第156話 保険の効果
あぁ、マズイ、マズイ、マズイ。もう既に竜の鉤爪幹部達は宿にとっくに到着しているだろう。八雲達は無事だろうか。竜の鉤爪の残忍さからすると、八雲以外は全員殺そうとするに違いない。その上向かったのがあの盗賊団のボス、鉤爪の男なのだ。あんな化物級に強い男に襲われれば抵抗すらまともにできない可能性がある。
脳裏に最悪の事態となった宿内の光景が描かれた。
「頼むから……間に合ってくれ……!!」
俺は祈るように両手を握りしめながら俯く。
しかし、もし間に合ったとしてその場合どうやって竜の鉤爪から逃げるのか。未だ奴らが俺達の宿を特定できておらず、八雲達と接触していないのならまだ何とかなるかもしれない。だが既に接触しており、俺達が行って鉢合わせした場合どうなる。俺は先ほどのアジト攻略戦で満身創痍だし氣力も残り少ない。琴音も怪我だらけだし、準備していた武器も道具もほぼ使い切ってしまった様だ。この状態でナンバーワン、ツーとまともに戦えるだろうか。いや、無理だ。万全な状態でも勝てるかどうか分からない相手なのに、こんなボロボロの状態で勝てる訳が無い。上手くだまくらかして何とか逃げるのが正解なのだろうが、そんな手練れ相手に逃げる方法が今の俺達に残っているだろうか。体力も氣力も残り少ないのに、どうやって隙をついて逃げれば良いだろうか。
「……ルト」
「琴音の煙幕弾があれば何とかなるか? いやでもそれを安易に投げさせてくれないだろうからまずは……」
「……ルト! オ・ル・ト!!」
「わっ!?」
突然肩を大きく揺さぶられて驚き、顔を上げる。すると心配そうにこちらを見つめる琴音の顔がそこにあった。
「オルト、八雲が心配なのは分かりますが取り敢えず落ち着いてください。あと、急ぎたい気持ちも分かりますけど気流をちょっと弱めてもらえませんか? 風太丸が苦しそうです」
「……あ、ご、ごめん」
今俺と琴音は風太丸に乗ってフェラーレルの宿へと向かっている。風太丸の乗車定員は一人のため、二人以上乗る際は氣術で風を作ってあげないと上手く飛ぶことができない。しかし急ぐあまり気流を強くし過ぎていたらしく、風太丸に負担がかかってしまった様だ。俺はすぐさま気流を弱め、風太丸に謝る。風太丸は少しこちらを睨んだ後、フンと鼻を鳴らした。
「……オルト、大丈夫ですか?」
「あぁ、俺は大丈夫。ごめんな。それよりも八雲達が……」
「八雲達なら、きっとまだ殺されていないと思います。大丈夫ですよ。もしもの時のために保険を張っておきましたから」
「……保険?」
暗い気持ちに沈む俺の肩をポンと叩き、そして頷きながらそう言う琴音。保険、とは一体どういう意味だろうか。
「はい。フェラーレルを出る前、騎士団に情報を流しておきました。今夜、あの宿を竜の鉤爪が襲撃する、とね」
「!」
「もし竜の鉤爪が宿に侵入すれば、きっと情報を元に待ち伏せしていた騎士団がそこへ突入するはずです。騎士団は竜の鉤爪の天敵ですし、大きな騒ぎになるのはボス達にとって面倒なので撤退してくれるかもしれません。少なくとも時間稼ぎにはなります」
「でもちゃんと騎士団は駆けつけてくれるのか? それに騎士団が竜の鉤爪のボスと仲良しのコンクエスタンスと繋がってる可能性もある」
「ユニトリクの騎士団は正常に機能しています。ですから一般人が過激派盗賊団に襲われるとなれば助けにきますよ。それに、アリオストの時の様にもしコンクエスタンスのスパイが騎士団に紛れ込んでいたとしても、それはきっと上層部の一部の人間です。私が夜遅くに流した情報がその上層部に届くのはきっと明日以降。今日動くのは通報を受けた詰所の下っ端のはずですから問題ありませんよ。それに、竜の鉤爪のボスがたまーにコンクエスタンスの依頼をもらってくる程度で、盗賊団とコンクエスタンスはそこまで仲が良いという訳では無いと思います。私がここにいた頃もコンクエスタンスの存在など全く感じないくらいでしたので」
