第138話 「好きだ」
博物館を出た私達はセファンの直感で決めた飲食店で昼食を摂り、町の観光を再開する。今日は天気も良くて暖かいし、丁度お腹も満腹になったのでそろそろ眠くなる頃合いだ。私とセファンは欠伸をする。
「二人とも眠いですか? どこかで休憩します?」
「いえ、大丈夫よ。休憩したら本気寝しちゃいそうだからこのまま観光しましょ」
「なぁ、その日記って誰に渡すつもりなんだ? やっぱオルトか?」
「えぇ、そうしようと思ってるわ。リアトリスさんには家族はいないって話だったし、受け取るべきなのは一緒に暮らしていたオルトじゃないかしら」
「そうですね。もしくは親しかったロベルトでも良いかもしれませんが」
「そうね。きっと二人は今日一緒にいるはずだから、後で渡しに行きましょう」
すると、セファンが日記をじっと見てきた。
「なあなあ、渡す前にそれちょっと見ていい?」
「え、ダメよセファン。人の日記は安易に読んだりしちゃいけないわ」
「えーでも何書いてあるかめっちゃ気になる」
「女性の日記を無許可で読もうとするとは紳士の嗜みに欠けますよ、セファン」
「でも男のオルトは読むんだろ?」
「オルトはまた別です。リアトリスさんとは家族同然だったみたいですから」
「ちぇー。八雲は気にならねえの? 中身」
「そ、そりゃちょっとは気になるけど……でもダメよ! セファンだって見ず知らずの人に日記見られたくないでしょ?」
「俺日記とか書かねーし。書いたとしてもたぶん三日も続かねー」
「もうっ! ダメなものはダメよ!」
「へいへい、分かったよー」
セファンは残念そうにしているが、これは簡単に人に見せていいものではない。日記というのはその人の思いや生活などが赤裸々に書かれているもので……よく知らない赤の他人が見ていいものではないはずだ。オルトなら見ていいのかというとそれは正直分からないが……でも、リアトリスならきっとオルトには見せる気がする。
「なぁ、あれ何だろ?」
「?」
セファンが指差す先、そこには男が一人立っていた。何かを声高らかに喋っている。
私達はその人に近づき、様子を窺った。
「──アリオストに巣食う邪悪な者が排除された今、私達は神子を復活させるべきなのです!!」
「!」
「皆さんも気づいているでしょう? 四年前のクーデターで前王と神子が亡くなってから我が国は廃れてしまった。国の機能は失われ、治安は悪化し、そして隣国に乗っ取られたのです。これも全て神子のお導きが無くなったせいです!」
演説する中年の男。黒髪、黒い口髭を生やし、頭にターバンを巻いている。体型は中肉中背で、手を大振りに動かして持論を訴えている。その演説に道行く人達が数人立ち止まった。
「これって……神子信仰を復活させようとしてるってことか?」
「そうみたいですね」
「……」
「今の王では国を導けない! しかし武力をもって今の王を打倒し、新王を擁立するというやり方ではクーデターを起こした野蛮な輩と同じに成り下がる。それでは何も変わらないのです。だからこそ我らは立ち上がり、進言するのです! 神子信仰を復活させろと!!」
「おぉ……」
「そうだそうだ!」
「今の王じゃダメだ! 神子様がいないと!」
立ち止まった周囲の人がざわついてきた。神子として、神子信仰を復活させようとしてくれているのは有難いことだが、しかし王を批判するような言動には賛同できない。昨日会った王からは誠実さを感じたし、幼さ故の危うさはあるが決して悪王ではないはずだ。
「だから我々は神子を探し、そして祭り上げるのです。アリオストの輝かしい未来の為に!!」
男は空を見上げ両手をかざす。聞き入っていた人達が拍手をした。男は満足げに目を細める。
その様子を見て、心の中にモヤモヤしたものを感じた。
