第140話 忠臣
街道を進み、ヴォルグランツへと戻ってきた俺達は昼食を摂って町を歩く。指名手配がかかっていた時は思うように町中を動けなかったので、改めて散策することにした。ロベルトと一緒に懐かしい思い出の地を巡る。思い出話に花を咲かせながらしばらく歩き、そして河原で足を止めた。
「そいや初めて三人で一緒に遊んだ時、ここで溺れた猫を助けたよな」
「そうだったね。それで翌日見事に風邪ひいた」
「オレもだ」
あの日の光景が脳内に蘇る。キラキラと太陽の光を反射する水面を見つめながら物思いにふけっていた時、対岸にいる人物が目に付いた。
「ん、あれ? あそこにいるの嬢ちゃん達じゃねえか?」
「本当だ。あそこで何してるんだろ」
すると俺達の視線に気づいて琴音がこちらを見た。それにつられて八雲とセファンも顔を向ける。俺達に気がついた八雲は手を振った。
「おい、ユーリに手ぇ振ってんぞ。振り返してやれよ」
「う、うん」
先ほどの会話のこともあり、少し八雲を意識して躊躇しながらも手を振る。振り返された手を見て八雲が更に笑む。嬉しくて心臓が高鳴った。
「へっ、良い顔になったじゃねえか」
「余計なお世話だ」
俺達は橋を渡り、八雲達の元へと歩いて行く。セファンの視線がいつもより鋭い様に見えるのは気のせいだろうか。
「オルト達も町を観光中ですか?」
「観光というか、散歩してる感じかな。琴音達は観光できてる?」
「はい、ヴォルグランツを満喫中です。ですよね八雲?」
「あ、え、えぇそうね!! とととっても楽しいわ!」
「どうした嬢ちゃん。声裏返ってんぞ」
「そ、そんなこと無いわよ! そ、それよりもロベルト達はゆっくりできてる?」
「おう。オレ達はオレ達で満喫中だ」
「なら良かったわ」
「「「「「…………」」」」」
途切れる会話、流れる沈黙。なんだこの空気は。
「あ、あの!」
「え、えっと!」
俺と八雲の声が被った。八雲と目が合う。すると彼女は顔を赤らめて目をそらした。俺も思わず目をそらす。なんだか顔が熱い。
「えっと……ごめん、何だった?」
「いえ……何でも無いわ」
再び流れる沈黙。なんだこの時間は。
「……おいユーリ」
「……おい八雲」
ロベルトが俺を睨み、セファンが八雲を睨んで同時に発言する。
「何やってんだお前は。もう子供じゃねえんだから恥ずかしがらずにちゃんと目を見て話せ」
「何してんだ八雲、頑張るんだろ? 恥ずかしがらずに目を見て話せよ」
「「……はい」」
同時に説教をされ、ゆっくりと俺と八雲は目を合わせる。ただ目を合わせただけなのに、今までは普通に接していられたはずなのに、意識してしまった今はもう緊張と嬉しさと恥ずかしさでまともでいられなくなる。この歳になってこの程度で動揺するなんて情けない。さっき指摘されたばかりでまだ心の準備ができていないことを考慮しても、とんだ腑抜けだ。
そんなことを考えながらも、何とか言葉を振り絞る。
「あー……楽しそうで良かった。どこ行ってきたの?」
「んと……展望台と博物館。すっごく面白かったわ……あ、そうだ。オルトにこれ渡さなきゃ」
「?」
八雲は持っていた袋から何かを取り出し、俺に差し出す──古びた日記だ。
「これは?」
「博物館の館長さんから渡されたの。リアトリスさんの日記よ」
「「!!」」
俺とロベルトは思わず目を合わせた。そして手渡された日記に視線を移す。裏表紙には確かにリアトリスの名前が記載されていた。
「これが、リアの日記……?」
「そんなものがどうして博物館に?」
「革命派の手を何とか逃れて残ったものなんですって。館長さんは神子信仰の信者で、政府の目を掻い潜って神子関係の資料を秘密で保存してたわ。この日記は、本来受け取るべき人のところへ戻してあげてって言われて受け取ったの。だから、オルトに渡すわ」
「……ありがとう。でもそれって俺でいいのか?」
「リアトリスさんって親族とかいないのよね? だから一緒に暮らしてたし仲が良かったオルトが一番それに当てはまると思うんだけど」
「……オレもそれ気になるんだけど」
「勿論ロベルトも当てはまると思うわよ」
「じゃあユーリ、一緒に見るか?」
「う、うん……でもその館長さんって一体……」
「えーっと、確か名前はセドリックって言ってたかしら。お爺ちゃんだったわよ」
「セドリック……?」
何か引っかかる名前。聞き覚えのある名前に神子信仰の信者。脳内で目まぐるしく記憶が掘り起こされる。
「──まさか!?」
ある答えが頭の中で出た瞬間、俺は走り出していた。驚く八雲達に構わず、俺は博物館へと向かう。
「ちょ、オルト!?」
「なになにどーしたんだ!?」
「おい待て! 何なんだよ!?」
慌てて追いかけてくる八雲達。しかし俺はペースを緩めず、日記を抱えたまま博物館へと急いだ。呼び止める声には応じず、ただひたすら走り続ける。
