9.愛するほどに、追い詰められていく
本日2話目です
「どうして、あんなふうになっちゃったのかな。仲のいい姉妹だって思ってたのに」
「カロリナには、リディが眩しすぎたのだ。希望の光があると、そうなれない絶望に囚われることがある」
宿につけば、ジュレイルとふたりっきりになる。
ソファーに腰掛ければ、ジュレイルが紅茶を入れてくれた。
「ジュレイルは、時々何もかもわかっているような言い方をするよね」
「我は長く生き、絶望に囚われた精霊より生じた。だから、絶望には少し詳しいだけだ」
「それって、ジュレイルの本体がどこかにいるってこと?」
「そうなるな。ただし、その身は魔に墜ちているが」
はじめて聞く話だった。
どうして言ってくれなかったのかと尋ねれば、聞かなかっただろうとジュレイルは答える。
「だって、そんなふうに生まれてくる精霊なんて、私知らないもの。絶望に囚われた精霊ってことは、ジュレイルの本体は魔物になっているの?」
「あぁ。我は絶望の中から生まれた、希望といったところだな」
私の質問に答えて、ジュレイルも用意した紅茶を飲み、お菓子をつまむ。
人が心をこめて用意したものは、なんでも精霊の糧となる。
しかしこのお茶も、お茶菓子も、ジュレイルが自分で用意したものだ。
糧にはならないのだけれど、おいしさは共通らしい。
ジュレイルは、顔をほころばせた。
「絶望は、希望を知らないと生まれない。カロリナもそうだっただろう? 我らが来るまで、カロリナは絶望していなかった。理想や比べる何か……希望があって、初めて絶望を知るのだ。現状に満足していれば、それしか知らなければ、絶望は生まれない」
哲学的なことを、ジュレイルは言う。
けれど、わかるような気がした。
「精霊が魔に墜ちる原理もそうだ。人に愛された過去があった。人に愛された精霊をうらやんだ。けれど、その愛は手に入らない。もしくはいつか消える。報われない。だから、魔に――絶望に墜ちる。思う心も何もかも、捨ててしまえば楽だからな」
でも、とジュレイルは続けた。
「魔物になっても、苦しみは続くのだ。幸せそうな精霊を堕としても、満ち足りない。そして最後に辿りつく希望が――死だ」
とても怖い話をしているのに、ジュレイルは慈しむような目で私を見る。
私の手をとって、自らの頬へと導いた。
「リディの手で、幸せなまま我を終わらせてくれ。それが我の望み、そして契約だ」
「……嫌」
頬に添えられた手を払えば、ジュレイルは困った顔になる。
「リディ」
私の名前を呼ぶジュレイルは、まるで叱られた子犬のようだった。
どうしていいかわからないというように、見つめてくる。
「怒っているのと、悲しんでいるのがリディから伝わってくる。我は、何かいけないことをしてしまったか? 離れている間、ずっと考えた。でもわからないのだ」
ジュレイルは、今にも泣きそうだった。
彼がこんな顔をするのは、初めて見た。
「あれは、私が少し1人になりたかっただけ」
「我に隠すのは無意味だ。リディの我に対する感情は、全て伝わってくるのだから」
「それ、初めて聞いたわ」
「精霊は人の心に寄り添う。その愛情で成長するのだから、感情が読めるのは当然だろう?」
私が不安になれば、いつもジュレイルは察してくれた。
勘がいいだけかと思っていたら、そういうことだったらしい。
ジュレイルにとっては説明するまでもない、当たり前のことだったようだ。
「じゃあ、ジュレイルは私の考えてることがわかるんじゃないの?」
魔王を倒すために、ジュレイルを犠牲にするのが嫌だ。
私の為にと命を差し出すことに、何の疑問も持たないジュレイルが嫌だ。
何よりも。
それをしなくちゃならない、聖女の自分が大嫌いだった。
「考えていることまではわからない。我にわかるのは、リディが我に向ける感情だけだ」
ジュレイルは、首を横に振る。