「──王は、悪い人なんかじゃないわ」
「!?」
「や、八雲?」
私は思わず発言していた。その言葉に男やセファンや琴音、そして周囲の人々が驚いてこちらを見る。
「おやお嬢さん、それは一体──」
「確かにまだ力不足であることは否めないかもしれないけど、それでも彼は今までの過ちを認めてこの国の先を見据えて歩き始めてる。それをちゃんと国民は支えてあげて欲しいの」
突然の私の言葉を、皆は驚きと興味を混ぜ合わせたような眼差しで見ている。
「あ、別に神子信仰を復活させることに反対してる訳じゃないわ。私もそれには賛成。無念の中で散って行った先代のために、是非神子の地位を取り戻して欲しい」
「……」
固唾を飲んで私が話すのを見守る男。私は一呼吸置き、そして男の目を見て言う。
「神子はきっと……そのうち自然に現れるわ。だからそれを待って欲しい。そして現れたらただ崇めるだけじゃなくて、一緒にこの国を守っていって頂戴ね」
「……あなたは一体」
「じゃ! あなたも頑張って。きっと王と神子がこの国を導いてくれるわ!」
「お、お待ちくだされ! せめてお名前を……」
私は身を翻して男から離れて行く。慌ててセファン達がついてきた。演説していた男とその聴衆はポカンとして私達を見送っている。
「や、八雲? 急にどーしたんだ?」
「ちょっと……何となく言いたくなっちゃっただけよ。これで少しでも王と神子の理解者が増えるといいんだけど」
「あの御仁、八雲の言葉に打たれていましたので恐らく大丈夫だと思いますよ。演説で更に王と神子の信者を増やしてくれるのではないでしょうか。さすがは神子の言葉の力ですね」
「そ、そんな大した力はないと思うけど」
「でもなんか凄かったぞ? ずしーっと心に響いたっていうか、神々しいものを感じたっていうか」
歩きながら私を賞賛するセファンと琴音の言葉に少々照れる。少し口添えした程度のつもりだったのだが。
「ん……ま、まぁ、これでアリオストの神子信仰の復活に近づけばオルトもリアトリスさんもきっと喜んでくれるわよね」
「そうですね」
先ほど預かったリアトリスの日記が入った袋を抱きしめながら私は言う。アレクに復活させられた彼女の姿が脳裏に浮かんだ。虚ろな表情ではあったが、とても美しい人だということは分かった。彼女が笑う姿を想像してなぜか少しむず痒くなる。
そのまま少し目的もなく歩いていると、目の前に川が現れた。太陽の光を反射して水面がキラキラと輝いている。
「お、川だ。水キレイだなー」
「本当ね。そういえば、昔オルトは川で溺れた猫を助けたって言ってたわね。ここかしら」
オルトの口から語られたリアトリスとロベルトとの思い出の数々。それを思い出して何だか切なくなった。日記を抱える腕に力が入る。
「なぁ八雲、その……」
「なぁにセファン?」
「あーいやえっと……」
頭を掻き、目を逸らしながら口ごもるセファン。どうしたのだろうか。すると琴音が小さく笑った気がした。
「すみません、ちょっと忘れ物をしたので取りに行ってきますね。セファン、八雲をよろしくお願いします」
「ええ!?」
「え、琴音が忘れ物するだなんてどうしたの!?」
「では」
私の言葉を最後まで聞くか聞かないかくらいのタイミングで琴音は高く跳躍し、屋根伝いに跳んでどんどん離れていく。私とセファンは呆気に取られて彼女が遠のいていくのを見ていた。
「急にどうしたのかしら。忘れ物だなんてらしくない」
「琴音のばかやろ……でも恩にきるぜ」
「?」
セファンがボソッと呟いたが意味が分からなかった。すると彼は少し挙動不審に周囲を見回した後、こちらを向く。
「えっと……一緒に川でも眺めてようぜ」
「そうね。場所動いたら琴音が困っちゃうかもしれないし」
