第167話 奪われた力
体中を迸る耐えがたい痛みから解放されて、温かく力強い腕に体を抱かれる。移植実験で電流を流され続けた影響で意識が朦朧としていた。全身に力が入らず、私を抱えるオルトにただ身を委ねている。
彼が敵の攻撃を躱すために何度も飛び跳ねたりするので、そのたびに体は大きく揺れ、視界が回転した。特に気持ち悪くなったり、痛みを感じたりすることは無かったが。
オルトや他の人達が何かを言っているが、頭がぼーっとしていて内容が全く入ってこない。ただ、切迫した状況なのだということだけは分かっていた。
「う……」
オルト、と声をかけようとしたが、言葉が出てこなかった。肺が、喉が、口が言うことをきかない。恐らく先ほどの電流で体中が麻痺してしまっているのだろう。
チラと横に目をやると、私と同様に抱かれている葉月がいた。息は荒いが、まだ生きている。それを見て少し安堵した。
すると、体がガクンと揺れ動く。途端、急上昇するのが分かった。霞んだ目ではイマイチ何が起こっているのか分からないが、きっとこの場から逃げるのだろう。
上からジゼルさんと思われる声が聞こえる。直後、敵らしき人物達の動きが一瞬止まった様に見えた。目がぼんやりしていてピントが合わないが、きっと敵だと思う。
────私達の体は暗い部屋を抜け、明るい世界へと出た。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
「大丈夫か、八雲?」
「うん……たぶん」
心配そうに顔を覗き込んでくるオルトに返事をする。私はゆっくりと体を起こした。
どうやら眠ってしまっていたらしい。
「えっと……ここは?」
「王城の客間の上にある屋根裏スペース。ちょっと狭いけど我慢してくれ。あとあんま大きい声出すなよ」
レオンさんが小声でそう言う。ここは配管の作業スペースらしく、太さが様々な管が張り巡らされていた。窓がないため薄暗く、そして天井は低く、私でさえも屈まないと頭をぶつけてしまうだろう。背の高いオルトやレオンさんならかなり動きにくいはずだ。
周囲を見回すと、セファン、サンダー、ジゼルさんもいた。琴音と葉月はグッタリと寝ている。
「葉月!」
私は小さく悲鳴をあげながら四つん這いで葉月に近づく。ダメージが残っているのか、体のあちこちで軋む音がした。
「おい八雲、動いて大丈夫なのか?」
「私は大丈夫。それより葉月が……」
セファンが心配気に話しかけてくるが、今は私よりも葉月だ。かなり弱っている。それに琴音もだ。早く治してあげないと!
私は葉月の体に掌をかざす。
「────?」
しかし、何も起こらない。
「え……あれ……?」
いつも通り怪我を治そうと、治癒能力を発動しようとする。
……しかし、掌から優しい光がでることは無い。
すると、私の様子を見てオルトが血相を変えてこちらに寄ってきた。
「八雲、まさか……」
オルトが私の手を握り、そして紅い双眸で見つめてくる。その瞳は悲しそうに揺れていた。
私はオルトのその表情の意味、そして術を発動できなかった理由を悟る──
「……嘘」
「ごめん、八雲……俺のせいだ……」
ガブリールの移植実験によって、治癒能力を引き剥がされた。
移植は半ばで中断されたはずだし、体には電流によるダメージ以外の不具合は特に感じていなかったため分からなかったが……そういえば確かに、何かが体から抜け落ちた様な感覚がある気がする。
私は事実に気付いて、得も言われぬ喪失感に襲われた。
目の前のオルトが、私の手を離して頭を垂れる。
「ごめん……俺がもう少ししっかりしていれば……もう少し早く八雲を助け出せていれば……」
「ま、マジかよ……八雲、本当に使えねーのか?」
「う、うん……できない……!!」
「……すまねえ。そもそも俺がちゃんともっと良く考えて行動してりゃ捕まることなんて無かったのに……!」
オルトが、レオンさんが悔しそうに言葉を零す。セファンとジゼルさんは呆然としていた。
「そんな……これじゃ葉月が……!」
葉月を抱き上げる。すると、小さくキュウ、と鳴きながら目を開いた。
そして、心配するなと言いながら尻尾を力なく振る。
「ごめんね葉月……」
私はギュッと葉月を抱きしめた。葉月は私の腕を甘噛みする。
「あ、ちょっ……葉月!?」
私の腕の中をすり抜ける葉月。彼は琴音の傍に降り立った。
「どうしました、葉月……?」
琴音が辛そうに顔を葉月の方へと向ける。葉月は琴音の腹部に巻いてある包帯に顔を近づけた。包帯は血が滲んで真っ赤になっている。
すると、葉月の口元から優しい光が出た。
「え……!!」
琴音が目を見開く。葉月の光は琴音の腹部を穏やかに包み込み、そして微かにシュウウと音を立てた。
──これは、私の治癒能力のコピーだ。
「そうか……葉月が最後に受けた氣術って私の治癒だったわね……」
琴音の表情が和らいでいく。ある程度術をかけたところで、琴音は葉月を撫でた。
「……葉月、ありがとうございます。傷口は塞がったみたいなので、もういいですよ。あなた自身の傷を治してください」
「キュ……」
