第133話 夢の中で
弾ける音がした瞬間、騎士団長が白眼を剥く。彼の体内から閃光が迸り、その直後、目の前が血飛沫で真っ赤に染まった。騎士団長の体の節々に入った亀裂から鮮血が噴き出し、白眼も充血し、口からは勢いよく血を吐き出す。
「──がはぁっ!!」
目の前の頑強な肉体が後ろへと倒れていく。受け身も取らずに騎士団長の体は床に叩きつけられた。
「……かはっ。はぁ、はぁ」
鈍い音を立てて倒れる騎士団長を見届けながら、俺は張り詰めていた緊張の糸を解く。全ての氣力を騎士団長の体内へと放出した俺の体は枯渇状態だ。肩で息をする。
しかしどうやら一か八かの賭けは成功したらしい。俺から大量の氣力を送り込まれた騎士団長の体は、その量に耐えきれなかったのだ。本来のキャパシティを大きく超えた氣力が溢れ、暴走して彼の体を破壊した。恐らくもう二度とまともに戦えない体になっているだろう。
「ゆ、ユーリ……やったのか!?」
後方からロベルトの困惑した声が聞こえた。俺は立ち上がりながらゆっくりと振り返る。
「……あぁ、成功したみたい……だ……」
笑顔で答えるつもりだったが体に力が入らない。立ち上がりかけた体はバランスを崩し、その場に崩れ落ちてしまった。あぁ、ダメだ。血を流し過ぎた。それに氣力も全て放出して体の中は空っぽだ。目の前がだんだん霞んでくる。頭もぼーっとしてきた。
皆の焦った声が聞こえる。駆け寄ってきたロベルトが俺の体を抱き起した。セファン、琴音、エリザベートも心配そうにこちらを見ている。口々に何かを言っているが、暗闇へと吸い込まれかけている俺の思考回路は何も理解することができなかった。遠のく意識の中、ピンク色の髪の少女が視界に入る。酷く憔悴し、悲しそうで、そしてとても心配そうに瞳に涙をためながらこちらを見ていた。
「──」
声を発しようとしたが、体が全く動かない。全身から感覚が抜けていく。だんだんと瞼が重くなりそして──俺は意識を手放した。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
懐かしい香りがした。ほのかに香るバーブの匂い。目を開けると、正面にはよく知っている質素な天井があった。俺の体はベッドに寝かされている。
「ここは……」
ゆっくりと体を起こした。体の痛みは消えている。八雲が治療してくれたのだろうか。
俺は辺りを見回す。見覚えのある部屋だ。
「リアの屋敷?」
アリオストで過ごした六年間、使用していた俺の部屋だった。家具や小物等、私物の配置も当時のままだ。
──しかしそれはおかしい。クーデターの後リアトリスの屋敷は革命派の連中によって荒らされたはずで、俺の部屋もこんな綺麗な状態で残っている訳がない。ロベルトが大事そうなものだけなんとか回収して秘密基地まで運んでくれたと言っていたではないか。
「じゃあ一体どこなんだ?」
俺はベッドから出て扉へと向かおうとする。するとその時、扉がノックされた。
「──おはようございます、ユーリ。起きていますか?」
「……!!」
扉の向こうから透き通った声が聞こえる。誰の声か聞き間違えるはずがない。願いが叶うのであればもう一度聞きたかった、愛おしい人の声だ。
「……リア?」
「はい、やはり起きていましたのね。おはようございます」
「……おはよう」
扉が開かれ、紫色の髪の美しい少女が現れる。四年前のリアトリスだ。
俺が彼女に拾われ屋敷に来た当初、毎朝部屋まで起こしにきてくれた当時の情景がそのまま今目の前に映し出されている。当初まだ八歳だったはずのリアトリスが十四歳の姿で現れたという部分にだけ齟齬が生じているが。
「ってことは……これは夢?」
自分の頬をつねってみる。痛い。だがリアトリスがおり、当時の部屋が残っている以上現実ではないはずだ。……もしかして死後の世界か?