「どうしてリディは、我に対して怒っている? そんな悲しい顔を、我はリディにさせたくないのに」
精霊だから、ジュレイルにはわからないんだろうか。
とても、簡単なことなのに。
「好きだからだよ。ジュレイルが、好きだから……いつか殺さなくちゃいけないのが辛いの!!」
いつか、殺さなくちゃいけないのなら。
別れなくちゃいけないのなら。
こんなに、好きになりたくはなかった。
けれど、ジュレイルを側に置いたのは、好きになるためだ。
愛情をかけて育てて、強くして。
魔王と戦う為に――私の糧とする。
最初から、そういう契約だった。
ジュレイルは覚悟を決めているのに、殺す側の私が迷っていてはいけない。
分かってはいるのに、苦しくて仕方なかった。
「リディ」
そうやって、大切そうに名前を呼ばれるだけで、心がざわつく。
抱きしめられれば、どうしたって嬉しくなる。
いっそこの気持ちが捨ててしまえたらと、心から思う。
そしたら、ジュレイルを殺さなくて済むのだから。
「ねぇ、ジュレイル。私と一緒に……逃げよう?」
「それはできない」
聖女失格の言葉を口にすれば、ジュレイルは即座に首を横に振る。
「魔王を倒すのは、リディにしかできないことだ。世界が滅んでしまっては、意味がない。我はリディに生きていてほしい」
「ジュレイルは、死んでしまうのに?」
「そうだ」
なんて勝手な精霊なんだろう。
そう思うのは、筋違いだとはわかっていた。
勝手なのは、人間だ。
それを私はよく知っていた。
ヘドが出るほどに。
「じゃあ、ジュレイルじゃなくて、他の精霊達に犠牲になってもらおうよ」
「リディ……」
私がこんなことを言うとは思っていなかったんだろう。
ジュレイルは目を見開いた。
「世界も何もかも、どうでもいいの。ジュレイルがいてくれれば、それでいいの!!」
それは人として、言ってはいけないこと。
ジュレイルはきっと、私を軽蔑したはずだ。
怖くてジュレイルの顔が見られない。
自分のつま先を見つめれば、ジュレイルが私を優しく抱きしめてきた。
「嬉しいぞ、リディ。それほどまでに、我を思ってくれるのだな」
思わず顔を上げれば、微笑むジュレイルと視線があう。
魔力が振るえ、ほのかな光の粒がジュレイルの体から湧き上がった。
嫌な予感がした。
これは、ジュレイルが成長するときに見られる現象だ。
「違う! ジュレイルなんか、好きじゃない!」
「リディ、愛している」
とっさに否定すれば、ジュレイルが愛の言葉を囁く。
喜んではいけないのに、嬉しくて仕方なくて。
私の感情を糧にするように、ジュレイルの背に蝶のような羽が生えた。
目の前のジュレイルから感じるのは、先ほどまでとは比べものにならない力。
皮肉にもジュレイルを殺したくないと願うほど、大切だと強く思ってしまう。
そして確実に、私はジュレイルを死へと追いやるのだ。
「これで準備は整ったな」
「なんで……こんなの、酷いよ」
後は魔に墜ちた守護精霊を、一体残すのみ。
そしたらもう、ジュレイルとはさよならだ。
「罪悪感を覚えなくてよいのだ。これは我の望みなのだから」
頬に零れた涙を、ジュレイルが唇で拭う。
なだめるように、愛おしいと伝えるように。
「どうして、ジュレイルはそんなに死にたがるの?」
「生きることは我にとって希望ではなく、死こそが我の希望。そう言っただろう?」
私にはそれが理解できない。
そういうときのジュレイルは、どこか遠くを見ていて。
今にも消えてしまいそうで、怖くなる。
「わからないよ、ジュレイル……」
「それでもいい。我は今、とても幸せだ」
また抱きしめられる。
ジュレイルの顔は見えないけれど、その声色の甘さにぞくぞくとした。
「ジュレイルの幸せは、私の不幸の上に成り立つの? それじゃ、カロリナと一緒じゃない……」
私の声には、すでに嗚咽が混じっている。
ジュレイルは私の頭を自分の肩に押しつけ、頭を撫でる。
何も言わずに、ジュレイルはしばらくそうしていた。