第10話 竜の鉤爪
早朝、俺達はシチミヤから出る幌馬車に乗った。早朝の肌寒い草原の中に馬の足音が響き渡る。自分達以外の客は乗っていない。これに半日乗って、ここインジャ国の隣国であるモルゴを目指す。
「そのモルゴって国でも異変が起きてるの?」
眠そうに欠伸をしながら隣に座る八雲が聞いてきた。
「宿屋の人の話だと、最近巨大化した獣が町を襲った事件があったらしい。異変と関係あるかは、実際に行って調べてみないとわからないけど」
シチミヤもそこまで大きな町ではないから、入る情報も限られている。特に変わった情報はこれくらいだった。
「ふぅん。ところでコレ、脱いでもいい? 動き辛いのと、ちょっと暑いわ」
八雲は羽織っているグレーのローブの端をもってパタパタと振る。確かにこの気温の中では少し暑いかもしれない。
「いや、外にいるときは常に着ておいて。誰に見られてるかわからないからね」
昨日の夜の一件で、八雲は治癒能力を狙う奴らのターゲットになっただろう。外見の特徴はバレているから、人目につく場所では目立たないようにしなければいけない。本当は髪飾りも外してほしいのだか、大事なものだから外せないと断固拒否された。
「外って言っても、今は馬車の中だし相乗りの人もいないからいいんじゃない?」
「御者には見られてるし、馬車の移動中って結構襲撃に遭いやすかったりするんだよ」
俺の言葉を聞いて、そっか……と少しションボリして引き下がる八雲。昨日の事を反省しているのか、大人しく従ってくれた。
しばらく馬車に揺られていると、八雲はウトウトとし始めた。その無垢な少女の姿を見て、この子にはこれから過酷な運命が待っているのかもしれない、やはり契約すべきではなかったのかな……と少し後悔する。
────その時、殺気を感じた。
「八雲! 起きろ!」
「ふぇ!?」
俺は八雲を抱えて馬車から飛び出した。飛び出すと同時に俺の横を何かが横切る。
着地して振り向いた瞬間、客車の幌が真っ二つになった。そして、御者の首が飛ぶ。もの凄い勢いで血が吹き出した。
「!!? ひゃああぁぁ!!!」
思わず八雲が悲鳴をあげながら目を覆う。帆馬車に繋がれている馬は何が起こったのか分からずパニックを起こした。
「おいおい、無関係な人間にも容赦無しか!」
俺は客車のすぐ横を睨みつける。そこには大剣を持った大男と、両手に短剣を持った小男が立っていた。二人とも口元を布で覆い、腕には竜の刺青が入っている。
「……その紋様、あんたら竜の鉤爪だな」
「ほう、よくご存知で。知っているのなら大人しく従ってくれるな? その娘を置いていけ」
大男がドスの効いた声で脅してきた。竜の鉤爪──目的のためなら人を殺すことも厭わない、有名な悪の盗賊団だ。かなり大きな組織らしく、各地で多数の被害報告が出ている。
「……丁重にお断りさせていただくよ」
「ほう、良い度胸だ」
俺は八雲を下ろして剣を抜く。八雲に下がれと手で合図しながら二人の男を睨みつけた。
すると直後、大男が斬りかかってきた。
「八雲! 離れて結界を張れ!」
剣がぶつかり合い鋭い金属音が周りに響く。大剣を受け止めた瞬間、その力の強さに凄まじい衝撃が体を走った。
「ぐ、おぉっ……!!」
俺は剣を薙ぎ払い、バックステップで間合いを取る。手に痺れた感覚が残った。
これは……ヤバイな。氣術を使っている訳でも何でもないただの馬鹿力なのだが、威力が強過ぎる。何回も受け切れる攻撃じゃない。しかも二対一だ。その辺の雑魚ならなんてことないが、相手が手練れでは少々キツイ。
「八雲! 林に走れ!」
「は、はい!!」
俺はそう言って、大男の方へ駆け出す。八雲はすぐさま林の中へと走って行った。
「逃すかよ!」
小男が逃げる八雲の方へ向かおうとする。
「させるか」
俺は瞬時に方向転換して、小男に剣を向ける。すると小男も体勢を変えてこちらの攻撃を迎え撃とうとした。
しかし俺は斬りつける、と思わせて小男を躱してすり抜ける。客車を踏み台にして馬の真上にジャンプし、馬車と繋がる紐と金具を切り捨てて馬に乗った。
