2.聖女の休息
本日2話目です。
「リディよ。お前はいつ休むのだ?」
私がジュレイルと名付けた、少年の精霊が尋ねてくる。
彼も一緒に旅をするようになって、もう一カ月が過ぎていた。
「今、休んでいるじゃない」
ベッドに座るジュレイルの髪を、正面に座って拭きながら答える。
立ち寄った村で聖女様のためにと用意された湯に入り、ちょうどさっぱりとしたところだった。
ジュレイルの世話をするのは、私の仕事だ。
こうやって、誰かを構うのは楽しい。
孤児院にいたとき、私には血の繋がらない妹がいた。
私が聖女に選ばれる前に、引き取られていってしまったのだけれど。
「体の休息のことを言っているのではない。魔物と戦い、立ち寄った村の者達を勇気づけ、孤児院を回る。皆の前で講演を頼まれれば引き受け、魔物に殺された者達の為に鎮魂歌を歌う。歓迎を受ければ、それを断ることなく、お前はいつ休むのかと聞いている」
髪を拭く私の手を掴み、作業を中断させてジュレイルが問う。
「今日は一日お休みのようなものだったわ。守護精霊だった魔物を倒したお礼に、領主様に美味しいお食事をいただいて、この街を案内してもらったし。それにこんな素敵な宿に泊まれたんだから」
「それも聖女としての仕事だろう。リディの時間はどこにあると、我は尋ねている」
ジュレイルの口調は、まるで怒っているみたいだ。
不覚にも胸の奥から、何かがこみ上げてきそうになる。
聖女でない私自身を気にかけてくれる人なんて、いなかった。
「……ありがとう、ジュレイル。でも大丈夫。私は聖女だから」
心からの感謝をこめて、微笑む。
この精霊はとても優しい。
「大丈夫とは、どういう意味だ?」
「皆が苦しんでいるときに、聖女の私が休むわけにはいかないの」
眉を寄せたジュレイルの頭を撫でる。
聖女はいつだって、皆の希望でなくてはいけない。
弱音を吐くことは許されないし、誰かを不安にさせちゃいけない。
私には、皆を救う義務があった。
「一刻も早く魔王を封印して、世界に平和を取りもどさないといけないからね。この瞬間もどこかで誰かが苦しんでいるかもしれないし、休んでいる暇はないの」
「お前は何を言っている。一番頑張っているお前に、誰よりも休む権利があるに決まっているだろう」
力強く頭を引き寄せられた。
その華奢で小さな少年の肩に、私の額が乗っかる。
「休め、聖女よ。リディには、我に構う時間が必要だ」
どこか高慢で、それでいて気遣いを感じる優しい命令。
もっと自分に構えと、さりげなく……いや、かなり大胆に要求しているところが、彼らしい。
……誰かに気遣われるって、こんなにも嬉しいことだっただろうか。
今だけは聖女じゃなくていい。
そう、許された気がした。
「っ……ジュレイル」
「なんだ、リディ? 我に構う気になったか」
ジュレイルの肩に顔を押しつけ、涙を拭きながら名前を呼ぶ。
優しく頭を撫でてくれる手に身をゆだね、私はしばらくずっと泣いていた。
◆◇◆
「リディ。そろそろ起きるがいい」
「ん……」
朝になって目を覚ませば、見知らぬ銀髪の青年が私の顔をのぞきこんでいた。
「ひゃっ、なっ!? だ、誰ですかあなたは!!」
慌てて飛び起きて、ベッドから転がり落ちる。
距離を取って、警戒するようににらみつけた。
「ジュレイルだ。リディが名をくれたのだろう」
青年がゆっくりと立ち上がる。
年は私と同じ18歳くらいだろうか。
確かに顔にはジュレイルの面影があった。
清廉で少しけだるげな雰囲気は、その姿になっても相変わらずだ。
「どうして大きくなったの……?」
「成長した。リディの心が我と寄り添った証だ」
精霊を飼いならすとはこういうことなのだと、ジュレイルは言う。
「リディよ。我はお前のものだ。リディの全てを我は受け入れよう。聖女であるお前も、そうでないお前も全てだ。その代わり、リディは我を飼いならせ。これは契約だ」
私の髪を一房手にとって、ジュレイルが口づける。
その言葉には力が宿っているかのようだった。
まっすぐ見つめられれば、心の奥深くまで知られてしまっている気がした。
