第94話 フィオラの覚醒
影に操られ豹変してしまったシンシアに困惑するフィオラ。アレハンドロによって影の効果が増幅されてしまったせいか、他の町人の様な虚ろな目ではなく、明らかにこちらを敵視している。
「し、シンシア……め、目を覚ましてぇ……!!」
「……」
フィオラが話しかけるが、シンシアからの応答は無い。それどころか、再び蹴りをかましてきた。
「くそっ」
俺はフィオラを抱えたまま、シンシアの蹴りを腕でガードした。するとシンシアはすぐさま回し蹴りを繰り出す。
「ちょ……ごめん!」
回し蹴りをスレスレで回避し、そして足払いをする。片足で立っていたシンシアは体勢を崩し、ひっくり返った。その隙に俺はシンシアと距離を取り、フィオラを下ろす。
「気絶させて止める、って手が使えないならどうすりゃいいんだ……?」
アレハンドロ曰く、影に操られたシンシア達はその身が朽ちない限り命令を遂行し続けるらしい。しかし、シンシアや町の人達の体を再起不能にすることなんてできない。他の手を考えなければ。
「ごごごめんなさいオルトさん…….わ、私が不甲斐ないせいでぇ……」
「いや、フィオラのせいじゃないよ。それよりシンシア達をどうにかして影から解放しないと」
アレハンドロがどうやって影付きを支配下に置いているのかは分からない。影自体にアレハンドロに従うカラクリでも仕掛けられているのだろうか。ケーキ屋の奥が覗ければその辺りの仕組みが分かるかもしれないが、この状況ではそれは不可能だ。
「か、解放なんてぇ……で、できるんですかぁ……?」
「分からないけどやるしかないよ。皆を助けるために」
「ふむ、そんなことは無理ですよ? 私が長い時間をかけて研究して、ようやくこの段階まできたのですからネ」
指をちっちっと振りながらアレハンドロが笑って言う。
「お前はキフネをどうするつもりだ? さっき為政者にちょっかいかけるとか言ってたけど」
「ふむ、まぁ君も私を邪魔立てした以上逃がしたりしませんからネ。教えて差し上げてもいいでしょう。なんせ、私は慈悲深いので」
そう言いながらアレハンドロは陶酔した様子で両手を掲げる。
「キフネの町は、我々コンクエスタンスの支配下に入ってもらいます。ま、ということはユニトリクの支配下ですネ」
「ユニトリク!?」
「おや、知りませんでしたか? エルトゥールを滅ぼしたコンクエスタンスは、ユニトリクと深ーい繋がりがあるのですよ」
「どういうことだ?」
「ふむ、そこからは頑張って想像してくださいネ」
アレハンドロは目を細め、そして両手を下ろした。
ユニトリクとコンクエスタンスが繋がっているとは一体どういう意味だ。キフネがユニトリクの支配下になるということは、ユニトリクの国のトップがコンクエスタンスと何らかの関わりがあることになる。国のトップというと神子一族のはずだ。となるとコンクエスタンスがエルトゥールを滅ぼしたのは、ローウェンス家かバルストリア家の依頼ということだろうか。レオンやハインツの父親がそんなことをするとは思えないが……。
「だ、大丈夫ですかぁ……?」
グルグルと思考を巡らせていた俺の様子を心配して、フィオラが見上げて尋ねる。取り敢えずユニトリクのことは後回しだ。今はこの状況を何とかしなければ。
アレハンドロはシンシア達に指示を出さず、俺達が困惑しているのを楽しそうに見ている。
「あぁ、大丈夫だ」
──とその時、ふと卯月のことを思い出した。卯月が影に操られていた時、八雲の能力をかけたら影が外れたのだ。
「……フィオラ、治癒能力なんて使えないよね?」
「へ……?」
「それなら影から皆を解放できるかもしれないんだけど」
「あ、い、いえ……わ、私はそんなぁ、すす崇高な能力なんてぇ……つ、使えないですぅ……」
「だよね……」
治癒能力なんて使える人間はそうそういない。だからこそ八雲が狙われる訳だが。
「となると、アレハンドロを直接叩くしか止める方法はないか」
「でででもぉ、シンシア達を切り抜けてぇ……あ、あそこまで行くなんてぇ……で、できるんですかぁ?」
「まぁ氣術使えば何とかなるかな?」
「ふむ、それはいけませんネ」
俺達の会話が聞こえたのか、アレハンドロが反応した。小声で話したので二階まで聞こえる様な音量ではなかったはずなのだが、どうやら彼は地獄耳らしい。
「シンシア、自害の準備をなさい」
「「!!?」」
アレハンドロの命令で、シンシアは落ちていた店員のナイフを拾いそしてそれを首に当てた。アレハンドロの合図でいつでも喉を貫ける様に。
「さて、これで状況は元通りです。大人しく私に従ってもらえますネ?」
「うぅ、そんなぁ……」
「エルトゥール、先ほどのお返しをして差し上げます。結構痛かったですからネ。あ、シンシアの命が惜しければ抵抗などしないことですネ」
「……!」
アレハンドロが不敵な笑みを浮かべながら右腕を水平に振ると、虚ろな町人達が襲いかかってきた。
「がはっ!!」
下手に避けたり抵抗すれば、シンシアを殺されかねない。俺は甘んじて町人らの攻撃を受け入れた。腹、腰、肩、脚、頭など、体の各所に殴る蹴るの暴行を受ける。