すると次の瞬間、客車が目の前で真っ二つに割れる。割れた先に、剣を振り下ろした大男が見えた。一太刀で馬車を裂いてしまうとは恐ろしい怪力だ。
「凄い力だな。こっわ」
そう言うと同時に、俺は林の方へ馬を走らせる。ここで彼らとまともに戦ってはいけない。逃げるが勝ちだ。
「ち、しまった!」
「だから逃がさねぇって言ってるでしょーが!」
男二人も慌てて林へ向かってくる。俺は馬を駆けながら前方を走っていた八雲をキャッチして前に乗せ、スピードを上げる。
「オルト、あいつら何なの!?」
「竜の鉤爪。過激派の盗賊団だ。八雲を狙ってる」
男共はまだ追いかけてくる。大男はどんどん遠く離れていくが、小男は足が速いらしくこちらが馬に乗っているにも拘らずしぶとくついてくる。しかし少し走ると、さすがに馬についてくることはできずに少しずつ離れてきた。
このまま走れば逃げ切れるか……? そう思っていると、小男が懐からナイフを取り出した。次の瞬間、銀色の物体が俺達のすぐ傍を横切る。
「ひゃあ!!」
小男がナイフを投げてきたのだ。右前方の木にナイフが刺さる。
彼はいくつもナイフを持っているようで、次々とそれらを投げてきた。たくさんの銀色が飛び、あるものは地面に、あるものは木の幹に突き刺さる。そして俺達目掛けて一直線で飛んでくるナイフがいくつかあった。俺はその軌道を的確に見切り、剣で弾いてかわす。
あと二本で弾き終わるその時、段差で馬の体がガクンと揺れた。その刹那、体勢が崩れて剣が振れない。
「しまった!!」
馬の脚にナイフが刺さる。そして俺の左肩にもナイフがかすった。
痛みで馬が嘶き、大きく暴れる。手綱を掴みきれず、俺達は振り落とされてしまった。地面に打ち付けられて鈍い音が鳴る。
八雲を庇って落ちたため背中に痛みが走るが、それよりも──左肩の傷に違和感を感じた。
「毒か!」
ナイフに毒が塗ってあったのだ。これはマズイ。俺は急いで毒を吸い出す。八雲が心配そうにこちらを見た。
「オルト大丈夫!?」
「あぁ、走るぞ!」
俺達はすぐ立ち上がり、駆け出そうとする。
しかしその時、足場が崩れた。よく見るとそこは林の中に突如現れた急な崖になっていた。攻撃を弾いていたのと景色に溶け込んでいたことで、崖に気づかなかったのだ。
「うわあぁーーーー!!」
「きゃあぁーーーー!!」
俺は八雲と一緒に真っ逆さまに崖から落ちる。落ちる瞬間、追いついてきた小男の悔しそうな顔が崖上に見えた。
重力に従って俺達はどんどん落下していく。そして俺達の体は木々に呑み込まれ、小男の姿は見えなくなった。
大量の枝が接触してきて痛い。しかし茂みがクッションの役割を果たして俺と八雲の落下スピードが落ち、地面に叩きつけられる直前に低木の上で止まった。
枝の折れる音と、鳥が驚き鳴いて飛ぶ音がやむと、あたりは静けさにつつまれる。全身が痛い。抱えた八雲の体にも擦り傷がたくさんついていた。
「八雲、大丈夫?」
「う、うん……なんとか」
俺は八雲をゆっくりと安全な場所に降ろす。とりあえず逃げ切れただろうか。さすがにここまでは追ってこないだろう。
「あ、ごめん。ありがとう」
フラフラしながら、八雲は立ち上がる。俺も低木から降りて立とうとすると、足がフラついて崩れ落ちてしまった。
「……!?」
「え、オルト? 大丈夫? 今怪我治すわね」
俺は立膝でうずくまる。手足が痺れており、頭が痛い。体に力が入らない。
「……すまない。毒がまわったっぽい」
「えぇ!? ど、どうしよう……! 私毒の浄化はできない……!!」
八雲が青ざめて慌てている。──あぁ、マズイな、意識が遠のきそうだ。ここで俺が倒れたら八雲が……。
「オルト!? しっかりして!!」
八雲の声がだんだん小さくなっていく。薄れゆく意識の中、目の前に──女性だろうか──人影が現れた気がした。
しかし、それを確認できないまま俺は意識を手放してしまった。