「そうか……」
琴音の言葉を聞いて、俺の肩に大きくのしかかっていた不安と焦燥感が軽くなる。情けない自分を戒めつつ、琴音に感謝した。
「……琴音、こうなることまで読んでたのか?」
「いえ、あくまで可能性の一つとしては考えていました。なんせあちらには師匠がいましたので。他の竜の鉤爪メンバーはともかく、師匠なら私達の潜伏先にも目星がついていたはず。師匠は普段は上に全く報告を上げない人間なので、私達がユニトリクに入ったことも宿のことも黙ったままかと思っていましたが……宿を知られたということは恐らく師匠が報告したのでしょうね。一応念のために保険を作っておいて正解でした」
「……凄いな琴音は。ありがとう」
「いえ、当然のことをしたまでですよ。それよりも、今回の作戦の一番の功労者はオルトです。オルトが莫大な氣力と戦力でアジトを引っ掻き回してくれたので、こうして無事に目的を達成して帰路につくことができてます。ありがとうございました」
「いや俺は別に……ってえ? 目的達成?」
今回のアジト潜入作戦の目的は、コンクエスタンスと繋がるスパイの正体を暴くこと。神子一族の誰かがスパイである証拠をあの状況の中で持ち去ることができていたのか。
「はい。オルトが開けてくれたあの穴から風太丸が侵入して、ちゃんと回収してくれたみたいです」
レオナールと対決する直前に琴音の指示に従ってぶち抜いた部屋。単独で行動した風太丸がそこからちゃんと証拠品を持ち帰ってくれたらしい。
まさかあの状況でちゃんと回収できているとは思っていなかったので、キッチリ任務をこなしていたことに感心する。
「そうか、ありがとう風太丸」
俺は風太丸の背中を撫でる。風太丸は前を向いたまま飛び続けた。
風太丸に負担をかけない程度の最大速度の気流を保ってしばらく飛行し町を目指す。氣力が町まで持つか微妙なところだ。
「はぁ、はぁ……」
「オルト大丈夫ですか?」
「うん、なんとか……」
「……顔色が悪いですね。一度降りて休んだ方が……」
「いや、大丈夫。このまま行こう。もうすぐ着くし」
戦闘で血を流し過ぎた。応急処置はしてあるが、両手や太腿、左腹など深手を負った箇所がずっと痛い。アジト内を走り回って体力も消耗している。両掌の怪我を押して無理矢理氣術を使っているので、いつもより氣力の消費が早い。正直、もうフラフラの状態だ。
しかし、いくら八雲達の元に騎士団が駆けつけていたとしても百パーセント安全とは言えない。まずは一刻も早く宿に戻って八雲達と合流したいのだ。
「町に入りました。宿が見えてきましたね」
「あぁ。もう少しだ……ってあ、もし騎士団が助けに来てるなら指名手配犯の俺は宿に入れないよな……?」
「そうですね。オルトならすぐ正体がバレて大罪人として逮捕されるでしょうね。なので、私が先に入って見てきます。騎士団が退出したら合図するので入ってきてください」
気流を調節して風太丸の高度を徐々に下げ、スピードも遅めていく。宿がだんだん近くなってきた。すると宿の一室、灯りの点いた部屋の窓が割れているのが見える。中の様子はここからではまだ見えない。
「! あの窓が割れてる部屋って俺達の部屋だよな?」
「そうですね。ボス達が襲撃する際に割ったのでしょう。……ですがやけに静かですね。騎士団達が駆けつけているなら宿の外にも見張りの騎士が立っているはずなのですが」
「じゃあまさか騎士団は来てなくて、八雲達は……!!」
「落ち着いて。ちょっと待っててください。私が先に飛び降りて確認します」
そう言って琴音は風太丸から飛び降りた。まだかなり高度があるが、琴音は華麗に宿の屋上に着地する。そして器用に壁を伝って部屋の様子をうかがった。すると琴音は少し驚いた表情をした後部屋の中に入り、窓から手招きする。
「風太丸、降りられるか?」
「クァ」
