第123話 屍使い
突如実験場内に響いたしゃがれ声に、私達は戦慄する。声がした方向、この空間の入口に目を向けると、そこには齢六十くらいの男性が立っていた。白と灰色のグラデーションがかかった頭髪と長く伸ばした顎髭、深緑色の外套、先端に水晶が付いた杖。いかにも氣術に長けていそうな出で立ちだ。
「うむ。勝手に大切な資料を漁るとは、なんとも行儀の悪い鼠どもじゃの。しかも儂がせっかく作った作品をこうも無残な姿に変えてくれるとは。駆除せんとな」
男はそう言いながらこちらへと歩いてくる。足下に広がる氷の骨の彫像を口惜しそうに眺めながら、その隙間を上手く通って進んできた。
私達は警戒する。オルト達は武器を構えた。
「そこの金髪は脱獄したエルトゥールじゃな? まさか貴様の方から出向いてくれるとは好都合じゃ」
「……あんたらコンクエスタンスが俺を狙う理由は何だ? 十年前殺し損ねたからか?」
「はは、何も貴様を捕らえてすぐ殺そうと思っている訳では無い。あのお方は生きたままユニトリクへ渡せと仰っているしのう」
「あの方?」
「そう、あのお方じゃ。理由については儂も詳しくは聞いとらん……が大方予想はついておる」
「だからそれが何なのかって聞いたんだよ!」
ロベルトが声を荒げるが、男は全く意に介さない。
「これ以上は言えぬ。大人しく捕まって、ユニトリクで真実を知ることじゃな」
「……」
オルトの目つきが鋭くなる。男はコンクエスタンスの内情についてはこれ以上話す気はないらしい。
彼は自分の戦闘力に自信があるのか、この人数差でも構わずどんどんこちらへ近づいてきた。
「それ以上近くんじゃねえ、ジジイ」
「八雲、下がって結界を張って」
「え、えぇ」
ロベルトとオルトが一歩前に出た。すると男は不敵な笑みを浮かべる。
「何とも下品な鼠じゃのう。その騎士服、貴様がエルトゥールの脱獄を手伝ったロベルトじゃな? 全く、いくら外務官の立場を使って色々隠蔽できるとは言え、あまり派手なことはしてくれないで貰いたい。後処理が大変なんでな」
「外務官!? まさかてめえ……アレク外務官か!?」
「いかにも。儂はアリオストの外務官、アレク・ボーモントじゃ」
「じゃ、じゃあアリオストに潜入してるスパイってあの人なの……!?」
「ありゃりゃー。ここでスパイのご登場ってわけねー」
てっきり私達は副騎士団長がスパイだと思っていたのだが、それは完全な誤解だったらしい。
「さて、お喋りはこの辺で終わりじゃ。貴様らも儂の被験体として有効に利用してやるわい」
すると、アレクは上を見上げ両手を広げる。直後、地響きが鳴った。そして凍った骨の山が振動し、一部を突き破って何かが飛び出てくる。
「え……!?」
飛び出た影は骨山の上に降り立ち、こちらを向く。その姿を見て私は刹那、呆気に取られた。というのも現れたその人物に私は見覚えがあったからだ。空色の長い髪に、バニーガールの格好──
「シャーロット!?」
地下闘技場で試合の実況をしていたバニーガールであり、その可愛らしい容姿にも関わらずエリザベートの婚約者を殺した悪人。しかし彼女は地下闘技場の崩壊に巻き込まれて死んだはず。何故こんなところにいるのだろうか。
「え、あ、あいつ地下闘技場の解説のおねーさんだよな!?」
「そうですね、私もそう記憶しています。人違いにしては酷似し過ぎですね」
「実は双子とか……そんなオチじゃなさそうだな」
姿形はシャーロットそのものだ。しかし、何か様子がおかしかった。目は虚ろで生気が無く、顔見知りであるはずの私達を見ても無表情のままだ。だらんと両手を垂らして棒立ちしている。以前見た彼女は快活な人物であったはずだが、今目の前にいるシャーロットはそれと百八十度異なる。
