第11話 白花を求めて
オルトが倒れた──その時私の目の前に現れたのは、紫の忍装束を着た女性だった。口元も紫の布で隠し、黒髪をポニーテールにして纏めている。
どこからか突然降り立った彼女は、私達をジッと見つめてきた。
「え? あ、あの……?」
「……ついてきてください」
「へ?」
え? いきなり何? 誰なの? と脳内で様々な疑問が飛び交い私はプチパニックになる。ついて来いと言われたが、見ず知らずの人間にノコノコついていってしまって良いのだろうか。彼女が先程の男達の仲間の可能性もある。
思い悩みながら私が一人でわたわたとしていると、歩き始めていた女性は立ち止まりこちらを振り返った。
「早く。運ばないと手遅れになりますよ」
冷静に女性が言う。……綺麗な瞳だ。さっきの竜の鉤爪の様な禍々しい空気は感じられない。どうやら奴らの仲間ではなさそうだ。
しかし突然現れた謎の人物に易々とついて行っていいのだろうか? だがオルトの状態は一刻を争う。ここで呆然としている訳にもいかない。ここは彼女に従ってついて行くべきか。
すると、女性が首を傾げた。
「……? あぁ、一人じゃ運べないですよね」
そう言って女性はオルトを易々と担ぐ。そして歩き出した。
いやそう言いたかった訳じゃ無いんだけど……と私は心の中で思ったが、ここは腹を括って彼女を信用してみることにした。
「あの、ありがとう。私は八雲。あなたは誰?」
「私はこと……いや、通りすがりの忍です」
「こと?」
「なんでもありません。気にしないでください」
名前を言いかけたのだろうか。突っ込みたいところは色々とあるが、何だか聞きにくいし今はオルトを助けるのが最優先だ。私は忍さんに大人しくついていくことにする。
それにしても、女の人なのにオルトを普通に担いで林の中を軽快に歩いている。歳は……十七、八くらいだろうか。オルトよりは身長が低いが、スラっとした細身の体が美しい。
そんな忍さんの後ろをしばらくついて歩いて行くと、鬱蒼とした林の中、ひらけた場所に出た。中央には一軒の家が建っている。こんな辺鄙な場所に誰か住んでいるのだろうか。忍さんは無言でその家の側まで歩き、玄関前でオルトを下ろした。
「じゃあ、あとは自分でなんとかしてください」
「え?」
「この家の方がきっと力になってくれますので。では私はこれで失礼します」
「え、ちょっと待っ……。あ、ありが……」
私がお礼を言い終わる前に、忍さんは驚異の跳躍力で屋根に乗る。そして一礼してどこかへ行ってしまった。……一体何者だったんだろうか。
しかし今そんなことを考えている暇はない。私はオルトの傍に寄る。彼の様子を確認すると、息が荒々しく、高熱も出ていた。私は早く何とかしないと! と思い戸を叩く。
「すみません! どなかたいませんか? 助けてください!」
……反応が無い。留守だろうか? どうしよう、もし誰もいなかったらオルトが……!!
「すみません!! お願い、誰か助けて!!」
大きな声で呼びかけながら強く戸を叩く。しかし何も起こらない。音沙汰なしだ。もしかして忍さんに騙されたのだろうか? そんな……!