少し走ると博物館に辿り着いた。博物館を目の前にして深呼吸する。すると──何か、導かれる様な感覚を覚えた。
その感覚に従って正規の入口には入らず、裏手に回り込んで関係者用の通用口から入る。鍵はかかっていない。俺は奥へと続く通路を歩き、突き当たりにある部屋まで一直線に進んだ。部屋の手前で立ち止まり、そしてまた深呼吸する。心を落ち着け、扉をノックした。
「──どうぞ」
部屋の中から老爺の声が聞こえる。俺は扉をゆっくりと開けた。
「……失礼します」
「……やはり来ましたね。久方ぶりです、ユーリ様」
「セドリック……!!」
リアトリスの屋敷で働いていた執事、セドリックがそこにいた。クッション性の高そうな椅子に座り、分厚い本を机に開いている。神子屋敷で働いていた者達は軒並み殺されてしまったと思っていたのだが、彼は生き延びていたのだ。四年前よりもかなり老けていることから相当の苦労はした様だが。
「やはりあの方に日記を渡したのは正解でしたな。ご無事で何よりです」
「セドリック……! 無事で良かった」
「まぁあれから色々苦労してこうして体も壊してしまいましたからねぇ。私は無事と言えるか微妙なところですが」
少し遠い目をしながら微笑むセドリック。俺は彼に近づいた。
「……日記、ありがとう」
「いえ、当然のことをしたまでです。リアトリス様もお喜びになるでしょう。あなたを探すのには大変苦労しました。クーデターの際にも死体は見つからなかったことから、どこかで生きていることは確信していましたがね。指名手配犯としてこの町に来ていると分かった時は驚きました」
「冤罪だけどね」
「はい、勿論それは分かっていますよ。ですが生憎もうこの体にはガタがきていまして、ユーリ様を探して町を駆け回ることはできませんでした。ですから、ちょうど博物館にいらっしゃった八雲様に渡させて頂いたのですよ」
「でも、どうして八雲のこと……」
「ふふ、ユーリ様。私はリアトリス様の前の前の代から神子屋敷で使用人として働いていたのですよ? 八雲様が何者なのかも、ユーリ様との関係もお見通しでございます」
「はは、流石だな。セドリックには敵わないよ」
「勿体無いお言葉です」
すると、廊下の方からバタバタと足音が聞こえてきた。俺とセドリックは扉の方を見る。
「はぁ、やっと追いついた…! いきなり一人で走って行くなよユーリ!」
「おいおいオルト勝手に裏口から入っちまっていーのか!?」
「不法侵入ですね」
「あ、館長さん!!」
八雲達が現れた。セドリックはほほっと小さく笑う。
「気にしないでくだされ。ユーリ様達のためにわざと鍵は開けておきましたので」
「……つまり来るのを読んでいたということですか?」
「かもしれない、程度には思っていましたよ」
「あ。ええっと、さっきはありがとう。無事に日記は渡したわよ」
「はい、ありがとうごじいました」
「んと……オルトと館長さんは知り合いなの?」
「セドリックはリアの屋敷で働いてた執事だよ」
「え、あのセドリックさん!? なんかだいぶ変わったな!」
「いきなり失礼だぞロベルト」
「いえいえ構いませんよ、事実ですし。リアトリス様がお亡くなりになってから神子関係者は立場を追われて酷い目に遭いましたので、このザマですよ。今は古い友人のつてでこうしてここで働かせてもらっていますが。あぁ、ロベルト様もどうかユーリ様と一緒にリアトリス様の日記を受け取ってくだされ」
「お、おう……ありがとな」
「はーあ、館長さんオルトのこと知ってるなら言ってくれれば良かったのによぉ」
「セファン、きっと館長さんにも事情があるのですよ」
「はは、大変失礼致しました」
セドリックは苦笑いでセファンに答えた。そして俺の方を向く。
「ユーリ様、わざわざお越しくださりありがとうございました。久しぶりにお元気な姿が見られて良かったです」
「俺も、久しぶりにセドリックに会えて良かったよ。日記のこともありがとう」
「いえ、リアトリス様にお仕えしたものとして当然のことをしたまでです。読む読まないは自由でございます。ユーリ様達の思うように扱ってください」
「……あぁ」
手元の日記を見る。読む読まないは自由、か。
「ユーリ様はこれからまた……旅に出られるのですよね?」
「あぁ。ユニトリクに行くつもりだ」
「そうですか。どうか気をつけて行ってくださいね」
「ありがとう。色々と問題が片付いたら、またアリオストに来るよ。ここにも寄らせてもらう」
「はい、お待ちしております。ユーリ様なら必ずや……目的を達成できると信じております」
「頑張るよ。だからセドリックも元気でいてね?」
「承知しました」
俺とセドリックはニコリと笑う。彼の笑った時の優しい瞳は、四年前と何も変わっていなかった。