術を止め、葉月は深く息をつく。そしてガブリールに抉られた部分に少しだけ治癒をかけ、傷が薄くなったところで止めて体をゆっくりと寝かせた。
治癒能力で傷を塞ぐことはできるが、失われた血液や体力が戻るわけではない。葉月の体力は限界に近い。
「葉月……」
治癒能力を奪われた私には、葉月の傷を完治させることはできない。一番大きな傷は今のでかなり塞がったが、まだ体のあちこちに切り傷や打撲痕がある。かなり痛々しい。
どちらにしろ体力を戻してやることはできないが、傷を治してあげられれば、痛みから解放されてそれだけでもだいぶ楽になるはずなのに。
「ごめんね葉月……」
私が俯くと、息を整えた葉月が顔を上げた。そして、私の頬を舐める。
葉月は笑顔で大丈夫、と言った。……私が励まされている。
葉月は周囲を見やる。そしてゆっくりとオルトの方へ歩いた。
「……ん? あぁ葉月、俺は大丈夫だから、今はゆっくり休んで体力を回復してくれ」
オルトが左手をヒラヒラと振る。その左手首は包帯でグルグル巻きになっていた。こちらも血がかなり滲んでいて痛々しい。包帯が真っ赤に染まっていることから、結構酷い怪我なのかもしれない。よく見ると、彼の体のあちこちには傷跡ができていた。
オルトだけではない。セファンだって、レオンさんだって、ジゼルさんだって、オルトの左手程酷くはないが体中に怪我を負っている。
「ユウは……それちょっとだけでも治してもらった方がいいんじゃねえの? 肉が抉れてるんだろ? まともに剣振れるのかよ」
「えっ抉れてる……!?」
「んー、まぁジゼルが応急処置してくれたしたぶん大丈夫。それよりは葉月が回復する方が大事」
オルトが右手で葉月の頭を撫でる。葉月は再び体をゆっくりと寝かせた。
「さて……どうしますか? ここに長居するわけにもいきませんし、移動します?」
ジゼルさんが小声で喋る。傷が塞がって顔色が少し良くなった琴音が体を起こした。
「私も、そろそろ移動した方が良いかと思います。きっと今ごろ敵は王城内をあちこち探し回っているはずです。私達が見つかるのも時間の問題。発見されて捕まる前に、王城から脱出するか、敵を倒すかしなければいけませんね」
「倒すって簡単に言うけどよー……さっき逃げるのに必死だったのに、そんなことできんのか?」
「先程は武器を没収されていましたし、私は動けなかった上にオルトだって氣術を封じられていました。ちゃんと体制を整えて考えて行動すれば、不可能では無いと思いますが」
「……確かにそうかもしれねえな。それに、ここで逃げたらビアンカを助けられねえ。警備も厳しくなるだろうから、また一からやり直すとかもできねえだろうし」
「そうだね……。となると、先にガブリールとニコロを分離させて倒した方がいいな。その後でザウルとジェラルドで……」
うーん、と頭をフル回転させながらオルトが喋る。
私は暗い気持ちで葉月の方へと手を伸ばす。寝入った葉月を起こさない様丁寧に抱き上げた。温かい。
するとオルトがこちらを見た。
「?」
「八雲……君の力、ガブリールなら戻し方を知ってるかもしれない」
オルトがこちらを切なげに見る。
しかし私は首を左右に振った。
「ううん、いいわ。治癒能力が使えなくなっちゃったのは悔しいけど……でもきっと、力を取り戻そうと思ったら、さっきの移植の逆をやらなきゃいけないわよね? ガブリールとザウルがそれに従うわけないわ」
ザウルに移った能力を引き剥がして、私に移植する。装置はガブリールでないと動かせない。
だがこの両者どちらもそんな逆移植をさせてくれる訳が無い。
「あ……でも、治癒能力が無くなっちゃったってことは、憑魔を排除できないわ。ビアンカさんを助けることができない……。葉月がコピーした力で取れるとしても、その分の体力が今の葉月には無いわ」
「今ビアンカを助け出したところで、憑魔がすぐ取り除けないんじゃ返り討ちに遭っちまうか」
「フィオラなら確か浄化できたよな? ビアンカさん連れ出してキフネまでひとっ飛びするとか?」
「さすがに遠すぎるな……」
────するとその時、サンダーが耳をぴくっと立てた。オルト、琴音、レオンさんも目つきが変わり、黙って武器に手をかける。
「来たな……全員、ここから出る準備を」
小声でオルトが話す。全員が頷いた。
足音が近づいてくる。フンフンと鼻を鳴らし、小言を言いながら男が迫ってきた。天井の上にいるので部屋内を目視することはできないが、その声色で誰かが判明する──ニコロだ。
「全く、広すぎるってのも考え物だぜ。上手いこと匂いも拡散されちまってるしよぉ……あぁでも、絶対ここだな。明らかに匂いが強い」
さすが狼男、私達の匂いを追ってきたらしい。逃げる時に琴音が何か小細工していたので、ここを突き止めるまで多少時間がかかった様だ。
しかし、逆にこれはチャンスだ。今ならそこにいるのはニコロだけ。彼一人なら、オルト達がいればすぐ倒すことができるだろう。
オルト達は天井を突き破ってニコロに奇襲をかけようと構える。
──次の瞬間。
けたたましい狼の遠吠えが、王城中に鳴り響いた。