すると、私は隣にいたエリザベートの表情が明らかに険しくなっているのに気がついた。普段飄々としている彼女がこんな顔をするのは初めて見たかもしれない。
「エリちゃんどうしたの……?」
「……あんたまさか、屍使いのマグナガハルト?」
「な、屍使いって……!」
つまり、あれはシャーロットの死体が動いているということか。それならシャーロットの様子が変なのも説明がつくが、なんという非道なことをしているのだ。
「うむ、儂のことをそう呼ぶ輩もいるみたいじゃな。じゃが儂にはその名は相応しくないと思っておる。別に死体を弄ぶのが好きなわけではなく、ただ追い求める実験の途上でこの方法を使っただけじゃ。この小娘も、使いやすい駒を再利用しただけのこと」
「酷いわ……!」
「待って、その女が使いやすい駒ってことは……あんたは」
エリザベートの表情が益々険しくなり、声も怒気に満ちていく。
「察しの通りじゃ。儂はマグナガハルト。アリオストの外務官であり、地下闘技場のオーナーでもある」
「!!」
その言葉に全員が息を飲む。エリザベートは杖をアレクに向け、そして叫ぶ。
「じゃあ、シャーロットにバリアの氣術器を奪う様命令したのもあんたか!!」
「……覚えてないのう。そんなことを言ったような気もするが」
「っ!! ふざけてんじゃないわよーー!!!」
怒りが頂点に達したエリザベートが思い切り杖を振る。それと同時に超級の雷撃がアレクへと放たれた。
「おや、血気盛んじゃの」
雷撃がアレクに届く前に、再び骨の山から飛び出た何かが彼の前に立ち塞がる。次の瞬間、雷に打たれる音と凄まじい閃光が放たれた。私は咄嗟に目を手で覆う。
そして、少しの沈黙が流れた。
「エリちゃん……?」
私は目を開けてエリザベートを見、そしてアレクを見る。そこには怒りに肩を震わせるエリザベートと、アレクの前に壁として立ち塞がった五人もの丸焦げの人間──黒くなっていてよく分からないが──がいた。
「あんた、その術でどれだけの死人を侮辱したのよ」
「おや、侮辱とは心外じゃな。儂はむしろ、死後にもこうして活躍する場を設けてるのじゃから感謝に値するものじゃと思うぞ。まぁ、もう感謝する魂が中に無いただの抜け殻じゃがな」
「滅茶苦茶だわ……」
「そうだね」
私のこぼした言葉にオルトが賛同する。セファンや琴音、ロベルトの表情も硬い。葉月とサンダーは依然として震えている。
「ふざけないでよ、この老害……!」
怒り狂うエリザベート。普段冷静な彼女がこうも感情を露わにするのは、最愛の人を殺された恨みからくるものだろう。
「エリちゃん、落ち着いて。奴のペースに飲まれてはダメだ」
オルトがエリザベートを宥める。しかしエリザベートの耳にはその言葉は届いていない様だ。
アレクを庇った死体は崩れ落ちる。もはや丸焦げで原型を留めておらず、あれが誰だったのかは分からない。
「さぁ、さっさと片付けさせてもらおうかの!」
アレクは両手を振り上げる。すると地鳴りと共に氷結した骨山に多数の亀裂が入り、下から氷を打ち破って何十人もの人影が飛び出てきた。老若男女、様々な国籍の人間が手に長い骨を一本持ってアレクの周りに参集する。彼らもシャーロットと同様に虚ろで生気は全く無い。全員屍だ。なんという数の屍をこの男は侮辱しているのだろう。
「儂の可愛い作品達よ、あの小汚い鼠どもを始末するのじゃ。あぁ、エルトゥールは殺すなよ」