「飼いならすって……何をすればいいの。ジュレイルは、こんな私に何を求めているの?」
「我の命が消えるそのときまで、お前に想われたいだけだ。それは精霊にとって得難く、何よりも焦がれる尊いものだからな」
「いつか、私はジュレイルを殺してしまうかもしれないのに?」
「それは救いであり、我の願いだ」
ジュレイルはよくわからないことを言う。
「私がジュレイルを助けたのは、自己満足だよ。尽くしてもらっても困るの」
「知ってる。我のこれもまた、自己満足の代物だ」
「私、優しくないし、立派な聖女様じゃないよ。ジュレイルが命をかける価値なんてない!」
「困らせてすまないとは思っている。だが、我は殺されるならお前がいい。他でもないお前に、愛されたいと思ってしまった」
感情をぶつければ、ジュレイルは弱り切った顔をする。
愛されたいという言葉は、まるで告白みたいだ。
思わず固まれば、ジュレイルの細くて長い指先が、私の顔の輪郭をなぞる。
「魔に堕ちた精霊を退治するたび、お前は傷ついている。人間の醜い部分を見ながらも、嫌いになれずにいる。期待と義務に押しつぶされそうになりながらも、気高くふるまうお前を我が甘やかしたいと思った。それではダメか?」
「わ、私は……」
混乱する。
聖女ではなく、私の心がほしい。
ジュレイルはそう伝えてくるようだった。
「難しいことを考えなくていい。ただ、心のままに我を飼いならせばいいのだ。そうすればいずれお前を縛る聖女の鎖も消え、我の悲願も叶う。全てがうまくいく」
少年のときとは違う、少し低い声。
優しい甘さをともなって、それは私の耳を通り、心の奥へと落ちていくようだった。
◆◇◆
その日を境に、私はジュレイルの前では素直になれるようになった。
聖女じゃなくていい時間は、私にとって貴重なものだった。
「我はリディとの時間を所望する。これは、我の権利である」
私が疲れているのを感じ取ると、ジュレイルは契約騎士の2人にそう主張して、定期的に休みを取るようになった。
ただ寄り添って話したり、一緒の時間を過ごすだけ。
普通の人たちが、当たり前にやっている何でもない日常。
それだけのことが、私にとっては大切な時間だった。
「リディ、今日は我がお茶をいれよう」
「できるの?」
「うむ。デルタに教えてもらった」
まかせておけと、ジュレイルが言う。
少し不安になりながら待っていたら、ポットを持ってやってきた。
「飲むがいい」
「ありがとう、ジュレイル」
注ぐその様子も、思いのほか様になっていた。
いつの間にと思いながら、お茶を飲む。
「あ……おいしい」
「よかった。リディに喜んでもらいたかったから、頑張ったのだ。これからはリディのお茶は我がいれるぞ」
温度もちょうどよく、葉のよい香りがする。
私の言葉にジュレイルがふわりと笑った。
一緒に過ごすようになって、ジュレイルは表情豊かになった。
微かな変化なのかもしれないけれど、こうやって笑顔を見せてくれる。
幸せだというその笑みが、私はとても好きだった。
「いやでも、ジュレイル。そんなことまでしてもらうわけには……契約は私がジュレイルに構うことだったでしょう? これじゃ私がしてもらってばかりじゃない」
「我がしてあげたいのだ。我にされてばかりが不満なら、リディも我をさらに甘やかすがいい」
ふふんと得意げに、ジュレイルは言う。
なんだかその様子がおかしくて、思わず噴き出してしまった。
「そうね、そうするわ」
「うむ。そうしろ。たとえば、この後我と手をつないで、散歩をしてくれると嬉しい。風の精霊がいうには、景色のよい場所があるらしいのだ」
ちゃっかりと、ジュレイルは要求してくる。
けれどそれは結局、私が喜ぶことだ。
「ジュレイルは無欲ね。もっと望んでいいのに。私ばかりがいい思いをしている気がするわ」
「我は欲が深いぞ。リディがそうやって我のすることで喜んでくれるのが、何より嬉しいのだ」
さらりとジュレイルは、好意を伝えてくる。
そこに嘘も偽りもないのがわかるから、心を揺さぶられる。
残酷な、残酷な幸せの時間だった。