だんだんと頭の中に絶望がこみ上げてくる。このままではオルトが死んでしまう。そんなのは嫌だ。もう誰も失いたくない。焦燥感と絶望感が押し寄せ、最悪の事態のイメージが脳裏をよぎる。
そして両目から涙が溢れたその時。
「なんだ、騒がしいな!」
突然、戸が開いて白髪白髭の老爺が出てきた。体は細く、丸い眼鏡をかけている。身長は私と同じくらいだろうか。絶望の淵から急に呼び戻されて、私は一瞬呆気に取られる。
……そして、脳が状況を理解した。人が出てきてくれて少しだけホッとする。
「あう……あ、あの、助けてください!」
震える声で叫ぶと、老爺は驚いた様子でこちらを見た。そしてすぐさましゃがみこんでオルトの体を確認する。老爺は手際よく熱や四肢の状態を調べ、眉間に皺を寄せる。
「彼、毒が回ってて危険な状態なんです!」
「……入れ。すぐ処置する」
そう言って老爺はオルトを担いで家の中へ入って行った。私もすぐ立ち上がって後に続く。取り敢えず不審者として門前払いされなくて良かった。
家の中に他の人はおらず、部屋は綺麗に片付いている。机の上には本が何冊か置いてあり、その奥の本棚には医療系の難しそうな本がびっしりと入っていた。この人は医者なのだろうか。
「あの、助かりますよね!?」
老爺は何も言わずに居間を通り過ぎて隣の部屋に入り、そこにある診察台にオルトを寝かせた。部屋はまるで診察室の様だ。服を脱がせて聴診器を当てたり、瞳孔を確認したりしている。私はそれを固唾を飲んで見守った。
「こりゃマズイな」
老爺は棚から注射器と薬を取り出し、オルトの腕に注射した。
「おい小娘。さっき毒と言っていたが、なんの毒か分かるか?」
「いえ、分からないです。竜の鉤爪って盗賊団に襲われた時のナイフに毒が塗ってあったみたいで……」
「竜の鉤爪だと!? また物騒な奴らに襲われたな……追手は来てないだろうな? 厄介ごとは御免だぞ」
「あ、えっと、その、大丈夫だと思います……」
しまった、言わない方が良かっただろうか。放り出されてしまったらどうしよう。追っ手が絶対に来ないという確証は無い。私はあからさまにソワソワしてしまう。
「あー……冗談だよ、そんな顔するな。わしだって医者だ。ちゃんと助ける努力はする」
老爺はヒラヒラと手を振りながら言った。私はその言葉にホッとする。
「症状とこの辺りで手に入りそうって事から考えるとアカシマヘビの毒だろう。しかし……それだと問題がある」
「何です?」
「血清が無い」
「えぇ!? じゃあオルトは助からないんですか!?」
「正確に言うと、血清の材料を切らしている、だ。助かるかどうかは……小娘次第だな」
「え……? どういうことですか?」
「血清の材料になるゴリンソウという植物がこの近くの洞窟に生えている。それを十本くらい採ってこい。そうすればこの兄さんは助かる」
そう言って老爺は近くの本棚から植物図鑑を取り出し、ページを開いて見せた。可愛らしい白い花が一つの茎から五つ咲いている。
「すぐ近くにあるんですか?」
「距離的には大したことないんだが、道が少々険しくてな。川を越えたり崖を登ったりせにゃいかん。わしの足では行けないから、お前が採ってこい」
老爺は自身の足を指差す。それを見ると、義足だった。大部分は服で隠れているが、踝の辺りが機械仕掛けになっているのが見える。
「たまに来る弟子がいつも採って来てくれるんだが、最近忙しくて来れないみたいでな。弟子が木に赤いテープを括り付けて目印を付けてあるから、それを辿っていけばいい」
険しい道を一人で歩いてゴリンソウを採ってくる……できるだろうか。かなり不安であるがしかし、迷っている時間は無い。事態は一刻を争うのだ。
「……分かりました」
「急げよ。今は薬で症状を抑えてあるが一時しのぎだ。血清がないと治らん。そんなに時間の余裕はないぞ」
私は頷く。すると、診察台の方から弱々しい声が聞こえた。
「ダメ……だ、八雲。外には獣魔がいる。それに、さっきの奴らがまた来るかもしれない……」
「オルト!? 大丈夫?」
「なんと、この状態で意識が戻せるか。なかなか丈夫だなあんた」
オルトは苦しそうな表情をしながら掠れ声を絞り出す。老爺が彼の汗を拭いた。