まぁ琴音のことだろうからどこにいようとすぐ見つけ出してくれそうだが、特に急いでいる訳でもないのでセファンの提案に賛同する。私達は河原に下りた。しゃがんで水面を眺める。
「あ、魚だわ」
「ホントだ。水がきれーな証拠だぜ」
「結構たくさんいるわね」
大、中、小、様々な大きさの魚達が群れを成して泳いでいる。何も考えずにずっと眺めていられそうだ。この景色をオルトはリアトリスやロベルトと一緒に見ていたのだろうか。思わず小さく溜息が出た。
「……なぁ八雲、やっぱ後悔してんだろ」
「え?」
「オルト誘わなかったこと。一緒に来たかったんだろ?」
「え、いやそんな私は……だってオルトもきっとロベルトさんとゆっくりお話ししたいことたくさんあるだろうし……」
「……」
セファンが訝しげに私の顔を覗き込んでくる。全然納得していない顔だ。内心が読まれている。
「……嘘。一緒に来たかったわ。でも、ロベルトさんと一緒にいてほしかったのも本当」
「そーなのか?」
未だ疑わしげにセファンはこちらを見ていた。私は日記をぎゅっと抱きしめながら川を見て語る。
「オルトね、ロベルトと話すとき凄く穏やかで嬉しそうなの。普段私達の前では見せない表情。私はずっと屋敷の中で暮らしてたから、親族はいても友達はいなかったわ。だから友達と話すときの感覚っていうのは良く分からないんだけど……でもとても温かい気持ちになるんだろうなって思う。それがちょっと羨ましいし、そういうのは大事にしてほしいの。だから今日はオルトと来なくて正解」
「……八雲がそれで納得してるならいいけどよ」
「納得してるわよ?」
「そうか? ……じゃあまぁそれはそういうことにしとこ」
「それはって……何か他にあるの?」
「八雲さぁ……リアトリスさんとロベルトにヤキモチ妬いてるだろ」
「え、な!?」
予想外の突っ込みを受けて私は慌てふためく。
「アリオストに来てから何か八雲ずっとモヤモヤしてる。こんだけ一緒に旅してればそれくらい分かんだぞ」
──図星だ。自分でも気づいていた。懐かしそうに町を見るオルト、楽しそうにロベルトと話すオルト、リアトリスのことを語るオルト。どれも自然なことであるのに私は嫉妬してしまっていた。隠していたつもりだったのだが。
「え、っていうかヤキモチって単語が出てくるってことは……セファン、えっと、私が……」
「あ? オルトのこと好きなんだろ?」
「!!!」
「隠してたつもりなのかよ……」
呆れ顔でこちらを見るセファン。まさか琴音だけでなくセファンにまで気持ちがバレていたなんて……。いや琴音にも確かに周囲にバレバレだと言われたが。
「あのさ八雲。リアトリスさんはもう死んでるし、ロベルトは男。そんなにモヤモヤしなくてもいーんじゃねえの?」
「う……でも……」
「でも?」
詰め寄るセファン。年下に良いように責められている。情けない。
「その……ロベルトは男だし子供の頃からの友達だし張り合う意味がないってのは分かってる。でも、オルトはやっぱりまだリアトリスさんのことが好きなんだと思うの。前にまだ彼女のことが好きか聞いた時もはぐらかされちゃったし」
「え、マジ? 何してんだよオルト……」
「琴音はたぶんもう恋心は消えてるって言ってたけど、アレクに復活させられたリアトリスさんを見たときのオルトの表情からはそうは思えなかったわ。リアトリスさんのことを話すときの顔からも何か好きって感じ滲み出てるし」
私は膝に顔をうずめる。胸に抱えた日記から年季の入った紙の香りがした。
「この日記だって正直あんまり渡したくないわ。これを渡したらますますオルトがリアトリスさんへの思いを強めちゃいそうで……」
「……」
「でもそんなの最低よね。自分勝手だわ」
「……なぁ八雲」
「?」
