第129話 銀髪の元騎士
急に扉を開けられ、私と男は驚いてそちらを見る。そこには長い銀髪を揺らす黒い騎士服の男が立っていた。
「……年端もいかぬ少女が好みとは、大した趣味だな」
「ほう、ずいぶんと懐かしい顔が現れたもんだ」
目の前の男は銀髪の方を見ながら僅かにニヤリと笑い、そして立ち上がる。解放された私はすぐさま起き上がり、彼から逃げる様に部屋の奥側へと走って離れた。
「久しいな、グランヴィル」
「久しぶりだ、ディートリヒ騎士団長」
扉を開けた人物、それはグランヴィルだった。
「ぐ、グラン……?」
「……オルトはどうした。何故お前がここにいる」
「あ、え……っと……」
状況を説明しようと必死に声を出そうとするが、言葉が出てこない。足が、体が、口が震える。男に襲われた恐怖で体と心が完全にどうにかなってしまっていた。上手く動けないし喋ることもできない。
「……そうか」
震えが止まらず部屋の片隅で身動きできない私の様子を見て、グランヴィルは溜息を吐きながら男へと視線を戻す。察してくれたのだろうか。
そういえば今さっき、彼はこの男のことを騎士団長と呼ばなかったか。まさかオルト達が疑っていた副騎士団長ではなく、騎士団長がコンクエスタンスのスパイだったというのか。アリオストに潜り込んでいたのはアレクだけではなかったのだ。
「ノックも無しにいきなり入るとは無礼だぞ、グランヴィル。それに目上の人間に対しては敬語を使わなければならない。騎士団を辞めてそんなことまで忘れてしまったか?」
「もうお前は俺の上司じゃない。それに……そんな無粋な行為を行う奴に使う礼儀など無い」
「ほほう。ずいぶんと偉くなったもんだな」
騎士団長の語気が荒くなる。ここからでは後姿しか見えないが、騎士団長から威圧的な雰囲気が醸し出されるのを感じた。
「……何故お前がここにいる、グランヴィル」
プレッシャーを真正面から受けながらも、グランヴィルは怯まずに騎士団長を無表情で見据える。
「四年前のクーデターの件について、俺はアリオスト各地の騎士団詰所を回って調べまくった。そうしたら国の中枢部に裏切者がいるらしいことが発覚してな。それが誰なのか、副騎士団長にも情報提供の協力をしてもらって必死に探した。するとまさか、お前がスパイであることがようやく分かってな。こうして断罪に来たわけだ」
「ほう、ティルが協力した訳か……まさか奴にバレていたとは。後で始末しないとな」
「そんなことはさせん。それに副騎士団長はまだお前がスパイであることを知らない。彼の情報をもとに捜査して今しがたこの答えに辿り着いたのだからな」
「今日は良く喋るな、グランヴィル。寡黙て口下手だったお前がどうしたのだ? 四年前のクーデターを調べたと言ったが……そうか、アリーチェか」
「……!!」
「なるほど、それでそこまで必死になっているのか。饒舌になる程焦っているとはお前らしくないぞ、グランヴィル」
「黙れ……!」
グランヴィルの表情が険しくなる。彼の握る拳に力が入るのが見てとれた。
「アリーチェは優秀な弟子だった。私のことを心の底から信じ、尊敬してくれていた。全く、可愛い弟子だったよ。非常に扱い易く使い勝手のいい、優秀な駒だった」
「黙れと言っている。それ以上は……!」
「だからこそ最後の最後、クーデターの際に私の正体を知られてしまった時は非常に残念だった。まぁリアトリスの側近だから仕方なかったがな。少々惜しかったが、憧れの神子の手で死んでもらうことにしたよ」
「っ!! 黙れ!!!」
普段は無口で無表情なグランヴィルが、全身から怒気を放ち叫びながら騎士団長へと剣を向けて駆ける。二人の間合いが一瞬で詰まった。
「この程度で熱くなるとは、まだまだだなグランヴィル」
至近距離から振られる剣撃を、騎士団長は目に見えぬ速さで抜刀した剣で受け止めていた。怒りに身を震わせながら剣を押すグランヴィルに対して、騎士団長は涼しい顔だ。
「だがそうしてすぐ激情にかられるのは若い証拠でもある。羨ましいぞ」
騎士団長はすましてそう発言した後、勢いよくグランヴィルを押し返した。そして、グランヴィルが後退したところへ即座に斬り込む。
「ぐっ!」
火花が散る。間一髪、グランヴィルは騎士団長の攻撃を受け止めていた。
騎士団長は口角を少し上げた直後、斬撃を乱れ撃つ。グランヴィルは目を見開き、迫る剣を一つ一つ見極めて防ぐ。剣同士が何度もぶつかり合って、鋭い鋼の音が部屋中に鳴り響いた。
