第126話 醜悪なるアレク
皆、壁際に視線を向ける。そこには、先ほどエリザベートにより焼かれて朽ちたはずのアレクが立っていた。全身の焼け焦げた皮膚が次々と剥がれ、中から元通りの体が出てくる。脱皮している様だ。
「おいおい何だよアレ……」
「うっげえぇ!? 気持ち悪りぃ!」
ロベルトとセファンが嫌悪感を露わにしながら発言する。琴音は眉間に皺を寄せ、エリザベートは訝しげにアレクに鋭い視線を向けた。
「体が再生する氣術ですか」
「そんなトンデモ氣術が使える様なジジイには見えないわよ。どーせまた実験の成果とかいうやつでしょ? 腹立だしいわ」
「……いかにも。まぁ、屍使いの力の応用とでもいうところじゃの」
焼かれた黒い肌が全て剥がれ落ち、先刻と変わらない姿のアレクが不敵な笑みを浮かべる。彼は首を左右に振ってコキコキと鳴らした。
「応用……? つまり、自分の体にも死体を操るのと同じ影を埋め込んであるってことか」
「ほぼ正解じゃ、エルトゥール。貴様らは憑魔のことを影と読んでおるのか」
「ドゥルジ……?」
「今まで憑魔に憑かれて操られ、殺されてきた神子や関係者を見てきたじゃろう? コンクエスタンスの悲願の達成のために、儂が作ったスグレモノじゃ」
「……!」
卯月やリアトリスに憑けていた影。コンクエスタンスが有する謎のその能力を作り出したのが、今そこにいるアレクだという。
「ほぼ、と言ったのは、儂の中に入れているのは憑魔とその派生品の複合型だからじゃ」
「何……?」
「そこの狐が台無しにした儂の可愛い作品達。その中に入っていたのは派生品じゃ。死者にしか入れることはできないが、骨さえあれば生前の体を再生させて動かすことができる。対して憑魔は生者にしか入れられぬ。しかし、憑依されたものの意思に関わらず下された命令に従う様になっておる」
アレクは恍惚とした表情で詳細を話す。彼の話から今まで憑魔の犠牲になった者の姿が思い出された。俺の中に怒りが込み上げてくる。
「そして儂の中にいるのは、生者ながらも体を再生させることができる合成版なのじゃよ」
アレクは高らかに笑う。その下品な笑い方を前にした皆の表情は、嫌悪感に満ちていた。
「……つまり、リアを殺したのはテメエってことか」
しゃがれた笑い声が収まりかけたその時、ロベルトが低い声で言う。彼から物凄い殺気が放たれているのを感じた。
「貴様の抱えるその少女に生前、憑魔を植え付けたのは儂じゃよ」
「ってめぇーー!!!」
ロベルトは激昂する。怪我で痛々しい体のまま、アレクに向かって駆け出した。
「近づくでない、愚図が」
「ロベルト危ない!!」
「──っ!!」
突如、アレクの背後から黒い影が五本出た。鋭い触手の様なそれは、ロベルトを八つ裂きにしようと彼の体に迫る。ロベルトは咄嗟に屈んでそれらを躱した。体はギリギリで避けられたが、黒い短髪が掠って切れる。
「あれは……リアから出たのと同じ……!」
リアトリスの最期の時。クーデターの戦火の中で、彼女の体から出た黒い影がアリーチェを殺し、俺を殺そうとした。
「憑魔は中々万能じゃろう? 宿主を乗っ取るだけでなく、こうして攻撃手段もあるのじゃ!」
「──じゃあ、取り憑くための体も骨も全て木っ端微塵にしてやろうじゃない!!」
怒りが収まらないエリザベートの声が聞こえた。直後、数多の鋭利な刀がアレクに降り注ぐ──否、刀ではなく風の刃、鎌鼬だ。
「ふはは、無駄じゃ無駄じゃ!」
アレクは鎌鼬を避ける素振りすら見せず、エリザベートを嘲笑う。次の瞬間、彼の体を無数の刃が切り刻んだ。手足、胴、頭部に至るまで全てが骨ごと細かく切り裂かれ、行き場を迷う血が噴出する。
「まだよ!!」
エリザベートは攻撃の手を緩めない。更にバラバラになったアレクの破片を全て凍らせた。血も固まり、氷の欠片が多数宙に浮いた状態となる。
そしてエリザベートは雷撃を放つ。電流を流された氷の破片は、乾いた音を出しながら粉々に砕け散った。木っ端微塵となったアレクの氷はダイヤモンドダストの様に光りながら霧散する。
「エリちゃんすげー! やったか!?」
「……だといいんですが」
歓喜の声をあげるセファンに対して、微妙な表情の琴音。俺も琴音に同意見だ。アレクの余裕ぶりからして、この程度では死なない可能性が高い。この程度と言っても、一般人どころか頑丈な獣魔でも抹殺できるくらいの強力な術の応酬だったが。