「まさか……な……」
確か俺は騎士団長との決闘の後倒れた。それなりの傷も負っていたし、氣力も体力も使い果たしてしまっていたからあのまま死んでしまったのだろうか。
「いえ、それは違いますわ」
「!」
こちらの考えを全て見通した様にリアトリスが微笑みながら言う。そして近づいてきた。
「こうしてまたユーリに会えて、私はとても嬉しいですわ」
「え、ええっと……」
自分の置かれている状況がつかめないまま最愛の人に詰め寄られて俺は動揺する。するとリアトリスは優しい目をしてこちらを見た。
「私の骨を取り戻してくれてありがとうございます」
「!」
「憑魔を憑けられ無念の中命を絶った私のことを想い続け、そして戦ってくれてありがとうございます」
「リア、君は……」
「ちゃんと、見ていましたよ。ユーリとロベルトが戦う姿を」
──ここはきっと夢の中だ。本物のリアトリスには俺達がアレクと騎士団長と戦ったことを知る術はない。彼女は俺の記憶が作り出した虚像なのだろう。
しかしたとえ夢であっても、こうしてリアトリスに再会できたのは非常に嬉しいことだった。話したいことがたくさんある。ただ、心の中にあるつっかえが安易に喜ぶことを阻害した。
「でもリア、俺は君を……」
守れなかった。コンクエスタンスの謀略の手に堕ちるリアトリスを救い出すことができず、彼女の死後もその骸さえ凌辱されるのを防げなかった。それがとても悔しくて、申し訳なかった。
すると俺の様子を見たリアトリスが俺の手を取る。
「いいえ、ユーリはちゃんと私を助け出してくださいました。そしてあれからもう四年も経った今でも、こうして私のことを鮮明に覚えていてくれている。それだけで十分ですわ」
「リア……本当にごめん」
「もう、ユーリったら。私は全然怒ってなんていませんのよ? そんな悲しそうな顔は止めてくださいませ。私はこうしてあなたに会えてとっても幸せな気持ちになっていますのに」
リアトリスがむくれる。相変わらず可愛い。その様子に俺は毒気を抜かれた。
「はは……リアはやっぱり凄いな。ありがとう、俺も会えて凄く嬉しいよ」
「ふふ、ようやく笑ってくださいましたね。ユーリはそうして笑っているのがお似合いですわ」
再び笑顔になるリアトリスを見て心の中のモヤモヤがすっと消え、温かい気持ちになった。彼女は俺の手を引いて扉の方へと歩き出す。
「少しお散歩しましょう」
「うん、いいね」
リアトリスに連れられて俺は部屋の外へと出た──その瞬間、景色が変わる。扉を抜けた先に現れたのは、見慣れた廊下ではなく公園だった。
「ここって、ロベルトと一緒によく遊んでた公園だよね?」
「えぇ。懐かしいですわね」
三人で公園内を駆け回ったあの日の情景が思い浮かぶ。あれからもう十年も経ったと思うと月日の流れは早いものだ。
「……今はもう雑草の蔓延る荒れ地になってしまっていますが」
リアトリスがそう言った途端、目の前の公園が荒れ地へと変貌した。
「な……」
「アリオストの中枢が乗っ取られてからは、国の機能が麻痺して町を維持する事業が行われなくなりました」
悲しそうに言うリアトリス。すると目の前の景色が次々と変化する。
荒んだスラム街、放置された廃墟、蔓延する疫病、治安維持を放棄した騎士達。恐らくクーデター後に起きたアリオスト内の変化なのだろう。
「国力が弱ったところに、ユニトリクが入り込んできました。そして国を立て直したのです。こうして今のユニトリクの属国と成り果てたアリオストがあります」
「これも全部、騎士団長とアレクが裏で手をまわして行ったことなのか」
「私も全貌を把握している訳ではありませんが、そうかと」
リアトリスは目を閉じ悔しそうに俯いた。コンクエスタンスの策略によってアリオストは疲弊し、そしてユニトリクに乗っ取られたのだ。リアトリスが守ろうとした国はもう無くなってしまっていた。
しかしリアトリスはすぐに顔を上げ、目を見開いて爽やかな表情をする。
「ですが、それも今日で終わりですわ」
すると、景色がまた変化する。周囲は青く澄みきった空、俺達はヴォルグランツの上に浮いていた。こうして町を鳥瞰するのは初めてで、知っているはずの町並みが全く違うものに見えて新鮮だった。その町を見ながらリアトリスが嬉しそうにする。
「ユーリ達がコンクエスタンスからアリオストを救ってくださいました! ですから、これからアリオストは再び誇り高い神子の国として息を吹き返すのです」
