第128話 籠の中の鳥
背中が、腰が痛い。自身の背に冷んやりとしたものを感じる。少しずつ目を開けると、ぼんやりとした視界は薄暗い空間を映し出していた。
「ん……」
どうやら私は仰向けに寝そべっているらしい。目をこすりながらゆっくりと体を起こした。
「えっと……?」
下には冷たく硬い床、目の前には細い縦格子があり、その奥には大量の書類が無造作に積まれた机と、難しそうな本が並ぶ本棚があった。縦に長い窓の外は暗く、今は夜の時間らしい。
この景色を私は知らない。ここはどこなのだろうか。
「……あ! 私、撃たれて……」
ここでようやく私は気絶前の出来事を思い出す。確かコンクエスタンスの実験場に侵入して、アレク外務官って人が実は屍使いで、体だけ蘇ったリアトリスに術で撃たれて……そこからの記憶が無い。背中と腰は多少痛いが体に怪我は無い様だ。オルトの話だと確かリアトリスは転移氣術が使えたはず。恐らく私はそれでここに飛ばされたのだろう。
「ってことは、ここってアレクの部屋なのかしら?」
アレクが操るリアトリスの術であることと、本棚にあるきっと政治関係であろう難しそうな本の題名からそう考える。
そしてふと、私が座っている場所の違和感に気がついた。
「これって……檻? いえ、鳥籠の中かしら」
普通の少し散らかった部屋の中に居座る鉄の鳥籠。高さは天井ギリギリまであり、半径は三メートルほど。それは仕事部屋の中で異彩を放っていた。
「これ、籠の中の鳥ってやつよね」
私は立ち上がり、周りを見回す。戸棚は開けっ放しで中はぐちゃぐちゃ、書類だけでなく衣類や菓子類もあちこちに無造作に積まれており、部屋の主のズボラさが伺える。几帳面な一継が見たら発狂しそうだな、なんて思いながら眺めていると、窓のすぐそばにキラリと月明かりを反射するものが目に入った。
「あ! 鍵!!」
窓の横に小さな鍵が吊るしてある。あれが鳥籠の鍵だろうか。
私は鍵穴の大きさを確認しようと、鳥籠の開閉口に近寄り格子を掴んだ。
「──!?」
突然、全身を不快感が襲う。思考が遅くなり、体から力が抜ける感じがした。私はすぐさま格子を離す。
「う、何これ……!?」
恐る恐るもう一度、少し格子に触れてみる。するとまた不快感が体を走った。すぐに格子から離れ、手をさする。
「……特製の鳥籠ってワケね」
今度は格子に触れない様に気をつけながら間から手を出し、鍵穴に外側から触れて大きさと形を確かめようとした。
「っ!」
しかし格子の間から手を出した瞬間にまたあの不快感がくる。私は急いで手を引き戻した。どうやらこの鳥籠の格子に沿って妙な術が施されているらしい。逃走防止のためだろう。
「でも、痛いワケじゃないのよね。……ちょっと我慢すればいいんだもの」
私は深呼吸する。そしてキッと目を見開き、格子の間から手を出して鍵穴に触れた。酷い不快感。頭が回転しなくなり、手足から力と感覚が抜けていく。何とか気を確かに持って鍵穴の触感を確かめた。
「っはぁ! な、何となく分かったわよ!」
だいたいの大きさと形が分かったところで手を戻し、その場にへたり込む。息を整えながら少し休憩し、手足の感覚がもとに戻るのを待った。窓の横、鍵へと視線を移す。
「うん。たぶんあれだわ」
手で確認した鍵の形状と、吊るされている鍵の形状はだいたい同じに見える。となればあの鍵を手に入れて解錠し、脱出すればいい。問題はどうやってあの鍵を手に入れるかだ。
「風の氣術なら……いけるかしら」
小さな風の気流で鍵をこちらまで移動させる。それならできそうだ。
「この鳥籠の変な術が風を妨害しないといいんだけど」
私は氣力を練る。そして小手調べに、鍵に向けて優しくそよ風を吹かせた。
しかしそれは格子の間を通らずに反射され、鳥籠内を吹き抜ける。
「うぁ、やっぱりダメかぁ。どうしよう」
反射しきれないくらいの大量の氣力を使って鳥籠自体を吹き飛ばす……なんてこともできなくもない気がするが、私のコントロールはまだまだ未熟だ。暴発して私まで吹き飛びかねない。
オルトやエリザベートほど繊細に氣術を操れない私には、丁度いい強さで鳥籠のバリアを破ることはできないだろう。となれば、鳥籠の外で術を発動させるしかない。
「……うん、やりましょ」
胸に手を当て、大きく息を吐く。そして意識を右手に集中させ、勢いよく格子の間から右腕を出した。
「んんぅっ」
途端に不快感が全身を巡る。何度も食らうとさすがに気持ちが悪い。思考回路の動きが鈍り、両足の感覚が抜けていく。しかしそれでも右手に神経を集中させ、格子から出来るだけ腕を伸ばして指先まで尖らせた。すると、指の先端だけ鳥籠の奇妙な術の効果範囲から外れたのを感じる。
「っ! 届いて!」
