第104話 魔女の提示
全速力で路地を駆け抜け、あの薄気味悪い老婆からかなり離れたと思われる場所でようやく私達は立ち止まった。しかしその直後、突然後ろから話しかけられる。聞き覚えのある声がして後ろを振り向くとそこには──
「え、エリちゃん! グラン!」
赤いショートヘアに魔女帽子を被ったスタイルの良い女性と、銀髪ロングヘアを持つ騎士風の服を纏った男性。エリザベートとグランヴィルが立っていた。狭い路地でエリザベートはニヤニヤしながらこちらを見ている。グランヴィルは無表情で腕を組んでいた。
「ひっさしぶりだねー! 元気してた?」
「うおぉ、久しぶりだなあー! そっちは相変わらずって感じだな!」
明るく話しかけるエリザベートが、その場の空気を良い意味でぶち壊した。私達は肩の力が抜ける。
「げ、元気だけど……どうしてここに?」
「私達は私達で、アリオストのこと色々調べてたんだよー。グランがすーっごく気にしてるからさぁ」
「……おい」
ヘラヘラ笑うエリザベートをグランヴィルが睨みつけた。
「あはは、ごめんごめん」
「……まぁ、気にしているのは確かだ。オルト。お前の話を聞いて、俺は俺で四年前のクーデターのこと、それとコンクエスタンスの実験場について調べている」
「! グラン……」
「それにしても、なんかまた面倒なことになってるみたいねー?」
エリザベートが指名手配書を一枚取り出し、目の前でヒラヒラと振った。
「オルトくん、まさか本当に犯罪者じゃないわよね?」
「違う! っていうかエリちゃん事情知ってるだろ」
「ふふ、ついにコンクエスタンスがオルトくんを狙いにきたのかぁ。モテるわね、よっ色男!」
「裏組織にモテても全然嬉しくないよ」
だよねー、と言いながらエリザベートは指名手配書をビリビリに破り捨てた。するとその直後、琴音が後方をキッと睨みつける。
「……早く移動した方が良いですね」
「え、追手!?」
「やっぱりオルトくんの正体がバレて今追われてるのよね? しょーがない、私についてきてー!」
そう言ってエリザベートは踵を返して走り出す。
「どこ行くんだ?」
「な・い・しょ!」
エリザベートは顔だけ振り向き、人差し指を口に当てながらウインクした。内緒とは……一体どこに連れて行くつもりなのだろうか。信用していいとは思うが。
「セファンごめんな、せっかく宿取ってもらったけどもう泊まれないかもしれない」
「えぇーマジかよ!? ……まぁしゃーないか」
「お金が勿体無かったですね」
「まぁ、どうせ払うの一継だしいいわよ!」
「一継さんすみません……」
オルトは申し訳なさそうな顔をしながら言った。
一継からの送金で私達の生活費は賄われている。そこそこの金額を貰えているので、今まで不便したことはない。こればかりは、神子一族であることに感謝しなければ。
路地を曲りくねり、人目を避けて住宅街を横断し、茂みや物陰に隠れて追手をやり過ごす。賑やかな通りからだいぶ離れて閑静な住宅街に入り、私達は小さな公園の植え込みの陰にしゃがんで隠れた。そこそこ大きな植え込みだが、六人もいるとさすがに窮屈だ。
まだ誰かが追ってきている音がする。こっそりとどんな追手が来ているのか覗いてみると、オルトの本名を呼びながら探し回っているのは一人の騎士だった。町人の通報で騎士が動いているらしい。
「……なんかごめんな。巻き込んで」
「あは、いーのいーの。私とオルトくんの仲じゃない!」
「え? お、オルトとエリちゃんの仲って……?」
私はエリザベートの発言に咄嗟に反応してしまう。するとエリザベートはしたり顔でこちらを見た。
「あら八雲姫、気になっちゃう? 実はねー、私とオルトくんはあんなことやそんなことやこんなことまで……」
「え? あ、あんなことやそんなことって!?」
「エリちゃん、今はふざけてる場合じゃ……」
「そこに誰かいるのか!?」
「!!!」
私達の声が聞こえてしまったのか、騎士がこちらを見て叫んだ。私は背筋が凍る。
皆身を屈めて体が見えない様にし、息を潜める。足音が近づいてきた。一歩、また一歩と迫ってくる足音を聞いて緊張が走り、頬を冷や汗が滴る。
私以外はいつでも飛び出せる様、全員戦闘体勢に構えた。そして、あと数歩でこの茂みに辿り着く距離となったその時。
「……気のせいか?」
騎士の足音が止まる。そして少しの沈黙の後、騎士は引き返して行った。追手が遠のき、完全に見えなくなった途端張り詰めていた空気が解かれる。
「ぶはぁーっ! あっぶねー」
「はあぁ、心臓が止まるかと思ったわ」
「なかなかスリリングだったわねー」
「まだ油断しないでください」