「ああぁ……! や、やめてぇ!!」
フィオラは男に拘束され、身動きが取れないままこちらを見ている。暴行はされていないが、殴られる俺を見て顔から血の気が引いていた。
「ふふ。神子は傷つけたりはしませんが、エルトゥールは思う存分嬲ってやってください」
「お、おおお願いです! 私はちゃんとあなたに従いますからぁ……!! だ、だからオルトさんを助けてくださいぃ……!」
「そうはいきませんネ。先ほど慈悲深い私がせっかく穏便に済ませようとしたところに水を差したのは彼じゃありませんか。当然の報いです」
町人達は戦闘に関しては素人だ。よって普段戦っている相手と比べれば攻撃自体にそこまで威力は無いのだが、しかし無抵抗のまま攻撃を受け続けるとなるとそれなりのダメージ量になる。
「ぐ……!」
耐えながらアレハンドロの隙をうかがうしかない。フィオラとシンシアを助け、そしてアレハンドロに一撃を入れる隙を──そう考えていた時、少し離れた位置の町人が光るものを手にしたのが見えた。
「!」
光を鋭く反射したそれは、またしても店員が落としたナイフ。男は拾い上げたそれを握りしめ、そしてこちらへ駆けてきた。さすがに刺されるのはマズイ。腕や脚なら刺されたところで耐えられるだろうが、もし無抵抗のまま心臓や肺などの急所でも刺されたら終わりだ。フィオラも男がナイフを持っていることに気づき、一層焦った様子でもがく。
「クソ……一か八かいくか……!?」
この場を一瞬で火の海にする。そしてアレハンドロが怯んだ隙に彼を倒す。司令塔がいなければ町人達は攻撃してこないだろうし、シンシアだって合図無しには自害しないだろう。だが、アレハンドロへこちらの一撃が届く前に合図されてしまえばシンシアが死ぬし、炎で町人達が怪我をするだろう。そもそもアレハンドロがそれで隙を見せるかどうかも怪しい。
そんなことを刹那、考えるうちにも男は近づいてくる。そして男が目の前まで接近し、俺は術を発動させようとしたその時。
「やめてええぇ!!!」
フィオラが叫んだ。瞬間、フィオラの体から白い光が放出され、周りを照らす。八雲の治癒能力を使う時と似た様な、柔らかく温かな光だ。
「フィオラ!?」
「むむ!? 何です!?」
すると光を浴びたナイフの男の動きが止まった。手の力が抜けて握られていたナイフが地面に落ちる。体からは黒い何かが一瞬出た様に見えた。
そしてその男だけではない。他の町人達もフィオラの光を受けて動きを止め、シンシアも首に突きつけていたナイフを落とした。皆からも黒い物体が飛び出て消失した様に見える。
「フィオラ、まさかこれは……」
「は、はえぇ……?」
フィオラを拘束していた男も力が抜け、その場にへたり込んだ。急に解放されたフィオラはオドオドと周りを見回す。
「フィオラ、この力は……?」
「いい今、な、何か私の体……ひ、光ましたぁ!? な、何がどうなってぇ……!?」
どうやらフィオラ自信も今何が起きたのか分かっていないらしい。
「……あれ、フィオラ様!?」
「ん? オレ何してんだ?」
「僕なんでここにいるんだ?」
シンシアや町人が次々と喋りだす。目にも生気が戻っており、先ほどまでの虚ろさが嘘の様だ。
「……まさか、影が消されるだなんて……これは想定外ですネ……」
アレハンドロは驚愕した様子で爪を噛みながらこちらを見ている。
「フィオラ、今出した光のおかげで皆に憑けられていた影が消えたんだよ」
「え、ええぇ!? わ、私の光ぃ……!?」
「フィオラ様、大丈夫ですか!? 私は一体……」
正気に戻ったシンシアがフィオラに駆け寄る。俺に攻撃してきていた町人達は状況が飲み込めずに戸惑っていた。
「あ、あれぇおかしいな。何か体の調子が凄くいいぞ? どーなってんだこりゃあ」
「俺もだ。キフネ病になってからは気分も体も最悪だったのに」
「あ、あんた大丈夫か? 全身怪我してるが……誰かにやられたのか?」
「いえ、大丈夫です。気にしないでください」
体の調子が良くなったと次々に訴える町人達。近くにいた手負いの俺に気遣う人もいる。
「……確かに、体の調子が良くなった気がするな」
フィオラの光を浴びて、体が軽くなった様に感じる。怪我が治っていないことから、フィオラの光は八雲の治癒能力とは別物だ。
「実験は……失敗ですが、大変貴重なものを見せてもらいました。神子よ、あなたを殺すのは勿体無い。是非私の実験に使わせてください。あぁ怖がらなくて大丈夫ですよ。私は慈悲深いので無下に扱ったりはしません」
「じ、実験道具になるなんてぇ……ご、ごめんですぅ!!」
「フィオラ様に手を出すな!」
「……それは残念ですネ」
シンシアはフィオラの目の前に立って庇う。アレハンドロは眉間に皺を寄せた。
「ふむ、もう操ることはできませんか。であれば、力づくで頂きますよ!!」
アレハンドロが目を見開き、そして二階から飛び降りた。地面にぶつかる、そう思った瞬間彼の体を大きな生物が拾い上げる。
ケーキ屋一階の奥から壁を突き破って出てきたその巨大生物────それは、竜だった。