第127話 仇討ち
アレクが叫んだ次の瞬間、後ろから狐の悲鳴が聞こえる。血の気が引くのを感じながら振り向くと、狐の体に大量の紙が巻きついていた。
「なっ!?」
よく見ると巻き付いているのは本のページだ。背表紙が狐の背中にくっついており、そこからページが大量に離れて出てきて四肢から尾、顔に至るまで狐の体を覆っている。びっちりと全身を窮屈に巻かれて狐は苦しそうだ。狐はページの隙間から見える目を細めながらもがこうとする。
『こんなもの……燃やして差し上げます!』
狐は憑魔を打ち消す炎で紙を焼こうとした。紙に巻かれた狐の体を火が覆う。しかし、狐火を受けても巻き付くページは焼けなかった。
「狐の火で燃えないってことは、屍使いの力とはまた違う術か!」
「ふふ。違うぞ、エルトゥール。それはただの氣術器じゃよ。じゃからその狐火で力を失ったりはせんし、紙じゃが簡単に燃えたりはせん」
『う……あぁ……』
「苦しそうじゃな。その本はページを張り付かれた者の氣力と知識を吸い取っていくのじゃ。じきにその狐も抜け殻に成り果てる」
「なっ!? させるかっ!」
俺は急いで狐に巻き付いたページを剥がそうとする。しかし強力にへばりついた紙はなかなか剥がすことができない。最初は真っ白だったページに、次第に奇妙な文字が勝手に記載され始めた。恐らくこの狐から吸い取った知識を記述しているのだろう。
「ちっ! その氣術器もどうせ誰かを殺して奪ったものなんでしょう!?」
エリザベートが再び強力な氣術でアレクを襲撃する。炎が、水が、風が、雷が、土が、氷が、光が次々とアレクの体を破壊していくが、壊れたそばからすぐ再生して元通りになってしまう。
「サンダー! 俺達も行くぞ!」
「ワウ!!」
セファンの掛け声と一緒に、鎧化したサンダーもアレクに爪を立てる。琴音も苦無や手裏剣でアレクの体を切り裂いた。そして最後にロベルトが剣でアレクを真っ二つにする。
だが、総出の攻撃もアレクの再生能力の前には無意味だった。
「ここまで手応えがあるのに全く効かないとは……どうしましょうね」
「やっぱあの狐の炎じゃないと、こいつの再生は止められねえか……!」
アレクと少し間合いを取りながらこちらを見る琴音とロベルト。やはり、アレクを倒すにはこの金色の狐の力が不可欠だ。それに、もたもたしていては狐の命が危ない。どうにかしてこのページを排除しないと。
「さて、儂の方からも仕掛けさせて貰うぞ!」
アレクは背中から影の触手を十歩生やす。それを不気味にくねらせた後、勢いよく伸ばしてエリザベート達を狙った。
「ちっ! 面倒くさい触手ねぇ!!」
「うおーー危ねーー!!」
エリザベートは箒に乗って、セファンや琴音、ロベルトは飛び退いて躱す。
「おいユーリ! これ避けるしかねえのか!?」
「基本は避けるしかない! でも氣術なら効くかも!」
卯月から出てきた憑魔本体には氣術が有効だった。触手が全く同じ性質を持つなら、狐火だけではなく氣術も有効な筈だ。そうであればエリザベートの術で触手だけは排除できるだろう。ただ、アレク中の本体をまず狐火で炙りださないことには、触手はまた再生されるので根本的解決にはならないが。
「なら全部焼き尽くしてやるわ!!」
エリザベートが炎を放つ。迫り来る触手全てを灰にしようと飲み込んだ。
「さて、その調子でいつまでもつかの?」
炎は触手を消し炭と化す。しかし、すぐさまアレクの背からは新たな触手が生み出され、エリザベートを襲った。再びエリザベートは炎で触手を焼くが、その繰り返しだ。また触手は再生してエリザベートだけでなく、セファンや琴音、ロベルトを狙う。
「サンダー!!」
「ガウゥ!!」
「くっそぉ!!」
サンダーとロベルトの土石流が触手を飲み込む。だがこれもその場凌ぎにしかならない。
『す、みませ……ん……。わ、私が油断した……ばっかりに……』
「大丈夫、今助けるから!」
俺はなんとかページを一枚一枚剥がしていくが、これでは時間がかかり過ぎる。早く狐を助けださないと、狐も仲間も皆アレクに殺されてしまう。
「ちっ……ホント、こんな厄介でムカつく相手は初めてだわ……!!」