全神経を自由になった指先に集中し、風を放った。窓の横の鍵目掛け、風の氣術が発動される。
「────あ」
大きな破裂音と共に、窓が豪快に割れた。
鍵は吹き飛びガラスの無くなった窓枠の中へと消えていく。
完全に出力を間違えた。
「やっちゃった……」
一気に体の力が抜け、鳥籠の床にへたり込む。大失敗だ。
「どどどうしよう……!!」
急に冷や汗が出てくる。鍵を紛失してしまっただけでなく、大きな音も立ててしまった。もしかしたら私が逃走しようとしているのを敵に嗅ぎ付けられるかもしれない。
一人でわなわなとしていると、扉の向こう、恐らく廊下があると思われる方から足音が聞こえた。こちらへ向かってくる。
もしここがアレクの自室でコンクエスタンスのアジト内であるなら、神子である私はこれから殺されるはずだ。何とか誰か来る前に逃げなければ。
「こうなったらもう最大出力で術を……」
一か八か、鳥籠を全て吹き飛ばそうと両手のひらを掲げた時──扉が開いた。
「……何をしている」
「あ……」
扉を開いた人物。それは、アレクではなくガタイの良い男だった。扉の奥、廊下の照明が点いており逆光でこちらから表情が見えにくいが、渋い顔をしているのは分かる。男は部屋の様子を見渡し、そして再度こちらを見た。
「なるほど、抜け出そうとしたのか。そこにいるということはお前、マグナガハルトが捕らえた神子だな?」
「……!」
アレクの裏の名前を知っている。やはり、コンクエスタンス関係者だ。
「ん? お前もしや……」
男は少し考えた後、部屋に入りこちらへ近づいてくる。一歩一歩踏みしめる音が重く、そして威圧的に聞こえた。そして男は鳥籠のそばに立ち、私の顔をジッと見る。
「ふはは、なるほどな!」
男は大きく笑い、そして目を細めてまた私を見た。
「何よ……!?」
「お前、ユーリと一緒にいた治癒の娘だな? なるほど、神子か」
「……」
「お前の身柄は本来なら竜の鉤爪に渡すべきなんだが……まぁ指令も要請も出ていないしな。我々の信条に従うとしようか」
神子の抹殺を目論むコンクエスタンスと深い繋がりを持つ竜の鉤爪。そのボスが私の治癒能力を欲しているとあれば、コンクエスタンスとしても私を竜の鉤爪に引き渡すべきなのだ。
だが今の話ぶりからすると、コンクエスタンスは竜の鉤爪からそんな要請は受けていないため、本来の目的である神子殺しを私にも適応しようとしている。
しかし、私だってここで死ぬわけにはいかない。
「……私はこんなところであなたに殺されたりなんかしないわ」
「ほう。なかなか度胸があるな、娘。だが強がったところで無駄だぞ? お前に何ができる」
「私にだって戦う力はあるわ。それに、すぐにオルト達が助けに来るんだから!」
「ふはは、なるほど……な!!」
男は高笑いすると同時に腰の剣を抜き、そして私に向かって振り抜いた。私は咄嗟に床に伏せながら結界を張る。
すると──鳥籠が斜めに真っ二つに割れ、上部がずり落ちて音を立てて転がった。一振りで鉄格子を全て断ち切ったその男の実力は相当なものだろう。
私が顔を上げると、男は剣を鞘に収めた。それと同時に結界も鳥籠と同じラインで真っ二つに割れる。
「嘘……」
その光景を見て血の気が引いた。もし伏せていなければ、私の体も今頃真っ二つになっていただろう。
「結界か。なかなか神子として優秀な能力の持ち主だな」
割れた結界は小さく光りながら消失する。完全に無防備な状態となり、私は戦慄した。ヤバい、殺される。急いで起き上がり、そして立とうとする──その時。
「きゃ!!」
男は私の両腕を掴み、そして押し倒した。
「今はマグナガハルトは何故かおらん。……少し遊んでも良かろう」
「な……」
次の瞬間、私の着物が破られる。肩から胸へかけての着物が千切れ、下着が露出した。一瞬何が起きたのか分からず、思考が停止する。
男は呆気に取られる私に構わず帯に手をかけた。
「やっ……!!」
怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
全身に悪寒が走り、底知れない恐怖を感じる。絶対にダメだ。こんなのは嫌だ。助けて!
どうにか抵抗して男を振り払おうとする。しかし力ではどうにもならない。男が片手で拘束する私の両手に神経を集中させる。そこから一気に氣力を放出して──
「あう!!」
「無駄な抵抗はしないことだな」
男の拳が私の懐に入った。激痛が腹部に走り、氣術の発動が制止される。私は咳き込み、痛みに悶えた。
男は表情を変えずに帯を引き、解いて外す。
「やめて……」
力無い声が出た。目には涙が溜まる。
男の醜悪な顔が、手が、私へと迫る。
助けてオルト。
そう思ったその時。
「────まさかお前が黒幕だったとはな、団長」
扉の向こうに、あの人が立っていた。