素人の私には全く剣の動きが見えないが、グランヴィルが必死に騎士団長の攻撃を防いでいるのは分かった。自分から仕掛けることができずに防戦一方だ。地下武闘会でグランヴィルはオルトと互角の戦いをしていたはず。ということは、騎士団長はオルトよりも遥かに強いということなのだろうか。
「苦しそうだな、グランヴィル。腕が鈍ったか?」
「く……舐めるな!」
グランヴィルは叫びながら身を翻して攻撃を躱し、一閃を放つ。鋭利な刃が騎士団長の懐を狙うが、その剣撃は難なく弾かれてしまった。
「遅いぞ!!」
次の瞬間、騎士団長の蹴りがグランヴィルの腹にクリーンヒットする。グランヴィルの体は勢いよく飛んで部屋の壁へと打ち付けられた。床に崩れ落ちたグランヴィルが咳き込む。
「く……!」
乱れた銀髪を振り払いながらグランヴィルが起き上がる。騎士団長は静かに、堂々とその様子を眺めていた。
「……ちっ!!」
再びグランヴィルが斬りかかる。第一撃は簡単に避けられ、第二撃も躱される。第三撃は剣で弾かれ、そして騎士団長の斬撃がグランヴィルの額を掠った。そこでできたグランヴィルの隙を突いて、騎士団長の蹴りが彼の腹を横殴りにする。
「っ!!」
再び吹き飛ばされたグランヴィルの体が部屋の奥、私の近くの壁に背中からぶち当たる。思わず私は体をビクッと大きく動かした。
「……」
顔を歪めながらグランヴィルがゆっくりと起き上がろうとする。何か声をかけようとしたが、しかし私はさっきからずっと震え続けたままだ。恐怖に支配されてしまった体は言うことを聞かず、声を出すこともグランヴィルに近づくこともできない。息もまだ荒いままだ。私はただ部屋の片隅に立ち尽くし、怯えながら見ていることしかできなかった。
「くそ……」
「さて、グランヴィル。お前の処分はどうしようか。国家反逆罪の罪でここで殺してもいいが、そうだな……マグナガハルトの実験に付き合ってもらうのがいいだろう」
「……どんな実験かは知らんが、断る」
「そうか、残念だ。だが……」
立ち上がり、切れた額と唇から流れる血を拭きながらグランヴィルは切っ先を騎士団長に向ける。騎士団長はニヤリとしながらゆっくりこちらへ歩いてきた──次の瞬間。
「お前に選択権は無い」
瞬きの瞬間に騎士団長がグランヴィルの目の前に現れる。一瞬で間合いを詰めてきたのだ。今度こそグランヴィルが刺されてしまう──そう思い血の気が引いた。
しかしその直後、騎士団長の剣は鋼音と共に弾かれていた。グランヴィルは彼の攻撃を見切り、応戦したのだ。グランヴィルはひるむことなく剣撃を畳み掛ける。
「……なるほど、少しは冷静さを取り戻したか」
「頭に上った血が少々流れたからな」
どうやら先ほどまでのグランヴィルの攻撃は精細さに欠けていたらしい。表情も少し落ち着いたように見える。
「だが……まだ私には届かんぞ!!」
グランヴィルの斬撃を薙ぎ、躱し、受け止め、そして弾いて騎士団長が反撃する。太く、力強い剣がグランヴィルの首、肩、腕、胸を狙う。騎士団長の猛攻だ。グランヴィルは瞬きすることなく一つ一つの攻撃の軌道を見切り、躱していく。しかし騎士団長の剣はグランヴィルの首を掠め、逃げ遅れた銀髪の一部を斬り落とし、左腕を斬りつけた。グランヴィルが飛び退いて距離を取る。
「はぁ、はぁ」
息を切らしながら騎士団長を睨みつけるグランヴィル。額、首、そして左腕から血が流れていた。対して騎士団長にはまだ傷一つついていない。
「苦しそうだな。元上司として、さっさと楽にしてやる」
「……ふん、そんな気遣いはいらん」
騎士団長が余裕の表情でグランヴィルへと近づく。その時チラリと私の方を見た。私は突然目が合ったことに驚き、そして恐怖して体を竦みあがらせる。
すると次の瞬間、グランヴィルは腰を落として剣を低く構え、そして勢いよく降った。騎士団長の刹那の隙を突いて渾身の一撃が放たれる。騎士団長は私へ一瞬視線を移したことによって、対応が遅れた。
「ぬっ……!」
騎士団長は咄嗟に剣で斬撃を受け止める。しかしグランヴィルの重い一撃はその剣を弾き飛ばした。騎士団長の手から剣が離れ、回転しながら後方へと飛ぶ。その勝機を見逃さず、グランヴィルは騎士団長を斬りつけた。騎士団長は素早い身のこなしで避けようとするが、グランヴィルはそれを許さない。右肩が斬られ、血が噴き出した。
そして丸腰の騎士団長にさらに追い討ちをかけようとグランヴィルが踏み込んだ時。騎士団長の空気が変わる。
「調子に乗るなよ」
「がっ……!」
一瞬にして、形成が逆転した。
私には何が起きたのか分からない。
騎士団長がグランヴィルの首を掴んで持ち上げていた。