セファンが溜息をついた。私は顔を上げる。すると、彼は真剣な眼差しでこちらを見ていた。
「俺は八雲が好きだ」
「……へ!?」
「だから! 俺は八雲が好きだ!」
「!!?」
突然の告白。全身が熱くなり、顔が真っ赤に染まる。
「あ、ええっと……で、でも私……」
「オルトが好きなんだろ? 知ってるって。悔しいけど」
少し眉をひそめるセファン。
「八雲は可愛いし素直だし明るいし頑張り屋でいつも一生懸命で思いやりがあって度胸もある。良いところがいっぱいだ。そりゃもちろん悪いところもあるけど。でもそんな八雲が好きだ。八雲は最低でも自分勝手でも何でもねーよ。それに嫉妬するのなんて普通のことだし」
「セファン……」
「だからもっと自信持てよ。それにもういない人とか男とかと張り合っても意味ねえし。それよりはすぐそばにいる琴音を警戒しろよな」
「こ、琴音を?」
「あ、ヤベ。これは言わない方が良かったか?」
「?」
「ま、まぁ取り敢えず、八雲の魅力は俺が保証する。良いところいくらでも言えるからな。だからもっと胸張ってオルトと向き合ったらどうだ? オルトは八雲のこと好きだと思うぞ?」
「へ!?」
セファンの言葉に思考回路がオーバーヒートする。ちょっと待って、今何て言った!? オルトが私のことを好き? 本当に? もう全身が熱くなり過ぎて訳が分からなくなってきた。
「…………これも言わなきゃ良かったかな」
「え……」
「えーと、だから要するに! 八雲のこと好きな俺が、八雲がすげー良い女だってのは太鼓判押す! だから、ウジウジしてないでもっと頑張れってことだ!」
立ち上がって腕組みしたセファンは叫ぶ。私は気圧されながら彼を見上げていた。
すると、セファンはハッとしてしゃがみこむ。
「……何言ってんだ俺は。急にごめん。その……今の話、忘れてくれ」
急に弱気になって呟く。その姿に、私は冷静さを取り戻した。
「セファン、ありがとう。その……好きって言ってくれたこと、嬉しい」
「……」
「私の良いところ、たくさん見つけれくれたのね。ありがとう。それに……励ましてくれてありがとう。私、ずっとウジウジしててらしくなかったわよね。ごめんなさい。ありがとね」
「……おう」
「だから……頑張るね」
「……まぁ頑張らなくてもいいけどな。俺的には」
「ふふ、そうね」
「もしオルトにフラれたらいつでも俺のとこ来ていいからな。いつまでも俺は八雲のことが好きだぞ」
「せ、セファンったら……」
そこまで言われるとさすがに恥ずかしい。当然嬉しくもあるのだが。
「ふう、いつもの八雲に戻ったな。やっぱ元気で明るい八雲が一番だぞ!」
「本当に、ありがとう」
「おーよ」
私達は立ち上がる。そして見つめ合い、微笑んだ。少し恥ずかしくなってお互い目を逸らす。
「……お待たせしました」
「「わぁ!!!」」
急に声をかけられて私達は肩をビクつかせた。琴音だ。忍者だけに、足音も気配も出さずに私達のすぐ後ろまで来ていたのだ。
「し、心臓に悪いぜ……」
「びっくりした……え、ええっと忘れ物は見つかったの?」
「はい。無事に」
「そりゃ良かった」
「セファンも無事に任務完了できたようで何よりです」
「……余計なお世話だぜ。っていうかどっから聞いてた!?」
「いえ? 何も聞いていませんが?」
「絶対嘘だろ!!」
セファンが顔を真っ赤にして琴音に叫ぶ。対する琴音はすまし顔で聞き流していた。本当にいつからそこにいたんだろうか。
「八雲は……スッキリした表情になりましたね」
「そう?」
「はい。その方が素敵ですよ」
「ありがとう」
私は琴音に微笑み、川に視線を向けた。先ほどよりも水面が更に輝いて見えるのは気のせいだろうか。
私は深呼吸し、空を見上げる。清々しい青空が広がっていた。