アレクがこちらを指差す。その合図と同時に、屍達が走ってきた。魂が入っていないからか体の筋肉に力が上手く入っておらず、脱力した歪な走り方になっておりその気味悪い姿が私の背筋を凍らせた。
「うおおぉ!? やっべえこっち来たぞ!! オルトどーする!?」
「っどうするも! 戦うしかないだろ!」
「でもあいつら全然関係無い人達なんだよな!? 操られてるだけなんだろ!?」
「そうですが、ぼーっとしていたらこっちが命を取られますよ!」
「くっそ! 無関係の人間を斬り捨てるのは気が引けるな!」
迫り来る操り屍の群れに困惑するセファンと、覚悟を決めて立ち向かうオルト、琴音、ロベルト。エリザベートは鬼の形相で氣力を練り始める。
屍達は所持する骨を振りかざしてオルト達に襲いかかった。体の動きは歪だが振り下ろされる腕は明らかに力強く、まともに殴られれば簡単に骨が折れてしまいそうだ。オルト達は打撃を躱し、それぞれ武器で応戦する。しかし立ち向かってみたものの無関係な人間のため安易に殺すことができず、皆何とか殺さずに動きを止めようと手心を加えていた。殺さずにと言っても、既に死んでいる人達なので無意味な話かもしれないが。
「オルトくん達、手加減なんて必要無いのよ! こいつらもう死んでるんだから!!」
エリザベートはそう言うと同時に杖から勢いよくレーザービームを打ち出した。密度の高い光線が一直線にアレクへと迫る。射線上にいた屍達はビームに触れると同時に一瞬で消し飛んだ。
「ふはは、他愛もない!」
アレクは笑いながら手を振り上げる。すると足元から大量の骨が伸びて彼を覆った。骨の壁に当たったレーザービームは轟音を立てながら骨を削るが、拮抗してやがて消滅する。
「ちっ! 何て頑丈なのかしら!!」
舌打ちをしながら次の術を発動しようとすぐ氣力を練るエリザベート。次の瞬間、アレクを庇った骨の壁から骨の腕が無数に伸びてエリザベートへと迫った。
「!!」
エリザベートは氣術の発動を止めて箒に跨り宙へ飛ぶ。しかし、避けたと思った骨の手達は飛んで逃げるエリザベートを追跡して伸び続けた。
「あーもう!」
エリザベートは火の玉を骨にぶつけて追跡を止めようとする。しかし、丈夫な骨は追尾行動を停止しなかった。エリザベートは箒に乗って逃げ続ける。
一方、その空中戦の下ではオルト達が屍をいなしていた。
「くそ! 術者本人を倒さないと止まらないか!」
「その様ですね!」
「でもあいつ骨で攻撃ガードしてたぞ!? どーやって倒すんだ!?」
「あれを破る以上の力で攻撃するか、裏をかくしかないか!」
現状の打開策を模索するオルト達。しかし多勢の屍の前に、アレクを討とうにもうまく身動きが取れない様だ。すると、オルトが何かを思いついたような顔をしてこちらを見た。
「八雲! 屍全員に治癒能力をかけられないか!?」
「え!?」
「あ!? ユーリどういうことだよ!?」
「こいつらを操る原動力が影なら、八雲の力で浄化できるかもしれない!」
私はハッとした。確かに、卯月の時も治癒能力をかけることで影を体から摘出することができた。アレクが屍を操っている方法がコンクエスタンスお得意の影を埋め込むことであるなら、同じことが屍にも通用するかもしれない。
「分かったわ!」
私は結界の中からこの空間全体に治癒術を撒こうと集中する。するとその時。
「おやおや、それはいけませんなぁ──」
骨の壁を崩して姿を現したアレクが不気味に笑いながら呟いた。気味の悪いその声に私達は一斉に彼の方を向く。刹那、時間が止まったような感覚に陥った。
「え……?」
アレクの傍に一人の少女がいた。その光景を見て、オルトとロベルトの表情が凍りつく。
「「────リア?」」




