4.力の器
彼らの叫び声を聞くたび、泣いているようだと思う。
目の前には、魔へと堕ちてしまった守護精霊――アヌラ。
元は白い毛並の兎のごとき、守護精霊だったという。
守護精霊が祭られていた塔は荒れ果て、いまやアヌラの姿は伝承に残るのみだったけれど、面影を見ることはできた。
人と同じくらいの大きさの兎は、顔に血の涙みたいな模様がある。
牙は長く、ギラギラとした瞳をしていて、私を仕留めようと襲いかかってきた。
その背中には、黒い鱗粉を振りまく羽がある。
蝶の羽は、力の強い精霊の証。
本来は白く透明なはずのその羽は、淀んだ力で濁りきっており、形も大分いびつだった。
苦戦しながらも、アヌラを追い詰める。
素早さに長けるゲイルが気を引き、攻撃力の高いデルタがトドメを刺した。
うめき声と共に、アヌラが倒れる。
私は近づいた。
精霊の死は、魔物になることだ。
人を愛せなくなり、絶望に染まりきったとき、精霊は魔物に堕ちる。
魔物になった精霊のその様子を見て、絶望を知り、他の精霊も共鳴するように堕ちていく。
終わらない苦しみの中、ただ嘆き続けるしか、彼らにはできないのだ。
しかと、普通の攻撃で誰かが魔物を倒しても、またしばらく経つと蘇る。
厄介なことに、以前よりも力を増して復活してしまうため、人にとっては厄介なことこのうえなかった。
けれど私から言わせれば、人の心に寄り添う彼らは、その影響を受ける。
悪意を向ければ、それが返ってくるのは当然の仕組みと言えた。
魔物になってしまった精霊に、真の意味で終わりを与えられるのはーー聖女である私しかいなかった。
「かつての守護精霊アヌラよ。我が内に宿り、眠りたまえ」
アヌラの体に手をかざし、祈りをささげる。
その体がいくつもの黒い光の粒になり、私の体へと吸い込まれた。
「うっ……ぐっ……!」
いつもこの瞬間は、苦しい。
まるで茨を飲み込んだかのように、体の内側から血がにじむようだ。
内側を無理やり広げられるような感覚。
その場に崩れ落ち、爪が食い込むくらいに自分の体を抱きしめた。
「これも聖女の務めだ。お前なら、できる」
「しっかりしろ! ここで力に耐えられないと、魔王を倒すことだってできないし、全てが無駄になるんだ」
デルタとゲイルが、私に声をかけてくる。
2人とも心配そうな顔をしていた。
力をその身に受け入れるたびに私が苦しむのを、2人は見てきた。
どんなに私が痛くて辛くて仕方なくても、2人がそれを止めることはない。
これは世界を救うために、必要なことだからだ。
しばらくして、永遠かと思われるような痛みが引いた。
どうやら、ある程度飲み干したようだ。
発作のような痛みは、短くて3日、長くて1カ月ほど続くだろう。
体に受け入れた魔が体の中で浄化されるまで、私は何度もこの痛みと戦うのだ。
いっそ、死んだほうが楽なのにと……聖女にとって許されないことを、弱い私は幾度となく考えたことがある。
ふいに、ふわりと体が持ち上げられる。
ジュレイルが、私以上に痛そうな顔をして私を抱き上げていた。
いたわるようなその視線に、体の緊張がほどけるのを感じ、私は意識を手放した。
◆◇◆
「どうやらうまく魔を浄化し、取り込んだようだな。力受け入れる器も一回り大きくなっている」
一週間ほど寝込んだ後、私は目覚めた。
魔物を倒した後にデルタが毎度行う、力のチェック。
私の契約騎士であるデルタは最高の騎士であると同時に、教会の神父でもあった。
教会のシンボルである、フォークのような形をした飾りを私の額に押しつけ、魔王を倒すのにあとどれくらいの力が必要なのかはかってくれる。
「魔に堕ちた守護精霊は後1体。それを取り込んでも、やはり魔王の器には遠く及ばないな」
やっぱりそうなのかと、デルタの診断に落胆する。
ベッドの上で上半身を起こしたまま、ぎゅっとこぶしを握りしめた。
「ジュレイル」
デルタがジュレイルを呼んだ。
私にしたように、ジュレイルの力の測定を行う。
私は苦いものを食べたような気分で、うつむいていた。
「予想以上に育ったな。お前がいれば、魔王の器を超えることができるだろう。もうひと押しというところか」
喜びと賞賛が含まれた、デルタの声。
それに対して、やるせない気持ちになった。
「我はまだ育つ」
「あぁ、力は大きければ大きいほどいい」
ジュレイルもジュレイルだ。
褒められて嬉しそうにするのはやめてほしい。
生贄としてふさわしいと言われているようなものなのに。
「私、外の空気を吸ってくるね」
これ以上、この場にいるのが耐えられなかった。
「我もいく」
「いらない! こないで!」
大きな声で拒絶すれば、ジュレイルだけではなくデルタも固まった。
今までこんなふうに、感情をさらけだしたことはない。
茫然とする2人をその場に置いて、私は逃げ出した。