいで、体が大きく揺さぶられ回転する。
その中でレオンは右手を前に突き出す。上を向いていたハインツは気配に気づいたのか顔を下ろし、そしてレオンを見た。彼は眉をひそめ、訝しげな表情をする。
次の瞬間、レオンの右手の爪が急激に伸びた。いや、あれは爪が伸びたのではなく、指先から出した刃を細長く伸ばしたのだ。伸びた刃の先が黒い球体の中へと入る。
「何をする気だああ!!?」
「うおりゃあああ!!」
レオンの体が球体の中へと吸い込まれた。その直後、縄がピンと張る。
「! 引っ張れ!!!」
俺達は命綱を全力で引っ張る。しかしブラックホールの吸引力は凄まじく、レオンを引っ張り出すどころかこちらが引きずられる。
足で懸命に踏ん張り、引っ張り直そうとしたその時。
ガラスが割れた様な音がして、黒い球体が弾け飛んだ。
物凄い暴風が吹き荒れ、何かの破片と思われる金属片が撒き散らされて俺の頬を掠る。
俺達は暴風に抗えずに大きく吹き飛ばされた。ハインツも同様に壁際に飛ばされ、ぶつかって喘ぎ声をあげる。
「──レオン!!」
飛ばされ、床に倒れた俺は急いで顔を上げる。
黒い球体があった場所、そこには────指先の刃を元に戻すレオンがいた。
彼は壁際でゆっくりと起き上がるハインツの方を向く。
「お前さっきからユウユウユウユウ言ってばっかでエルトゥールのことしか目に入ってねえみたいだけどよぉ……俺も神子一族の一人なんだぜ? ローウェンス家を舐めんじゃねえよ、ウルトラスーパーハインツ君」