第152話 エルトゥール潰し
自分の太腿を突き抜ける宝剣。貫かれた箇所から壮絶な痛みが走り、血で服がみるみる赤く染まっていく。
自傷行為をしようと思った訳ではない。手を動かしたつもりもない。自分の意思と全く関係なく腕が動き、足を突き刺したのだ。更に言えば、宝剣を引き抜こうにも腕が言うことを聞いてくれない。
「ぐう……!!」
「自分の剣の味はどうかな? エルトゥールの宝剣ともなればなかなかの斬れ味だろう?」
「一体何をした……!」
全身から冷や汗が垂れる。太腿から血が滴り、激痛で足先の感覚が分からなくなった。
「さぁ、何だろうねぇ? 自分の頭で考えたまえ」
レオナールは左手を下ろし、右掌を翻す。そして指を動かした。
「うあぁっ」
宝剣を掴んでいる腕が勝手に動いてそれを太腿から引き抜いた。鋭い痛みと共に傷口から血が溢れだす。
そして腕は更に独りでに動き、宝剣の切っ先を自分の喉に向けさせた。
「……!」
切っ先が喉の皮膚に僅かに当たり、血液の滴が滴るのを感じる。レオナールは優越感に浸った様子でこちらを眺めていた。
「ふふ、良い光景だ。相手の体の自由を奪い、命を摘み取る……ゾクゾクするねぇ。あの夜を思い出すよ。何と言ったか……そう、フィデリオという男だったな。あいつの絶望に満ちた顔もなかなかのものだったよ」
「! フィデリオ伯父さんを……あんたが殺したのか!?」
「まぁ正確には私とカルヴィンで、だが」
フィディオ伯父さんは騎士団長を務めていた俺の憧れの武人だ。父さんと同じく、エルトゥールの中でも武術に秀でていたあの人を殺したのがこのレオナールとカルヴィンだというのか。
「いやはや彼は君達一族の中でも取り分け強い人間だったのだろう? だから彼なら二対一でも私達を返り討ちにできたかもしれない。なのに彼は非常に勿体ないことをした」
「……どういうことだ」
「分からんかね? 彼が私の術中にはまり、そしてカルヴィンの蛇の餌食となった理由が」
「……まさか」
「そう、妻だよ。人質に取られた途端、抵抗を止めてその身を差し出した。呆気ない幕切れだったよ」
「……!!」
伯父さんと伯母さんの顔が脳内に映し出される。強く厳しく、しかし家族にはとても優しい伯父さん。誰にでも優しく、そして気の利く活発な伯母さん。そんな二人をこの男達は卑劣な方法で虐殺した。
頭が熱くなる。自由に動かない全身が強張り、はらわたが煮えくり返った。
「許さない……!!」
「あぁ、良い目だ。その憎しみに満ちた目は何度見ても私の脳を心地よく刺激してくれる」
「この……!!」
レオナールが指を動かす。すると俺の両腕が大きく開かれ、手から宝剣が落ちる。完全に無防備な状態となった。彼が左手の指を更に動かすと、俺が腰に付けていた宝剣の鞘が外れて浮く。
「ぐあっ」
抵抗できない俺の腹に鞘が叩き付けられた。胃の中身がこみ上げそうになる。それを精神力で阻止すると、続いて左腹を独りでに動く鞘で殴られた。先ほどラーテルに付けられた傷口を抉るように、グリグリと押し付けてくる。
「ぐ、ああ……!!」
「良い表情だ。それにしても、こんな状況でも君は絵になるな」
「ふざけるな……!」
レオナールを燃やそうと掌に氣力を集めた。体自体は思うように動かないが、氣術を練る回路には問題が無いらしい。それにどういう訳か指先くらいなら少しだけは動かせる。
しかし一矢報いるために術を発動しようとした次の瞬間、両掌の真ん中に矢が刺さった。
「あああ!」