エリザベートは箒の上で息を切らしながら言う。何度も高出力の氣術を使った影響で、氣力量が尽きてきたのとかなり疲労がたまっている様だ。もともと氣力量の少ないセファンや琴音、ロベルトも疲弊してきている。それに対してアレクは余裕の表情で背の触手をくねらせていた。
「……仕方ない。ちょっと怖いかもしれないけど……斬らない様にするから動かないでね」
俺は狐にそう言いながら立ちあがり、宝剣を抜いた。そして切っ先を狐に向ける。
「な、ユーリ!? 何してんだ!?」
「本の氣術器だけ斬る」
「えぇ、大丈夫なのか!? 狐にべったり張り付いてるぜ!? もし狐も斬っちゃったら……」
「へぇ、そんなことできんのオルトくん?」
「……まさに紙一重、というやつですか」
こちらの様子を見て驚く皆に対し、俺は静かに頷く。
「ほほう、流石は芸達者なエルトゥールじゃの。じゃが、そんなことはさせんぞ!!」
アレクは今度はこちらに標的を定めて触手を伸ばしてきた。しかしその触手は横槍に入った炎に焼き尽くされる。
「させないわよ、このジジイ」
「忌々しい氣術使いの小娘が邪魔立てしおって。その様子じゃもうろくに術は使えんくせにのぉ」
アレクはエリザベートを一瞥した後、また俺達へ触手を迫らせる。だが地面から伸びた岩のドリルが触手を貫き消滅させた。セファンの氣力は恐らくこれで尽きただろう。
「オルト、早く!!」
「ありがとう!」
「ぬぅ、貴様ら……!」
俺は狐に宝剣を向け、深呼吸する。少しでも加減を間違えれば狐を傷つけてしまう。寸分違わぬコントロールが必要だ。意識を宝剣に集中させ、紙だけを斬るイメージをする。
そこへ額に青筋を立てたアレクが触手で襲ってきた。
「いくよ」
『……はい、お願いします』
俺の背中を貫こうとする触手は氷漬けにされて砕け散り、また伸びてくる触手は炎に焼き尽くされる。
その音が入ってこなくなるくらい精神を集中させ、研ぎ澄ます。
そして──宝剣を振った。
『……!!』
次の瞬間、巻き付いていたページが全て斬り裂かれて飛び散る。背表紙も真っ二つになり、狐の体は氣術器から解放された。狐自身に怪我は無い。
『──いきます!!』
直後、狐の頬の唐草模様が赤く光り、そして狐の大火がアレクを襲った。急襲にアレクは反応できず、狐火に飲み込まれる。
「ああああぁあぁっ!!!」
アレクの悲鳴が実験場内に響き渡る。背中から生えていた触手は消滅し、彼は跪いた。
「やったか!?」
「ワウ!」
「だといいですね」
息を切らすセファン達が固唾を飲んでアレクの様子を見守る。すると苦しむアレクの背中が盛り上がり、黒い物体が飛び出てきた。
「あれが憑魔本体だ!! あの状態なら氣術が効く!」
「ちっ! これでよーやくぶち殺せるってわけね!!」
「ぐぬうぅ!! そう簡単にはやらせんぞおぉ!!」
狐火が消えたアレクは立ちあがり、エリザベートへと雷撃を放つ。それと同時に憑魔も触手を伸ばしてエリザベートを襲った。エリザベートは炎で迎え撃つ。しかし、氣術を使い過ぎたエリザベートにはもう触手を相殺するだけの力が残っていない。
「ああぁもうっ! 何でっ!!」
残りの力でアレクを倒せないことに憤慨するエリザベート。炎が押し負け、雷撃と触手が彼女へと迫る。
「オレはまだ!! 力尽きてねぇ!!」
その時、ロベルトの土石流が雷撃と触手を飲み込んだ。そしてそのまま憑魔を襲う。土石流を避けられなかった憑魔は飲まれ、そして壁に打ち付けられた。広がった土砂の間から、瀕死状態の憑魔が体を現す。
「おいエリちゃん!! オレは今ので氣力使い切った!! トドメ刺せ!!」
「ぬぅ!! させるかぁ!!」
憑魔を攻撃させまいと、アレクが氣術をエリザベートに放とうとする。しかし、そこにロベルトが突っ込んでいった。
「お前のトドメはオレが刺してやるよ!! リアの仇!!!」
次の瞬間、アレクはエリザベートに向けていた氣術をロベルトへと方向転換する。鋭い風の刃がロベルトの胸を貫こうと伸びた。それと同時にロベルトの剣がアレクの胸へ迫る。
「ロベルト!!」
二人の衝突。
風の刃が、そして剣がそれぞれロベルトの背とアレクの背から突き出る。
「ぐ……は……」
少しの間の後、アレクの口から血が流れ、そして力を失った体は崩れ落ちた。剣を引き抜くロベルトは立ったままだ──風の刃はロベルトの体を貫いてはおらず、間一髪で体と腕の間を通り抜けていた。