リアトリスは繋いでいた手を離し、両腕を広げる。心地よい風が吹いた。
「でも、神子はもうこの国には……」
「大丈夫ですわ。カルティアナ家は滅びてしまいましたが、神子の資格のある者は必ずこの国のどこかにいます。そして、神使は必ずその方を見つけ出して表舞台へと導きますわ」
全てを悟っている様にリアトリスが語る。俺も神子一族の血が流れているからか、何となく彼女の言う通りだと感じた。
「私はここでその行く末を見守っていきます。ユーリも、どうかアリオストの未来を見守ってください」
胸に両手を当てるリアトリス。景色が彼女のお墓の前に変化した。
「うん、俺もこの国の未来を守っていくよ」
「そう言って頂けると助かりますわ」
ニコリと微笑むリアトリス。俺も微笑み返した。
「あの美しく強く気高いアリオストに戻ることを私は信じています。国が元に戻ったら……また、あの焼き芋を味わいたいですわね」
「焼き芋か、懐かしいな。俺も久々に食べたいよ」
リアトリスと中庭で焼き芋を食べた光景が思い出される。すると、その懐かしい香りがした。
「どうぞ。私も今食べたくなってしまいましたわ」
「! ……ありがとう」
リアトリスの手に焼き芋が二つ握られていた。彼女はその一つを俺に差し出す。俺は受け取り、そして頬張った。
「あふっ! んん、美味ひい」
「ふふ、美味しいですわね」
リアトリスも焼き芋を頬張る。火傷に気を付けながら少しずつかじっていた。愛おしい。
「また一緒にこうして焼き芋を食べられるなんて思ってなかったな」
「……はい」
すると、リアトリスが俯く。急に切なそうな顔をした。
「私もこうして思い出に浸れる日がまた来るとは思っていませんでした。……ですが、これで最後です」
「……?」
「ユーリ、まだあなたにはやるべきことがあります。私との最後の約束、覚えていますわね?」
「……必ず生き抜いて、ユニトリクとエルトゥール一族の未来を取り戻す」
「そうですわ」
すると、俺達が握っていた焼き芋が消える。周囲が花畑に変わった。
「ユーリにはまだ大事な使命がある。そして、あなたを支える仲間もいる」
「……あぁ」
「ユーリにはもう、私の力は必要ありませんね」
「──?」
「ですから、これが最後です」
嫌な予感がした。最後、とは別れの言葉だ。彼女から離れたくない。
「リア、そんな……」
「大丈夫、ユーリなら必ず未来を掴めます」
「リア、待って」
切なげに、しかし嬉しそうにこちらを見上げるリアトリス。これが彼女との最後の奇跡の邂逅だと分かって胸がざわついた。
「リア、待ってくれ。まだたくさん話したいことが……!」
「私はユーリに会えて幸せでした。あなたと過ごした六年間は、私の中で色鮮やかに輝いています。十四年間という短い一生でしたが、それでも私はとても幸せでしたよ。ですから、どうかユーリもアリオストで過ごした日々を悲しい思い出にはしないでくださいね。素敵なことがたくさんあった、大切な六年間として心の中にしまっていてください」
「リア……!」
「ユーリ、私はあなたが大好きです」
リアトリスはこちらに近づき、そして俺の両頬に掌を当てた。温もりが伝わる。
「リア、俺もだ! だから……」
「いいえ。そのお心は嬉しいですが、残念ながら私はもうお役御免ですわ。さすがにもう氣力が尽きてしまいます。それに……ユーリにはもう、大切な人ができたでしょう? 今度はその方を守ってあげてくださいな」
「え……?」
「その方と、今のあなたを生きてください。私はこれで消えてしまいますが、ちゃんと空から見守っていますので」
「待って──!!」
最高の笑顔を見せるリアトリス。そして俺の顔を引き、額へと口付けた。俺はその人が愛おしくて、離れたくなくて、手を伸ばす。
──しかしその手は空を切った。リアトリスの体は小さな光の粒子となって消滅する。周囲に紫、薄紫、白の花びらが舞い、そしてそれが大量に吹き荒れて視界を覆った。
「────リア!!!」
意識がぼんやりとする。うっすらと目を開けると、見たことの無い白い天井が映し出された。俺の体はベッドに寝かされている。視界が揺れる──涙が流れていた。
「……?」
胸が締め付けられる切ない気持ちを抑えながら、ゆっくりと起き上がった。周囲を見回すと、近くに姿見があった。自分の顔が映る。
「──あ」
そこには、焔瞳がいた。