「氣術を使おうとしても無駄だ。君達一族は術を発動するためにそうやって掌に力を集めて掲げるだろう? そうやって手を潰されてしまえば術発動のモーションも出せまい」
「……!」
レオナールは指で鞘を操り、俺の頭、腕、腹、足を殴り蹴り付けてきた。ラーテルに斬られた傷や先ほど宝剣が刺さった傷から血がどんどん流れ出てゆく。痛い、苦しい。だがそれよりも憧れの伯父さん達が陥れられた悔しさの方が勝っていた。
するとその時、八雲の顔が脳裏に浮かんだ。瞬間、体に余分にこめられていた力が抜け、頭が冷えていくのを感じる。そして、先程の琴音との別れ際が思い出された。
「……あぁくそ。そうだよ、こんなことしてる場合じゃないんだ……!」
「おや? どうしました? てっきり恨み節でも叫びながら抵抗するかと思いましたが」
「あぁ、そうしたいのも山々なんだけどね」
深呼吸をする。何度か大きく息を吐くと、心が落ち着いてきた。
「ふむ、つまらないな。まぁいいだろう。ここでさっさと殺して、あの日のボスの尻拭いをさせてもらおうか」
レオナールがまた指を動かす。すると落ちていた宝剣が勝手に浮いて動き、その切っ先が少しだけ喉に食い込んできた。
「……わざわざ人質を取ったってことは、タイマンじゃ勝てないと踏んだってことだよな」
「……私達は一番確実な方法で任務を遂行したまでだ」
「俺を今縛り付けている妙な術も、フィデリオ伯父さんなら簡単に解けたって訳だ」
「侮ってもらっては困るな。そう簡単に抜けられるものではない。まぁ、天音にはこれは通用しないかもしれんがね」
「天音なら……!?」
天音なら突破できる術、とは一体どういうことだろうか。暗殺、隠蔽、諜報に長けた彼女ならではの特技……となると、琴音にも可能なのだろうか。
「全く、彼女には困ったもんだよ。人付き合いが嫌いなのかは知らんが、まともに状況報告もしないし会議にも出ない。実力者だから団に置いてもらえているのをいいことに、好き放題だ」
俺はレオナールの言葉を聞き流しながら思考をフル回転する。今すぐにこの状況を打開する手立てを見つけないと、次の瞬間には首が斬られてしまう。琴音なら解決法がわかる、この全身を操られる奇妙な術。
俺が彼の術中にハマったのはいつだ。彼が両手を振り上げた瞬間か? となると特殊氣術か何かか? それともそれ以前から何か仕掛けられていたのか?
すると、彼の腰にかけられているボウガンに目がいった。外から差し込む光がボウガンを照らし──ボウガンの傍で何かが煌めいた。
「──!!」
俺はすぐさま全身に氣力を巡らせる。するとレオナールが訝しげにこちらを見た。
「おや、この期に及んで抵抗するのか? 君が少しでも動けば宝剣が喉を掻き斬るぞ」
「あんたのこの妙な術……いや、仕掛けが分かった」
「ほう。一体何だというのかね?」
「糸だろ」
「!」
俺の腕、足、首、胴など全身いたるところに細く透明な糸が絡みついている。殆ど目に見えないそれが俺の動きを封じ、そして意図せぬ形で体を無理やり動かしているのだ。最初俺が避けた矢には糸が付いており、レオナールと繋がっていた。彼は戦うフリをして、指に繋がっている糸を俺に絡みつけていたのだ。
「ご名答。でも分かったところで今更どうしようもないぞ?」
「動けなくったって、どうにかなる!」
俺は全身に巡らせていた氣力を炎に変換して放出し、糸を焼き切らんとする。体中に張り巡らされた糸伝いに鮮やかな火が一気に走った。
「──!!」
「ふふ、残念だったな」
しかし、糸は焼き切れなかった。灼熱の炎を受けても全くダメージを受けておらず、相変わらず俺の体を拘束したままだ。