「……だから無駄じゃと言ったろう」
再び卑しいしゃがれ声が実験場内に響く。同時に、霧散したダイヤモンドダストが一点に集まり出し、人間を形作り始める。
「化物が……!!」
エリザベートが光を見ながら悪態をついた。さして時間もかからず、アレクの元の姿が再生される。
「ちょ、マジかよ!? あんなの倒せる訳ねーだろ!?」
「弱腰になってんじゃねえよガキ! あいつはオレがぶっ殺してやる!!」
「五月蝿いわね! このジジイはアタシの獲物よ!!」
「落ち着いてください!!」
それぞれがそれぞれの反応をするのを横目に見ながら俺はリアトリスを優しく寝かせた。そして立ち上がり、狐を見る。
『……はい、私なら行けますよ』
「頼むぞ」
『お任せください』
金色の狐は小さく頷く。それを確認し、俺はアレクへと走り出した。エリザベートが自分の獲物を横取りするな、とでも言いたげな目でこちらを見ていたがスルーする。
「突撃とはまた愚直な作戦じゃな、エルトゥール」
アレクはこちらを見ながらやれやれと手を振る。そして、先程の鋭い影の触手を五本勢いよく伸ばしてきた。
「それはどうかな」
俺は迫る触手に向かって剣を振る。卯月の時と同様に、恐らくこのままではこちらの攻撃は当たらずすり抜けるだろう。しかしそれは既に織り込み済みだ。
「っ!」
「ただの剣じゃ止められんぞ!」
案の定、剣は触手を通り抜けて空振る。アレクは勝ち誇った様に笑みながら触手で俺の腹を掴もうとした。
次の瞬間。
「何じゃと!?」
俺の目の前で、触手が燃えながら消滅していく。
『成功ですね』
「あぁ」
走る俺のすぐ真後ろを駆けていた狐が、俺の体越しに狐火を触手へと放ったのだ。狐火は俺の体を燃やすことなく、通り抜けて触手だけを焼いた。
ヒョッコリと俺の後ろから顔を出す狐を見て、アレクの額に血管が浮き出る。
「……そうじゃったな、狐。まずはお前から始末せねばならんかった」
血走ったアレクの双眸がギョロリと狐を睨む。俺は狐を隠す様に剣を構えて立ちはだかった。
「全く、忌々しい狐よ。わざわざ噂まで立てて人払いしたこの神聖な場所に無粋に入り込み、あまつさえ儂の作品達を台無しにした。死をもっても償いきれんぞ」
「噂……?」
「ヴォルグランツに住んでいたのなら知っておろう? この渓谷に危険な獣魔がいることを」
「! まさか……ここに人を近づけないために、あんたがウルビーストの噂を流したのか!?」
「ふはは、いかにも。面白いくらい民は皆信じてここへは来なくなった。だが逆に、ウルビースト退治と称して渓谷に入る者が出てきてのう。仕方がないから、その辺で捕まえた獣魔をウルビーストに見立てて囮にしてやったわ」
「囮だって?」
「自由に変化できる変わった竜を繋いで、ウルビーストと勘違いして退治に来る来訪者を蹴散らして貰った。お陰様で姿形が特定できない珍妙な獣魔という噂が広まって好都合じゃったよ」
「えぇ!? 琴音、それって……」
「……白丸がここへ来たがらない理由はそれでしたか」
セファンが琴音を見ると、彼女は冷たい視線でアレクを睨みつけていた。白丸は架空のウルビーストとしてアイゼン渓谷に無理矢理繋ぎとめられ、獣魔退治で向かって来る人々と交戦させられていたらしい。この実験場の手前にあった壊れた杭は白丸を繋いでいたものだろう。何と酷い仕打ちを白丸は受けたのか。
「絶対に、許しませんよ」
「何を怒っておる? 貴様には関係の無いことじゃろうが。それに、少し前に残念じゃが竜が逃げ出してしまってな。まぁ囮役としては十分に働いてもらったがの」
「……」
琴音の表情が更に険しくなる。握る手に力が入っていた。
「まぁそれに、愚蒙な者共がのこのこ釣られて来たお陰で実験材料には困らなかった」
「じゃあ、ここにいる人達はウルビースト退治に向かった人だってのかよ!?」
「そう結論を焦るでない、ロベルトよ。確かにその者達もここにいるが、この人数じゃ。それだけではないぞ……さて」
アレクはこちらを見て目を細める。狐を狙っているのだろう。俺は攻撃に備えて剣を構える。
「お喋りは終わりじゃ。死ね! 狐!!」
アレクがそう叫んだ。しかし叫んだのみで、彼からは何の攻撃も仕掛けてこない。俺は彼を睨みながら警戒を続ける。
──しかし次の瞬間、後ろから狐の悲鳴が聞こえた。