風太丸はゆっくりと窓の傍まで下降し、俺が降り易い様に建物に寄ってくれた。俺は軽くジャンプして部屋の中に飛び込む。
「オルト!!」
「八雲!!」
一番に目に入ったのは八雲の元気な姿だった。それを見て一気に不安感から解放される。
「無事で良かった……」
「ちょっとオルト!? また酷い怪我だらけじゃない!! 大丈夫なの!?」
「あ、あぁなんとか……」
八雲がこちらに駆け寄ってくる。その後ろには、セファン、葉月、サンダーもおり元気そうにしている。全員無事だ。良かった……。そう思ったその時、めちゃくちゃになっている部屋の中にもう一人、こちらを見て立っている人物がいることに気が付いた。
「……え?」
騎士団の服を着用している青髪の青年。そう、日中に見たレオンだ。
「れ、レオン!? どうしてここに……ってまさか、レオンが八雲達を助けてくれたのか?」
「そうよ! 竜の鉤爪がいきなり襲ってきたところをレオンさん率いる騎士団が救ってくれたの!」
八雲が俺の傷に手を当て治癒しながら言う。レオンは腕を組んだままこちらを睨んでいた──いや、単に目つきが悪いだけなので普通に見ているだけだろう。
「全く超ビビったぜ! だってあいつら竜の鉤爪のボスとナンバーツーって言ってたぜ? オルト達はオルト達でそのボロボロっぷりだと大変だったっぽいけど、こっちはこっちで大変だったぜ」
「二人共無事で本当に良かったです。危険な目に遭わせてしまってすみませんでした……」
「いや別に琴音のせいじゃねーだろ? 謝ることなんてねーよ」
「ところでレオン以外の騎士達はどこに行ったんだ? というかレオン……俺のこと、分かる?」
「……あぁ」
すると、レオンがこちらへゆっくりと歩いてくる。相変わらず厳しい眼差しをこちらに向けていた。まさか、神子選考の時の喧嘩をまだ引きずっていたりはしないだろうか。結局仲直りできないままユニトリクから出てきてしまったし。
「……レオンって今騎士なんだよな? 俺を……逮捕するか?」
「え、そんなこと! オルトとレオンさんはお友達なんでしょ!? そんなことする訳……」
「ユウフォルトス・E・エルトゥール。ユニトリクの騎士として、俺はお前を逮捕する義務がある」
「おい!? レオンさん何言ってんだ!?」
「レオン……」
レオンがどんどん俺に近づいてくる。そしてあと数歩というところで、八雲が目の前に立ちはだかった。
「ちょっと待って! オルトは冤罪なの! レオンさんもオルトのお友達なら、オルトがそんなことする人間じゃないって分かってるでしょ!?」
「……ちょっとどいてくれ」
レオンが八雲の肩に手をかけ横に押しのける。そして、彼は俺の目の前に立った。
「レオンさん!!」
「いいんだ、八雲」
「え、オルト……?」
俺とレオンは睨み合う。身長が同じくらいで目線の高さも同じ。あの頃と変わらない。
その状態のまましばしの沈黙が流れた後、レオンが口を開いた。
「……あぁ、だがさっき日付が変わった時点で俺の勤務は終了した。今日は休暇日だ。だから今の俺は騎士じゃない。あと、俺以外の騎士は帰らせた。……面倒事になりそうだったんでな」
「!」
レオンは目を伏せ、ふーっと長い息を吐きながらそう言う。そして顔を上げた後、少し恥ずかしそうに目を逸らした。
「……久しぶりだな、ユウ」
「あぁ、久しぶり。レオ、ン……」
「おい!?」
「「「オルト!?」」」
安心した所為なのか、急に全身から力が抜ける。立っていられずレオンの方に倒れこんでしまった。レオンが慌てて俺の体を支える。
「ちょ、ユウ大丈夫か!? 体冷たいぞ!?」
「八雲、すぐ治療を!!」
「えぇ!」
「おいおい大丈夫かよ!?」
皆の慌てる声が聞こえる。しかし視界がだんだんとぼやけてきた。あぁ、眠い。
「ごめん、ちょっと……寝る……」
八雲の無事が判明して、旧友と再会できて、安堵した俺は眠りの世界へと吸い込まれた。