緊張から一気に解放されて私は大きく息を吐いた。オルトはまだ警戒して騎士が去った方向を見つつ、立ち上がる。
「よし、行こう。エリちゃん案内頼む」
「はーい!」
再び私達はコソコソと隠れながら走り出す。エリザベートを先頭にどんどん進み、住宅街から少し離れた工場や空き家が立つエリアに来た。エリザベートとグランヴィルは周りを一度見回して追手がいないか確認し、そして素早く一軒のボロい空き家へと入って行く。私達もそれに続いた。
「はい、到着!」
「ここは?」
オルトがエリザベートに尋ねる。
「エリちゃんとグランがヴォルグランツで拠点にしてるプチアジトよー! 町に詳しいグランがここを教えてくれたのよん」
「アジトなんてあるのか! カッコいいなぁ!!」
「でしょー!? さすがファンファン反応が良いわねー」
「なぁやっぱその犬みたいなあだ名やめねー?」
「え、なんでー? 可愛いのにぃ」
「俺別に可愛さ求めてねーよ!」
「エリちゃんとグランはここで寝泊まりしてるの?」
「八雲姫、さすがにそれはしないよー? ここ雨漏りするし隙間風は通るしボロボロで汚いから宿に泊まった方がいいかなー」
確かにかなりボロい建物だ。寝ている間に倒れたりしかねない。しかも屋内は以前住んでいた家主の物だろうか、古本やら服やらその他食器、机、イス、棚などたくさんの物が散乱している。エリザベートとグランヴィルが掃除したらしき部屋の中央の大テーブルとイス二つの周辺以外は、足の踏み場が無い程の散らかり具合だった。
「まぁ確かにそうよね」
「ま、でも追われてるオルトくんはここで寝泊まりするしかないかもねー?」
「うげぇ、マジかよぉ」
「俺と一緒にいる人間だってのがバレてなければセファンは宿に泊まれるかもね」
「私はここでも何の問題もありませんよ」
「わ、私は……うん。ふかふかベッドは恋しいけど大丈夫。野宿もしょっちゅうだし」
「え、ちょ!? なんか俺だけ我儘言ってるみたいになってる!? いや俺も全然大丈夫だよ!」
そんな訳で今日はここに泊まることになりそうだ。お風呂もお預けになるが、仕方ない。
「エリちゃん達はアリオストのクーデターとコンクエスタンスの実験場について調べてるんだよな? 俺達も実験場について調べてたんだけど何も情報が出てこなかった。そっちは何か分かったのか?」
オルトがエリザベートに質問する。エリザベートは短い髪を弄りながら少し考える。そして、
「クーデターについては、まだ調査中って感じかなー。元騎士のグランのツテを頼りに色々調べてるんだけど、なかなか上手く隠蔽工作されててねー」
「隠蔽工作ってどういうことなの?」
「クーデターって、神子に反対する革命派が起こした暴動よね? その暴動で当時の神子も王も死んでるから、アリオスト的にはかなり大事件なはずなのよ。それなのに何故か詳細な記録が残されてないのよねー」
「え、全く残ってないの?」
「四年前の新聞とか書物とか色々見てるんだけど、ただ革命派が神子と王を倒したってザックリ書いてあるだけで詳しい経緯とか先導者とかについては何も記述されてないの。こんな大きな出来事だから、絶対首謀者の名前くらいは出るはずなんだけど」
「……ということは」
オルトが何かを察した様に声を発した。
「そ。騎士を煽って革命派にクーデターを起こさせたのはコンクエスタンス。彼らは自分達の存在が知れ渡らない様に隠蔽工作して、あたかもアリオスト国民が自分の意思で神子信仰を終わらせたかのようにしている」
「やっぱりそうか。しかも国家レベルの隠蔽を行えるとなると、国の上層部にコンクエスタンス関係者がいるだろうな」
「うんうん、さすがオルトくん。そーいうことねー。で、エリちゃん達は今その上層部を探ってるとこなのよー」
「コンクエスタンスって本当にとんでもない組織ね……国の上層部にまで入り込んでるなんて」
「そのスパイが誰なのかは分かりそうか?」
「これがなかなかガードが固くてね! エリちゃん達も難儀してるとこなのよー。あ、それともう一つ気になることがあってねー」
「「「「?」」」」
私達は疑問符を頭の上に浮かべながら、エリザベートの言葉に耳を傾ける。エリザベートは魔女帽子を取り、それを指先でクルクルと回しながらいたずらっぽい眼差しをこちらに向けた。
「アリオストはもうアリオストじゃないかも」
「……え?」
アリオストがアリオストではないとは、どういうことだろうか。そう言えばさっきの老婆もその様なことを喋っていた。
エリザベートは回していた魔女帽子を上に投げ、そして反対の手でキャッチする。そして一息吐き、私達の方を見た。
「アリオストはもう、ユニトリクに乗っ取られちゃってるのかもしれないわね」