「俺が、もし、死んだら……一継さんに連絡して迎えを寄越してもらえ。それで里に帰るんだ……」
「何言ってるのよ!? 死なせたりしないわ!!」
しかし私の言葉を聞いたか聞かなかったか、オルトはまた意識を失ってしまった。注射の効果が出てきたのか、先ほどよりは穏やかな顔で寝ている。
「さて、兄さんはこう言ってるが……どうする?」
「行くに決まってるわ!」
「じゃあ急げ。毒を喰らってからだいぶ時間が経っているんだろう? 本当ならもう死んでてもおかしくないくらいだ。この兄さんはかなり毒への抵抗力があるみたいだが……あとどれくらいもつかはわしにも分からん」
「はい!」
私は急いで準備し、荷物をまとめたところで深呼吸する。そして、老爺の家を出た。
家の前で周囲を見回すと、林の奥の方に確かに赤いテープが見えた。私はそちらの方へ駆け出す。
「じゃあ、行ってきます!」
「気をつけろよ!」
最初見たときは怖いお爺さんだなと思ったが、今は心配そうにこちらを見ている。軍手やロープ、水筒や合羽なども貸してくれたし、なんだかんだで面倒見がいいのかもしれない。あ、そう言えば名前を聞くのを忘れてしまった。後で聞こう。
「オルト……絶対助けるから!!」
そう言って私は目印の方へと駆けて行った。
目印を頼りに、林の中をどんどん進んで行く。少し歩くと、小川があった。目印は向こう岸にある。川には細い木の板一枚が架かっており、これを渡るしか無さそうだ。
「うわぁ、乗っても大丈夫かなこれ。でも弟子の人が毎回行ってるなら大丈夫だよね……」
勇気を出して踏み込んだ。板は腐りが入っていて、歩くたびにギシギシと鳴る。また、踏み出すたびに揺れるため地味に怖い。一歩一歩慎重に進み、ヒヤヒヤしながらも何とか渡り切った。地面に足を着くことができ、私は一息つく。
──その瞬間、少し先の茂みで何かが動いた。
「!? 誰?」
緊張が走る。もし獣魔だったらどうしよう。私はゴクリと唾を飲む。
すると次の瞬間、茂みから勢いよく黒い影が飛び出した。目の前に出てきたそれは茶色くて小さい──タヌキだった。走って逃げて行く。
「ふわぁ、びっくりしたぁ……。獣魔じゃなくて良かった」
私はホッと胸を撫で下ろす。そしてタヌキを見送った後、先に進み出した。
歩いているうちに何だかとても心細くなってきた。今まではオルトが一緒にいて、危険から守ってくれていた。森の中の歩き方やテントの設営の仕方、火の焚き方など一から色々教えてくれた。進む道も任せっきりで、ずっと助けられてばかりだ。そのオルトが今、私を護ったせいで命の危険に晒されている。
「ごめんね、オルト。今度は……私があなたを助けるから」
助けられっぱなしは嫌だ。自分の無力さが嫌だ。私だって役に立ちたい。今度は私が守る! そう思うと、足に力が漲った。駆け足で進んでいく。
すると、目の前に五メートルほどの崖が現れた。
「……うわ、これ登るの?」
崖の上に目印が見えた。崖のところどころに突起があり、おそらくそれを利用して登るのだろう。本当はロープを上の木にかけて命綱にしたいところだが、生憎ロープを上まで投げるスキルが無い。私が投げても届かないだろう。
「うん、頑張る……!」
私は軍手をはめて、突起に手をかける。そして反対側の手をかけ、次に足をかけて……と、少しずつ登っていく。屋敷で毎日長い階段を登っていたから体力と足腰にはそこそこ自信はある。がしかし、腕に関しては全く鍛えていないのでお嬢様仕様のひ弱さだった。
「ひゃあ!!」
手が滑って落ち、背中を打ち付ける。地面が落ち葉で覆われているおかげで大怪我はせずに済んだ。
「痛っ……。ううん、まだまだ!」
崖を登るのはかなりの恐怖だ。しかし、オルトを助けるためにも諦める訳にはいかない。私は何度も繰り返しチャレンジする。
登っては落ち、登っては落ち、次第にコツを掴んでいく。そしてようやく登りきった。お陰様で軍手に空いた穴から血だらけの掌が覗き、腕はプルプルする。息切れも酷い。
「……よし、大丈夫! 私行けるよ!」
息を整え、掌を治癒しながらそう言って自分を鼓舞して顔を上げる。
そして目の前の光景に私は戦慄した。
そこには────猪型の獣魔がいた。