「はっ、まさかアタシがお膳立てされるなんてねぇ」
エリザベートはアレクの様子を見届けながら憑魔へと炎を発射する。土砂に埋まって動けない憑魔は悶え苦しみながら炎に焼かれていった。だんだんと動きが鈍くなり、そして消滅する。エリザベートは複雑な表情でそれを見届けていた。
「……これで、今度こそ終わったのよね」
エリザベートがふう、と息を吐きながら箒を降下させて降り立つ。
「あぁ、これで終わりだ」
「はぁーーとんでもねー敵だったぜ!」
「……ユーリ、これで仇……取れたのかな」
倒れるアレクのそばでロベルトが呟く。俺は彼の元へと歩いて行った。
「……そうだね。連れ帰ってちゃんと埋葬しよう」
すると次の瞬間、動力を失った屍達の肉体がみるみるうちに気化していき、元の骨の状態へと戻った。勿論リアトリスもだ。
『……本来あるべき姿に戻りましたね』
狐がヨロヨロとしながらこちらに近づいてきた。彼女も相当の氣力を使ったうえに、氣術器で苦しめられた。体にはかなりのダメージがあるらしい。
「大丈夫かい?」
『えぇ、あなたが助けてくれたお陰でなんとか。それよりも、お仲間が今まだ危険に晒されているのでは?』
「そうだ! 八雲!!」
セファンとサンダー、琴音、葉月もこちらへ駆けてきた。エリザベートは天井を見上げて物思いにふけっている。
「そうだよな! 早く八雲を助けに行かねーと!」
「ですが、この骸達はどうしましょうか?」
「取り敢えず今はあの嬢ちゃんを助けに行かねえとなんだろ? ひとまずリアだけは連れてって、後はオレが少しずつ身元洗って帰るべきところに帰してやるよ!」
「できそうなのか? ロベルト」
「んー、騎士団追放された今じゃヴォルグランツ彷徨くのさえ正直結構厳しいけど、オレ元々スラム街出身なんだぜ? そっちの方のツテを頼ってみるよ」
『……頼もしいご友人ですね』
アレクに凌辱された骨達に関しては、ロベルトに任せることにしよう。俺達は八雲の救出に向かわなければ。
ぼーっとしているエリザベートの手を引き、実験場の出口まで走っていく。リアトリスの骨はロベルトが集めて布にくるんで持っていた。狐は走るのが辛そうだったので、俺が片手に抱えている。
狭い通路を通り、出口に辿り着いた。元の滝の裏に出る。もうすっかり日が暮れて辺りは暗い。俺は狐を下ろした。
『焔瞳、ありがとうございました。不甲斐ない姿をお見せしてしまいすみません』
「いや、とても助かったよ。君がいなければアレクを倒せなかった。ありがとう」
『もし、また私の力が必要になった時は……強く念じてください。どこにでも駆けつけますので』
「そんなことできるのか?」
『……はい。あなただからこそできるのです』
「……?」
『それではご武運を』
狐はお辞儀をし、そして滝の外へと跳躍する。素早い身のこなしで、すぐにその美しい金色の姿は見えなくなった。
「行っちゃったな。何だったんだろーなあの狐?」
「オルトには何か繋がりがある様に感じましたが」
「うーん、どうなんだろう?」
「おい、それより王城に行くんだろ? どうやってヴォルグランツに入る? オレ達皆普通には入れねえだろ」
「事を急ぎますので、白丸に乗って闇に紛れて一気に空から王城に侵入できるといいのですが……」
白丸はウルビーストとしてここに繋ぎとめられたせいで、アイゼン渓谷の中に入るのはトラウマとなっている。白丸に乗るためにはまず渓谷から出なければならない。ひとまず俺達は滝から離れ、渓谷内を歩こうとする。
「……え?」
すると、琴音が声をあげた。
「どうした?」
「……白丸、ここに来ても大丈夫だそうです。私達がアレクを倒したのを知って、彼にも勇気が出たのでしょうか」
どうやら白丸はここに来てくれるらしい。八雲の身が危険に晒されている以上、一刻を争うためすぐ白丸に乗れるのは有難い。
琴音はほぼ尽きてしまっている氣力を絞り出し、白丸を召喚した。召喚された白丸は少し身震いしたものの、首を振り恐怖を取り払う。そして、乗れと言わんばかりに背を差し出した。
「ありがとうございます、白丸」
琴音が頭を撫でると白丸は満足そうに唸った。俺達は白丸に乗る。
「──では、行きますよ!!」
琴音の掛け声と同時に、白丸は夜空へと羽ばたいた。