「言っただろう? エルトゥール対策は万全なのだと。この糸は特別性で、氣術は効かないのだよ。君の炎じゃビクともしない」
「……!!」
「ちなみに一族お得意の遠隔操作も対策済みだからな? 私は君に触れるつもりは無いから、直接氣術を当てることもできない。一度も触れたことがないものは遠隔操作できないのだろう?」
「よく知ってるな」
「あともう一つ、この鏡は知ってるな?」
「! ラーテルが持ってた反射鏡か」
万事休すだ。体を操られるカラクリは分かったが、その原因となる糸を氣術で断つことができない。全身が拘束されているから宝剣で糸を斬ることもできない。氣術で直接レオナールを狙っても、鏡で反射されてしまう。いやそもそも掌が封じられており、術の発動自体が難しい。……策が他に思い浮かばない。
「ふふ、どうにもならないことが分かったようだな」
「……」
俺はレオナールを睨みつける。彼は髪を掻き上げながらニヤリと笑った。そして再び鞘で俺を殴りつけてくる。
「ふはは! ボスから逃げたと聞いてどんなとんでもない小僧かと思っていたが、大したことないな! あの屋敷に大勢いた雑魚共と変わらないではないか!」
レオナールの瞳は狂気を帯びている。歪に笑いながら俺を殴り続けた。
「カルヴィンは何故こんな小僧に負けたのだろうな! 油断していたのかそれとも老いなのか、本当に情けない!」
殴られる度に体各所に激痛が走る。相変わらず血は流れ続け、少し体から力が抜けてくるのを感じた。
全く、ロベルトといいラーテルといいレオナールといい、エルトゥール対策を万全に練ってくる奴は本当に厄介だと痛感する。名の知れた一族というのはこういう時面倒なものだ。
……だが、だからといってここで負けるわけにはいかない。
「……カルヴィンの最期は知ってるのか?」
「む? ……まぁざっと簡単な報告を聞いたくらいだ。それがどうかしたのか? 君が詳しく聞かせてくれるのかね?」
「俺も途中から正気を失っててあんまり覚えてないんだけど……取り敢えず凄く苦戦したのは覚えてる」
「ほう」
「何せ見えない蛇で攻撃してきたからね。そんなのが七匹もいたもんだから酷い傷を負わされたよ」
「……」
「更に二匹の蛇まで隠し持っててね。そいつがあろうことか八雲を襲ってから正直記憶が曖昧なんだけど……」
体の中で大きな氣力をうねらせる。そして体中から勢いよく放出した瞬間、宝剣から猛火が噴出した。
「! な……!?」
レオナールが目を見開く。その眼前には火の粉を大量にまき散らしながら邪悪に口を開ける一匹の炎の龍がいた。龍は俺の前で、威嚇するようにレオナールを睨みつけている。
「こいつを出したってのは覚えてるよ。それでカルヴィンも、それに地下武闘会もぶっ潰した。確かに氣術を反射する鏡も、氣術が効かない糸も厄介だけど……その道具のキャパシティを超えた力を受けたらどうなるかな?」
「──! そんなことをする前に、君の喉をその宝剣がつらぬ……!?」
レオナールは指を動かそうとしたが、どうやら思うように動かないらしい。彼の額に冷や汗が滲む。
「これは……!?」
「蛇に睨まれた蛙ってとこかな」
「な、まさか私がそんな火龍ごときに睨まれたくらいで……!?」
焦って火龍を見つめるレオナール。意識は抗っているが、体が完全に火龍の威嚇に飲まれてしまっていた。
体に絡みついた糸が緩み、宝剣の切っ先が少し喉から離れた。俺はレオナールの驚愕した双眸を見据える。
「さぁ、相棒が食らった火龍の灼炎をあんたも味わってみるか」
次の瞬間、火龍がレオナールを飲み込んだ。




